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プロローグ『ヒアリング』

「これは、冷たい紅茶ですか?」


 表の看板を裏返して戻ってきたシャルルは、少女からの問いに「そういう飲み物なんですよ」と間髪入れずに返事を返した。

 客人用の机を挟んで椅子に座っている少女は、湯気の出ていないカップの中身を見て首をかしげている。

 彼女の持つカップの中の飲み物は、『まだ』口をつけていない新しいものだ。

 少女の「そうなんですね」と素直に頷く純白さに、申し訳なさよりわずかに心配が勝りつつ。

 シャルルは客人の黒いローブをたたみながら対面の椅子に腰かけた。


「フォンメリース家の皇女様なら、神子……ってことですよね」

「はい。一応……」


 フィオレア・ユーノ・フォンメリース。

 その名前を知らない人間が、果たしてこの帝都にどのくらいいるのか。探す方が大変なほど、知らない人は皆無といっていい。

 帝都フォルベーヌに住まう皇帝の娘であり、その長女。

 真っ白な雪にいくつかの氷が溶け込んだような長い髪と、青い宝石のような瞳、白い肌。まるで神に作られたような美しい容姿と、どこか幼さの残る顔立ちの絶妙なアンバランスさ。そんな彼女は一目見るだけで誰もが視線と心を惹かれるのだと、噂は何度も耳にしていた。

 有名なのは、その外見だけではない。

 フォンメリース家という家柄、そしてその家に生まれる長女は『神の子』とされていること。

 しかし。

 しかしだ、彼女の言うそれが本当なのだとしたら、そもそもの話、


「なら、今ここにいるのはおかしいのでは……?」


 『神子』は必ず、十八の誕生日に世界を見て回る旅に出る。

 約二年程かけて世界各地の問題や異変を解決へ導く皇女としての公務、そして、かの地にあるとされている神殿にて神に感謝と祈りを捧げて帰ってくるという神子としての責務。

 そのいずれもを果たすため、彼女は旅に出ていなくてはおかしい。

 だって、十八を迎えた神子が旅に出たらしい、とシャルルが聞いたのは、『先月』の話なのだから。


――これは……面倒ごと確実じゃんか。


「どこから話したものか、迷いますが……」

「今日はもう店じまいしましたから、ゆっくりで問題ないですよ」

「すみません……いえ、ありがとうございます」


 礼を言いながら深々と頭を下げる少女。

 大丈夫です。社交辞令です。できることなら謝罪やお礼はいいから、今すぐにでも帰ってくれ。……とは思えど、この国の皇女様を追い返すなんて、しがない平民にはできやしない。世知辛い世の中だ。


――皇女に頭下げさせた不敬罪とかなかったよな……。


 筋肉痛になりそうな頬と口角を無理やり引き上げ、たたんだローブを机の端に寄せるように置くと、シャルルは言葉の続きを待った。


「ではまず、私の体質の話なのですが、私はほとんど魔法が使えません」


 そうなんだ、程度の感想だった。

 彼女の言葉は、別段おかしいものではない。

 そもそも、彼女だけではなく、世界の大半の人間は魔法が使えない。その道筋を教えるために魔法学校もあるが、そこに通えるのはほんの一握りの金か才能がある人間だけ。その上、学校へ行けたとしても、運動や勉学と同様、才能がなければ思うように魔法は使えない。

 材料があったとしても、割合や組み立て方がわかっていないとレシピ通りのご飯が作れないことと同じである。

 とはいえ、


「空気中のエーティアをうまく利用できない人間も一定数います。そのために魔法補助用のスフィアもあるでしょう。たしか、空気中の魔力を人に合わせた分量で体内へ吸収してくれる術式とかいう……」

「はい。そういったものも試してみたのですが、中々思うようにならなかったのです。単純に私の才能がないだけかもしれませんが、フォンメリース家かかりつけの医者が診断するには、もとより、魔法があまり使えない体質なのだそうです」


 実際に見ていないから、否定も肯定もできないが、医者が言うのならそうなのだろう。

 シャルルは何も言わず、視線で続きを促した。

 フィオレアが持っていたカップをテーブルに置くと、わずかにカップの中の花びらが波打つ。


「それを踏まえて……これからお話しすることは少々昔の話にもなりますが、どうかお聞きください」


 シャルルに説明された内容は、誰もが知るこの世界の生い立ちやフォンメリース家のこと、そして神子のことだった。

 まるで絵本でも読み聞かせられているかのように、ゆったりと、彼女は語る。



今から数えられない程はるか昔、神はこの世に世界を作りました。

人を、命を、植物を、生き物を。

そしてそれらが生きるに足るあらゆるものを。

人は植物や生き物を育て、植物は大地を作りました。

大地は食物を育て、食物はこの世の命を育てました。

やがて、人の中に、神と対話する人間が現れたのです。

災害や、問題が起きた時には、その人間を通して神に祈りました。


『我々に今日まで命を与えて下さったことを感謝します。神様、どうかこの災厄から我々をお救い下さい。私たちに恵みと祝福をお与えください』


そうして神と対話できる人間を、いつしか『神子』と呼ぶようになりました。

人は神子を通して神と共存し、祈りを与え、祝福を与えられてきたのです。

それから、神子はある家系にだけ生まれるようになります。

そうして生まれた代々の神子は、一人の大人となった十八歳の誕生日に、かの地にある神殿にて、神と対話し、感謝と祈り、祝福を捧げるのです。

今日までの命と、世界の安寧を感謝するために。神様にも祝福を捧げるために。

その神子の行いで、今の世界の平和があるのです。



――そして、約十八年前に、神子が……この人が生まれた。と。


 すらすらと語られた内容は、この国――いや、この世界じゃ誰もが小さい頃から知っていることだろう。

 今となっては、この世を統治する皇族として、世界を見て回る旅として公務も兼ねているらしいが、語られた内容は自分ですら何度も聞いたことがある程言い伝えられてきた歴史の一部だ。


「神子は代々、必ず青い瞳で、大きな力を持って生まれてくると言われています」


 そう告げるのは青い瞳。その瞳が静かにシャルルを見つめ、少女は自身の胸元をへ手を添える。


「ですので私も……周りの方からは神子として、厳しくも大切に育てていただきました」


 だから、この体に与えられた絶大な力を持って、十八歳の誕生日には、神子として、皇女として、旅へと出るはずでした――そう続けたフィオレアの手は、すぐに胸元から、力が抜けたように膝の上へと帰っていく。


「今年、私は十八を迎えました」


 その言葉で、聞く一方だったシャルルの脳内で散らばっていた話が徐々に形を持ち始める。


「でも、貴女は旅に出なかった……いや、出れなかった、が正しいんでしょうか?」

「……はい。お察しの通りです。母は、私ではなく、リリーナを旅に出すと。今回は、長女の私ではなく、次女であるリリーナに神子の力は引き継がれてしまったのではないかと……」

「リリーナ皇女にはそんなにすごい力があるんですか?」

「そうですね……魔法もろくに使えない私よりは、遥かに。魔力も、それを制御するだけのスキルも上だと思います。私達二人を知る人たちならば、彼女の方が旅に適任であることはすぐにわかるでしょう」


 フィオレアは寂しそうな笑顔を浮かべる。徐々に力をなくす声と共に、青い瞳が長いまつ毛の奥へ沈んでいく。

 しかしそうなら、段々と話の歯車が狂い始める。

 ひとつずれると、またひとつ。

 少しずつ疑問のほつれがうまれてしまう。


「でも、これまではどんな形であれ、必ず長女に神子の力は引き継がれてきたんですよね?ならやっぱり貴女が行くのが妥当では?」


 それこそ、しっかりと帝国騎士の軍でも連れて、護衛してもらえばいい。

 そう告げると、フィオレアは少し驚いた様子を見せつつ、何度かうなずいた。


「ええ、私もそう思いました。だから、母に相談したのです。けれど、母の決定は覆らず……先月妹が旅に出ました」


 自分で話しながら落ち着きを取り戻し、彼女は悩むように眉根を寄せる。


「元々、リリーナは気位の高い子でしたから。母に認められたことがうれしかったのでしょう。話を聞くなりすぐに準備を始め、私の止める言葉なんてきっと耳にも入っていないと思います」


 説明が紡がれる度に、その言葉はやはり、疑問の形へ変わってシャルルの耳に届く。


「ますます違和感を覚えるんですが」

「……どこにでしょうか」

「…………処刑されません?」

「そ、そんなこといたしません!」


 ぴゃっと今日一番の大声で否定したフィオレアは、ほんのり頬をふくらませて、すぐに咳払いとともに冷静な雰囲気を取り戻す。

 「どうぞ」と手も添えて促す少女に、それじゃあ、と青年は、軽く腕を組んで、エメラルドグリーンの瞳で彼女を見据え、口を開いた。


「気を悪くしないでほしいんですが、所謂皇族の『世直し旅』は、いくつか決められた取り決めがありますよね」


 ひとつ、神子が旅に出ること。

 ひとつ、約二年間かけて、世界の問題を解決へ導き戻ってくること。

 ひとつ、かの地で神と対話をすること。

 そして、もうひとつ。


「神子の十八の誕生日に、それは行われる」


 シャルルは、自らの組んだ腕をとんとんと指でゆっくりとたたきながら、言葉を続ける。


「本当に貴女のお母さま――皇后様が、次女のリリーナ皇女に神子の力が宿っていると思っているなら、彼女が十八になる誕生日に行われるべきでは?」


 それに――今回は、祭事も見てない。

 いや、実際には、今回どころか一度も見たことはない。でも、客や同業者、周りから得た噂程度に知っている知識として、神子が旅に出る前には必ず国をあげての祭りが開かれるということを知っている。それも三日前から前夜祭、旅立ってからも後夜祭としばらくの間、国はお祭り騒ぎなのだと。

 しかし今回、そんな祭事が催された記憶はない。直近で街を離れる仕事もなかった。家から出ていない日があるわけでもない。でもそんな祭りは何も見ていない。ただ、もう神子は旅立った、とそんな話だけが街に出回っていたことだけ知っている。


「私も、祭事に関しては家の使用人の方に話を伺っていました。とっても大きい国一番の祭りだからと、小さい頃から楽しみにもしていたくらい……でも実際、リリーナは隠れるように出発して、母はこのことを国民に知らせる必要も、祭りを行う必要もない……と」


 その言葉で、ようやく合点がいった。


「で、最近貴女は、そうなった事情を何か知ったから、リリーナ皇女を追いかけたい、と」

「……はい。このままではリリーナが無事に戻れる保証はないと思っています」

「それで、スフィア鉱石……か」


 細かい事情まではわからないが、とりあえず、彼女は妹を追いかけるために外へ出たい――そしてそのためにエーティアや魔物から身を守る為にスフィアが欲しい――大体のことのあらましは理解した。

 『細かい事情』の部分は皇族の問題だろう。易々と踏み込んでいい問題ではないように思える。


「まあ……依頼の理由はわかりました。でも、先程お聞きした体質なら、普通のスフィア加工したものでいいのでは?俺が術式組み込んだところで、魔法、使える保証ないんじゃないですか?」

「できることは、全てやってみたいのです」

「じゃあせめて、皇族の意匠、なくてもいいんじゃないですか?使用感は変わりませんし、俺も偽造がバレたら命の保証はないんですけど」

「あなたの命は、私がなんとしても保証します。それに、私達は、アクセサリーや身に着けるものはそれ相応のものを与えられてまして……与えられたもの以外は、厳しいチェックと監視が入ります。どんなに気に入っていても、どんなに価値のあるものでも、問題があると決められたら取り上げられてしまうのです。でも皇族の意匠が入っていれば、その目も緩む」

「だとしても、バレない保証はないと思うけどなあ……」


 実際、皇族にもなるとそういったセキュリティは難しいのだろう。

 スフィアともなれば尚更、魔力や術式を埋め込めば、媒体を通して暗視することや遠隔の攻撃を加えることも可能だと聞く。

 この国や皇族へ悪意を向ける人間がいないとは限らない。チェックや監視が厳しいのも頷ける。


「もういっそ、自力で魔法にこだわらずに、護衛を付けて後を追えばどうですか?」

「それこそ、母や父の判断に背くことになります。騎士を貸してくれると、は……」

「……」

「……」


 ゆるやかな言葉の区切り。話の流れを止める静かな沈黙。

 なんだか、いやな予感がした。

 それを肯定するかのように、フィオレアはじっとシャルルを見つめる。

 その目尻がやんわりと弧を描くように落ちた。

 青い瞳に捉えられたシャルルは、もがくように顔をしかめる。


「私はそもそも、旅に出ることを許可されないと思うのです。この街を出るには、もう黙って出るしか」

「……俺、護衛ならしませんよ」


 皇帝と皇后の決めたことに背いて、皇女様を黙って国から連れ出す?

 皇族の意匠偽造まで手伝って?

 挙句、魔物がうようよ闊歩している外を旅する?

 ひと月前に出ていった、追いつくかもわからない、どこにいるかもわからない人間を追って?

 冗談じゃない、絶対に割に合わない、それどころかいくつ命があっても足りやしない。


「ええ。護衛は頼みません」


 心配していたことを否定されて、ほっと一瞬の安堵もつかの間。


「私の荷物を運んでください」


 ぱん、と両手を合わせるフィオレア――否定されたはずなのに、じっとりといやな予感がまとわりつく感覚。

 対照的に、少女は晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 つい、「荷物……?」と聞き返したシャルルへ、彼女は、こてん、と可愛らしく小首を傾げる。


「はい。護衛でも従者でも騎士でもなんでもありません。ただ、荷物を預けますから、それを運んでくださいませんか?必要であれば経費は別途お支払いいたします」


 荷物運び。この話の流れで。

 荷物運びの手伝いをしますとか、荷物を奪われたので追いかけてるだけですとか、どっかで見たことあるような妙なトンチで一緒に行こうって魂胆じゃないだろうか。

 どんなに柔和な笑みを浮かべられても、青年の疑いと怪訝なまなざしは崩れない。


「荷物ってどんなのでしょうか」

「そうですね、なんといいますか……小さめの箱です。少し力のある一般男性なら余裕かと思います」


 小さめの箱だけれど力が必要、つまり重量があるのだろうか。もしくは、小さめの箱が複数だったりするのだろうか。はたまた、箱の中に何か入っていたり――と、疑いだしてはキリがない。

 ともかく、そのくらいの荷物運びなら問題ないだろう。

 了承したシャルルは、正式に受注として、作業机へ契約書を取りに行くべく立ち上がる。


「ちなみに、どこまで運べば?」

「少し離れた場所になってしまうのですが、――隣の国まで」

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