プロローグ『シャルル・アレクディロス』
生き方に正解はないと思う。
極端に言えば、人を殺してしまっても。
その瞬間、その空間においては、それが正解になることだってある。
でなければ今頃自分は極刑だ。
*
「毎度。またお困りの時はお待ちしてますよ」
シャルルは、にこやかに去っていく白い貴婦人へ、ひらりと手を振って見送った。貴婦人が手を離した扉が閉まると、カラン、とベルの音が部屋に響く。
たった今出ていった客から支払われた紙幣とコインを手早くカウンター下の金庫へと収納して、ようやくシャルルはひと息ついた。立ち上がって大きく伸びをすると、体中のあちこちで骨が鳴る。そのままの両手で両頬をもみほぐした。
愛想笑い。
営業スマイル。
接客業には必須事項。
慣れている。
得意ではない。
「今の人、リピありかなぁ……期待せず覚えとくか」
ここ数年の客は、全員帰る間際に「また来る」と言ってくれる。
先程出ていった貴婦人もそうだ。次回の差し入れの内容まで例に挙げながら、満足そうに修復されたスフィアを持って帰っていった。
しかし、誰かに金を払ってまで頼みたい程、困った状況なんてそう起こるものでもない。
シャルルは、部屋の角にある作業机の足元から、分厚い紙の束を取り出した。立ったまま、パラパラとめくって最新のページへインクペンを走らせる。
書いていくのは一番最後に、つまり先程依頼を完了させた客の情報。この紙の束は、所謂、顧客帳である。
名前、容姿、依頼内容、金額、特徴、言動の癖、――紙の上を素早く行き来するペンは、数分ほどでインク瓶の中へと戻っていった。
「これで終わり、と」
紙面を仰ぐように手を揺らす。これで、次があったとしてもある程度スムーズに対応できるだろう。
――次、いつ来るのかわかんないけど。
何年も前、スフィアが世に流通するまでは様々な依頼が舞い込んでいた。主に危険な街の外に出るものが多かったし、それはそれで苦労もしてきたが――ここ数年はとんと平和だ。
黒いインクは紙にまだ僅かに滲みを広げている。
ひらひらと動かす手は止めないまま、少し退屈そうに視線を泳がせた青年は、机上の錆びた鉄の額縁でその視線を止めた。
額縁の中には、笑顔の男性と女性が寄り添う写真が飾られている。二人の周りを彩る額縁と机の境目には日焼けの跡がくっきりとしている。
この写真以外、父と母のことは何も知らない。
物心ついて間もなく、いなくなってしまったから。
――なんだかんだ、あの頃に比べて、金の稼ぎ方はマシになったよ。
両親が今の自分を見たら、頑張っているねと褒めてくれるだろうか。
金の稼ぎ方。仕事の取り方。選び方。愛想の振りまき方。
すべて最初から今のようにこなせていたわけじゃない。
それでも、生きていくには金が必要で、金は稼がなくては手に入らない。
至極、当然のことで、されど、頼れる大人すらいない小さい子供には難しいことだった。
靴を磨けと言われれば、床に這いつくばった。
薬草を取りに行けと命じられれば、危険な街の外を、魔物の目から逃れるように走った。
写真を渡されれば、三日三晩眠れぬままに人を探した。
魔道具を与えられれば、迷わず引き金を引いた。
あの頃、あの瞬間、生きるために重要なことは、対価と報酬だった。
すべて、歳が二桁にも満たない頃の話だ。
さすがに乾いただろうかと紙の上を指で軽く撫でる。しっかりと沈み込んで染まった黒は、もう滲みも消えもしなかった。
紙の束を閉じて、元の場所へ戻す。
これで一区切り。
無駄に昔のことを思い出してしまった。
体と脳を一旦休めるべく、シャルルは作業机とは向かいにある壁の扉を開けた。
扉の先は小部屋だ。壁伝いに簡易的な水道と、人から譲ってもらった魔道焜炉が一つ。一般男性程度に細身であるシャルルですら、立っているだけで狭いほどの小さなスペース。これが彼の家のキッチン。焜炉に向かって立つと、一歩後ろにはもう戸棚がある。
置きっぱなしになっている鍋に適当に水を入れて、焜炉の上へ。スイッチを押し込むと一瞬で鍋の下で点火された。
こういった家庭で使う道具にも、ここ数年は特殊な魔術加工されたフィアが使われるようになったなあ、としみじみ思う。まだそういう魔道具は高値で取引されているが、それでも大抵の家庭で、一般的なものとして普及されつつある。ちなみにシャルルのこれは、仕事相手からたまたま譲ってもらったお古を、何度も手直しと修理を重ねて使用しているわけだが、これがなかなか長寿で助かっている。未だに一人で使うには全然申し分ない。
――今日は早めに店じまいしてもいいかもな。
お湯が沸くのを待っている間、ぼんやりと視線をもちあげると、壁の上部に空いた通気窓から見える外の空気感は、日が下りはじめているようだった。
ぶくぶくとお湯が十分に温まっている音がしてから、シャルルは焜炉のスイッチを切る。手を伸ばせば届く距離にあるカップと、ついでに半身振り返り戸棚の瓶から何かを手に取ってカップ内へぽとりと落とすと、それはお湯が注がれるにつれて花開いて、ふわりと安らぐような香りを漂わせた。
さて、と口をつけようとした瞬間だった。
――――――カラン、カラン。
反射的に指がピクリと反応する。
そして、
「あ、あのー……し、失礼いたします……」
店主であるシャルルの名前を呼ぶでもない礼儀正しい挨拶。しかし不安そうなか細いトーン。それらから導き出される答えは、――新規客だ。
「タイミング悪……」
一口も飲めていない湯気のたちのぼるカップを流し台のフチに置いて、消えそうなくらい小さい声と、ため息を吐いた。がっくりとうなだれた首をなんとか持ち上げて、数歩先の店を兼ねたリビングへ。
キッチンに繋がっている扉を後ろ手に閉めながら入り口の方へ視線をやると、そこには、大きいローブに包まれた人間が一人だけ立っていた。
――……身長は、百六十はないな。
さっきの声からして、女性っぽいよな。
顔や髪はフードで見えづらいけど……多分初対面だろ。
靴の汚れは目立たない。
手荷物もほとんどなさそうだ。
ローブの生地は下町のものじゃない、明らかに上質。
デザインもシンプルそうに見えて、所々に刺繍やフリルが施されて凝ってる。
全体的に身綺麗で清潔感がある……ってことは、衣服や容姿に気を使える程度の財力があって、荷物を持つ従者か送迎付き、つまりは帝都付近の人間……。
これは上客になるかも……?
「こんにちは、お嬢さん。何かお困りごとですか?」
つらつらと頭の中で考えていたことに蓋をして、シャルルはにこやかに口角を上げて問いかけた。すると、フードの人物は一瞬ためらったような様子を見せてから、口を開く。
「こちらは、お金を払えば、何でもしていただけると聞いてまいりました」
「俺にできることならね」
声の抑揚、歩み寄る所作、どれもしなやかな気品を感じる。
思っているより、育ちも良いところの出なのかもしれない。
ローブの人物は近寄りはしたものの、シャルルとは数歩離れた位置で立ち止まり、再度口を開く。
「アクセサリースフィアの加工もできると聞いたのですけれど、いかがでしょう?」
「まあ、一般的な術式くらいなら組み込めますけど」
「魔法を使うための術式も、組めますか?」
「特殊なものじゃなければ。一般的に普及してる程度の魔力供給術式とか、攻撃魔法特化術式とか、あとは――」
その言葉を聞くなり、ローブの人物――恐らく少女は、残り数歩の距離を一気に詰める。
「それでは、こちらの魔石を加工していただきたいのです……!」
言うと同時に、ローブの内側から青く光る手のひら程度の大きさの石を取り出すと、一瞬、その勢いに身構えたシャルルの顔の前へと、それを勢いのまま差し出した。表面のほとんどを覆うように別の鉱石や岩がくっつき、光は途切れ途切れに部屋を照らしているが、それでもこの光量――なるほど、この輝きは中々のものだ。そしてサイズも大きい。
シャルルは、差し出されたフィア鉱石をつまむように手に取って、あらゆる角度から観察するように中の輝きを覗き込む。
「青のフィア鉱石か?ここらでは珍しい。しかもかなり上等な石だな」
「……し、知り合いに譲っていただきまして」
「知り合い?」
「え、えぇ……まあ、その、運が良かったといいますか……」
さっきまでの勢いとは打って変わってハッキリしない物言いだが、深く追及することなく「それは良かったですね」と話を切り上げる。
入手経路も、事情も、面倒なことは関わらないに限る。言い淀むような案件なら尚更だ。仕事内容と報酬、それだけハッキリしていれば問題はない。
「それじゃあ、アクセサリーのデザインはどうする?」
少女へ声をかけながら、シャルルは部屋の中央カウンターへと歩く。そして、カウンターの隅にこじんまりと並んだ本たちの中から一冊、大きな本を抜き出して、パラパラと適当なページを開いた。
「持ち込みや希望があるならそれで。俺が作れるデザインはこちらに」
片手の手のひらではフィア鉱石を転がしながら、空いたもう片方の手で、まだ少し離れた場所で立っていた客人へ、おいでおいでと手招きをする。少女は小鳥のようにこちらへ歩み寄ると、フードを少しだけ上へ持ち上げて背中を丸め、本のページや、カウンター下のショーケースを覗き見た。
木彫りのブレスレット、金属の指輪、何かの鉱石でできた置物。様々な材質のどれもへ、多様な文様や意匠が繊細に彫られている。
しばらくの間、少女は本に記載された制作レシピや、ショーケースの端から端へと目を滑らせていたが、ショーケースの端でその動きを止めると、「素敵……」と見とれるような声を出した。
同じように覗き見ると、どうやら銀製の指輪が気に入ったらしい。薄い花びらを織り合わせて輪にしたような、繊細なデザインだが、気品漂う彼女なら似合いそうだ。いや外見は知らないのだけれども。
なにより、自分が作ったものを褒められるのは、悪い気はしない。
どうも、と小さく笑うと、小馬鹿にされているとでも思ったのか、少女は慌てた様子でわざとらしい咳ばらいと共に、背筋を伸ばした。
「こ、今回は持ち込み?というのでしょうか。希望のデザインがございますので。……こちらは、またの機会に是非……」
指輪を名残惜しそうにチラチラと見る少女。その様子にまた浮かびそうになる笑みを押し殺してシャルルはぱたんと本を閉じる。
ほぼ同時に、少女はローブで隠れた胸元の暗闇から華奢なチェーンの繋がったペンダントを持ち上げて見せた。ペンダントトップに光る宝石が、ローブの暗闇から抜け出し、輝きを放つ。
「今回はこれと同じようなものを作っていただきたいのです」
繊細な意匠だった。
決して安物ではないだろう。
見ているだけで重みさえ感じる宝石。その周りを縁どる金属すらも。
重厚な光を放ち、そのあたりでは到底見ることはないだろう逸品であることがうかがえる。とくに、宝石を埋め込まれた金属には特殊な文様が刻まれていた。一見、術式のようにも見えるが、これは、
――…………これは、受けられないか。
数秒の沈黙の後、シャルルは首を振った。縦ではなく、横に数回。
せっかくの上客、しっかりと稼げそうだと思ったが、内容が悪い。
「……そういうアクセサリー関連の加工は専門外だから、今回は受けられないな」
「え……く、首飾りは駄目でしょうか?では、ブレスレットでも」
「そうじゃなくて」
「では、宝石や鉱石を使ったものが……?いえ、スフィア加工も行っているとのことでしたし……なら、ええと……」
どうしよう、と心の声が聞こえる程に狼狽えた様子の少女。どうやら伝わっていないらしい、とシャルルは軽くショーケースにもたれて、溜息をこぼした。
だ、か、ら、と告げる声に合わせて、ショーケースを指先で軽くこん、こん、こん、とたたく。
「そういう、女性に似合う洒落たアクセサリーは苦手なんだけど、ってこと」
ショーケースをたたいた指が次に示したのは彼女の胸元。
そういう、の部分にもたせた含みに彼女は気付くだろうか。
ここらでは見ない高級な宝石と金属。礼儀正しく気品ある言動と、帝都ですらかなり身分が上の方と見受けられる容姿と恰好。そしてなにより、――金属に刻まれた特殊な文様。
こういう仕事柄、観察眼と情報だけは多少身に着けてきたつもりだ。それが示すところは、ただひとつ。
「大体、勝手にそんなもの彫って、模造品ってバレたら作った俺は捕まるし。良くて拘留、罰金刑。悪くて無期の拘禁、死刑ってとこだろ」
お断り、と告げる代わりに、青く輝く鉱石をカウンターの上へごとりと置いた。
そういうわけなので、申し訳ないのですが。と丁寧な口調で出入り口扉へお見送りをしようとする青年の腕を、少女は半ば反射でつかみ、引き留める。
「そ、それでも、仕事なら何でもしてくださると……!」
「俺にできることなら。ちゃんと最初にそう言いましたよ」
「……」
「……それに最近は、仕事も選ぶようにしてるんです」
「……っ」
相手が相手だ、無理に振りほどくことはせず、落ち着いて。
そうやって淡々と話をするシャルルに対して、何を言おうか迷っている様子の少女は、口を何度もはくはくと開閉する。その口からは、声になり切れない程度の息が何度かもれた。
何故、こうまでして食い下がるのか。
おそらく彼女は、シャルルが彼女の身元を察していることに、気付いただろう。それゆえの含みを持たせた、先程の言葉にも。
身分を明かさず、見た目を隠しているということは、なにか訳があるのだろう。それでも、自分に関係あるかと言われれば、そういうわけではない。むしろ厄介ごとなら御免被る。
何も言わない少女にもう一度声をかけようとしたシャルルを遮るように、一度深呼吸をして、少女は口を開く。
「妹を」
「はい?」
少女はフードに手をかけ、それをぱさりと頭の後ろへ落とす。
「妹を、助けたいのです!」
「…………はい?」
ふわり、と雪のように長い髪が舞う。
一瞬、シャルルが言葉に詰まったのは、ようやく見えた少女の顔に見とれていただとかではない。
その瞳から今にも零れ落ちそうな雫が綺麗だったからとかでもない。
きっと、断じて、恐らく、絶対に。
彼女に目を奪われてしまったとかではないのだ。




