第三話 王は神になる
第三話 王は神になる
マナセは、自分が恐れられていることに気付いていた。
それは父ヒゼキヤの時代にはなかった感覚だった。
人々は父を敬っていた。
愛していた。
しかし自分を見る人々の目には、別のものがあった。
恐れだった。
最初は嫌だった。
だが次第に、その恐れが心地良くなっていった。
エルサレムの朝は美しかった。
神殿の白い石壁が朝日に輝き、乾いた風がオリーブの葉を揺らしている。
王宮の庭では噴水の水音が響き、孔雀がゆっくりと羽を広げていた。
だが王宮の中は静まり返っていた。
召使たちは足音を忍ばせて歩く。
家臣たちは王の機嫌をうかがう。
誰も余計なことを言わない。
それが当たり前になっていた。
二十歳になったマナセは玉座に座っていた。
紫色の長衣の上には金糸の刺繍が施されている。
王冠には青い宝石が埋め込まれていた。
少年の頃の面影は消えつつあった。
その代わりに、王としての威厳が身についている。
少なくとも本人はそう思っていた。
「陛下」
側近のシャルムが頭を下げる。
「北の村で問題が起きております」
「何だ」
「預言者たちが民を集めて説教をしております」
マナセの眉が動いた。
また預言者だ。
最近、その言葉を聞くだけで苛立つ。
「何と言っている」
「陛下がエホバを怒らせていると」
広間が静まり返る。
誰も顔を上げない。
マナセは玉座の肘掛けを指で叩いた。
乾いた音が響く。
「まだそんなことを言っているのか」
「はい」
「民はどうしている」
「聞いている者もおります」
その瞬間、胸の奥で何かが燃えた。
怒りだった。
自分は国を豊かにした。
祭壇を建てた。
交易も広がった。
周辺諸国との関係も良くなった。
民は喜んでいる。
それなのに、なぜ預言者たちは文句ばかり言うのか。
「呼べ」
「は?」
「その預言者をだ」
シャルムは一瞬迷った。
だがすぐに頭を下げる。
「承知いたしました」
昼になると、預言者が連れて来られた。
年老いた男だった。
痩せている。
粗末な羊毛の衣を着ていた。
顔には深い皺が刻まれている。
アザルヤだった。
マナセの胸に不快感が走る。
第一話からずっと、自分に逆らい続けている老人だった。
アザルヤは跪かなかった。
ただ静かに立っている。
その姿が癪に障る。
「私を非難しているそうだな」
マナセは言った。
「非難ではありません」
老人は答える。
「警告です」
「誰への」
「あなたへの」
広間の空気が凍りついた。
家臣たちが息を呑む。
だがアザルヤは続けた。
「陛下は危険な道を歩いております」
「危険?」
マナセは笑った。
「見ろ」
王は立ち上がった。
「国は豊かだ」
「民は喜んでいる」
「市場には商品が溢れている」
「飢饉もない」
「戦争もない」
「何が危険だというのだ」
老人は静かに答えた。
「陛下は自分の声しか聞いておりません」
マナセの笑みが消えた。
「何だと」
「あなたは今、人々を愛しているのではありません」
「……」
「人々から愛されることを愛しているのです」
その言葉は鋭かった。
まるで胸を切り裂く刃のようだった。
マナセは拳を握る。
父の顔が脳裏をよぎる。
ヒゼキヤ。
善王。
信仰深い王。
人々に愛された王。
そして自分。
いつまで経っても比較される息子。
その劣等感が怒りへ変わった。
「黙れ!」
玉座の間に怒声が響く。
家臣たちが震えた。
アザルヤだけが動かない。
「私は王だ!」
「はい」
「ユダの王だ!」
「はい」
「私が国を導いている!」
老人は悲しそうな目をした。
その目が耐えられなかった。
憐れまれている気がした。
十二歳の頃からずっと。
父の影に怯えていた少年を見透かされている気がした。
「連れて行け」
マナセは低く言った。
誰も動かない。
「聞こえなかったか」
今度は怒鳴った。
兵士たちが慌てて前へ出る。
アザルヤは抵抗しなかった。
去り際、老人は振り返る。
「陛下」
「何だ」
「王は神ではありません」
マナセの顔が歪む。
「連れて行け!」
兵士たちは老人を連れて行った。
重い扉が閉まる。
広間には沈黙だけが残った。
その夜。
王宮では豪華な晩餐が開かれた。
焼いた子羊。
香辛料をまぶした鳩肉。
葡萄。
いちじく。
蜂蜜菓子。
葡萄酒。
楽師たちが竪琴を奏でている。
だが誰も楽しそうではなかった。
家臣たちは笑顔を作る。
しかし目は笑っていない。
マナセも分かっていた。
皆、自分を恐れている。
けれど不思議なことに、その恐れは彼を安心させた。
もう誰も反論しない。
もう誰も父の話をしない。
もう誰も自分を子供扱いしない。
王は自分だった。
唯一の支配者だった。
窓の外を見る。
夜空には星が輝いている。
遠くの丘には偶像の祭壇の灯火が見えた。
かつては小さな火だった。
今ではエルサレムの至る所で燃えている。
マナセは満足そうに微笑んだ。
だがその頃、王宮の廊下では家臣たちが小声で話していた。
「昔の陛下ではない」
「誰も意見できない」
「反対すれば消される」
恐怖は静かに広がっていた。
そしてその中心にいる王だけが、それを権威だと思い込んでいた。
マナセはまだ知らない。
人々が沈黙する時、それは忠誠ではないことを。
誰も本当のことを言わなくなった時、王国はすでに危険な場所へ向かっていることを。
そして彼自身が、いつしか王ではなく、自分を神のように扱い始めていることを。




