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エピローグ 緋のような罪

エピローグ 緋のような罪


マナセは、自分の人生を振り返ることが増えていた。


年老いた指先で羊皮紙をなぞりながら、夕暮れの光に染まるエルサレムの街を見つめる。窓の外では子供たちの笑い声が聞こえていた。市場からは焼きたての平焼きパンの香りが漂い、遠くでは羊飼いの笛の音が風に乗って響いてくる。


平和だった。


かつてのエルサレムでは考えられなかったほど穏やかな夕暮れだった。


しかし、その穏やかさが時折、胸を痛めることもあった。


もし若い頃の自分が違う選択をしていたら。


もし父の教えに耳を傾けていたら。


もし預言者たちの言葉を退けなかったなら。


失われなかった命もあったのではないか。


そんな思いが、老いた今も心を離れない。


机の上には簡素な夕食が置かれていた。


レンズ豆の煮込み。


オリーブ。


蜂蜜を添えた山羊の乳のチーズ。


香草を混ぜ込んだ平焼きパン。


若い頃の王宮なら宴会にもならない質素な食事だったが、今のマナセには十分だった。


食事の前に祈る。


それは牢獄から戻って以来、毎日続けている習慣だった。


「エホバよ。今日も命をありがとうございます」


短い祈りだった。


だが心からの祈りだった。


食事を終えた頃、孫のヨシヤが部屋を訪ねてきた。


まだ少年だった。


だが目には強い光が宿っている。


「おじいさま」


「どうした、ヨシヤ」


「今日は何を読んでいるのですか」


マナセは微笑んだ。


「預言者イザヤの巻物だ」


ヨシヤは興味深そうに近づいてくる。


「父上は難しいものばかり読むと言います」


「そうかもしれんな」


マナセは笑った。


その笑顔の奥に少し寂しさがあった。


息子アモンのことを思ったからだった。


自分は悔い改めた。


牢獄で泣いた。


祈った。


偶像を壊した。


しかし、若い頃にまいた種は消えなかった。


アモンは父の後悔よりも、父の罪深い時代に魅力を感じてしまった。


それがどれほど悲しかったか。


誰にも言ったことはない。


だが夜、一人になると胸が痛んだ。


親が正しい道を歩んだからといって、子供も必ずそうなるわけではない。


逆に親が失敗したからといって、子供まで同じ道を歩むとも限らない。


人は一人一人、自分で選ぶ。


そのことをマナセは痛いほど知っていた。


ヨシヤが巻物を覗き込む。


「何と書いてあるのですか」


マナセはゆっくり読み上げた。


「エホバはこう言う。


『来なさい。私たちの間で物事を正そう。


あなたたちの罪は緋のようだが、雪のように白くされる。


紅の布のように赤いが、羊毛のようになる』」


読み終えると部屋は静かになった。


ヨシヤは首を傾げる。


「おじいさま」


「何だ」


「本当にそんなことがあるのですか」


マナセは答えなかった。


窓の外へ目を向ける。


空は茜色だった。


若い頃の自分が見た夕焼けと同じ色だった。


十二歳で王になった日のことを思い出す。


あの頃、自分は父ヒゼキヤの影から逃げたかった。


偉大な王の息子。


信仰深い王の後継者。


人々はいつも父の話をした。


父のようになれ。


父を見習え。


父ならこうした。


父ならああした。


若いマナセには、それが重荷だった。


反発した。


自分の道を歩きたかった。


従順でいることが弱く見えた。


逆らうことが強さに見えた。


周囲の国々の華やかな宗教が魅力的に見えた。


自分の判断こそ正しいと思った。


そして王には、それを実行する力があった。


誰も逆らわない。


誰も止めない。


富も権力も名誉も思うままだった。


だが今なら分かる。


何も持たないまま忠実でいることも難しい。


しかし、全てを持ちながら忠実でいることはもっと難しい。


富は心を惑わせる。


権力は耳を塞ぐ。


称賛は人を高慢にする。


サタンは貧しい人だけを誘惑するのではない。


むしろ多くを持つ人を激しく誘惑する。


ソロモンもそうだった。


父ヒゼキヤも高慢になった時があった。


そして自分も。


マナセは静かに目を閉じた。


牢獄の冷たい石床を思い出す。


足かせの重みを思い出す。


あそこで初めて気付いた。


自分は自由だったのではない。


罪に支配されていたのだと。


「おじいさま?」


ヨシヤの声で我に返る。


マナセは優しく微笑んだ。


「ヨシヤ」


「はい」


「本当にそんなことがあるのか、私にも分からない」


少年は驚いた顔をした。


「分からないのですか」


「ああ」


マナセは頷く。


「流した血は戻らない」


「犯した罪も消えない」


「失われた命も戻らない」


声が少し震えた。


それでも続ける。


「だがな」


「エホバがそう言われるなら、私はその言葉を信じたい」


窓の外で夕日が沈んでいく。


最後の光が部屋を照らした。


マナセは空を見上げた。


自分の罪は今も緋のように赤く見える。


忘れたことは一日もない。


だがエホバは、


『来なさい』


と言われた。


資格があるなら来なさい、ではない。


完全になってから来なさい、でもない。


ただ、


『来なさい』


と言われた。


だからマナセは今日も祈る。


明日も祈る。


人生の終わりの日まで祈る。


許される資格があるからではない。


エホバを信頼しているからだった。


その静かな確信と共に、老いた王は茜色の空を見上げ続けた。



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