ハーミット公爵家
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ハーミット公爵家の執務室…
呼ばれたヘクターはソファに座って、ブレイブが話すのを待っている…が…
ブレイブは一向に話出さない。
「………ハァ……駄目だな…何から話すべきか…分からない。……起こった事を順に話す。」
ブレイブがそう言うと、コンラッドが静かにヘクターの側に移動した…
「?」
ソファの後ろに周り、ヘクターの両肩に両手を添える様に乗せると…ブレイブは話し出す
「先週…金曜の夕刻……クレア嬢は自室付けの浴場で、自死を試み…」
体温が上がるのと下がるのが同時に起こった気がした…喉の奥に感じた事のない味が広がる…
(今すぐクレアの所へ!)
ガタッ
ヘクターが立ち上がろうとするのを、コンラッドが押さえ付ける
(その為の兄上か)
コンラッドがヘクターを締める様に腕を伸ばすより早く
ヘクターは目の前のローテーブルを蹴り押し
滑るようにソファから体を落とす
「うお?!」
ヘクターの支えを無くしたコンラッドは、ソファの背もたれに乗っかる様にうつ伏せる
反転して四つん這いになったヘクターは、ソファごとコンラッドを壁に向かって押す…
「クッ…オオオオオォォ!!!」
ズズズズズズズズズズズッッ
「なっ!ちょっと待っ…」
三人掛けソファと、体格の良いコンラッドを合わせた相当な重量を
ヘクターは物ともせずに壁まで押し込んだ。
床には引き摺った長い傷が付く…
ヘクターは執務室を飛び出す
「待て!」
ソファと壁に挟まれたコンラッドは一拍遅れて追いかける。
執務室に残されたブレイブは、難しい顔のまま溜め息を吐き…ゆっくり立ち上がって
二人に続き、部屋を出る
ヘクターは二階ホールの手すりを越えて一階に飛び降りる
着地から立ち上がった所を…後ろから、斜め掛けの様に羽交締めされた。
カルヴァンが待ち構えていたのだ…
「落ち着け!ヘクター…」
カルヴァンが言うと同時に…ヘクターは右肩に乗っているカルヴァンの腕を掴んで、背負い投げる
二人一緒にでんぐり返しする様に背負い投げたので、仰向けのカルヴァンの上に仰向けのヘクターが乗った。
「ぐっ…」
カルヴァンの苦しげな声が漏れる
一回転した勢いで立ち上がり、目の前にある正面玄関扉へと駆けるヘクター
(馬を襲歩で飛ばせば一時間かからない。)
そう考えながら扉を開けた。瞬間!何かが飛んで来た…
ヘクターは反射的に両腕で頭を守る
バシャアアァ
(……水…?…)
ヘクターが腕を下ろすと…目の前には、木桶を持ったエタンセルが居た。
「???、、エタンセル?」
「熱を冷ますには水を掛けるのが一番だと、エーデル様に教えて頂きましたのよ」
エタンセルはニッコリ笑って、そう言った
「………どうして…エタンセルが…」
ヘクターの問いにエタンセルは笑顔を消し…真剣な眼差しで答える。
「婚約解消の手続きの為に伺いました。」
「……………は?」
エタンセルの後ろにはフラム侯爵夫妻が居た…
(……そう言えば…クレアが学園を休んでる間…エタンセルは何も言って来なかった…)
普段だったら…クレアが休めば、心配で一番にヘクターの所へ来て騒いでいた筈だった。
「ヘクター…」
ヘクターを呼ぶ声に振り向くと…心配気な顔のカルヴァンが…
階段を降りてきたコンラッドが…
二階のホールにはブレイブが手すりに手を添えて心配気に覗き込んでいる
ヘクターは胸の内がザワザワと騒ぐ感覚に襲われる…
クレアの自死未遂と…エタンセルの告げた婚約解消…このふたつは全く関係が無い筈なのに…何故ふたつの事が同時に告げられるのか?
何か答えが欲しくて…色々な事が頭に浮かぶ…
直ぐに知らされなかったクレアの自死未遂…ここ数日、帰って来なかったブレイブ……同じ様に、国王陛下夫妻に会えていないウィリアム…疑問が頭をグルグルと回る
「ヘクター…着替えてらっしゃい。」
そう声をかけたのは…いつの間にかヘクターの横に立っていたエーデルだった。
「あっ…」
戸惑うヘクターの背に手を添えて、静かにカルヴァンとコンラッドへと引き渡す。
「皆んな、準備して。フラム侯爵家の皆様は一旦、応接室へご案内して。」
エーデルは屋敷の使用人に指示を出してから、フラム侯爵家の面々と言葉を交わす…
茫然とした様子のヘクターに、二人の兄は寄り添うように連れ立って階段を上がった
その背中をエタンセルは心配気に見つめている…
上りきった所でブレイブがヘクターに声を掛ける
「情報が無い状態で今考えるな……着替えたら先ず執務室へ来なさい…全て説明する。」
その言葉にヘクターは我に返り…冷静さが戻る。
(……そうだ…もっと情報が必要だ…話しを聞いて…可能ならクレアに会いに行く!)
「………はい。…直ぐ伺います。兄上達はここまでで良い。もう大丈夫だよ……暴れてごめん。直ぐ着替えて来る!」
ヘクターは自室へと走り出した。
この時はまだ……クレアに会えると思っていた…
◇
コンコン
ヘクターは執務室の扉をノックする
「どうぞ」
入室の許可でヘクターが扉を開けると…
先程、暴れて動かしたソファやテーブルは元の位置に戻されていた…床に引き摺った傷だけが暴れた事実を物語る。
さっきヘクターが座っていた三人掛けソファに…難しい顔をしたカルヴァンとコンラッドが座っている。
そのソファの対になる同じソファが、テーブルを挟んだ向い側にあり
そこにブレイブが座っていた…
「先ずは座りなさい。」
ブレイブはそう言って、ヘクターに隣に座る様促す。
ヘクターはチラリと二人の兄を見ながら腰掛け、尋ねる
「……兄上達は事情を全部聞いてるんですか?」
その問いにはブレイブが答えた
「二人にはこの場で冷静でいてもらう為に、先に話してある。…お前が暴走した時に、止める手立てとして…控えて貰いたかったからな…」
「………すいません……」
「気にすんな。三年前の事があるからな、想定内だよ。それより俺は、お前の動きに反応出来なかった自分を反省している。現役の騎士団員として情けない…鍛え直さなきゃ……」
腕組みしたコンラッドがそう言うと…カルヴァンも口を開く
「俺もだ…執務ばかりしてるからって言い訳するには、あっさりとやられ過ぎだ…ちゃんと鍛錬しないと……」
カルヴァンも唸っていた…
(……なんだ…難しい顔をしてるのは、そう言う理由か…)
そんな二人を見て、ヘクターは少しだけ気持ちが解れた。
「俺達が茶の用意をします。父上はヘクターに話してやって下さい。」
そう言って二人は立ち上がり、壁際のワゴンへ移動した…
ブレイブが口を開く…
「先週金曜の夕刻、クレア嬢が自室付けの浴場で、自死を試みた…そこまでは聞こえてたな?」
「……はい。」
(金曜の夕刻…多分…原因はウィリアムだろう…………)
ヘクターは…月曜日のウィリアムの様子を思い出して、苦悩する様に顔を顰める……ギリリと奥歯が鳴った
(もっと……俺がちゃんと…)
「……試みたと言うことは、無事なのですよね?」
「………命に別状はない。」
ヘクターの問いにブレイブは頷き答える
その答えにヘクターは長い溜め息を吐いた…
最後まで話しを聞かずに暴走したヘクターは、憶測で(無事の筈)と思ってはいたが…実際、不安で堪らなかったのだ
(……良かった…)
涙が溢れそうになるのをグッと堪える
「………続きを話して大丈夫か?…」
「……はい。…お願いします。」
ブレイブは頷き…話し出す
「睡眠薬を飲んで浴槽に入り蛇口を開け放ったようでな…入水しようとしたんだろう……発見が早く、救命措置が的確だったお陰で一命を取り留めた。睡眠薬は弱い物で、体に影響は残らないそうだ。」
(クレア…クレア……無事で良かった…良かった…あぁ…神様…ありがとうございます…)
そこまで聞いたヘクターは、感情がグチャグチャになり…祈るように組んだ手に額を押し当て俯いた。
クレアが自死を選択した悲しみと…
クレアを失ったかも知れなかった恐怖…
無事だという安堵……
全部が綯い交ぜになり、フルフルと震えている
ブレイブはヘクターの様子を見て複雑に思う……(クレアは命を取り留めた)と言う喜びを、ひっくり返す様な事実をこれから伝えなければならない…
苦悶の表情は俯いたヘクターには見えなかった
カルヴァンとコンラッドが、テーブルに人数分の紅茶を並べて…再びソファに腰掛ける
少しして落ち着いたヘクターは…温くなった紅茶で喉を潤した
その様子を見てから、ブレイブは立ち上がり…執務机の上にある書類を取りに行く
その様子を見て、カルヴァンとコンラッドは(あぁ…いよいよか…)と、思うのだった…
書類を手に再びソファに腰掛けたブレイブは、小さく溜め息を吐いて…意を決した様にして話し出す
「今回の自死未遂の騒動で…クレア嬢にある障害の症状がある事が分かった。」
「…………障害?」
ヘクターは…急な話しの転回に驚きながらも、聞き返す
「解離性同一障害と言うものだ……詳しくはこれに書いてある…」
そう言って、書類をヘクターに渡す
(…解離性同一障害?…)
聞いたことのない病名に首を捻りながら、ヘクターは書類を読み出す…
◇
「………………………」
ヘクターは書類を手に眉間に皺を寄せて考えている…
理解しようと必死に内容を咀嚼している
書類には
解離性同一障害の症状の説明から、クレアの今現在の問診内容が書かれていた…
解離性同一障害…
一人の人間のなかに存在する多数の(別人格)が入れ替わり表に出てくる……人格が交代している間の記憶が無い…あるいは断片的にしか覚えていない……
複数の人格が存在するが、一番長く表に現れている人格を(主人格)…他を(交代人格)と呼ぶ…
発症の原因は、少ない統計から…幼少期の強いストレスやトラウマ…虐待などが原因であると言われる
(………虐待)
ヘクターは三年前の事件が頭を掠めた
クレア十七歳
(主人格・自死未遂以降出現確認無し。)
レイナ[妃になる事の矜持が強い]
(自我発現・十三歳、精神年齢・十七歳)
シェイム[自身を恥じている傾向あり]
(自我発現・十一歳、精神年齢・およそ十七歳)
レア[幼児退行]
(自我発現・十一歳(侍女証言)、精神年齢・五〜六歳)
フュリアス[激昂状態]
(自我発現・十三歳(侍女証言)、精神年齢・十三歳(仮定))
ネビュラ[夢遊病と推測]
(自我発現・十一歳(侍女証言)・出現確認無し)
プラセル[明るく積極的]
(自我発現・十二〜十三歳、精神年齢・十七歳に近いと思われるが不明)
(自我発現後の記憶の共有は無い(確証無し))
(トラウマ・ストレスによる幼児退行)
(人格の移動がある為、妊娠・出産は難しい…)
(人格交代直後の突飛な行動)
(主人格がクレアからレイナに移行していると見られる)etc
(……クレアからレイナに移行?……自死未遂以降…出現確認無し…?)
ヘクターは…問診の記録内容から、クレアの存在が無い事を読み取った……
「……クレアは…クレアは消えてしまったんですか?…」
小刻みに震えながら…ヘクターはブレイブに尋ねた
「…分からない……医師の話しでは…これまでの症例から、人格が消えると言う事を証明出来ないそうだ。……現れない事と、消えたと言う事は同じでは無いと言う判断だろう…」
ヘクターの瞳から一筋…涙が溢れる
(……もう…現れないかも……会えないかも知れない……)
涙が次々と溢れる
(……それは死んだと同じでは…)
ブレイブはヘクターを抱きしめ、ポンポンと背中を叩く…
「……父上…俺はクレアに会いたい……また、クレアに…会えますか?…会える日が来ますか?……」
止まらない涙がブレイブの肩を濡らす…
「……………会えると信じて進むしか無い…」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぅう〜」
痛ましい弟の様子に…カルヴァンは見ていられずに顔を伏せ、悲しみが乗った己の顔を隠して…強く拳を握る。
コンラッドは…どこに向けていいか分からない悔しさに、苦々しく唇を噛んで…冷静を保っている
二人は掛ける言葉が見つからず、動く事も出来なかった…
カルヴァンの妻セレニテは、コンラッドの住まいの別邸で
コンラッドの奥さんと一緒に居ます。




