第四十三話 誰のための
エリゼオが駆け込んでくると、ローデヴェイクがすぐに反応した。
「もう到着か。おいおい、早すぎるだろ。お嬢様はどうしたんだ? だいじーなお嬢様をお守りしろよ」
「……てめぇは後回しだ。おい、ベランジェ。お前、自分が何やったか分かってんのか?」
エリゼオはベランジェを鋭く睨みながら、剣を片手に問いかける。
しかし、ベランジェはすぐに答えようとはしない。
じりじりと肌が焼けるような緊張感が増す中で、少しの沈黙の後、ベランジェがぽつりと溢した。
「……時間切れ、か」
その言葉にはどんな意味が、と考え込むより先に、
「ジェイラ! 目を閉じろ!」
エリゼオの叫びの直後、ベランジェの腕がふらりと上がり……私は手にしていた包丁を横に投げ、手で目を覆い咄嗟に俯く。
ブシュッと音と、ぐあぁっ! という悲鳴が響いた。
「俺がいるから大丈夫だ! 絶対、目を開けるな!」
必死ともとれるエリゼオの声に何度も頷いた。その間にも、どさりと音がして……
「もう少し役に立つと思ったんだがな……所詮はこんなものか」
「……おまっえ……ガハッ、裏切る、のか……!」
「そもそも初めから信用などしていない」
咳き込みながらベランジェへと声を張り上げるローデヴェイクに、どこまでも冷徹なベランジェの雰囲気が伝わってくる。そしてまた、小さな悲鳴がした。
ベランジェがローデヴェイクを斬りつけ、床に倒れたところにまた攻撃を加えたのだろう。
エリゼオが叫んでくれたからそのすべてを見ることはなかったが、音や匂いは生々しく伝わってきて、私は両手を目から鼻と口を覆うように移動させた。
逃げろと言われたらすぐに動けるように、耳だけに意識を集中させる。
「ベランジェ、やめろ! それ以上は死ぬぞ!」
「この男が死んで、楽になるのはジェイラだと思うが?」
「……まさか、そいつ……!?」
「その様子だと、話を聞いているようだな。昔、この騎士団に短期間だけいた侯爵家の三男だと言えば分かるか? まぁ既に、元、ではあるが」
楽になる……?
私はその言葉に引っかかった。
ローデヴェイクがここで亡くなってしまっても、私は決して楽にはならないと思う。元凶がいなくなったから、これから安心して暮らせるなんて、そんな簡単なことではないことは自分が一番分かっている。
楽になるなら、この邸からローデヴェイクが追い出された時点で楽になっている。なれなかったから、苦しんできたのだ。
だから私は、ローデヴェイクがここで死んでしまうことを望んでなどいない!
そう反論したいけれど……私の感情のままに出ていったところで、エリゼオの邪魔となってしまうかもしれない。騎士同士のやりとりに、私のような者が割り込んではエリゼオが不利になってしまう。
もどかしくもどうすることもできず、ただただ、ベランジェの発言を聞いている。
「あの女が昔、足蹴にされたのはこの男だ。この者の死で、その罪も償われるだろう」
やめて!
私はそんなこと望んでない!
そう叫びたくて、でも叫べなくて唇を噛み締めた。
エリゼオがベランジェを止めてくれると信じるしかない。自然と手は祈るように両手を合わせていた。
すると、ダンッと床を踏みつけるような大きな音がして、剣と剣がぶつかり合う音が響いた。何度かそのような音が続きながらも、私の心の叫びを代弁したのは他の誰でもないエリゼオだった。
「ジェイラはそいつが死ぬことを望んだりしねぇよ! お前の勝手な考えで、そいつを殺すことがジェイラのためになるような言い方すんじゃねぇ!」
エリゼオは、私に代わり強く否定してくれた。
近くなった声に薄っすらと目を開けると、すぐ前にエリゼオの後ろ姿が見えた。彼は私をかばうように立ち、剣を構えている。
「ベランジェ、お前の狙いは何だ? どうしてここまで、ジェイラを追い詰める?」
「……真実を知ってしまったからな」
「真実……お嬢様か?」
エリゼオの問いの後、冷ややかだったベランジェの声色は沸々とした怒りをまとったものに変わっていった。
「俺はルシールお嬢様を心からお慕いし、お嬢様の幸せだけを願ってきた。そのために、自分ができることは何でもすると誓った。だからずっと……あの女はひどく目障りだったが、お嬢様のご意思である以上は、問題児だろうと気に留めないようしてきた」
お嬢様を信仰に近い形で、崇拝していたベランジェ。
けれど今、彼の中に残されたものは。
「俺の母は、あの女のせいで辞めざるを得なくなった。辞めた後など、俺が何を言っても自分が悪いんだと嘆き悲しむばかり。母をそこまで追い詰めた張本人だと分かっていながらも、お嬢様の望みはあの女をまっとうな人間にすること……ならばそれを見守るしかできず、歯痒くも思っていたんだ。いつまで経っても本人はお嬢様の情に生かされていることも知らず、のうのうと過ごしているというのにな」
語尾はどこか、嘲笑を含んでいるようにも聞こえた。
「そう……信じてきたんだ。ハンカチを見る度、母を慰める度、あの女が一人で飄々と生きていると認識する度……憎らしかった。相応しくない場所にいるのだと、思い知るべきだと……そう、思っていた」
ベランジェが話をしている間にも、足音が徐々に増え、人の気配が多くなっていく。恐らくは騎士達が到着しつつあるのだろう。
急ぎ手当を、と言っている人がいたので、きっとローデヴェイクのことだと少しばかり安心する。
しかしまだベランジェの話は終わっていない。
誰がどこにどう立っている状況か分からないから、迂闊には動けなかった。
「……お前さえ、現れなければな」
エリゼオに向けたのであろうベランジェのその言葉を最後に、ベランジェは黙り込んだ。
援軍と思われる騎士が増えたことと、ローデヴェイクの命が助かりそうだという事実に、私は落ち着きを取り戻しつつあった。
そして今の状況や、ベランジェの話を自分の中で整理していく。
すると……なぜなのか分からないけれど、ベランジェにどこか違和感を感じてならない。
彼の話は、一貫して筋が通っていると思うのに。
そもそもとして、襲撃犯にしてはローデヴェイクは自ら騒ぎを大きくしすぎではないか、と思った。もっと静かに行動しないと、それこそ騎士が多くいるこの邸内では、すぐに見つかって捕まるとは思わなかったのか。
……ローデヴェイクは、裏切ったな、と言っていた。だったら、この計画はベランジェが立てたということ?
それならばなぜ、ベランジェはもっと静かに行動するよう、彼に言わなかったのだろう? 窓も割って、厨房も壊して、となると、いくら使用人達は仕事中だとしてとすぐ騒ぎになるだろうに。
私がもっと早く捕まると思った? けれど部屋で捕まっていたにせよ、窓が割れた音で誰かしらは異変に気づく。
絶対にされたくはないが、狙いは私一人なのだから、騒ぎ立てず静かに誘拐でも何でもすれば良かったはずなのに。
ローデヴェイクを窓からわざわざ侵入させ、自分は私を追い込むように廊下から姿を現し、厨房に入ってからは彼に暴れさせていた。
これらの行動を指示したとなると……
気づかれることを前提に計画したとしか思えなかった。
じゃあもし仮に、ベランジェが見つかることを前提に計画を立てていたとして……
なぜ彼は自分が掴まってしまうだろうに、こんな無謀な計画を?
ぐるぐると考えが巡る。
思い出せ。見落とすな。どこかに、違和感の正体があるはずだ。ベランジェの言葉のどこかに、違和感が。
──この男が死んで、楽になるのはジェイラだと思うが?
……そうだ。ベランジェは今朝のこと、私を許さないと言っていた。剣を抜いてまで、私への憎悪を顕にした。
それなのに。
なぜ私が楽になると思う方を選択したのか。
──この者の死で、その罪も償われるだろう。
償われる、罪。
それは、誰の、誰に対しての?
ここまで考えて……私はあまりにも、自分にとって都合の良い可能性を思いついてしまった。
それはベランジェか、もしくは彼の母が私へ償うためにこの計画を立てたのではないか、ということだった。
だって……この計画が終わった時、私が損をすることがない。いやむしろ、優遇されるのではないかとすら思う。
私は過去に暴力を受けた相手から、理由もなく追い込まれた。その相手は、ベランジェによって怪我を負い、怪我が治癒次第、捕縛されるだろう。
そして私は被害者として周囲から見られる。私の過去がどうであれ、ここまで暴れた相手に追い詰められたとなれば、同情の目を向けられるだろう。
しかも今は今で、お嬢様との一件もある。
旦那様とも話をすることになっているし、ローデヴェイクが現れたことによって私を取り巻く過去のことがさらに明るみになる可能性だって……
──真実を知ってしまったからな。
彼が知った真実が、お嬢様だけでなく……彼の母親やその他の使用人達とのことも含まれていたら。彼の母親が長く嘆き悲しんだことへの罪滅ぼしが、この選択なのだとしたら。
自分に都合の良すぎる考えなのは分かっている。あまりにも楽観的だ。
でも、その可能性が少しでもあるなら。
私も真実を知らなければならない。いや、知りたい。
知った上で、彼と、彼の母と話をしなければ……!
「ベランジェを捕縛し、団長の元へと連れて行け」
私が考え混んでいる間に、別の誰かがそうやって指示を出した。このままではだめだと、私は慌てて棚から出る。
「すみません!」
私が体を出すとエリゼオもすぐに手を貸してくれて、私は立ち上がって、指示を出したであろう副団長へとお願いした。
「私も、一緒に旦那様の元へ行かせてください! ベランジェ様の話を聞かせてください!」
「……それは団長の判断次第だ。確認するからついてきなさい」
「はい! ありがとうございます!」
私が一礼して顔を上げると、ベランジェは剣を取り上げられ、二人の騎士が彼を縄で縛っているところだった。
その様子をチラリとみたところで、エリゼオが私の顔を覗き込んでくる。
「ジェイラ、無事だったか? 怪我はないか?」
「はい。大丈夫です。どこも怪我してませんし、エリゼオ様が来てく──」
言い終わる前に、エリゼオから強く抱きしめられていた。
「無事で良かった。ごめん、守るって言ったのに……!」
……エリゼオはすごく悔しそうなのに、私は彼の言動に喜びすら感じていた。だって、エリゼオは約束通り来てくれた。私をかばうように立ってくれた。
なにより、私のことを理解し、ベランジェに反論してくれた。だから謝られる必要なんて、どこにもない。
「謝らないでください。来てくれて本当に嬉しかったんです」
「……恐かっただろ?」
「恐くてもエリゼオ様が来てくれると信じていたから、諦めずにいられました」
「やっぱり強いな、ジェイラは」
「私を強くしてくれているのはエリゼオ様です」
お互いに無事を確認するようにしっかりと抱きしめ合った後、体を離す。見上げたらエリゼオは安心と心配が入り混じったような顔で微笑んでいて、彼も不安の中で気丈に振る舞い、私を安心させてくれていたのだと分かった。
「団長のとこ、行きたいんだよな? キツくないか?」
その質問に、私は彼の両手を握り、棚の中で考えていたことを説明する。
「エリゼオ様……私の希望によるところが強い考えなのですが、ベランジェ様は真実を知って、償いをしようとしたのかもしれません」
「……三男がしたことの罪だけじゃないってことだな?」
「はい。もしかしたら彼のお母様のことも含めて……ベランジェ様は過去のことを知って、今回のような行動を取ったのではないかと。けれどこれは私の考えです。だからベランジェ様の話を聞きたいんです」
「よし。分かった。じゃあ団長のとこに行こ。ジェイラも俺も当事者なんだから、話をしないとだろうしな」
エリゼオが手を繋ぎ直し、私達は旦那様の元へと歩き出す。
すぐにエリゼオは私を気遣いながらも、どんな流れでここまで来たのかなどを訊いてきたので、私はそれに答えながら進んだ。
……エリゼオとその場にいた騎士達が、荒れた厨房を私に見せないようにしてくれていたことに、私は気づかないまま使用人棟を出るのであった。




