第四十二話 助けに来て
お互いに話したかったことを話し合え、随分とスッキリした気分になった。そこからは、今後の計画を立てていこうということになり、住む場所や働く先の話になる。
まず私が、マルテの商会で事務員を募集しているから、それを受けてみたいということと、事務員になるなら住居も確保してもらえるらしいということを話した。
エリゼオはそんな話があったのかと驚きながらも、王都の商会は恐らく王城からも近い場所のはずだ、とのことを言った。
そして今度、マルテとエリゼオと私の三人で話をしようということで、マルテには事前に手紙でその旨を伝えることとなった。
あと、この領地を出ていくとなると、シャルロットとの約束がある。これは近いうち、王都に行く前に一度行こうと決めた。
王都に住めば、しばらくはこちらには来られない。それを直接、シャルロットとニノンには話したかった。
そうやって一つ一つ、どうするかを話しているところに、部屋のドアをノックする音がした。返事をしたら、ラフィクがエリゼオを呼びに来ていた。
「お邪魔しま〜す。ジェイラちゃん、本当に災難だったね。今さらだけど大丈夫?」
「はい。エリゼオ様が助けに来てくださいましたし、色々と言いたいことも言えて、エリゼオ様ともお話ができて。今はスッキリしています」
「それは良かった〜。もう、僕もエリゼオもいない日になんてことだ! と思ったけど。なにはともあれ、ジェイラちゃんには良い巡りになりそうで良かったよ」
にっこり。
いつものラフィクの笑顔に癒やされる。
「ラフィク様もありがとうございます。旦那様を連れて来ていただいたのはラフィク様ですか?」
「僕というより、ダンさんかな。僕は団長の護衛だったんだけど、ダンさんがものすごい勢いでやって来てね。団長に、今すぐ鍛錬場に来てほしいって」
「俺のとこにもダンさんが来たぞ」
「そうそう。エリゼオの所に行ってから団長のところには来たって。奥様も連れて行くように言うから先に行って、事の成り行きを見ていてくれって。しかもこのメモ付きで」
「メモ?」
ラフィクが渡してきたメモをエリゼオと見てみると、そこにはダンが書いたのだろう。旦那様が言っていたことが書かれてあった。
しかも昨日のことは、ダンは直接お嬢様が窓から手を伸ばしていたところから見ていたようで、ぎっちりと詳細とともに、私を擁護する言葉ばかりが並んでいた。
「……全部、ダン様のおかげだったんですね」
「お礼、言いに行こうな」
「はい。できるだけ、早めに」
メモを持ったまましんみりとしてしまった私の肩を、エリゼオが抱き寄せる。その腕の力に身を任せていたのだが、そんな私達を見てラフィクは、おやおや、と一言。
「そちらも上手くいったかんじ?」
「おう。結婚前提で」
「おぉ〜良かったね、エリゼオ! 誓約書の方はどうなってる? 口裏合わせる必要ある?」
「ない。ジェイラにも話はして……」
「私がエリゼオ様をお慕いして、自分から王都に行くことを望みました。以前より、王都に行きたいとは思っていたので」
「さすがジェイラちゃん、賢い! エリゼオは口悪いし剣バカだけど、裏表のない良い子だから。飽きずによろしくしてあげてよ」
笑いながらラフィクが言うと、エリゼオは、一言も二言も多い、と渋い顔になった。エリゼオの親友であるラフィクにも認められたことは嬉しい限りで、私の方こそ、これからもよろしくしてほしい気持ちでいっぱいだ。
「私の方がご迷惑もご心配もおかけしてばかりだったのですが、これからはもっとしっかりした大人になれるようにしますので、よろしくお願いします」
ラフィクに向かって頭を下げると、こちらこそ、と返事がくる。
「それじゃあ、エリゼオは団長のとこに行こうか。ジェイラちゃんは明日の朝だね。今日はゆっくり休むようにって、団長からまた言付かってきたよ」
「分かりました。ありがとうございます」
「明日もまた色々と聞き出されて体力使うだろうから、しっかり休んでね」
はい、と応えると、ラフィクは満足したように微笑んでくれた。
そしてエリゼオへと、行くよ、と声をかける。おう、と返したエリゼオだったが、ラフィクについて部屋を出ようとしたところで、私へと振り返った。
「話終わったら戻ってきてもいい?」
「お疲れでなければ、嬉しいです」
「疲れてる時こそ、俺はジェイラといたいから。何か食えそうだったら食って寝てて。ノックしても出なかったら帰るから、休息優先で」
「はい。ありがとうございます。エリゼオ様も頑張ってください」
うん、と返事をしたエリゼオだが、まだ部屋を出て行かない。
……なんとなく、私の言葉を待たれているような気がする。
こんな時、彼にかける言葉は?
そう考えて思いつくのは……
「行ってらっしゃいませ、エリゼオ様」
「ありがと。行ってきます」
私の選択は正解だったようで、エリゼオは嬉しそうに笑うと私の片方の頬へとキスをして、部屋を出ていった。
外では、ラフィクが何か言ったのだろう。エリゼオがうるせぇ、と返している声がする。
その声が聞こえなくなってから、私はゆるゆると歩いてベッドにまた腰掛けた。
気分の下降上昇の激しい半日に、体力的にもけっこう限界に近かったようだ。
「……何か食べて……から、寝ないと」
呟いたところで上半身はフラッと倒れ込んで、瞼の重さに逆らえずに目を閉じてしまった。
──ガタガタ、とどこからか音がして、私は目を覚ました。
眠っていたのか、と自分の状態に気づきながらも、ガタガタと鳴る音の正体を探って顔を動かす。
私の視線が止まったのは、一箇所。
部屋の窓。そこが不自然に揺れている。
まるで、外から無理矢理窓を開けようとしているようにも見える動きが不気味だった。
その窓を開けるのは、換気の時とエリゼオが来た時。
エリゼオならば絶対にノックしてくれるし、もう窓から顔を出さずとも堂々とドアから入ってくるだろう。
しかも、窓を開けるのは私だけだ。
未だかつて、あの窓を外から開けようとした人なんていない。
良い予感なんて、するはずもなく。
覚えたのは、危機感。
今日の半日で。丸く収まっただなんて、甘い考えだったのだろうか。
私は物音をたてないようにしながら立ち上がり、すり足でドアへと向かう。しかしドアノブを掴む手前で、ガシャンッ! と大きな音を立てて窓が割られた。
その、割れた窓から見えた顔に、私は一瞬で体中に鳥肌が立った。
「お、ちゃぁんといる」
声を上げるより早く、私は廊下に飛び出し駆け出していた。
廊下を走る途中で、壁にかかっている緊急連絡用のベルを手に取って思いっきり振り鳴らす。
「部屋から出ないで! 鍵をかけて!」
言えたのはこれだけ。
そこからベルを捨てて、ひたすらに走る。
しかし廊下の向こう側から一人出てきた騎士がいて。それがベランジェだったから、私は急ぎ廊下を曲がった。
この先にあるのは、使用人の厨房だ。けれどここまで来てしまっては、そこに逃げ込むしか道がない。
「……エリゼオ様……っ!」
全速力で走りながら、その名前ばかりを口にしていた。
「出てこいクソガキ!」
怒声とともに、食器が割れる音がする。彼ら以外、誰の声も聞こえないから、使用人達は被害にあっていないのだろうとは思う。それだけは安心していた。
けれど状況は最悪だった。
私は厨房の奥にある棚の中に隠れて身を潜めていたが、出口は一つしかないから、男達に見つからずにここを出ることはできそうにない。つまり、見つかれば終わりの状況だ。
認識できた限りで、私の部屋の窓を壊したのは一人だけだった。
しかしその一人が、大いに問題のある人物……かつてこの領地に送り込まれ、お嬢様に恋をして叶わなかったあの、侯爵家の三男だった。
あまりにも雰囲気が変わっていたが、あの視線とあの声。あれは間違いなく、ローデヴェイクだ。声を聞いた途端、悪寒がひどく、逃げることしか頭には残らなかった。
どうしてあの男がここに、とか。
向かいから来ていたベランジェも関係しているのか、とか。
とにかく分からないことで頭はいっぱいで、当時の恐怖心も蘇ってきたけれど、何とか固まらずに走ることはできた。
それができたのは、エリゼオのおかげだ。
私を守るために逃げていいんだと。そうして逃げた先にも助けに来てくれると、彼が言ってくれたから。
震えるほどに恐いけれど、胸の中に希望だけはあった。
助けに来てくれる。大丈夫。エリゼオは、絶対に、また来てくれる……!
そう思いながら逃げて見つけた隠れ場所。
自分が小柄で良かったと思いながら身を潜め、唇を噛み締めて震える体を抑え込む。なるべく、音を出さないように。気配を消せるように。
厨房でも奥まったところに隠れたから時間は稼げるだろうと思ったのだけど……
私の予想よりずっと早く、すぐ近くでガンガンとどこかしらを叩くような蹴るような音が響いていた。
「おら、さっさと出てこい! 殺すぞ!」
ガァンッ! という音で、どこかが固いものに叩かれたのだと分かった。私は両手で口を塞ぐ。
「クソガキ! てめぇのせいで俺は散々な目に遭ったんだよ! とっとと出てこい! ぶん殴ってやる!」
怒鳴り声と厨房台や棚を叩いているのだろう鈍い音が続く。それらの音が近づくにつれ、体の震えも大きくなるが、必死に堪えていた。
今の私は、男の言うことが恐いのではない。
このまま男達に捕まって、エリゼオと会えなくなる方が、ずっとずっと恐かった。
……やっと、幸せになれると思ったのに。
どうして私が幸せになろうとすると、こんな恐ろしい思いを伴うのだろう。やるせなさや悔しさや憤りや……様々な感情が押し寄せて、涙が出そうになる。
しかし、泣いてなんていられない。
──これから先、ジェイラのことは俺が守る。そして生涯、ジェイラだけを愛してる。幸せになろうな、ジェイラ。
彼がくれた言葉を思い出して、精神を保つしかなかった。取り乱したら、冷静さを失ったら、逃げられなくなりそうだから。
エリゼオ様! と心の中で呼びかける。
私、守ってみせますから。あなたが好きだと言ってくれた、私のことを、必ず、守ってみせます。
エリゼオと、幸せになりたい。
そのためには、恐怖にも襲ってくる相手にも、対抗しなければならない。
隠れる前に掴んでいた包丁を、私は固く握った。
最悪の最悪、の事態に備えて。それを両手に持つ。刃先は、前方に向けて。
背中に汗が伝い、心臓の音が全身に響いているようだった。
呼吸が乱れ、声を出さないために噛んだ唇からは血の味がする。
ローデヴェイクが恐い。それはもう、私の記憶と身体に刻み込まれている。それでも、あの日のようにはならないと、強く思う。
エリゼオは絶対に助けに来てくれる。
それまでにもしも間に合わなかったら、この包丁で、どうにかするしかない……!
でも、人を傷つけるなんてことが、私にできるだろうか?
たとえ自身を傷つけた相手だとしても、故意に、人に痛みを?
それまでの恐怖とは違う葛藤に押し潰されそうになる。
しかし、だ。今はそんなことを言ってる場合ではない。
ローデヴェイクは私を痛めつけるために、ここに来たのだ。この状況で何もできなければ、私が傷つけられる。
約束……した。婚約は、約束だ。エリゼオと、ともにいると約束した。恋人になって、二人で暮らして、いつかは結婚したい。
ラフィクとミルヤミとも、初めての友人として、たくさんの話をして仲良くしていきたい。
それにマルテともシャルロットとニノンとも、また会って、これからのことを話したい。
ダンとベランジェの母親にも謝りたい。
それらを果たすためにも、私は、捕まって甚振られるわけにはいかない。
だから、しっかりしなさい!
負けるな! 恐がるな!
必死に自身を奮起させ、包丁を持つ手に力を込めた。
そうしていたら、とうとう私の隠れる棚が叩かれた衝撃が伝わってきた。しかもその弾みで扉が少し開いてしまい、男の足元を視界に捉える。
叫んでいるのはローデヴェイクだけだが、明らかにもう一人いる。ローデヴェイクの私への罵声の中に、もう一人に同意を求めるようなものがあったから。
その、もう一人は、ベランジェなのだろうか。
もしもベランジェならば、ベランジェから私に向けられる憎悪の深さに寒気を通り越して吐き気すらしてくる。滲む視界で、どうかここを探さないでと願う。
けれど願いは虚しく、非情ながら冷めきったベランジェの声が耳に届いた。
「……あれは小さい。その棚の中ぐらいになら隠れられる。探せ」
手が、全身が震えた。耳鳴りしそうなほどの緊迫感の中、心の底から叫ぶ。
お願いだから、開けないで! どこかに行って!
「指図してんじゃねぇ!」
ドアが蹴られ、体が大きくビクついた。
「さぁてと。出ておいでー遊んであげるよー」
異常なまでの猫なで声に瞳からはボロボロと涙が溢れていた。
もうだめだ。だめじゃない。
すぐ見つかる。まだ見つかってない。
間に合わない。探しに来てくれる。
必死になって、頭の中で希望を残す。
祈るしかない。祈って、彼にこの思いが届いて、助けに来てくれると、信じるしかない。
助けて。助けにきて。
ぎい、と扉が開けられて。男が二人、視界に入った。
「殺すなよ」
「簡単には殺さねぇよ。ハハッ、見ろよ。泣きながらの包丁ってのはいいもんだな」
「……気味の悪いことを言うな」
ベランジェの言葉も。ローデヴェイクの言葉も。
耳に入っても、頭が理解をしない。
体中で。心の底から。祈るのは。
助けに来て、エリゼオ様……!
そう祈った、一呼吸後。
「……チッ。あーあ。せっかく楽しくなるところだったのに、誰か来たな」
「……早かったか」
そこに飛び込んできたのは。
「ジェイラ!」
いつだって私を助けてくれる人の姿が、声が、私には何よりも鮮明に届いたのだった。




