第四十一話 誓い
朝から奥様に会って、初めて奥様に言い返したこと。
しかしそれが引き金となり、ベランジェの怒りを表に出させてしまったこと。私がベランジェに剣を向けられたことは話すべきか悩んだが、すべて話すと決めたから、そのこともエリゼオには伝えた。
剣先を向けられた、と言った瞬間のエリゼオの表情を、私はきっと一生忘れない。
それほどまでに彼は私に対する心配と、剣を向けてきた相手への怒りを同時に顕にした。
「……ありえねぇ。そんなんただの恐喝じゃねぇか。ごめん……ちょっとこっち見ないで。恐がらせそう」
エリゼオは私から腕を離し、自身の怒りを鎮めるために頭を抱えた。
「あー……くそ。もっと早く動いてれば……」
今度は後悔のような言葉を口にする。私のために彼がここまで取り乱す様子を見て、間違っているかもしれないが、私は嬉しかった。
だから頭を抱えるその腕を取って、自分へと顔を向けさせる。エリゼオの眉間には深く皺が刻まれ、とてつもなく悔しそうに見えた。
「エリゼオ様、ベランジェ様のお話では私も過去に、人を傷つけてしまっていました。ベランジェ様は……その、被害者でもあります」
「だとしても。ジェイラが犯罪を犯した訳でもねぇし。ジェイラはジェイラで、そういう行動を取った理由がある。むしろ先にジェイラから信用されなくなったのは、その頃の大人達の責任だろ」
私を理解しているからこそ、ここまで言ってくれるエリゼオがありがたかった。
「悲しんでるのも傷ついてるのも、後悔からだろ。それなら本人がジェイラに謝るべきだ。それにな、ベランジェは腐っても騎士だ。個人的な怨恨があるにせよ、丸腰の相手を脅すために剣を抜くなんてありえねぇ」
「……私も、ベランジェ様のお母様に謝りたい。始まりがそこなら、ちゃんと解決させたいです」
「ジェイラはそう言うと思った。それも今度……話す場を作ろ。あー……それにしても腹立つ。絶対にベランジェにはきっちり謝らせるから」
「ありがとうございます。ベランジェ様が恐かったのは確かですが……私は、ショックの方が大きくて。自分が変わってはいけない、明るい未来なんて望んではいけないと思いました」
エリゼオが私の両手を握る。怒っていても、手の力は加減されていたし、私に勇気をくれるための行動だと理解できた。
「そこからはもう……昔のように何もかも諦めるべきなんだと思いました。そうしなければ、罪を償えない。そう思って……そのまま仕事に行き、昼食前に騎士団へと行きました」
衝撃的な事実を知り、騎士団の前でお礼と宣言をさせられそうになった。
「騎士達から、初めてあんなにも穏やかな目線を向けられました。そこで私がお礼を言って、諦めるということがあるべき姿だということは分かりました。けれど……どうしてもエリゼオ様だけは、諦められなかったんです」
握ってくれている手を離してもらって、私から、エリゼオに抱きついた。応えるように回された両腕が温かくて強くて、安心する。
この心地の良さを知ってしまったら、とてもじゃないが元の自分になんて戻れなかった。
「エリゼオ様が何度も助けてくれて、呼んでいいと言ってくれたから……私はエリゼオ様に助けてほしいと思えました。一人でいることは楽なことじゃなくなって、一人になりたくないと思えました」
好き。大好き。
どうなっても、エリゼオのそばにいたかった。
「助けにきてくださって、ありがとうございました。本当に……大好きです、エリゼオ様」
「俺も。呼んでくれてありがと」
キツく抱きしめ合えば幸福に満たされるようで。
充足感にとろりとしてくる心地のまま、私は最後の話を彼にする。
「エリゼオ様、私……ここを辞めたら王都に行きたいと思っています」
「えぇっ!?」
ガバっと、エリゼオが離れてしまった。しかも驚いた彼の目は見開かれ、続けて出た言葉に今度は私が驚くこととなった。
「王都って、あの、王都だよな? 王都で……俺といてくれんの?」
「その、王都、ですが…………え?」
「あーごめん。順番が違うな」
エリゼオはベッドから降りて私の正面に来ると、しゃがんで片膝を床につき、私の左手を取る。
その移動はあっという間で、呆気にとられていたらエリゼオは真剣な顔つきになった。彼の纏う雰囲気が変わり、オレンジがかった双眸がまっすぐに向けられる。
「好きだ、ジェイラ。俺もこれから先、ジェイラとずっと一緒にいたい。だから俺と結婚を前提とした恋人になってほしい。そんで王都に行くなら、一緒に暮らしてほしい」
「け、結婚……?」
「簡単に言えば、婚約者」
「婚約者」
正直、好きだと伝えたいとは思っていたけれど、その後のことを考えてはいなかった。
そして、王都に行っても会ってもらえたらいいな、と思っていたぐらいで。まさか一緒に暮らしてほしい、なんて…………
「ど、同棲……というもの、ですか……?」
「そうなります」
「そう、なりますよね」
「うん。同棲。恋人になって、同棲して、ジェイラの心の準備ができたら結婚してほしい」
ゆーっくりと瞬きして。また目を開けても、エリゼオは目の前にいた。
私の左手を取って……薬指に、唇を寄せる。
「色々、後手後手になりまくって今さら何言ってんだと思われてると思う。けど、前から本気で考えてたことなんだ」
後手後手。
それはあまりに、彼らしくない。エリゼオは感情表現が豊かで、思ったそのままを伝えてくれるのに。彼が後手後手に回らなければならなかった理由が、何かあるはずだ。
「……待ってるしかできないと言っていたのも、関係しておりますか?」
「うん。俺の話、してもいい?」
はい、と頷けば、エリゼオはまた私の隣に座った。
左手は握ったまま。その繫ぎ方は、指同士を交差させたものになり、手のひらから指の先までエリゼオの体温を感じる。
「俺とラフィクがここに来た目的は知ってるよな?」
「若手育成計画の一環、ですよね」
「そう。それに選ばれるのって、あっちだとけっこう名誉なことで。その年に入った騎士の中では実力がそれなりにあって、他所に出してもついていけるって認められたようなもんなんだよ」
「エリゼオ様もラフィク様もすごいんですね」
「ありがと。そんで、今年は俺とラフィクがありがたいことに選んでもらったんだけど……」
エリゼオが、はぁ、と深くため息をついた。
「先輩達が、ちょっとやらかしてて」
「やらかす?」
「今のとこは二人だな。五年前と三年前に選ばれた先輩で、その人達は国外の騎士団だったんだけど……一年経っても、国に帰ってこなくなったんだよ。あっちで恋人作って、何だったら婿養子になるから帰れませんって」
……それはなんと。自由な選択をしたな、と思ってしまった。
「行った先は友好国ではあるんだけどな。たかだか若手騎士一人があっちで婿になっても、国同士の友好関係が今後も円満になるかといえばそうじゃねぇし。それに、この育成期間の費用は全面的にうちの騎士団持ちで、ほとんど俺達は金を出さなくて良いくらいの援助はしてもらってるんだ。帰ってきたらその援助分は働けってことなんだろうけど、帰ってこないんじゃなんにもなんねぇ」
「それは……そうですよね。そのために出したものでもありませんし」
「そう。せめて婿じゃなくてこっちに連れて帰ってきてくれたらまだ良かったのかもしんないけど。でもそうなってた場合でも、仲が拗れた時に相手から誘拐されただなんだと言われたらやっかいだ、とまで言い出す人がいてなぁ……」
心配をすればするほど新たな課題、懸念点が出てきたということだろう。この話をしているだけでもエリゼオは、徐々にげんなりしていくようだった。
「色々と話し合いがされた結果、誓約書が作られて、守れないやつ、同意しないやつは出さないってことになったんだ。もしも違反した場合は、自分にかかった費用に加え、翌年とその翌年……要は後の二年分だな。選抜者の期間中の生活費を賄えってことになってる」
「後の二年分……となると大体、四人分の生活費を、ということですか?」
「うん。それってさ、言ってしまえば借金だろ? しかも、前払いは認めず、最高でも半年分ずつしかまとめての支払いはできないっていう、面倒くさい条件付き。そんなやつ、ちょっとさすがに身綺麗とも言えないよな」
聞けば聞くほど、すごい策だ。
簡単には結婚を選択させないような条件になっている。
しかし、選抜されるのがその年の優秀者ということならば、それぐらいしてでも帰ってこさせたいという気持ちは分からなくもない。
だからこその誓約書。それを守る決意のない者は、事前に諦めるようになっていそうだ。
「俺とラフィクにも今回の話が来た時に誓約書の説明を受けた。ラフィクは入団時点でミミもいたし、あの調子だったからそれなりの説明で終わったんだけど。俺は婚約者も恋人もいなかったから、それはもう……長いこと、長いこと。耳にタコができるわってくらい言い聞かされて……」
エリゼオがどこか遠い目をしている。これはきっと、彼が言う通り、ここに来る前に滾々と説かれたのだろう。
「あと、このことは基本的には口外禁止。だからここの団長にも言ってない。行く先にも失礼だろ? そっちの誰かと好き合っても認めません、なんて。家族ならいいけど、騎士団が口だして良いのか、みたいなところもあるし」
うんうん、と頷きながら聞いていたら、エリゼオが徐ろに私の頭にキスをした。どうしたのかと思えば、真剣に聞いてくれるのが嬉しくて、だそうだ。
「言ったらだめなのは重々承知だったんだけど。待つしかできないってジェイラに言っただろ、俺? あれは、俺がもう我慢できそうになかったから。ほんと、すぐにでも好きだと言いたかったし、俺と一緒に王都に来てくれってお願いしたかった」
エリゼオは少し困ったような顔で笑う。
「契約書に同意してても、絶対に好きになった人を諦めないといけないわけじゃない。それが、俺の取ってた方法。相手から、全部言ってもらえりゃ、一応は許される」
「それで……」
「相手の意志でついてきた、ってとこが肝だから。そんな事情があって、情けないことに俺はジェイラからの言葉を待ってた」
情けなくなんかない。彼が私にも騎士団にも誠実であろうとした結果だ。しかしそうなると……エリゼオは気づいていないのかもしれないが。
「……好きというのも、連れて行くというのも、エリゼオ様から言っていただきましたが大丈夫ですか?」
「あー、それな。そこはな、決定打もらったからいいってことにしてる」
「決定打?」
「助けて、って呼んでくれたこと。あれはもう俺への最大の信頼の証だし、最高の愛の言葉だろ」
違った? と赤らんだ頬のエリゼオに尋ねられて。
私は首を横に振った。
「違いません。私がエリゼオ様を好きで、王都に行くことを選びました」
「ありがと。じゃあ、もっかい、改めて。ジェイラのことがめちゃくちゃ好きだから、俺と結婚を前提に恋人になってください」
答えはもう、決まりきっていた。
「はい。喜んで!」
エリゼオはまた私の左手の薬指と……今度は手の甲にもキスをした。
「あん時はフリ、だったけど。これは俺の心からの誓い。これから先、ジェイラのことは俺が守る。そして生涯、ジェイラだけを愛してる。幸せになろうな、ジェイラ」
涙で滲んだ視界は、今までにない程煌めいていた。




