第二十七話 誕生日にしたいこと
ベランジェとの一件は、ラフィクが最後にお嬢様を褒めたことでお嬢様の機嫌は落ちてなくて、私が部屋に戻った時にはもういつも通りだった。
護衛をしていたベランジェには鋭く睨まれたが、私はそそくさと彼の前を通り過ぎて何事もなく終わった。
本当に、二人には感謝しかなかった。
二人は何も言わずとも、私がお見送りを拒否したからではないと信じてくれていた。だからこそ、あの場でかばってくれて、謝ってもくれたのだ。
その事実に気がつくと、感謝の気持を返したいという思いでいっぱいになった。
だからタイミングとしては、誕生日がちょうど良かった。
誕生日のことは要相談、と言ってくれたエリゼオを見つけて声をかけ、とあるお願いをすることにした。
話をするのは、また、例の桃の焼き菓子の場所だ。今日は二人でしゃがみこんでこそこそ話をするみたいに小さな声で会話する。
「誕生日の夜に、夜食を?」
「はい。作りたいんです」
「いや、でも、それじゃあ俺の方がお祝いされるみたいになるし」
「私もお祝いされます。むしろ、私の方が絶対に良い思いをします」
私の言葉にエリゼオは首を傾げる。
「夜食作んの、大変じゃねぇ?」
「大丈夫です。それよりも、すごく楽しみなんです。作りたいと思って作ったものを食べてもらえて……笑っていただけたら、最高の誕生日になります」
だからお願いします、と言えば。
エリゼオは複雑そうな顔になりながらも、口元は徐々に笑みの形を作る。
「いやー。そこまで言ってもらっちゃったら、断るなんて選択肢残んねぇわ」
「それじゃあ……!」
「うん。よろしく。場所は……ここでもいいけど、人が来るっちゃ来るもんな。いつもラフィクと鍛錬してるとこが人来ねぇから、そっちにしてもいい?」
「はい! あの、夕食の後ですが、食べたいものなどあったら教えてください」
「あー……そこは、ジェイラが俺に、食べさせたいもんで」
ニッと歯を見せて笑ったエリゼオだが、次の私の一言に唇を尖らせることになった。
「分かりました。ラフィク様にも、希望がないか訊いておいてもらえませんか?」
「……ラフィクにも?」
「ラフィク様にも、お礼をお伝えしたいですから」
「いや、あいつは大丈夫。俺から言っとく」
「でも昨日、助けていただきましたし。それにこれまでもたくさんラフィク様にも感謝していることがあるんです」
言えば言うほど、エリゼオの唇が尖る。
けれど途中でぶはっと息を吐いて。分かった、と了承してくれた。
でもな、と腕を組んで、厳しい表情で一言。
「作るのは、俺に食べさせたいもんにして。そこは譲らない」
憮然とした態度で言うエリゼオが少しおかしくて、くすりと笑ってしまう。
「分かりました」
ありがとうございます、といつもより弾んだ調子に返したのは、本当に、心から楽しみだと思っているからだ。
誕生日がこんなにも待ち遠しいなんて、それこそこの邸に来てからは初めてだし……正直にいえば、生まれて初めて、でもあった。
祖父母はもちろん祝ってくれていたけれど、誕生日だといっても帰ってもこず、お祝いのない父と、元々母がいなかった私にとって、自分の生まれた日はあまりお祝い事のように思えていなかった。
それが今じゃ、飛び跳ねそうなくらいの気分になっているんだから。すごいことだと自分のことなのに思っていたら、もぉー、とエリゼオが小さく吠える。
「いやぁもう、ほんとに。俺の方がプレゼントもらってる気分」
さっきからずっと可愛い、と言われても。今は素直に受け取るだけ。
照れるより楽しみが勝つこともあるのだとこの時に知った。
「こんなに楽しみなこと、本当になくて。エリゼオ様のおかげです」
「そう? それならいいんだけどさぁー。でも無理はしないようにな。仕事キツかったら夜食はなしで。会うだけで」
夜食はなしで、会うだけ。夜食なしでも、会えるのか、と。
そのことにまた、胸がトキめく。
「……会ってはくださるんですね」
「むしろ俺は二人で会う気でいたのに」
そこは残念、と最後に一言。
二人きりで会う気でいて。それが叶わなくて残念と思ってくれる。
それらの奥にある意味を知るために踏み込むことは、今の私にはまだ心の準備ができていなかった。ここに踏み込む時は、ちゃんと、自分の気持ちを言葉にできるようになってからだ。
……もう少し。きっと、もう少し。
ここで私のしたいことを受け入れてもらえたら。また一歩、その時が近づくから。
あまりにも自分が臆病だとは思うけど。
これで思い違いだったりしたら、私は一生立ち直れないと思うから。ここだけは臆病ではなく……慎重、でありたかった。
「他にしたいことはねぇの?」
「他に? 他……は、特にありません」
「ジェイラは欲がないな。俺なんてやりたいことばっかり」
「たとえばどんなことが?」
「それこそ二人で会いたいし話したいし。あと出掛けたりもしたい」
「出掛ける」
「デートと呼べるもんにしたいけど」
「デッ……」
「ト」
それは……あの、指南書や小説に書いてあった、あの。
「デートがいいな、俺は」
目尻を下げて、笑わないでほしい。いつもはもっと、キリッとした眦なのに。今は、表情が大人びていて甘い。
私は直視していられなくなって、顔ごと伏せた。
頭越しに、可愛い、と聞こえて。その可愛いには顔が熱くなる一方だった。
さて。待ちに待った誕生日当日。
朝からエリゼオとラフィクにはばったりと会って、開口一番におめでとう、と言ってもらえた。
そんな素敵な朝の始まり。
それからはいつも通り。お嬢様や旦那様から、特に誕生日についての言葉はない。使用人や騎士からもなし。それが毎年のことだったのに、朝から二人にお祝いされると、機嫌はすこぶる上昇する。
今日はいつも以上に張り切ったけれど、いつも通りを心がけた。ここでおかしな行動を取って何か言いつけられたりしないように。
とにかく、慎重に、いつも通りに! と、浮かれる頭の中で何度も自分へと言い聞かせた。
そうして無事に仕事を終えて、私は普段よりずっと軽い足取りで使用人棟の厨房へと向かった。
気合を入れて作りはした。けれどこんなにも、手際も彩りも良く作れた夕飯兼夜食に、自分で驚いた。こんなに楽しく料理をしたのは、初めてかもしれない。
自分の分を取り分けて夕食がてら味の確認をして、持っていくものを整える。冷ましたおかずをパンに挟んで、片手で持てるバスケットに詰めていく。
しかし、微妙にバスケットに空間ができた。そのままでも良いは良いけれど……何だか味気ないような。
「……リンゴが残ってるな」
エリゼオに食べさせたいもの、ということを念頭に置いて作ったけれど。この隙間はちょっとよろしくない。
リンゴとなるとラフィクの好物で彼の顔が浮かぶが……それならエリゼオに食べてもらいたい、と思うような見た目にしようと決めて、リンゴに手を伸ばした。
適当な大きさに切ったら、持ちやすい形を意識して皮を格子状にしたり、うさぎの耳にしたりした。いくつか作って、きれいなものをバスケットに詰める。
余ったリンゴはその場で食べて、バスケットに蓋をした。
これで、完成。
初めて、誰かのために作る食事。
そう思うと緊張から指先が冷えてくるようだったが、約束の時間はもうすぐだったので手速く厨房の後片付けをして、服が汚れすぎていないかも確認してから使用人棟を出た。
教えてもらった場所に向かうと、体術で組手をしているエリゼオとラフィクがいた。剣を使わない組手はあまり見る機会がこれまでなかったため、鮮やかな二人の身のこなしに見惚れてしまう。
決して手加減している、というわけではないのに、二人とも危なげなく。それでいて楽しそうな姿は、ずっと見ていたいと思うぐらいこちらもワクワクさせられる。
声をかけるのも忘れるぐらい見入っていたら、エリゼオが私に気がついた。
その途端、パッと笑顔になった彼が、ラフィクをその場で待たせて、飛んでくるかのようなスピードでこちらへとやってきたのである。もう夜で、昼にも騎士団で動いているというのにすごい体力だと感心するし、素直に嬉しかった。
「こんばんは、エリゼオ様。お疲れ様です」
「おう。わざわざありがとな」
「早速ですが……こちらです。お口に合うと良いのですが……」
「すげぇーめっちゃ嬉しい! ありがと! 中、見ていい?」
「は、はい!」
この瞬間は、とても緊張した。しかし、バスケットの蓋を外してエリゼオが固まったので、どうしたのかと不安になる。
「……あ、あの……」
「……一応確認しとくけど、これ、全部、手作りだよな? このパンも具材も夕飯で出てないし。それに、このおしゃれなリンゴは?」
「全部、作りました。パンは冷めたので少し硬いかもしれません、が──」
話の途中ではあったが、ガバっとバスケットから顔を上げたエリゼオは、キラキラとした瞳で私を見つめる。
「すごいとはいつも思ってんのに。ジェイラはいっつも俺の予想の遥か上をいくな!」
笑顔まで、キラキラ。
夜なのに、輝いてすら見えた。
「わぁ〜、これはすごい! ジェイラちゃん、全部作ったの? わ、リンゴがおしゃれ!」
いつの間にやら。ラフィクもやってきて、バスケットを覗いて拍手までしてくれる。
「はい。ちょっと張り切ってしまって。食べきれそうですか?」
「最高。ありがとう。余裕。最高。まじで美味そう」
「本当にどれも美味しそうだね〜。あ、これと、こっちのリンゴは僕のね」
二人とも、良い笑顔を見せてくれて安心した。
「お気に召したら、また作ります」
「絶対召します。あんだけ俺好みの菓子を作れるんだから、これも絶対美味い」
「お料理は初めてですので、ちょっと心配はあります」
「そう? 俺は間違いないと思うけど」
ラフィクまで頷いているのは、ちょっと気恥ずかしい。
でも今回の料理はきっと、ラフィクには少し甘めで、エリゼオにちょうどいい味つけになっていると思う。
そこから少し移動して、木が小さなベンチのようになっているところに三人で並んで座った。真ん中に座るエリゼオの膝の上にバスケットがあって、二人は早速食べ始める。
「これ美味い。めちゃくちゃ俺好きな味」
「こっちも美味しいね。見て、リンゴが可愛くて食べれない」
「じゃあ俺が食ってやるよ」
「あ! 僕のうさぎ!」
「すげぇな。本当に美味い」
「気づいてる、エリゼオ? それ、ピーマン入ってるよ」
「うん。食べれました」
「わぁ……ミミに報告しよう。エリゼオにピーマン攻撃が効かなくなるかもって」
続く会話と止まらない手に、私も見ているだけで大満足。永遠に見ていたいと思うくらいに、今がとても幸せだった。
そうして食べ終わった二人は、ご馳走様でした、と礼をしてくれる。私もお粗末様でした、と返すと、最高だった、とエリゼオ。
「ありがとうございます。食べきってもらえて嬉しいです」
「めちゃくちゃ美味かった。本当にありがと」
「僕からもありがとう、ジェイラちゃん。とても美味しかったよ」
「それなら良かったです」
満面の笑みでラフィクからもお礼を言われて、私も笑って返す。
するとラフィクは立ち上がって、ポケットから何かを取り出した。
「今日の主役であるジェイラちゃんに、これ」
「これは……?」
「僕とミミとエリゼオから。三人分のプレゼント」
渡されたのは、一冊の詩集。小花の絵が描かれてある表紙のそれは、本としては少し小さめのサイズだった。
「三人から、と言いながらミミがお気に入りの一冊なんだけどね。いつかジェイラちゃんにお勧めして、と言われてたから。今しかないかと」
パチン、とウインクするラフィク。
三人からプレゼント。ミルヤミのお勧め……
「あ……りがとう、ございます。すごい……嬉しい……」
誕生日プレゼント。
七歳までは、祖父母がくれていたけど。ここに来てからは、これが、初めて。
「読んだら感想を教えてほしいな」
「はい! ミルヤミ様にも、お礼とともにお伝えいただけるようにすぐに読みます。ありがとうございます!」
宝物にも思える本を胸に抱きしめる。
すごい。すごい。こんなに小さな一冊に、幸せが詰まってるみたいだ。
興奮する私に、ラフィクはもう一度笑って、それじゃあ僕はこれで、とこの場を去る準備を始めた。
「ジェイラちゃん、帰りは、エリゼオが送っていくからね。遠慮しないで送られて」
「……はい。ありがとうございます、ラフィク様」
「こちらこそ。お誕生日おめでとう」
手を振って、ラフィクは帰っていった。
そうして、残ったのは私とエリゼオ。
二人だけ。




