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第二十五話 皆にとっての理想



 お嬢様は、誕生日を迎えてから領地経営について本格的に学ぶようになった。しかしお嬢様としては興味を引かれない内容らしく、つまらない、とよく口にするようにもなった。


 その気晴らしとして、エリゼオが鍛練の日には差し入れのタイミングだけでなく、短い休憩でも鍛錬場へと顔を出すようになっていた。


「見ているだけでいいの、気にしないで」


 を気にせずにいられる騎士達ならば、恐らく色々とこんなことにはなっていない。

 お嬢様が行くと、それまでは順番にしていたであろう手合わせも、エリゼオが連続の出番になったりする。エリゼオ本人は楽しそうなのでこれはこれで良いのかもしれないが、順番を譲った騎士は鍛練の機会を失ったことになるけれど……本人はそれで良いのかと疑問には思う。


 そして一応、旦那様にも了承は得た上での行動だ。

 お嬢様に直接、騎士の鍛練の邪魔はしないことと、休憩時間は守ること、という話もされている。


 なので、いつもはそれなりの時間で部屋に帰れているのだが……


 この日はエリゼオの調子がとても良く、次から次へと相手を倒すものだから休憩時間が終わっても、お嬢様はまだ見ていたいと言い出してしまった。


「お嬢様、もうお時間です。先生をお待たせしていますので、戻りましょう」

「嫌よ。もう少し待つように言ってきて」

「なりません。旦那様からも時間は守るようにとお話がありましたでしょう?」

「嫌ったら嫌。そんなに戻ってほしいなら引っ張って連れていきなさいよ」

「お嬢様……」


 そんなことできるはずがないし、何だってこんなわがままなことばかり言うのだろう。

 旦那様からの指示もあり、ここで教育に遅れては教育係から私が注意されてしまう。


「お嬢様、戻りましょう。教育の時間がなくなってしまいます」

「もう、うるさいわね! 戻るならジェイラだけ戻ればいいでしょう!」


 この教育を受けなければ、困るのはお嬢様だ。そしてどうせ、なんだかんだとしわ寄せもお小言も私にくる。

 皆にもこのお嬢様の姿を見てほしい。それでも私が間違っているというなら、あまりにも甘やかしすぎだ。

 そういう苛立ちが募ったのもあり、あまり言葉を選ばずに発言してしまった。


「お嬢様、お時間です。わがままばかりを申されないでください」

「……わがまま、ですって?」


 しまった、と思った時には、お嬢様は鋭い目つきをしていた。


「そう、わがまま、ねぇ」


 お嬢様は鍛錬場に向けていた体の向きを私へと変えた。そして顎を引き、少し首を傾げて私を見据える。その冷淡な視線と声に、ぞくりと背が震えながらすぐにお嬢様へと謝る。


「申し訳ございません。言葉が過ぎました」


 私がそう言って謝ると、お嬢様は一度深く息を吐き、もういいわ、と言った。


「そこまで言われて、戻らない方が幼稚だもの。帰るわよ」

「申し訳ございません」

「もういいって言ってるでしょう? それ以上は不要よ」

「……はい」


 それだけ言うと、歩き出したお嬢様。向かうのはお嬢様の部屋の方角で、顔はあまり見えないが特に何も言われなかった。

 部屋に戻れば、教育係からはやはり私が遅れたことを注意された。お嬢様は、


「ごめんなさい。私もちゃんと時間を確認しておかなくて。ジェイラばかりを責めないであげて」


 と、フォローなのかそんなことを言って、教育係をなだめていた。

 こんな姿はいつものことなので、お嬢様は私が思っていたより私の発言を気にしていなかったんだろう、と安心した。普段から私の言うことはスルリと流されるし、わがままなんていうのは言われ慣れない言葉だったから、ちょっとひっかかっただけかもしれない。

 気にし過ぎだったかな、と思って、私はそれ以降、あの発言をあまり深く考えずにいた。


 けれど私は失念していた。

 私達の背後に、護衛の騎士が控えていたことを。



 そんなことがあった数日後。

 その日は、使用人の一人が退職する日だった。

 退職者はベテランと呼ばれるぐらい歴の長い人。


 皆がお別れとお見送りをする中、私は一人、倉庫にいた。


 これは……何歳の頃からだろうか。

 あの、九歳の時より少し前にはもう、退職者のお見送りに私は参加するなと言われていた。


 理由は簡単。

 問題児に見送られても気分が良くないから、だ。


 当時は私は何もしていないのに、何でこんな扱いを、とショックを受けた記憶がある。けれど慣れてしまえば倉庫内に何があるか把握できるからいいと思うようになった。

 退職者にハンカチを渡し始めたのはいつからだったか。それもそのあたりからだったのかも。


 名前と家紋。

 私が縫って、お嬢様が渡す。

 私は倉庫にいるから渡すところは見たことがないが、きっと退職する者には思い出の品になることだろう。


 ……本人達がいいならいいけど。

 皆、お嬢様が縫ったと思って大事にする品が私の手縫いだと分かったらどう思うだろう、なんて。くだらないことを考えることもある。


 けれどその答えは出ない。出るはずもない。


 馬鹿げたことを考えてるなぁと思いながら、お見送りが終わるのを待つ。終わっても誰も呼びには来ないので、察して出ていかなければならないところが少し難しいところだ。

 一度気づかず倉庫整理に没頭して、お嬢様に怒られたことがあった。

 なので、こそこそと窓から覗いたりして様子伺いをしながら倉庫整理、なのだけど。


 今、この瞬間。


 窓から覗いていたら、通りがかったラフィクとばっちり目が合ってしまった。


 にっこり笑ったラフィクが小さく手を振って、こちらへと向かってくる。私も窓を開けてラフィクへと挨拶をした。


「おはようございます、ラフィク様」

「おはよう、ジェイラちゃん。ジェイラちゃんはお見送りには行かないんだね」

「はい。私はここの整理を仰せつかっておりまして」

「そっかぁ。僕はあんまり話したことのない人だったし、巡回を替わったんだ。エリゼオもそうしようとしたけど、『お前はお嬢様の後ろに控えてろ!』って言われて」

「後ろに」

「たぶん今頃、エリゼオを背後に携えて『私も幸せになるわ。だからあなたも幸せに』みたいなことを言って、送り出してるんじゃない?」


 ちょっと声を高くしてお嬢様の口ぶりを真似たラフィクに、私は苦笑するしかない。


 エリゼオを後ろに控えるように言ったのはお嬢様か。もしくは騎士達の自主的なはからいか。旦那様ではないだろうけれど、強固なものだな、と思う。


 ……エリゼオはどんな気持ちかな、とも思ったけれど。

 それは訊く前にラフィクから答えがもたらされた。


「エリゼオは遠くを見る目をしてたよ。面白かったから手を振って応援したら睨まれちゃった」


 てへ、と笑ったラフィクは全然悪びれもしていない。

 けれどやはり申し訳無さは募った。その場にいられない私ができることなんてないが。それでもやはり。


「……申し訳ありません。また、エリゼオ様を巻き込んでしまいましたね」

「ジェイラちゃんにその感覚があるなら、エリゼオも報われるよ」


 ラフィクのその発言のすぐ後。

 何人かの話し声が聞こえてきて、私もラフィクもそちらへと顔を向けた。


 ……そこには、お嬢様とエリゼオが隣同士で並び、それを囲むようにして数人の騎士が団体になって歩いていた。


「あらら〜。お散歩にでも巻き込まれたかなぁ?」

「かもしれませんね」


 ラフィクへの返答は、自分が思っているよりも冷たい声が出てしまう。けれど彼は気にする様子もなく、エリゼオに向かってだろう、かわいそうに、と呟いた。


「ま、ご所望のエスコートをさせられてないだけマシかな」


 さすがに旦那様の目の届く範囲ではお嬢様も控えめな態度だと思う。エリゼオに何かを話しかけ、エリゼオがそれに頷いたり首を横に振ったりして、周囲の騎士は笑ったり二人を見守ったり。

 長く見ていると何とも言えない気持ちになるから目を逸らしたいのに。食い入るように見つめている自分がいる。


 それにこんな状況なのに、エリゼオがこちらを向かないかな、なんて。惚けたことを願う私もいて。


 結局は自分の無力さを痛感するだけ。あの場にいれない、いる資格のない私には、エリゼオに手を伸ばすこともできない。



 今までの私であれば、こうなったら既に諦めていた。

 けれども諦められないから、私はラフィクへと問いかける。


「ラフィク様、おかしな……いえ、もしかすると不愉快に思われるかもしれないことを訊いてもよろしいですか?」

「もちろん。何でもいいよ」

「……あの光景を、普通、だと思いたくない私は……おかしいでしょうか?」

「おかしい?」

「ここではあれが、あるべき姿で……望まれるべき未来、に近い形なんです」


 窓枠を掴んでいた手に、力がこもる。


「もちろん、否定される方もいます。けれどゆくゆくどうなるかは分かりません。むしろ意見が変わってしまうかも、なんて思うくらいには……あの光景が、皆にとっての理想です」


 瞬きをしても景色は変わらない。微笑むルシールお嬢様の隣には、エリゼオがいる。


「しかし私はそれを望めそうにありません。そういう自分でいいんだと言い聞かせていますが、このままああなっても、使用人も騎士も、領民も幸せなら、あれが正しいと認めなければならない時がくるのかと……」


 質問になっているようで、なっていない。

 ただ、不安を吐露しただけのようになってしまった。

 こんなことを言われても、ラフィクは困るだろう。けれどラフィクだからこそ、公正な目で見てくれるとも思うから。

 彼の飾らない意見が聞きたかった。


「そうだねぇ……優秀な主といわれる人の多くは、下に仕える人達から慕われているよね。それは確かにそう。でもそれでいうなら、あれはあるべき姿ではないよ」


 笑ったラフィクは糸目になって、エリゼオ達の方向を手で指し示す。


「だって、僕にとってはエリゼオがかわいそうでしかないし」

「……」

「まぁ僕は所属が王家騎士団だから、正確にはここの騎士ではない。でも、ここで働く誰しもが幸せか、と言われると……そうじゃないと思うけど。どうかな?」


 ここで働く誰しもが、幸せか。問われたのは、私だ。


「……幸せでは、ありません」

「だよね。それに、そう感じてるのはジェイラちゃんだけではないと思うよ」

「そう……でしょうか?」

「言えないだけで、きっと何かしらを抱えている人はいるよ。それにいくら望まれているとしても、あんな貴族教育放ったらかしで剣を振ってた男が上に立つってなったら、実際、何人かは反発すると思う。僕だったら嫌だもん。上にはもっと賢い人がいい」


 やだやだ、と首を振ったラフィク。その後に、でもそうだねぇ、と話を続ける。


「ここでおかしいと言われるなら、外に目を向けるのもありだよ、ジェイラちゃん」

「外に?」

「価値観が合わないなら、自分が出るのもありだと僕は思うんだ。あ、でも待てよ。ジェイラちゃんって十六歳になったんだっけ?」

「いえ、まだです」

「そっかぁ。ちなみに、誕生日っていつ?」

「誕生日は……えーっと、三日後ですね」

「えぇっ!?」


 珍しく、ラフィクの目が大きく開く。

 そしてその目の開き方と同じくらいに、大きな声も出た。


 今の声量だとさっきの御一行に聞こえてそうだな、と思ったら。案の定、お嬢様もエリゼオも、他の騎士もこちらへと顔を向けていた。

 皆、不思議そうな顔をしている。


「あ、やば。すみませ〜ん。お気になさらず〜」


 ラフィクは集団へとそう言って手を振ったが、彼らは何か軽く話した後、皆揃ってこちらへとやって来たのである。これにはラフィクもうわぁと、少し嫌そうな声を出す。


「ごめん、ジェイラちゃん。巻き込んじゃうかも」

「いえ、ラフィク様のせいではございませんので」


 ごめんね、ともう一度ラフィクは謝ると、集団へと体を向けた。

 私も窓から顔を出すだけでは悪いだろうと、倉庫から出てラフィクの隣へと並ぶ。


 そうしてお嬢様とエリゼオ達が私達の前に来ると、お嬢様が徐ろに口を開いた。


「こんなとろこにいたのね、ジェイラ。お見送りにも来ないで、何をしているのかと思ったじゃない」


 その言葉に、ずしりとお腹が重くなった感覚がした。

 

「……申し訳ございません。倉庫整理をするよう、仰せつかっておりましたので」

「もう、誰? そんなことを言ったのは。お父様?」

「いえ……」


 誰、と聞かれると……

 誰だろうか。何だかもう、退職者が辞める日には、これが当たり前になっていて。

 旦那様に直接言われてはいない。けれど旦那様は私がこうしていることを把握しているし、止められてもいない。お嬢様や奥様からの指示でもない。


 そうやって悩んでいると、お嬢様の護衛である騎士の一人が、ルシールお嬢様、と呼びかけた。


「なぁに?」

「その者は、退職者の顔を見たくないがために自主的に倉庫整理をしているのではありませんか?」

「どういうこと?」

「誰からの指示か、という質問にすぐに答えられなかったということは、誰からも明確な指示を出されてはいないのです。それなのに毎回、こちらにいるということは、本人の意志で見送りを拒否しているのかと」

「なんてこと……そうなの、ジェイラ? それはあんまりにも辞めていった者達に失礼だわ」


 そんなことあるわけ……!


 咄嗟に否定しようと口を開こうとして……すぐに閉じてしまった。


 その原因は、お嬢様とエリゼオの後ろ。

 私への疑惑を持ちかけたベランジェという長身の騎士が、まるで上から見下すかのように私を睨んでいて、その視線に恐怖を感じたからだ。それに、ベランジェ以外の騎士からも同様の視線を受けた。


 あの目は、知っている。


 お嬢様に心酔して、私の話を聞こうとしない……私に暴力をふるってきた、侯爵家の三男と同じ目をしていた。


「ジェイラ、違うなら違うと言いなさい」

「……わ、私、は……」


 かろうじて出たのは、そのぐらい。

 否定することなんてできやしない。


 だってここには、あの時より騎士がたくさんいる。

 あの時は、相手が一人だったから、逃げられた。でも今は……


 そこまで考えて、すぐそばにいたラフィクとの距離に体が震えた。それは反射的なもので。

 ラフィクはあの人とはまったく違うと分かっているのに、勝手に足は彼から距離を取るように後ずさんでいた。


「ジェイラ、どうなの?」

「……あの……違っ、私は」

「ルシールお嬢様。その者は以前、お嬢様に向かって堂々と侮辱的な発言を申しておりました。お嬢様がお優しいために、少しばかり勝手が過ぎるのでは?」

「侮辱的な発言……ああ、あの、わがままと言ったことかしら。そんなの気にしていないわ」

「命令外のことばかりを行う者には規律を正すことが必要です。このことは、団長並びに奥様へも報告を──」


 短く、息が切れる。

 純粋に恐いという気持ちが先行して、会話も聞こえなくなって、何を答えていいのかも分からなくなった。とにかく逃げ出したくて、もう捕まるのを覚悟で走り去った方が、今は楽になるのではないかと思った。


 そんなことを考えて、一歩を踏み出しかけた。


 けれど。


「ちょっと。さっきから何でもかんでもジェイラさんが悪いと決めつけるのは良くないですよ」


 この空気を打ち破ったのは。


「それにこんなに騎士が多くいて、しかもそんな言い方で詰め寄るなんて、尋問みたいで否定しようにも圧が強すぎてできないでしょ」


 お嬢様の隣にいたエリゼオだった。



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