第十二話 甘いもの
差し入れについては、さすがに私の心配しすぎだった。
お嬢様から旦那様に話をしたところ、一旦保留となって。また後日その話が上がり、旦那様が料理長に色々と尋ねられて決まったのは、頻度は週に一度で、対象は多くても二十人程、だった。
そこでお嬢様は、当日の鍛錬組に配ると即座に決めた。人数はそれでちょうどいいくらいだ。もちろん、鍛錬組にエリゼオがいる時、なのだけど。
ただ……この差し入れをするにあたり、旦那様が出してきた大きな条件があった。
それは、差し入れの準備はすべてお嬢様と私で行いなさい、というものだった。料理人は手隙の者の確保が難しく、本館の厨房も基本的には使用不可、とのこと。
つまり……差し入れは使用人棟の厨房で、私とお嬢様で作りなさいとのことだ。
私と、お嬢様。
そんな条件を出してきたところで、お嬢様は快諾するだけだ。動くのは私だけ。
部屋に戻って早々に、お嬢様からは指示がとんできた。
「次のエリゼオの鍛錬の日を調べて、そこに合わせて準備しなさい」
……ハンカチの時もそうだったけど。
これはお嬢様がエリゼオにアピールするための策で。それをすべて私がやることに違和感はある。
だから一応……念のため、確認はしたのだけど。
「エリゼオ様の分は、お嬢様がお作りになられますか?」
「どうして私が?」
と聞き返され、またもや返答に困った。
お嬢様が作らなければ意味がないのでは、とやはり思うのだけれど……お嬢様にとってはそこはどうでも良いことらしかった。
「前も言ったけれど、貴族は使用人が作ったり用意したものを渡すというのが普通なの。いい加減覚えてちょうだい」
「……申し訳ございません」
「それと、料理人の邪魔をしないように気をつけてね。ジェイラが邪魔して、エリゼオが楽しみにしてくれている差し入れが贈れないなんて、悲しいもの」
「承知いたしました」
この会話で、差し入れは使用人棟の厨房で私一人が作るということが決まった。
もうこうなったら、開き直るしかないのだろう。
またか……とくたびれるのも、どうして言うだけで何もやらないのか、と憤るのも。ここでは不正解だ。
差し入れは……甘いものでいいそうだから、たぶん、無理ではない。使用人棟の厨房を使う人はほとんどいないし……お菓子作りは、昔、祖母に教えてもらっていたから。
ある意味では厨房を好きに動けて、何を作るかも自分で決められるのは気が楽だな、と思った。
そこで早速、何を作るかを考えることに切り替えた。
幼い頃、私も祖母が焼いてくれるお菓子が好きだったので、その中から簡単なものから作っていこうと決めた。
最初に作ったのはクッキーだ。数もそれなりに作れるし、味の調整もケーキなどより悩まなくて済む。お試しで早朝に焼いたが、それなりのものはできたので、まずはそれを渡すことになった。
差し入れ初回。私が朝から仕込んで昼に焼き上げたお菓子をお嬢様に持っていき、お嬢様がそれを騎士の面々に渡す。
エリゼオの分だけは、特別に形のきれいなものを選んで包むようにお嬢様から指示があったので、その通りにした。
それをエリゼオに渡す時のお嬢様の言い回しが、実に絶妙だった。
「こんなものしか用意できなかったのだけど、食べてもらえたら嬉しいわ。でも……ごめんなさい、初めてで、あまり見栄えは良くないの」
両手にクッキーの袋を持ち、顎を引いた上目遣いでエリゼオの反応を窺いながら話すお嬢様。周りの騎士は見ないようにしてはいるが、聞き耳を立てているのはバレバレだった。
「ありがとうございます。すごく嬉しいです」
「ううん、私こそ受け取ってもらえて嬉しいわ」
エリゼオの手に袋が渡る。エリゼオは本当に嬉しそうに中のクッキーを見ていた。
そんな彼に対して、お嬢様は少しだけそちらへと身を寄せる。
「エリゼオの分だけは、特別なの。私の気持ちを込めているから……ゆっくり、食べてね」
頬を染めてそう言ったお嬢様に、エリゼオはしばし固まった後、ありがとうございます、とだけ返していた。
他の騎士には、ジェイラに手伝ってもらった、と言っていたので、この言い方をすればエリゼオの分はお嬢様だけが作ったと思われそうだ。
お嬢様が満足そうで良かった、と思った。
皆がお嬢様にお礼を言って、笑いながらクッキーを食べている。お嬢様はエリゼオに渡した袋の中からクッキーを一枚手に取って、彼の口へと運ぶ。
エリゼオは最初は頑なに断っていたが、お嬢様が泣き出しそうになると周りの騎士が怒ったために、目を閉じて口を開けた。お嬢様はその口の中に嬉しそうにクッキーを入れていた。
そんな光景を見ていると、ふと、ラフィクと目が合った。
ラフィクは微笑むと、私にもどうか、と袋を差し出すようにジェスチャーしてきた。
それには驚いたけれど、首を振った後にお辞儀をした。ラフィクからもお辞儀を返され、彼はにっこりと笑って、エリゼオの元へと向かった。
皆がクッキーを食べ終わる頃、エリゼオも最後の一枚を口にした。最後のそれは自分で食べた。
食べ終わって、にこりと笑う。
美味しいです、とお嬢様に、お礼を言う。
お嬢様がそれに、嬉しいわ、と返す。
……その光景を、ぼんやりとだけ、見ていた。
お嬢様の幸せそうな様子に安心しながらも……エリゼオが美味しいと笑ってくれたことで、自分が褒められたような気持ちに勝手になっていた。
失敗しなくて良かった。次からも、美味しいと言ってもらえるように……頑張ろう。
そう密かに思っていたところで、お嬢様の部屋へと帰る時間になった。部屋に戻ってからは、色々と種類を作るように言われた。
そこで商人から本を買ってレパートリーを増やせるように、朝方に厨房で試作をしたりもした。いきなり作って失敗なんてしようものなら、きっとお嬢様に怒られるだろうから。
朝食がてら、早朝に試作をするようになった。
今日も試作のためにいつもより早起きをした。使用人棟の厨房にて本を片手に材料を混ぜ合わせ、窯に入れて焼き上がりを待つ。
焼き加減を確認しつつ、ちょうど差し入れの日だったので、昼の分も下ごしらえをして完成を待った。思っていたよりどちらも順調に進み、試作品も問題なく焼き上がる。
すぐに食べるには熱いだろうから、冷ます時間が必要だ。
まだお嬢様を起こすまでには随分と時間もあったので、なんとなく、朝の空気を吸いたくて外に出た。
……朝は好きだ。
空気が綺麗で、見回りの騎士にさえ会わなければ一人きりの世界のように思えるから。
少しだけ歩こうかと適当な道を進んでいると、騎士団の宿舎から少し離れたところに人がいることに気づいた。
それは、一人真剣に素振りをするエリゼオだった。
エリゼオは元々つり目だから鋭い印象を受けるが、剣を持つとその雰囲気が洗練される。まさに騎士、という強さが加わる気がする。
ラフィクもそうだが、二人の剣を持つ姿はいつ見ても美しいと思う。何が良い動きかなんて分からないから何となく、だけど。
無駄がない、といえばいいのか。剣の重さがどんなものか知らないが、軽々と振るその姿は、すごいな、かっこいいなと純粋に感心しながらもいつまでも見ていられるものだった。
……実はお嬢様がエリゼオ見たさに鍛錬場に行くことも多いが、私も二人が剣を振る姿を見るのは、爽快な気持ちになるから苦ではなかった。
剣が振り下ろされる様子を何をするでもなく眺めていたら、ふいに手を止めたエリゼオに気づかれてしまった。
目が合った後に彼は私に頭を下げてくれたので、私も返すように礼をする。
しかしこれからどうしたものかと思っていたら、エリゼオが剣を腰の鞘に収めて、こちらに歩いてきた。
おはようございます、というエリゼオからの挨拶の声は、はきはきとしたものだった。
「おはようございます。申し訳ございません、お邪魔してしまって」
……久しぶりのエリゼオとの会話に少し緊張した。
けれども彼が変わらない様子で話を続けてくれたので、その緊張もすぐに解けた。
「とんでもない。それにしても、ジェイラさんは起きるのが早いんですね。いつもこんな時間に?」
「あ、いえ……今日はたまたまです。エリゼオ様もお早いですね」
はい、とエリゼオが返事をした直後、彼の方からグーっとお腹の鳴る音がした。
「……すみません。昨日、眠くて夕飯食べずに寝たから、早く目が覚めるし腹も減るしで。気を紛らわせようと素振りをしてたんですけど」
と、辛そうな表情をしてエリゼオは片手でお腹を押さえた。
そこで思い出されるのは今冷ましている試作品だ。時間的にもう食べ頃にはなっているだろう。
エリゼオ相手に試作品を渡すのはお嬢様に怒られるかとも思ったが……このまま空腹な彼を放って厨房に戻るのも、嫌な人間になってしまうように思えた。
「……朝から甘いものが苦手でなければ、焼き菓子をお持ちしますが……」
「良いんですか!?」
私の提案に、エリゼオが一気に破顔した。目を細めて笑う様は、よほどお腹が空いているのか、眩しいほどの笑顔だった。
その顔を見てしまったら、私も、すぐに持ってこようと思ってしまうぐらいに……不思議な衝動に駆り立てられるよう笑顔だ。
「量はあまりないのですが……こちらで少々お待ちください。持ってきます」
「ありがとうございます。すみません。途中まで俺も行きます」
丁寧な礼をされた後、私とエリゼオは使用人棟の方へと歩きだした。エリゼオは使用人棟の手前で待つと言ったので、私だけ厨房へと戻る。
厨房に着いた時には適温になっていたお菓子を半分に切って、中の焼け具合を確認してから味見をした。良い味にはなっていたので、これなら大丈夫だと思う。
切ったものは私の朝食にして、残りを持って外に出る。待っていてくれたエリゼオに渡すと、それはそれは嬉しそうな声色でお礼を言われた。
「これ、もしかして焼き立て? めちゃくちゃいい匂い」
「はい。お口に合えば良いのですが」
「ありがとうございます! ジェイラさんは命の恩人です!」
「そこまでではありませんよ」
「腹減りすぎて、木の実でも齧るか悩んでたんで」
私が渡した焼き菓子の一つが、ポイッとエリゼオの口に放り込まれる。お昼の差し入れの時より豪快な食べ方に、彼の空腹具合が伺えた。
「これ、めっちゃくちゃ美味い! ありがとうございます。元気出ました」
にっこりと笑ったエリゼオに安心した。彼も気に入ったようなので、これはレパートリーに加えることが決定した瞬間だった。
一つ、また一つと彼が食べる様を見て、美味しい美味しいと目の前で言われるのは気分が良かった。
昔……祖母が焼いてくれたお菓子を私が美味しいと言いながら食べるたびに、祖母の方が嬉しそうにしていたのを思い出した。もしかしから祖母も、今の私と同じような気持ちだったのかもしれない。
そんなことを思い出しながら、エリゼオが食べきるのを見守る。彼が全部食べきったところで、じゃあ私はこれで、と帰ろうとすると、ジェイラさん、と呼び止められた。
「今日はありがとうございました。本当に美味しかったです。それと……またお話ししたいので、これからは声をかけてもいいですか?」
エリゼオの眼差しが、どことなく優しげだ。しかし……これを受け入れしまっては……
私は、自分が苦しくなると、思ってしまった。
その苦しさは何からくるのかなんて分からないけれど……彼に優しくされては、だめだと思ったのだ。
「……今日は本当に偶然でしたので、お気になさらないでください。お気遣いいただいて、ありがとうございます。私に話しかけられるより……ぜひ、お嬢様とこれからもたくさんお話しされてください」
私がそう言うと、エリゼオは数度瞬きをした後に、分かりました、と答えた。それでこの話は終わった。
今日のことはお嬢様や周囲の人には言わないようにお願いして、私は自身の朝食をとるべく厨房へと戻った。
しかしその日から。
エリゼオはお嬢様と話していない合間に、差し入れのお礼を私にまで言ってくれるようになった。
「ジェイラさん、ありがとうございました。今日も美味かったです」
「お礼はお嬢様に……」
「さっき言いましたよ」
「……そう、でしたね」
その光景は、私もしっかりと見た。
私が頷くと、いつもエリゼオは満足気に笑う。
「俺がジェイラさんにもお礼を言いたかったんです。俺が言いたかっただけなんで、そっかぁ、ぐらいに聞き流してもらっていいんで」
「……はい。分かりました」
「良かった。それじゃあ、また。色々と隙見て来るんで」
「はい。お気をつけて……?」
「はは。やっぱりジェイラさんは俺に甘い」
エリゼオはそんなことを言って去っていく。
それが何度か続くと、今度はラフィクからも話しかけられるようになった。ラフィクはエリゼオより話し方も柔和だった。
「ジェイラさん、今日の差し入れもとても美味しかったです。僕も作ってみたいので、今度、レシピを教えてもらえませんか?」
ラフィクに対しては、私もお嬢様を手伝ったという体で話して良いので幾分、気は楽だった。
「もちろんです。紙に書いてお渡しすればよろしいですか?」
「ええ、よろしくお願いします。僕、リンゴが好きなので今日のはとてもお気に入りです。ああいう果物って、入ってきた日に何を使うか決めてるんですか?」
「前日の余りを使うことが多いです」
「なるほど〜。あ、じゃあそろそろ桃の季節かな、と思いますけど。桃は入ってきますか?」
「桃?」
「エリゼオが好きなんですよ」
「桃は……もう少ししたら多めに入ると思います。その頃になると桃が使えますね」
「それはエリゼオが喜びそうだなぁ。エリゼオ、あんな鋭い目つきをしながら甘いもの好きのピーマン嫌いという、中身がまんまお子様なんですよね」
と笑いながら、エリゼオの話をしたりする。そうなのですね、と頷きながらラフィクからの情報はすごくありがたかった。
表情には出せないけれど。
エリゼオやラフィクと話すのは、心の奥が温かくなるような心地がしていた。
その一時を大切にしたくて。でも、 大切にしていいのか分からなくて。大切にして、また奪われるのが、恐くて。
苦しくないけれど、苦しい。そんな時間だった。
こんな気持ちを持ってはいけない。そう自分に言い聞かせながらも、二人から話しかけられるのを待っている。
特に……エリゼオが笑ってくれるのを見ると、感じる喜びが大きいことには、自分で気づいている。
でも、望んではいけない。
名前をつけてはいけない。
そんなおこがましいことをしては……いつか必ず、痛い目を見る。
あまりに臆病な自分が嫌だった。
嫌なのに捨てきれなくて。足掻くには恐怖で足が竦んで。
どうしようもない沼に陥ったみたいな感覚がずっとしていて。どうすればいいのか、分からなかった。