第十一話 見て見ぬふり
騎士団は基本的に、昼夜に護衛と巡回を交代制でしている。そこに組み込まれなければ昼に鍛錬、夜は緊急時対応要員となる。エリゼオとラフィクは、巡回を主として護衛にはつかない配置になったそうだ。
エリゼオが巡回メインになったことにお嬢様は不満そうではあったが、まぁいいわ、の一言で終わった。 護衛につかずとも、会えるならいいのだそうだ。
それからお嬢様は、エリゼオの前では健気でいじらしい恋する乙女になった。
お嬢様はまず、教育の合間に鍛錬をするエリゼオの姿を窓から見つめることから始めた。
窓からお嬢様が騎士団の鍛錬場を見つめると、先輩騎士がエリゼオにお嬢様の部屋を見上げるように促す。エリゼオは不思議そうな顔をしてこちらを見上げながらも、お嬢様に気づくと会釈をしてきて、お嬢様がそれに手を振り返す。
明らかにエリゼオにしかしない行動に、エリゼオは先輩騎士に声をかけられる度に首を傾げてはいた。
それからしばらくして、お嬢様は直接鍛錬場に出向くようになった。
騎士同士の手合わせでエリゼオが勝てば、頬を染めて拍手を送る。声を出して応援することは、はしたないからしないそうだ。
ここでも先輩騎士達がエリゼオの背中を押し、エリゼオが軽く挨拶に来る、という流れが出来上がっていた。
私にも挨拶をしてくれるが、私は代わり映えしない挨拶の言葉以外は一切口を開かなかった。お嬢様が話さないのに、私が話せることはない。
視線を下げていればエリゼオの表情は分からないし、彼から他の話題を振られることもなかったからちょうど良かった。
仕事終わりにエリゼオに会うこともなくて、私は心穏やかにお嬢様の指示に従うだけで良かった。
お嬢様とエリゼオの軽い交流は二ヶ月程続いたが、エリゼオからの反応は特になし、といっていいぐらいのものだった。
彼は他の騎士達からの一声があれば行動はするが、あくまでも辺境伯のご令嬢と騎士という立場を崩さなかった。
このエリゼオの態度が、これまでお嬢様を口説こう、好かれようと声をかけてきていた貴族の子息方とは違っていて、お嬢様にとっては新鮮だったらしい。
お嬢様は余計に、エリゼオに夢中になった。
……この時の私はといえば、運命の相手というぐらいだから根気強く攻めるのだなぁと感心すらしていた。
しかしこの後に増えるであろう未知の要求に、何を言われるだろうかと心配は増すばかりだった。
さて、エリゼオからの反応が想像していたよりも薄い中、お嬢様の行動に変化があった。
今までは挨拶をするぐらいだったところを、自らエリゼオに話しかけるようになったのだ。
その場にはラフィクもいることが多かったけれど、ラフィクは聞き役に徹するか、どこからともなく現れた先輩に呼ばれてそちらに行くかして、エリゼオとお嬢様は二人きりになる。
エリゼオはお嬢様の勢いに押されながらも、徐々に会話が弾むようにはなっていった。
お嬢様は話をしながらさり気なくエリゼオの腕に触れ、エリゼオはその度に困ったように眉を下げていた。
やんわりとお嬢様に手を離すように促すが、お嬢様が悲しそうな顔をすると先輩騎士が慌ててやってきて、エリゼオを止めるのだ。お嬢様は機嫌を直して笑顔になり、エリゼオは困った顔のまま、騎士も交えて話をする、というのがお決まりの流れとなった。
そんな時、エリゼオと目が合うこともあったが、私にはどうすることもできないために、小さく礼をして見守るだけだった。お嬢様の望むことだから、と自分に言い聞かせた。悪いことをしているとは、思わないようにしていた。
私は、自分の行動が正解であってほしかった。
この頃から、私は胃がキリキリと痛むことがあった。それは決まってエリゼオが困ったような顔でこちらを見てきた時だ。
不意に向けられる視線に……胸に広がるものがどんな感情であるかは、考えたくなかった。
そうこうしている間に、やはり心配していた要求がやってきた。
お嬢様がエリゼオに手紙を渡すと言い出したのだ。
手紙を渡すだけならいい。しかしその便箋と封筒は私が準備しなさい、とのこと。
「……それは旦那様にお話をして、経費から私が購入するということでしょうか?」
「何を言ってるのよ。余ったらジェイラが使うんだからジェイラが買いなさい」
「ですが、私には手紙を出す相手はおりませんし……」
「寂しい子ね。これを機会に誰かに書くといいわ」
そんなことを言われても。
「少なくとも五種類は準備してね。その中から選ぶから」
「……はい」
と、ここでは一応返事をしておいて、後から旦那様に相談しようと思っていたのだが。お嬢様の行動は早く、この後の昼食の場でエリゼオに手紙を書くことを旦那様に報告し、便箋や封筒は私と共同で使うから自分達で用意する、と宣言してしまった。
旦那様も了承して頷いたので、私の実費から買わなくてはならなくなった。
こうなってしまっては、はなるべく早く、このお手紙作戦が終わってくれることを祈るばかりだった。
そうして始まったお手紙作戦。
商人から便箋と封筒を買い、お嬢様に持っていった中でお嬢様の好きな色である薄桃色のものを選ばれた。
それを使ってしたためた一通。
これを渡す時のお嬢様は、それはそれはもう、とても可愛らしかった。
両手で手紙を持ち、あのね、と話しだしたお嬢様に、騎士達の視線が集まっていた。もちろんエリゼオもラフィクもお嬢様を見ているが、周囲の熱気はぐんと上がっていたように思う。
「……これ、読んでほしいの」
後ろからちらほらと羨ましい……なんて、聞こえてきているが、エリゼオの視線は手紙とお嬢様を何度か往復し、自分を指さして。
「……俺に、ですか?」
と、なんとも肩の力の抜ける質問をしたのである。
どう見てもエリゼオ宛だ、という指摘は誰もできないが、ラフィクだけは小さく咳払いをしていた。
「そうよ。エリゼオのことを考えて書いたの。時間がある時に読んで」
「……ありがとうございます。ですが、返事を書けませんのでお受け取りするのは……」
「いいの。返事なんていらないわ。読んでくれれば、それでいいから。お願い……受け取って」
うるっと潤むお嬢様の瞳。
この後に周りの騎士がエリゼオに詰め寄ることは目に見えていた。だからだろうか、エリゼオは小さく息を吐き出した後に、分かりました、と手紙を受け取った。
「……本当に、返事などは出せませんので」
「気にしないわ。受け取ってもらえるだけで幸せだもの」
お嬢様は笑う。嬉しそうに、幸せそうに。
そうしたら周りも笑う。たとえエリゼオが戸惑っていても。ラフィクがポン、とエリゼオの肩を叩いた。
あの二人もきっとそのうち、ここに慣れる。私達はそれを待つしかないのだ。
慣れるのを、待つしか。慣れたら何にも、感じなくなるから。
……ふと頭を過った考えに、また胃が軋むように痛みが走った。しかしその痛みは気にしてはならないものだ。
気にしたところで、私には何もできないのだから。私はもう、慣れてしまった人間だから。
何も、できはしないのだ。
エリゼオへの手紙も五通目となった。これまでにエリゼオからの返事は本当にない。
そこで次なる手は、手紙ではない贈り物をするということだった。実はエリゼオの誕生日は入団式の翌日だったようで、何もできなかったことをお嬢様は悔やんでいた。
そのため、次に贈るものは誕生日プレゼントも兼ねて、お嬢様用にと購入していたハンカチの中からお気に入りのものに刺繍をして渡すこととなった。
「私のイニシャルは必須でしょう。あとはそうねぇ……家紋もつまらないし、薔薇の花にしようかしら。愛する相手にはぴったりよね!」
イニシャル入りのハンカチを渡すのは愛の証。それは商人から便箋を買う際に教えてもらっていた。
愛の証を……そこまで言うのならば、お嬢様が縫った方が良いのではないか、とふと思った私は、それをそのまま口にしていた。
「エリゼオ様にお渡しされるのであれば、お嬢様が縫われた方がよろしいのではありませんか?」
「何を言ってるのよ。こういうのは使用人が準備するものよ」
「そう、なのですか……?」
「本当に。ジェイラったら何にも知らないのね。まぁいいわ。明日の手紙には同封するつもりだから、明日には持ってきてね」
「はい。承知しました」
愛の証を私が縫って良いのだろうか? 貴族としてはやはり使用人がやって当然なのだろうか?
なんとなくの違和感を抱えたまま縫った刺繍。それでも、薔薇は初めて縫うにしても、それなりのものは出来上がった。糸も手元にあるものが使えて良かったと安心して、その日はいつもより少し遅く寝ることとなった。
完成品を丁寧に包んで手紙に入れて、お嬢様はエリゼオに渡した。
前までの封筒との重さの違いに気づいたのだろう。エリゼオが初めてその場で、中身を見ても? と尋ねてきた。
お嬢様は嬉しそうにしながら、快く頷く。
封筒からハンカチを取り出し、その刺繍をまじまじと見つめるエリゼオ。
……自分が縫ったものをそこまで見られることは初めてで、少しばかり緊張した。けれどそれを顔には出さないようにして、エリゼオの発言を待つ。
何を言うのかと皆が見守る中で、ハンカチから顔を上げた彼が発したのは。
「これ、お嬢様の私物ではないですか? イニシャルも、花も入ってますし」
場が凍りつく、とはこのことだ。
エリゼオが周囲を見て、あれ、と溢すと、ラフィクがふきだした。笑いを堪えるようにしているラフィクに、エリゼオが何か小声で聞いている。
しかしそんな二人に声をかけたのはお嬢様だ。
「エリゼオ、親しい相手にはイニシャル入りのハンカチを渡すものなの。だからね、私のイニシャルが入ったものを受け取ってほしくて。それに誕生日がもう過ぎてるでしょう? 誕生日プレゼントも兼ねているのよ」
「そうだったんですか……お気遣いいただき、ありがとうございます。でも……申し訳ありませんが、これは受け取れません」
「どうして?」
「お返しができませんし。それに、これは俺が使うには少し可愛らしすぎると言いますか……」
お嬢様の私物だからご令嬢向きのデザインだ。騎士が使うにはお上品すぎる、のは確かだ。
「いいのよ。汚しても何してもいいから」
「いえ……手紙もそうだったのですが、やはり俺だけにお返しできないものをいただくのは気が引けるので。手紙もこれも、お返しします。すみません、お気持ちはありがたかったのですが受け取れません」
こうもきっぱりと断られたのは初めてだ。
私は一瞬息をのみ、お嬢様を見つめる。エリゼオとラフィク以外の皆も私のようにお嬢様を見ているのが分かった。
お嬢様は次に何と発するのか。皆が緊張しながらお嬢様の言葉に耳を集中する。
「……そう。困らせたかったわけじゃないの。ごめんなさい」
涙ながらのお嬢様の声に、エリゼオはばつが悪そうに頭の後ろに手をやって小さく頭を下げた。
「あ、いえ、こちらこそすみません」
「……ねぇ、エリゼオ。私は、エリゼオが喜んでくれることがしたいの。何かできることはないかしら?」
「喜ぶこと……と、言われましても……」
「何でも良いの。もちろん、エリゼオだけ、ということに気が引けているのなら、皆に渡してもいいから」
「あー……皆に……ってことなら」
少し考えてから、エリゼオは閃いた、というような表情をした。
「俺、甘いものが好きなんです。休憩中の差し入れとか、時々で良いので甘いものをもらえると、やる気は出るかな、と」
「それはいいわね。早速、考えるわ」
「はい、すみません。ありがとうございます」
お嬢様の機嫌を上げるも下げるもエリゼオ次第だ。
それでいい。平穏であることが一番だ。
ホッと胸を撫で下ろした私だったが、ここでふと、休憩中の差し入れの規模を考えてゾッとした。
……お嬢様は『皆に渡してもいい』と言った。
そしてエリゼオが出した話も、対象は休憩中の騎士達だ。
その範囲は……どこまで? まさか騎士団全体、なんてことにはならないだろうか?
しかもエリゼオが提案したことだから……一度や二度では終わらないだろう。便箋や封筒のように、私の実費から出せと言われたら……
いや、さすがに、それは。
そんなことまで、させられないはずだ。
そう思うのに、嫌な動悸がしてくる。
大事にしたかったお金が、まるで私が出して当然かのように使われて、無くなっていく。そんな記憶が蘇りそうになって、意地でも思い出さないようにして、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせた。
まだ決まったわけじゃない。それにお嬢様だって、さすがにそんな無茶な金銭感覚ではないはず。
だから大丈夫。
そう考えこんでいたところで、お嬢様と話し終えたエリゼオとバチリと目が合ってしまった。いつもならそこで小さくお辞儀をするのに、今の私にはその余裕がない。
私にできたのは、エリゼオから分かりやすく視線を逸らすことだけだった。
……こみ上げてくるのは、また有無を言わさず奪われてしまうかもしれないという絶望を伴う喪失感。それと、後悔と痛みだった。
これはきっと、罰なんだ。
何のか、といわれたら。
エリゼオに対して、見て見ぬふりをしたから。
彼はずっと、戸惑っていた。
窓を見上げる時も、手合わせ後に挨拶に来る時も、手紙も、ハンカチも。
お嬢様からのアプローチに。先輩騎士達からの後押しに。
戸惑って、時には周囲を止めてほしそうにしている彼に気づきながら、私は見て見ぬふりをして、やり過ごしていた。
これがここでの正しい姿なのだから、と。
そうやって慣れるしかないのだ、と。
私は……エリゼオに私を見てほしくなかった。私の存在に目を留めてほしくなかった。気づかれたくなかった。
私には、何もできないから。それを悔しいとすら思わず、自分の心配ばかりしている自分にも、目を伏せていたかった。
だから、まだ、どうか。気づかないで。気づかせないで。
このままで──
「ジェイラ、何をしているの? 行くわよ」
鬱々とする中、それを打ち破ったのはお嬢様の声だった。
急いで視線を上げ、形だけの礼をしてお嬢様の方へと駆け寄る。暑くもないのに汗が出ていて、手の甲で拭った。
お嬢様はそんな私を気にすることなく、差し入れについて色々と話している。その話を聞いていなければならないのに、私の耳には何一つ、入ってはこなかった。
背後にいるはずのエリゼオのことを考えないようにすることで、精一杯だった。




