第十話 私のための世界
ルシール視点
物心ついた頃から大人も子供も私を見たら驚いたように固まるのは面白かった。そしてこの顔をじっくりと見てきたかと思えば、頬を赤く染め、それはそれは称賛の嵐を送ってくるの。
幼くして、この容姿が他者よりいかに優れているかなんて、きっと誰よりも私が理解していた。
それに私がどんないたずらをしようとも、皆笑って、まぁルシールお嬢様ったらお可愛らしい、で許されることも知っていた。欲しいと言ったものはすぐに手に入ったし、嫌いなことや苦手なことは誰かが代わりにやってくれるから、自分でしなくても良かった。
私にとっては、それが普通。
生まれた時からずっとそうだった。
私は皆から愛され可愛がられる存在で、何よりも優先されるべき人間。むしろ周囲からもそうあるように望まれていたところもあると思う。
優しく穏やかに微笑む天使な私でいることは、歳を重ねるごとに退屈になっていったけど、不満があった訳じゃない。不自由など一切ないのだし。
でももう少しワクワクすることが欲しいな、と思っていた幼少期だった。
七歳でジェイラに出会ってから、私はそれまでよりずっと、毎日が楽しくなった。
ジェイラの第一印象は、猫のような目をした小柄な女の子。料理長には全然似ていなくて、どうして邸に来たのか分かっていない様子だった。
平民の子供で、しかも母親がいない。
それは可哀想だから、私が遊んであげようと思って声をかけた。するとジェイラは、自分は可哀想じゃないなんて反論してきた。
正直、少し驚いた。私に反論してくる子なんて、同年代にはいなかったし、大人ですら私を肯定する人ばかりだったから。
けれど、ジェイラのその発言は料理長によってすぐに取り下げられた。ジェイラも謝ってきたし、教育も受けていない子供の言うことだから許してあげたの。
そうしたら料理長からお礼を言われた。お礼を言われたということはやっぱり、私が正しかったということね、と理解した。
でも、そこで思った。ジェイラなら私を楽しませてくれるかも、って。
私のその考えは正しかった。
ジェイラは私が言ったことは何だってやった。でも、やる前は嫌そうだったり、焦っていたり、泣きそうになりながら行動することもあった。
時には行動を起こす前に、大人からだめだと言われている、なんてことも言ってきた。それはつまり、私の思う通りには動きたくないという意思表示だ。
そんな子、周りにいなかった。
皆、私が声をかけたら嬉しそうにして、少しでも私に自分をよく見せようとアピールしてくるだけで、反論なんてありえなかった。
でも、ジェイラは全然その子達とは違う。そもそも平民ってところの違いはあるんだけど。
だから余計に、ジェイラと遊ぶのに夢中になった。
けれど、私としてはただ遊んでいただけなのに、ジェイラはよく大人に怒られていた。そんな大人に対して、私がやれと言った、とジェイラは主張していた。
当然、その主張はことごとく聞き入れられなかったのだけど。それで怒った大人にジェイラが謝って、その後に料理長がやってきてまた謝って、というのが定番化した。
その一連の流れは、見ているだけで退屈はしなかった。だってジェイラの色んな表情を見れたから。
ジェイラがいるだけでいつも私は新鮮な気持ちを味わえるし、周囲の私の評判は自然と上がるしで、良いことだらけだった。
ところがある日の朝早く、ジェイラが脱走したと連絡が入った。何を面倒なこと……と思ったけれど、ここはジェイラを気遣って外で待っていてあげた方が良い子の私なのだろうと思って、そう行動した。
料理長や使用人達が待つ場所に行ってみたら、いつもは私に謝ってくる料理長が何も言ってこなかった。本当に脱走したらどうするのだろうと少し思ったけど、その前に門番に止められるわね、と結論づいた。
ジェイラも本当にバカね。外出届がなければ外に出られないのに。私や大人達に構ってもらいたくてこんなくだらないことをしたのかしら。
まだまだ子供なんだから、とため息を何度かついたところで、騎士を伴ってジェイラが帰ってきた。
転んだりしたのか、服は汚れていて、表情も暗いものだった。
私が折角来てあげたのに、その態度は何? 普通はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした、とジェイラから謝るべきでしょう?
そんな考えが浮かんだけれど……私は、皆が求める心優しいお嬢様でいなければならないから。
より感動的に見えるように振舞った。するとどうだろう。ジェイラがいきなり笑いだした。
こんなに大きな声で笑うジェイラは見たことがなかった。しかも笑っているのに、目が笑っていないような……どこか言い知れない不気味さをまとっていたけど、しばらくすると笑い終えたジェイラが、私に謝罪をしてきた。
もうなんなのよ。最初から謝るなら謝りなさい、と思ったけれど、ここは許してあげることにした。これ以上時間を使っても、朝は支度に時間がかかるから時間の無駄だと思ったの。
ジェイラも頑張りますと言ってきたのだし、一見落着。
使用人達から感謝の言葉がなかったことはちょっと不満だったけどまぁいいわ。早く帰って、朝の支度をしましょうと私は自室へと戻った。
それからのジェイラは、少し私の期待外れな表情をするようになった。
ジェイラも成長してできることが増えたということもあるけど、なかなか困った顔をしなくなった。むしろ飄々としているようでつまらなくなってしまった。
だから少し、課題を与えることにしたの。
まず与えたのは興味のない手紙への返事書き。これはジェイラへの教育と、私の負担軽減という一石二鳥となる案だった。
この手紙の返事を書いてきなさいと渡したら、文字の書けないジェイラは私の命令に戸惑ったように眉を寄せた。
その時に……心の中で、そうそう、その顔よ、と思った。
何も言ってこなかったけれど、ジェイラは私の指示通りに返事を書いた。私の文字を真似して書かせた文章は、まぁ及第点というところかしら。ジェイラにしては良くできたと思う。
それからは種類を変えて色々と課題を与えた。
ジェイラが身につけた文字も数字もすべて、私のおかげだと言っても過言ではない。平民のジェイラには学べないことを私が課題として与えてあげている。
それに関して、本来ならお礼を言われるぐらいのことだけど、ジェイラは気が利かないから言ってこない。
ジェイラだからしょうがないわね、と諦めた。
そうしてジェイラに教育として課題を与え始めて気づいたのだけど、使用人の教育はいずれ辺境伯となる私の役目でもある。今、ジェイラにしているのはその未来のための予行演習のようなものだ。
そう考えると、私は一石三鳥になる案を考え出したのね、とちょっと自分で驚いた。
退屈さをなくしたいがために始めたようなものだったけど、無意識にでも私は着実に辺境伯への道を歩んでいるんだわ、と自信に繋がった。
ジェイラが専属侍女になってからも、私は相変わらず天使なお嬢様だった。
ジェイラのように他の人とは変わっている子でも、受け入れてそばにおき、面倒をみてあげる。優しい言葉をかけてあげて、優しく成長を見守ってあげる。
同年代の子息令嬢にジェイラのことを話しても、私を褒める言葉しかかけられなかった。
「そんなにもルシール様に気にかけてもらえるなんて、侍女は幸せ者でしょうね」
「わが家の使用人も、そちらの侍女が羨ましいなんてこそこそと話していましたよ」
なんてことを言われて。そうであればよろしいのですが、と謙虚に返答したら、それにも感嘆のため息をつかれた。
本当に、この世界は私の気持ちの良いように回る。
それが、当たり前。そうでなければならないのよ、きっと。
そうして私は十五歳になり、私達はエリゼオと出会った。
エリゼオの第一印象は、鋭い、だった。
目つきのせいか、隣にいる糸目の男のせいか。彼は黙っていると不機嫌なのかしら、と思うぐらいには鋭い目つきをしていた。
しかし、それが途端に崩れたのは、エリゼオが私の方を向いて微笑んだ時。
温かな笑み、とはまさに今のエリゼオの微笑みとでもいうような笑顔を向けられ、私はすごくときめいた。それと同時に、一目惚れをした、と自覚した。
これまで私を見た時の人々とは違う。あまりにも優しい笑みだったから。
ドキドキとなる胸を押さえて、私はエリゼオを見つめ返す。
これまで誰を見ても自身の伴侶に、なんて望まなかったけれど。彼がいいわ、と思った。
きっとエリゼオもそう思っているはず。私を望み、手に入れたいと願うはず。だから私を見て、あんなふうに……
そう、思っていたのに。
彼が私から視線を外す、その直前。
なんとなく、彼の視線が向いている先に違和感を覚えた。私であって、私でないような。
けれどこの場には、私しかいない。
と、そう考えた時、背後に人の気配を感じた。
ううん、ずっと、感じてはいた。当たり前にそばにいたから、もう気にかけることすらしなくなっていた存在。
しかし今は、その存在がやけに気になった。
分からないように、チラリとだけ、後ろを向いた。
そうしたら……ここ数年はつまらない表情しかしなくなったジェイラがどこか目を見張ってエリゼオを見つめていた。それが驚きではなく……喜びを含んでいるような、気配がした。
……あんなジェイラの表情は、見たことがないわ。
ジェイラは一体、何を期待しているの?
もう一度視線を戻す。
エリゼオはもう、こちらを向いてはいない。
まさかジェイラは、エリゼオのあの笑みが自分に向けられたと思ったの?
……そんなこと、あるはずがないのに!
もう……ジェイラはどれだけマヌケなのかしら。ジェイラは私のそばにいて、私の幸せを一番に望まなくてはならないのに。
エリゼオのあの微笑みが、ジェイラに?
ありえないわ。
そんなこと、あっていいはずがないの。
一呼吸だけ目を閉じて落ち着くと、手のかかるジェイラに、ちゃんと分からせてあげなきゃいけないわ、と思った。
エリゼオの優しい微笑みは、私に向けられたもの。そして私も彼の笑みに心を奪われた。
そう思うと、これまで自分が誰のことも好きにはならなかったのだと気づく。これまで私を好きにならなかった人なんていなかった。けれどその誰にも惹かれはしなかった。
私に対して叶わない恋をするなんて可哀想にね、と思っていたけれど……
微笑まれて、こんなにもときめいたのはエリゼオだけ。
それはつまり、エリゼオこそが私の運命の相手だったということ。そうね、運命なのよ、私達は。
だから、ジェイラが望むようなことは起こり得るはずもない。ジェイラのことは考える必要もないわね。
私はエリゼオの横顔を見つめる。
容姿は申し分ないし、実力も王家騎士団に認められたものがある。何より、あの堂々とした振舞いは本当にかっこよくて、この辺境伯騎士団の団長になるに相応しい。
けれど彼には一年という期限が決められている。
もしもエリゼオが奥手だった場合、身分差を気にして一年では私への想いを諦めてしまうかもしれない。
私はもうエリゼオしか考えられないのだから、そんなことがあってはいけない。
だから色々とこちらから動いてあげないといけないわね、と思った。お父様やお母様へも話をしておかないといけないし、周囲にもエリゼオが特別だということを分からせなきゃいけない。
この一年の間に、私は結婚できる年齢になる。エリゼオはもう結婚できる年齢だけど、問題は、爵位の低いエリゼオとの結婚をお父様がすぐには了承しないかもしれない点。
一番楽なのは、エリゼオが騎士として成果をあげてくれることだけど……最近は争いも減少し、騎士が活躍するような場は少なくなっているから難しいと思う。
それならやっぱり、私と両思いになって、恋愛結婚にもっていくのが最適解でしょう。何より、私が望んだ相手だもの。お父様に渋い顔をされるかもしれないけど、私の希望は叶うわ。
そうやって頭の中で考えていたら、その時にはもうジェイラはぼんやりとエリゼオ達を見ていた。
ジェイラも、自分が高望みをしたと思い直したのかしら?
それならしっかりと、釘を差しておかなくてはね。思い上がって、エリゼオに迷惑をかけるようなことがあってはならないから。
ある意味では、これはジェイラへの優しさだ。
叶いもしないことを望み続けるような無駄な時間をなくしてあげる。
ジェイラは、私の侍女だもの。私のために行動するのよ。
そう思って話をすれば、ジェイラは小さく頷いた。
「ねぇ、ジェイラ。私これから、エリゼオに好きになってもらえるように頑張るわ。ジェイラも協力してね! ジェイラにとっては未来の主人となるのだし。期待しているわ」
「かしこまりました」
協力してね、と言った私は、すごく優しい主だと思う。
だって、こんな時はジェイラが率先して場を整えるように動くべきでしょうに、その申し出がなかった。何とも気が利かない侍女だ。
まぁ仕方ないわね。ジェイラはこれから更に教育していくとしましょう。
手のかかる侍女を育てるのも主の仕事。将来、エリゼオは私の伴侶として領地や周辺国とのことに尽力するでしょうけれど、邸内のこと……とくに使用人の教育などは妻である私が行うのだもの。ジェイラの教育も当然のことだわ。
やることは多いけれど、私は私でこの美しさに磨きをかけましょう。刺繍も読書も好きではないし。どうせならエリゼオがさらに私に惚れ込むくらい、綺麗にならなきゃ。
明日は新しい口紅を検討してみようかしら。そろそろ新しい色味に変えたかったから良いタイミングね。
私はもう一度、エリゼオをじっくりと見つめる。
微笑む彼の瞳には、間違いなく私が映っていた。