18話 心地よい朝
あまり朝が得意ではない隼人だが、今日は目が覚めると二度寝することもなく、すぐに体を起こした。
今日からいよいよ改変の力の実践的な訓練が始まる。
と言っても、今までのように高校には通わなくてはならないから、力を使った訓練は放課後からということになっていて、朝は体力作りのために運動することにしたのだ。
実際に戦うとなると、力の技術以外にも体を鍛えておく必要がある。
バドミントン部で、ある程度の体力と筋力を鍛えてはいたが、それだけでは心もとない。
「じゃあ、少し走ってくるね」
そう言うと隼人は家を出た。
桜の家の周りは都市部と違って自然が多く、走るのには快適な環境である。
ほとんど人もおらず静かで、集中してトレーニングに励むことができた。
隼人は頭の中で計算した。
隼人が東京城の周りを走ると、だいたい20分で1周できた。
そして東京城の周囲は約5キロメートルである。
朝のトレーニングに費やせる時間は30分程度であるから、桜の家から2キロほど離れた場所まで走っていき、そこで10分ほどの筋トレをする。
そしてまた同じ道を引き返せば、少し余裕をもって家に帰ることができる。
よし、これでいこうと決めて走り出した。
走りながら今後のことに思いを巡らせた。
いくら自分が改変の力を持っているからといって、そう簡単に成し遂げられる訳ではないことくらい、隼人にも分かっている。
現時点では、ほとんど力を使いこなせないに等しいし、その技量を高めるのにどれくらいの期間がかかるのか全く読めなかった。
それに、戦うための人数が少なすぎる。
隼人と雫、そして桜の3人ではすぐに負けるに違いない。
戦うにはもっと多くの味方が必要だったが、誰が<創造者の血を引き継ぐ者>かも分からないし、そもそも、その話を切り出すのが難しい。
<創造者の血を引き継ぐ者>でなくても武器を持っていれば、戦力になり得る。
しかしその武器すら、手に入れるのは困難である。
隼人は決して弱きになったつもりではないが、それでも高校在学中は何か事を起こすことはできないだろうと予測していた。
(とりあえず今はじっくりと鍛錬を積もう)
学校のテストでは間違いがあっても、多少の成績が下がるくらいで、復習すれば何とかなる。
ところが、これから自分がやろうとしていることは、失敗は最悪の場合、死を意味する。
万全の準備をするに越したことはない。
そんなことを考えているうちに、目的としている公園に着いた。
高さが何種類かある鉄棒の内、一番低いものに手を添えると、足を奥に投げ出した。
ちょうどぶら下がるような状態から鉄棒を胸の方へ引き付ける。
それを腕が限界になるまで続けた。
そして次に一番高い鉄棒に膝裏を引っかけるようにして、逆さにぶら下がる。
頭に血が上る。
改変の力で自分にかかる重力を強くしたり弱くしたりする。
これは桜にアドバイスしてもらった方法で、改変の力で重力の大きさや動きを急激に変化させるときに、自分にかかる負荷に体を慣らす練習である。
見た目の変化はさほどないので、周りから見ても怪しまれることはない。
そして今度はただ仁王立ちして、同じように重力に強弱をつける。
最初はそこまで大きな変化をつけなかったが、それでも吐き気に似た感覚を覚えた。
10分はあっという間だった。
家に帰るとすぐにシャワーを浴びた。
それから以前と同じように朝食は飲み物と、ちょっとした果物だけを食べる。
「今日は部活ないから、学校終わったらすぐに帰ってくるよ」
「分かったわ。それと、昨日隼人が話してた『雫ちゃん』だっけ?せっかくなら一緒に訓練しないかしら」
「えっ、雫も?いや、まぁ別にいいけど……、家の外でどうやって誘えばいいんだよ。まだ俺、監視の目を誤魔化せる自信ないし」
隼人は昨日の雫との一件以来、「雫」と聞くと変に意識してしまっていた。
桜はニヤニヤした。
「大丈夫よ。『雫……俺んちに来て楽しいことしようぜ?』って言えば、必ず来るから」
桜は、隼人の口調を真似ながら、気障に言ったように見せた後、一人でクスクス笑った。
隼人はそれを無視したが、確かに一緒に訓練するのは良い案だとも思っていた。
***
自分の教室に入るなり、聖也が声をかけてきた。
「おーっす隼人。あれ、なんか今日の隼人、すっきりした顔してない?なんかした?」
「あー今日の朝、少し運動してきたんだ」
「え、まじか!隼人、朝苦手なんじゃなかたっけ?今日、槍でも降るんじゃね?」
聖也は昔から隼人のことを知っていたが、朝早く起きるなど年に数回しか聞いたことがない。
しかし聖也は、なんで早く起きて運動なんかしたのかと聞くことはしなかった。
聖也の脳裏には隼人の事件のことがあった。
まだあの事件から1週間も経っていない。
「ま、健康的な生活はいいことだと思うぜ!それより……」
聖也は怪訝な表情を浮かべていた。
「隼人、俺に何か隠してることあんだろ?」
隼人はびくっとした。
心臓の音が強く打つのが感じられる。
(<創造者の血を引き継ぐ者>であることがばれたのか?しかしそのことは、雫以外は知らないはずだ)
「え、え?いや、そんな……え?何で?」
表情が気持ちを隠せないのが隼人の難点である。
これから王政に反逆をしようとする者がこんなで良いものかと、隼人自身も反省している部分であったが、それが早速露呈してしまった。
「隼人、さっきから天音さんのことちらちら見てるだろ?」
(まずい……雫が<創造者の血を引き継ぐ者>であることまで……)
「そうなら早く言ってくれよ、隼人。天音さんのこと、実は好きなんだろ?」
「はい?」
「隼人の表情見れば分かるって。ずっと天音さんのこと目で追ってるからさ。あの時、連絡先を教えてくれなかったのも、『恋敵に渡してやるもんか』って思ってたんだろ?」
「あ、いや別にそういう訳じゃ……雫のことは別に」
「し、雫っ!?今、『雫』って言った?え、もしかして付き合ってるの?」
隼人はしまったと思った。
無意識に下の名前で呼んでしまったが、それは相手に誤解を与えかねることは自明である。
「いやほんと、しず……じゃなくて、天音さんとは何もないよ、ほんと」
聖也はずっと探るような表情をしていたが、やがて落ち着きを取り戻した。
「まぁ、でも本当に付き合ってんなら教えてくれよな。正直悔しいけど、隼人の方が天音さんと相性いい気がすんだよな。2人とも頭いいしよ……」
聖也は少し残念そうな顔をした。
隼人はなぜか「天音さんのことは別に何とも思ってない」と言うことはできなかった。
それを言う自分を想像すると、胸の辺りがちくっとするような気がする。
少しの沈黙の後、聖也はまた柔らかい表情になって口を切った。
「隼人が本当に天音さんのこと好きなら、俺、応援するわ。多分、これからの出会いでもっと俺と合うような子、いるはずだしさ」
隼人は何も言わなかった。
ただただ聖也の潔白な生き方に、ある種の尊敬の念を抱いていた。
ここまで自分の気持ちを素直にさらけ出せる聖也が友達で、いや、親友で本当に良かったと思うと共に、聖也なら自分が<創造者の血を引き継ぐ者>であること、そして王政に戦いを挑もうとしていることを話しても、決して馬鹿にせず、真剣に耳を傾けてくれるだろう、そう確信した。
(時が来たら、聖也に打ち明けよう。――必ず)
朝のチャイムが学校に響いた。




