019「焦がれる苦み」
「なんだ。てっきり、一晩考えて付き合う覚悟が出来たから、それを伝えに来たのかと思ったのに」
「おあいにくさま。返事は金曜日の帰りまで、お預けです」
右手にカバンを持った江崎と、その右隣で左肩にバッグを提げたあゆみが、やや距離を開けながら駅に向かって並んで歩きつつ、淡々と会話を交わしている。
「直前に言うことじゃないかもしれないし、モノで釣ると思わないで欲しいんだけど」
「そういうエクスキューズを前置きするときは、たいてい、ろくでもないことが続くものなんだけど」
「出ばなをくじかないでくれ。今回は悪い話じゃないんだからさ」
「あら、そう。まぁ、言うだけ言ってみなさい」
「明日の夜、ホテルのレストランを二名で予約してあります。つきましては、先日の交際申し込みの返事を、ディナーの席で伺いたく存じます」
事務連絡のように心のこもらない平板な調子で江崎が言うと、みどりも同じようにアッサリと機械的に返す。
「承知いたしました。明日の帰りは、レストランに相応しい装いをいたします」
「ご了解いただき、誠にありがとうございます。それでは、この辺で失礼させていただきます。前向きな返事を期待しています」
そう言って江崎は、到着したばかりの電車から降りてくる人ごみをかき分け、東口へと向かった。あゆみは、スーツや学生服の群れの中に消えていく江崎の背中を少しばかり見送ったあと、すぐに南口へと歩き出した。
*
「今日は、オムライスになったのね。てっきり、トマトスープかと思ったのに」
「僕も、最初はミネストローネという料理を作ろうと思っていたんですけど、玉子が安かったので、予定を変更しました。何か、都合が悪いことは、あるでしょうか?」
少し端の焦げた薄焼き玉子にスプーンを入れ、中のトマト風味のライスと一緒にすくって食べるあゆみと、それを満足げに眺めているシーニーが、事情を知らない第三者から見ると異様なくらいに、平穏に会話を交わしている。
――玉子焼きは苦手なのかしら。フレンチトーストのときと違って、スピードと繊細なテクニックが要求されるものね。かくいう私も、よく焦がしてしまうから、全然お手本にならないんだけど。
「いいえ、何も問題ないわ。むしろ、機転が利いて助かるくらいよ。玉子を買った以外は、予定通りなのね?」
「はい。なんとか予算内には収めましたし、買い物自体はスムーズに終わりました。けど、店を出てすぐの場所でたむろしていた女性たちには、辟易させられてしまいました。誰もが同じ水兵のような上着に、短いスカートを穿いていて、顔を見ると、眉は薄いのに睫毛が異様に長くて、目元には黒い縁取りがされ、唇が異様につやめいていました。喚くようにカワイイと連呼しながら、いきなり取り囲まれて、しばらく、何語か分からない言葉で二つ三つ、質問とも歓声ともつかない嬌声を聞かされたあと、球体に棒を刺した食べ物を僕の手に握らせて、立ち去っていきました。甘い匂いがするので、おそらくキャンディーの類だと思うのですが、包み紙を外すと禍々しい極彩色だったので、食べずに包みを戻して持ち帰り、いまは冷蔵庫に入れてあります。食べても大丈夫か、あとで教えてください」
――今日は、頭が悪いほうのコギャルの群れに遭遇したわけね。語彙力に乏しくて会話が成立しなかったとしても、無理ないところだわ。たぶん、飴のほうは食べても平気だろうけど、一応、あとで確認しておこう。
「わかったわ。お風呂上りにでも、確かめておくから」
「お願いします。ところで、明日は何が食べたいですか?」
期待に瞳を輝かせながらシーニーが問うと、あゆみは一旦、スプーンを置き、申し訳なさそうに答える。
「悪いんだけど、明日の夕食は一人で食べてちょうだい。私は、外で食べてくることになってるから。あと、帰りも遅くなると思うから、先にお風呂に入って寝てて良いわ」
「あぁ、そうですか」
シーニーが落胆して表情を暗くすると、あゆみは眉をハの字に下げて謝る。
「ごめんなさいね。急に、そういうことになってしまったものだから。ガッカリさせちゃったわね」
「いえ、良いんです。あゆみさんには、僕の知らない、あゆみさんだけの世界があるんですから。――お水、入れてきますね」
そう言うと、シーニーはあゆみから顔をそむけたまま、こたつテーブルの上にあった空のグラスを持ってキッチンへ向かった。
――あーあ、落ち込ませちゃった。居候とはいえ、家で大人しく待つシーニーの気持ちを、もっと良く考えて、言葉を選ぶべきだったかしら。悪いことしちゃったなぁ。




