020「不機嫌な朝と昼」
「それじゃあ、行ってくるわね、シーちゃん」
玄関でパンプスを履きつつ、あゆみはソファーへ向かって呼びかけるが、そこにいる銀猫は、丸くなったまま鳴き声一つ発しない。
――今日は、お見送り無しか。昨夜の一件で、すっかり、ご機嫌斜めなのね。
あゆみは、小さくため息を吐くと、玄関ドアを開けて出掛けて行った。
*
「ホテルでディナーですと!」
「シーッ。声が大きいわよ、みどりちゃん」
アイスカフェオレとビーエルティ―サンド、アイスミルクティーとスコーンが並ぶ喫茶店のテーブル席で、同じ制服を着た二人の女子行員が、色恋話に花を咲かせている。
「だって、そこまで御膳立てされたら、もう確定じゃないですか」
「何か確定するのよ。住民税?」
皆目、見当が付かないといった様子で問いかけるあゆみに対し、みどりはストローでミルクティーを啜って喉を潤してから、一気呵成に話し出す。
「もう、あゆみ先輩ったら、とぼけちゃって。きっと、こういう展開が待ってるんですよ。――ワインかシャンパンでも片手に『君の瞳に乾杯』なんて言いながら洒落た会話を楽しみつつ、だんだん良い感じのムードになっていき、メインディッシュにデザートまで堪能して、いざ帰る段階になったところへ『ちょっと飲みすぎたみたい。酔っちゃったわ』となり、まともに歩けない彼女を抱えた彼氏が『こんなこともあろうかと、この上のスイートを取ってあるんだ。休んでいこう』と言ってルームキーを見せつつ、エレベーターへ向かうと、そこへ空気を読んだボーイがやってきて」
「はいはい。四葉みどり脚本のラブロマンス劇場は、そこまでにしてちょうだい」
両手を頬に添えながら、ほんのり顔を赤らめて妄想を語るみどりを、あゆみは、みどりの顔の前で片手を左右に振って正気に戻し、一刀両断に否定する。
「私は女優じゃないし、江崎くんも俳優じゃないわ。あの三枚目で、どこぞのハードボイルドを気取って真似されたら、たとえ百年の恋だって、液体窒素で瞬間冷却よ。悲劇をパロディー化すると、喜劇にしかならないもの」
「夢がないですね。せっかくのお誘いなんですから、もっとウキウキしましょうよ。私が前日に、いきなりそんなことを言われたら、ワクワクとドキドキで、興奮して眠れませんよ」
バターナイフで、ココット皿に入れて添えられているクロテッドクリームとマーマレードを、十字に割ったスコーンに塗りながら、みどりが楽しそうに言うと、あゆみは、ストローでカフェオレを飲んでから、至って冷静に言う。
「遠足前の小学生じゃないんだから。もう、いい歳した大人なのよ?」
「いい歳した大人だからこそ、大人の恋愛を楽しみましょうよ。さぁ、キッズやヤングには無い、アダルトで刺激的な、めくるめく世界の扉を開くのです」
「そういう惹句が、官能小説の帯に書いてありそうね」
愉快に話すみどりに対し、あゆみが冷めた口調で返すと、みどりは繰り返し意気を削がれたことで、やや不満げにムッとした表情をしつつ、スコーンを食べる。
――テレビドラマの視聴者みたいに、傍観者の立場なら楽しめるんだろうけど、当事者としては期待より不安のほうが大きいわ。
あゆみは、沈黙の気まずさを紛らわすように、パリパリと音を立ててビーエルティ―サンドに噛り付く。




