7. With this Kiss
宙に浮いて回転する虹色の立方体が、複雑な軌道を描いて十二面体へと、ゆるやかにその形を変える。
その周囲に散らばるように、数桁の数値が浮き上がる。
俺は頬杖をつきながら、指先でそれをつついた。
最近、画面上で、これと同じものを見た記憶がある。
「……なんて言ったか、あの有名なアナリストが五年後の実現予想で、これと似たものを出してなかったか」
「ああアレね、笑った」
「……」
そんなレベルか。コイツにとっては。
こんなものが実在していると知ったら、世界中の名だたる企業が大枚はたいて交渉に来るに決まってる。皆がコストを惜しまず投資して、開発に躍起になっているところだ。
そうとも知らず、梅雨は近くのカウチに座って、のんびりと足を揺らす。
「えにしはさー、なんでハッカーやめて起業したの」
「お前みたいな生き方もよぎったけどな。大学時代でハッカーは飽きたんだよ」
ぷらぷらと細い足が揺れるのを眺めつつ、俺も隣に腰を下ろす。
「ふーーん。デキの悪い頭を持つと、人生がかわいそうだね」
「んだと?」
「ずっと触ってるけど、飽きたことない」
あ、思いついた、と呟いて、梅雨が指をくるりと回す。
見たこともない無数のデバイスが宙を舞って、梅雨の周囲の空間を埋め尽くす。世界に流通する大半の最新端末を取り扱うと自負している俺が、見たこともないデバイスが、だ。
「自前か」
「うん」
「天職だな」
からかうように口笛を吹けば、わずかに眉を寄せた不満げな顔がこちらを見る。
「ほめてる?」
「さあな」
《天災》が謝罪の声明を出し、これまで世界中の企業に与えてきた通貨損失を、1円1銭と違わず、すべて元通りにした――
そんなセンセーショナルなニュースが流れたのが、たった数日前。
この突然の事態に、各メディアは連日大賑わいだ。このまま情報が飛び交えば、俺たちの関係が報じられる日もそう遠くはないだろう。
梅雨が恥ずかしがって隠したりしなければ。
で、その梅雨の現状だが。
目の前でひっきりなしに通知を鳴らし続ける立体モニターを、俺も一緒になってのぞきこむ。
「まさか、お前にケンカ売る奴が出てくるとはなぁ」
「いまんとこねー、5勝5敗5引き分け。えにしより強敵だよ」
生意気な小娘の頭を小突く。
「俺との戦績を捏造するな」
3勝3敗80引き分け。数字で見れば同列のはずだ。
「えーじゃあこれ代わりにやる?」
見たこともない記号の羅列に、顔をしかめて押し返す。
「互いにイチから作ってんのかよ。相手はどんな奴だ?」
「んーどこだっけ、どっかの地方都市の海沿いの普通マンションのー、最上階に住んでるー、13歳、女、貧弱で根暗で、すんごい生意気」
「誰かさんに、良く似てるな」
横目でからかうように言うと、梅雨はなぜか泣きそうな顔をして。
「浮気? んと、ロリコン? 若い方がいいんでしょ」
「………………どこでそんなこと覚えてきた」
「調べた」
このくらいで済めば可愛いものだが――好奇心のかたまりは初心なくせ、日に日に耳年増になっていくから、どうにも困る。
「そうか」
ため息をついて抱き寄せて、囁きかける。
「お前でこんだけ手ぇ焼いてるのに、お前よりガキな奴の面倒なんて見れるわけないだろうが」
「う」
真っ赤な顔で暴れ始めた梅雨を、そのまま膝の上に乗せて、腕の中に閉じ込める。ゆるやかに巻かれたつむじに鼻先をのっけた。
「この頭で、ちょっと考えりゃ分かるだろ」
「わ、分かんない」
「そうか?」
組んでいた腕を一度外して、そっと抱きしめる。みるみる温度を上げていく小さな体。
「わ、分かった、分かったから、放せー」
奥手な脳みそがショート寸前で半泣きになったところで解放してやる。これ以上からかい続けて簡易防護壁でも下ろされたら面倒だ。
梅雨はカウチを数回転がって、うつぶせのまま息を整えている。
南側にあった採光窓はいつの間にか、そうとは気づかないほどゆっくりと、西へと移動していた。
その窓越しの夕闇に目を向けた梅雨が、急にそわそわし始める。
「ね、ねえ、……帰んないの」
そんな顔で言われてもね。
「あー、泊まる」
有無を言わせず断言すると、梅雨は目を泳がせた。
これで何度目のやりとりだか、と俺は呆れた目を向ける。
俺はここ最近、梅雨の家に入り浸っていた。どこでだって仕事はできるし、むしろ、ここの機材は、俺の自宅や会社の設備より数倍効率的だったりする。
「喜んでいいんだぜ」
「だっ……!」
のしかかって酔っぱらいのように絡む。もちろん体重はかけていない。
ひとしきりからかって遊んだところで、俺はふと思いついて言った。
「あー、夕飯どうするか」
「携帯口糧」
呼び出し音とともに、実物が梅雨の手に握られる。
その味気のない栄養機能食が、梅雨の主食にして毎日の食事のほとんどを構成していると知って、俺が全て押収したはずだったのだが、まだ持っていたのか。
「お前ね、」
奪って説教をかまそうとして――ここで頭ごなしに全否定しても、余計頑なになるだろうことに気づく。
「そうだな……お前、飴色料理って食べたことある?」
コイツが好みそうな名前で栄養バランスのよいものを選ぶと、
「なにそれ?!」
途端、満面の笑みが俺を見上げる。
「よし、食いに行くか」
「行く!」
勢い良く立ち上がった少女に、真新しいコートを着せて、帽子を乗せて、その背を押す。
ものすごく照れた顔で、振り返った梅雨が言う。
「ねぇねぇ、えにし」
「ん?」
「……初でーとだね」
たまらず口付けた俺は悪くない、はずだ。
真っ赤な顔の梅雨を連れて部屋を出た俺は、たぶんそれ以上に変な顔でニヤついていたと思う。
浮かれた顔と熱を持つ頬をごまかすように、晴れた夕焼け空を見上げる。
右手で握った小さな手のぬくもりを感じつつ。
こんな甘ったるい恋愛も悪くない、なんて思いながら。
<了>
*Special Thanks:松林可純(ID:579724)様