魂が、ふわふわり。
ふわふわりと、泡沫の宙を漂うばかり。
私と云うものがたった今に終わりを告げたようで、世界を見下ろして冷たい地面を、そして私自身を嘲笑う。
唯それだけを繰り返して、何十回も。
私は私なのに、何だか自分でないような気がして、ざわめく心は落ち着く気配を少しも見せてくれないのだ。
それがどうも私の所為の様に思えてしまって、やるせない気持ちを順調に膨らませていた。
まるで深海へ沈むような、それでいて水面に浮かんでゆくような……
そんな、何とも形容し難い感覚が私の心を、体を取り巻き、脳内を蝕みつつあった。
私の感情ももはや何の思いも抱くことなく、悲しいのか嬉しいのか、区別すらもつかなくなっているという始末で。
空っぽの頭にたった一つ響くのは、自分もよく知る「彼女」が私を呼ぶ声。
『ねえ、イズミン』
それは何処か懐かしく、
『こっちだよ、戻って来て』
何処か温かく、
『場所は空けてあるから、早く』
何故だか明るくて、
『早く、早く』
……少し、息が詰まった。
私には何を焦っているのかとても分からなかったが、「イズミン」の呼び名が紛れもなく私を指していることは申し分なく了解していた。
「戻るって、何処にです?」
私は、虚空に問うた。
其処に誰も居ないと分かっておきながら其処に居る「誰か」に返答をもとめているのだから、何と愚かなことかは明白だろう。
しかし、静寂で終わって仕舞わないのが世界と云うものの様だ。
『こっち。声のする方へ、早く』
それは、何処からともなく響き渡る。
その声は私の心に、一つの使命を植え付ける。
その根は忽ち生長し、脳に、腕に、手に、足に、そして心に、どんどんと癒着してゆく。
今の私にはそれがどうも心地よく、空っぽの頭には楽園が出来上がっていた。
癒着した使命から逃れる意味も理由も見出せない私は、唯それに従う他に選択肢を与えられていなかった。
まるで、産まれることを強いられた胎児のようだと、勝手に思っていた。
声のする方へ、ひたすらに泳ぎ踠いて、手を伸ばす。
それを遂行するためだけに生を受けたかのように、必死になって進んでいた。
何故ならば、そうしていれば何時か懐かしき「彼女」が手を差し伸べてくれるだろうと、信じて疑わなかったからだ。
何分か、ひょっとしたら何時間か、もしくは何日か……
全く分からぬ程進んだ先に、果たして何があっただろうか。
其処にあったのは、「彼女」の手でも姿でもなく、唯一つの「闇」であった。
闇というものを一つと数えるのは可笑しいだろうが、そうとしか形容ができないのであるから、そこはご了承願いたい。
その「闇」というのはどのようなものか、此れを見たことの無い者が想像するのは、おそらくだが一寸先も見えぬような暗闇だろう。
それもそう、闇という単語は、一般にその様な意で用いられるのだから。
しかし、此処にあった「闇」はそうではないのだ。
その闇は、人の形を模したように佇んでいた。
実体がある、と云うと語弊があるが、何と云うのか、其処にあるのは確かなのだが、輪郭はあやふやなのだ。
見えるのに触れぬ雲のように、遥か遠くにあって霞んで見える、と云うのが正しいだろうか。
先程までの不思議な感覚も何時しか消えていた。どうやら私は、水の中から陸へ上がったらしい。
辺りは見渡す限りの蒼で、私が必死になって進んだ水は、不思議な事に振り返った時には何処にも見当たらなかった。
もしくは、空から地面に至るまでの蒼に同化して見えなくなっていただけなのかもしれない。
「闇」へと進む私の頭はまたもや空っぽで、地面に薄く張られた水をピチャピチャと音を立てて蹴散らしていく。
其処からは無数の波紋が広がり、私の存在を振動として周囲へと伝えていた。
波紋と波紋がぶつかる其処では、振動同士が混乱しながら規則的に彷徨っている。
そんな水の困惑なぞ露知らず、「闇」を目の前に控えた私の頭には、また別の困惑が生産されていた。
と云うのも、原因は遠くでは見えなかった「闇」の姿にある。
それはやはり、変わらず人型を保って佇んでいるのだが、今こうして近付いて見ると、唯呆然と四肢と頭を備えた人型の何かではなく、しっかりと顔や服までこしらえてあるのだ。
跳ね遊んだ髪、細い眉、ややつりあがった目、主張の少ない鼻、口角を上げた愛想の良い口……
どれもとても見覚えのあるものだが、それだけではなかった。
白いワイシャツの上から黒いベストを着、黒いガウチョパンツを穿いているのだ。
これまた、とても見覚えのある姿だ。
否、見覚えがある程度ではないのだ。何故ならそれは――
――それは、私自身なのだから。
短くなってしまった感じが……




