9 初接触
雪がちらつく雪山をせっせと二人と一雪だるまは登っていた。時折、凍てつく風がケープを揺らす。
これ、カイロと防寒魔法がかかってなかったら『パトラッシュ、僕はもう疲れたよ。なんだかとっても眠いんだ』状態になっていた。
山登りは現代っ子にはキツイです。
とりあえず私達はタロの住処にいついてしまったというライカンスロープに会う為にタロの実家に向かっていた。彼の実家は中腹あたりにあるらしく、山頂じゃなくて良かったと呟いたのは私だけじゃなかった。
師匠も山登りキツかったんですね。
普通に上るだけでも大変なのに深い雪に足をとられるので、余計に体力を使うのだ。
元気なのはタロのみ。実家に戻れたのが嬉しいようで、ぴょんぴょん跳ねまわっている。
「吹雪く前に辿りつければいいんだけど……」
「この状態で吹雪になったら、私タロと同じになってしまいます」
つまり雪だるまになってしまう。
私はまだ人間でいたいので、吹雪かないことを祈ろう。
それからは口数少なく、黙々と山登りを続けた。時々、タロがはしゃぎ過ぎて先に行ってしまうので、食べちゃうぞーと脅しながら引き戻したり、カイロをもぞもぞしたり。
中腹に辿り着く頃にはうっすらと雲の向こう側にいる太陽が中天にさしかかろうとしていた。運の良いことに吹雪にもあわず、遭難することもなく私達は中腹に辿り着いたのであった。
「で、肝心のライカンスロープはどこにいるのかな?」
「知らんダス。オラ達の住処はこの先にある洞窟ダスが……」
私の腕の中で恐々とタロが辺りを見回す。きっと追い出したライカンスロープが怖いんだろう。さきほどまでのはしゃぎようが嘘のようである。
「この辺りでライカンスロープが過ごせそうなところはその洞窟だけみたいね。辺りに家のようなものは見当たらないし」
ヴィオラースが周囲を注意深く観察してから、そう言った。確かに所々木々は生えているが、誰かが過ごせそうな家や小屋などは見当たらない。まさかこの寒さでその辺に転がっているわけではあるまい。
ライカンスロープは雪の精霊ではないし、寒さを防ぐものがなければこの山で過ごすことは不可能だろう。
タロの案内で洞窟の入り口に辿り着いた私達は、洞窟の前に誰かがいることに気付いて、咄嗟に木の影に身を潜ませた。タロが悲鳴を上げそうになったので、慌てて口を塞ぐ。
「むぐむぐ」
「もしかして、あれがライカンスロープ?」
「でしょうね、獣の耳と尻尾がついているわ」
確かによく見れば人間の体躯にふさふさの獣の耳と尻尾がついている。想像通りの狼男といった風体だ。こちら側からでは後ろ姿しか見えないので顔は分からない。
「どうしましょう、さっそく接触しますか?」
「そうね……ここで隠れていても埒が明かないし……」
二人でこそこそとどういう風に彼に話しかけようかと相談していると、ぷるぷると腕の中で震えていたタロがもう限界と力一杯腕から飛び出した。
「ライカンスロープ! オラ達のおうちを返すダスーー!!」
「あ、待ってタロ!」
「……まあ、こうなっちゃうわよね」
ライカンスロープに向かって一直線に飛び出したタロを追って、私も飛出し、ヴィオラースはやれやれとゆっくりと木の影から出た。
突如背後から聞こえてきた声に驚いたのか、ライカンスロープが勢いよく振り返る。濃い灰色の髪が揺れ、獰猛そうな琥珀の瞳がギラリと飛び出していった私達に向けられた。
いの一番に睨まれたタロはさっきまでの勢いはどこにいったのか、一時停止してしまったのでタロの後ろを追いかけていた私の顔面に柔らかなフォルムがぶつかった。
ぷにゅ。
「ぶわっ!? ちょ、急に止まらないでタロ!」
「うわーん、ソラ怖いダスーー!」
「苦しい苦しい! 顔にくっつかないでーー!」
「なにやってるのあなた達……」
恐怖でパニックになったタロをヴィオラースが私の顔からべりっと剥がすと、視界がようやく開けた。ライカンスロープと視線があうと、彼はぽかんと口を開いたが、私の隣に立ったヴィオラースを見た瞬間、耳と尻尾の毛が逆立った。威嚇するような唸り声が響き、おもわずびくりと肩が震える。
ヴィオラースは私を安心させるように肩を優しく叩くと、私とタロを庇うようにして斜め前に立った。
「ちょっとあなたに聞きたいことがあるんだけど」
「出て行け!」
「落ち着いて、話を聞いてちょうだい。なにもあなたを退治――」
「俺はあんたらと話すことなんかなんにもねぇーよ! 早くこっから出てけ!」
取りつく島もない様子で、こっちを睨みつけてくるライカンスロープに、私はどうしましょうとヴィオラースを見上げると、彼はにっこり微笑んでライカンスロープの唸り声にもまったく意に介さず、軽い足取りで前に進み出て行った。
どうするつもりなんだろうと、タロと一緒に見守っていると、ヴィオラースは急に姿勢を低くして走り出した。
「!?」
咄嗟のことにライカンスロープは驚いて身構えたが、彼の防御が完璧になる前に目前に迫ったヴィオラースは思い切り拳を引いて、彼の右頬へとパンチを繰り出す。
ドガッと鈍い音がなり響き、ライカンスロープは天高く宙に跳んで、べしゃりと雪の上に落ちた。
ヴィオラースは、ふんっと鼻をならすと、肩にかかった桃色の長髪を払う。
「話を聞けっつってんでしょーがよ」
「…………師匠って短気ですよねー」
「怖いダス……」
ぷるぷる腕の中で震えるタロを連れて、倒れたライカンスロープを覗き見ると、彼は見事に気絶していた。白目を剥いてぴくぴくしているところをみると、すぐには起き上がってこれまい。
「師匠が護身使えるのは知ってましたけど、こんなに強いとは思いませんでした。……というより師匠、魔法持ってるんですから、わざわざ殴りにいかなくても」
「なにを言っているのソラちゃん、魔法を使うなんてもったいないじゃない」
「もったいないって……なにかあったときの為に持ってきたやつじゃないですか」
ヴィオラースの腰にも私の腰にもいくつかの宝玉がぶらさがっている。攻撃用のものもあれば防御用、回復用のものまで多種多様だ。しっかり準備してきたというのに、ヴィオラースは魔法より肉弾戦を選んだ。魔法調合師なのに。
「殴って終われそうだったからそうしたのよ。魔法はとっといて損はないの。ついでに言うとバトル用の魔法は高いのよ。こんなのに使うなんてもったいなくてしょうがないわ!」
確かに攻撃用魔法は材料からして高い。それに冒険者達に需要はあれど、生活用魔法に比べれば収入は少なく、わりに合わない場合が多いのだ。
さすが師匠、商売人ですな。
ヴィオラースは、倒れたライカンスロープをぺいっと洞窟の脇に捨ててロープでぐるりと縛ると。
「寒いから洞窟に入りましょう。後は彼が起きてからね」
にっこり微笑んだ。
タロはその笑顔にぶるぶる震えている。彼の笑顔が信用できなくなったらしい。私はタロの頭をなでなでしつつ、ヴィオラースの後に従って洞窟の中へと入っていった。