狂い始める俺達の歯車なんだが
「……おはようございます、早いですね、エドガーさん」
「――ぁぁ、目が覚めてな」
ふわぁ、と控えめな欠伸をしながら寝ぼけ眼でセルティが寝室から登場。
明け方、ベロニカがまた食事に行くと意気揚々と森へと旅立っていったのを見送った後も、俺は何となく縁側で庭を見つめていた。
「今から朝ごはん作りますけど、何かリクエストはありますか?」
ぼさっとした髪を無理やり撫でつけ、エプロンをしながらセルティは言う。
「任せる」
「……ふふ、わかりました」
俺の返事に軽く微笑んで、セルティはぱたぱたとキッチンへと向かう。
――こう言い残して。
「――昨晩は、本当によく眠れましたか?」
何が言いたい――と聞こうと振り返った時には、もうセルティはいなかった。
「……はぁ」
俺はただほんの少しだけ暗いため息を吐いて、空を見上げた。
***
――カラン。
朝の食卓に、金属音が響く。
「……エド」
それに、きょとん、としたような顔でアリサが驚いていた。
そんな大したことが起きたわけではない。
俺が食事中に、右手からスプーンを滑り落としてしまった、ただそれだけだ。
「――悪い」
俺はその床に落ちてしまったスプーンを拾って、洗いに行こうと席を立つ。
――と、それをセルティが止めた。
「かわりの、持ってきますから」
そういって俺から落としてしまったスプーンを受け取ると、セルティはキッチンへと向かう。
「それじゃ、エドガー!私が食べさせたげるよ」
そういってずいっとエリーがテーブルの向かいから身を乗り出した―――ところを。
俺とエリーの間を阻むように、シュビっと俺の左隣からスプーンが突き出される――!
「――あなたは必要ないわ。私に任せておきなさい」
キリッとした顔でエリーにそう宣言する、俺の左の席のアリサ。
「ずるい!それはずるいよ、アリサ様!」
「いいの!私が隣なんだから!私の方が、エドも食べやすいでしょ!?」
「関係ないもん!そんなの!向かいの方が食べやすいから!」
……また始まってしまった。
少しだけ右腕の調子が悪かっただけでこのざまである。
いつも同じような言い争いで飽きないものだな……と俺はいつものように乾いた苦笑いを顔に浮かべてその結末を見ているしかない。
「……またやってるんですか?」
「セルティ」
そうこうしている内に、セルティが戻ってきた。
「ありがとな、セルティ」
「いえ、構いません」
すっと差し出されるスプーンを俺は受け取ろうとして……。
――カラン。
その音に、言い争っていた二人が振り向いた。
――また落としてしまった。
二回目。
流石にアリサとエリーも不安そうに俺を見つめていた。
「……やっぱり、私が食べさせてあげるわ」
「それがいいよ、エドガー」
食べさせてあげる、とのアリサの申し出に、やけにあっさりと引き下がるエリー。
その事実が二人の不安を、そして心配を如実に示していた。
「……いや、大丈夫だ、食べれる」
俺はテーブルに合ったフォークを掴み、ブロック状の肉に突き刺し、それを強引に俺の口へと持っていった。
「ふぉら、らいひょうふらろ(ほら、だいじょうぶだろ)」
もぐもぐ、と口を動かしながらそう強がってみせる俺に、三人は不安そうに顔を見合わせた。
***
昨晩。
俺はとにかく時間が欲しかった。
俺がどうすべきかを考える時間を。
三人に言うか、言わないか。
言うとしたら、どのように?
言わないとしたら、どうすれば?
――考えなくちゃいけないことはたくさんある。
「……とりあえず、まだこれを三人には知られたくない」
自身のグロく脈打つ腕を見ながらそういう俺に、ベロニカは一つ提案した。
「――切り落とすしかないのぉ!」
腕を組み、うんうん、と頷いているベロニカ。
「き、切り落とすってお前……」
「心配せんでもまた新しい腕が生えて来るから大丈夫じゃ」
「……まじか」
「それが魔獣化じゃ」
ひらひらと掌をアピールするベロニカ。
(……そういうもの、か?)
「切り落とせばまた新しいものが生えて来る。それにそれはまだお主が完全に魔獣化しきれていない以上、ヒトのモノが生えて来るはずじゃぞ」
「……なら、いいが」
とにかくその後、ベロニカに腕を切断してもらった。そして見事人の腕が生えてきた。
とりあえずの一時しのぎはできたことになる。
……さらっと書いたが、腕を切られた瞬間ですらほとんど痛みはなく、ぼこぼこと泡を立たせながら再生する腕を見て、痛みを感じるほどのダメージではないとこの体自身が判断しているのだ、と何となく思った。
四肢の一つくらい、何時でも再生できるからこそ、痛みという危険のサインが発生しなくなったのだ。
ちなみに、魔獣化してからこの再生現象が起こせるようになったので、それ以前の欠損は回復できないらしい。左腕とか左目のことだ。
そして、生えたてほやほやの俺の右腕。
どうにか人の腕のまま生えてくれたそれに、俺は心からほっとしていた。
だが、生えて早々うまく使うのは難しく、朝食では結局アリサ達に食べさせてもらうこととなった。
「……」
ぐっと拳を握ろうとして……それが崩れる。
――右腕に力が入らない。
ベロニカが言うには、しばらくしたら普通に動かせるようになるはずだが……。
「……エドガーさん」
ソファーで寝っ転んでいる俺のもとに、セルティがやって来た。
コト、と紅茶の淹れたティーカップをテーブルに置くと、おずおずと俺のおなかの側に、その小さな腰を差し入れた。
「右手、どうしたんですか?」
俺の手をその小さな掌で優しく包み込むセルティ。
――暖かいな、と俺は思った。
「少し調子悪いだけだ、すぐに良くなるさ」
そして、俺はそんな優しい場所から半ば無理やりに手を抜いた。
「――あっ」
それに、短くショックを受けたような声をセルティが上げる。
「……」
セルティは温かい。
だから、あまり、触られたくはなかった。
「でも……」
「……」
「でも。エドガーさん」
「……なんだ」
「エドガーさんの手、いつもと全然違いました」
「……!!!」
セルティは再度、俺の手を掴んだ。
今度は先ほどのように優しくではなく、強く。
強く、強く、二度と手放すものか、というほど強く。
「……話してください、エドガーさん」
「……」
その強い、セルティの俺なんかより何倍も強い視線に、そしてその手から伝わって来る俺を思う気持ちに、俺は悟る。
――ほら、もうバレた。
いくらなんでも早すぎるだろう、俺よ。
そんな風に思いながらも、俺は――笑っていた。
俺は――嬉しかった。
本当に、本当に、ただうれしかった。
この少女はもう、俺にとって守らねばならない、ただの一人の少女ではなかった。
――家族。
家族だった。
お互いを支え合い、助け合い。
愛し合い、慈しみ合う、そんな関係。
そんな関係が、この少女との間には出来上がっていた。
それが俺には堪らなく嬉しかった。
――ならば、どゥするヵ?
「……いつもセルティには勝てないよな」
「あなたの女ですから」
そして優しく笑う金髪の少女。
――とても美味しそうなこの少女を喰らィ尽くしたィ。
この女は俺がそういえば、喜んでその身を差し出すだろう。
嬉しそうにその身から服を剥いて、その最高の躰をさらけだすだろう。
俺は知っている。
その柔らかさを、甘さを。
情熱を、甘美な鳴き声を。
「……エドガーさん」
……ダメだ、呼ぶな。
俺を、呼ぶな。
「エドガーさん!」
……ダマレ。
――ぐきり。
俺の右腕で、何かが暴れ出す。
――ぐきぐきぐき。
「え、エドガー、さん……それ」
――ぐきょッ!ぐこぐきょっ!
俺の右腕が変形していく。
皮膚が赤黒く、そして岩のように硬くなり。
マグマのような血液がその内側からあふれ出し。
蒸気がその割れた岩のような肌から吹き出し。
――見るな、見ないでくれ。
「えどがーさぁん……」
ぽろぽろと涙を流しながら、ぎゅうっと俺の体を抱き締める、少女。
優しい。
――優しいな、君は。
とん、とセルティを突き放す。
軽くて力の抜けたその少女は、そんな優しい衝撃で後ろに倒れ、尻もちをついた。
「……目を瞑っていてくれ」
――じゃがのう、エドガーよ。覚えておけ。
腕を切り落としたとき、ベロニカが言った言葉。
――こうなってしまった以上、お主は次の満月の晩には完全に覚醒する。それか、感情が大きく揺れ動いた時に。
俺は数本のナイフを空間魔術によって取り出した。
「なにしてるんですか!エドガーさん!やめて!やめてください!」
研究所全体に響き渡るほどの、悲鳴。
「見るな、セルティ」
「ふざけないでくださいッ!はやくそのナイフを下ろして!」
それは聞けない。
――心配するな、すぐ生えて来る。
「――エド!何してるの!」
「エドガー!」
アリサとエリー。
遅かった。二人にも見られてしまったじゃないか。
俺がさっさとしないから。
三人の悲鳴の中、俺は――。
――どちゃり。
――自身の腕を切り落とした。
「あ……あぁ……」
セルティの目の前で血だまりの中、ぴくぴくと跳ねまわる右腕。
「あ……ぇ……ぁぁ」
セルティはそれを大事そうに両腕に抱え、ゆっくりと抱き締めた。
その時だった。
――カキンッ!
鋭い、音。
氷だ。
俺が凍らされたのだ。
俺の全身の時が、止まる。
視界が塞がれる。
「――そこで少し頭を冷やしなさい、エド」
アリサが――その背から大きな四対の翼を顕現させたアリサがそう言ったのを最後に、俺は意識を失った。




