セルティ1
ここで暮らし始めてどれ程が経っただろうか。
私がここに連れてこられてからというもの、ずっとこの薄暗い部屋に閉じ込められ続けてきた。
すること言えば、食事と睡眠。それくらいしかない。
だがそんな風に過ごすのもこれが最後。
「ああ、今日からエドガーさんと一緒の生活だなんて、嬉しくて嬉しくてたまらないです……!」
私はぎゅっと毛布を抱き締める。そうすることで叫び出したいような気持をなんとか押しとどめた。
あの人のことを考えただけで、頭が脳髄まで高揚感で支配されてしまう。
それは今までの私では信じられないような感覚。
これが恋と言うやつなのだろうか。
「……何を馬鹿なことを。そんなわけがないじゃないですか……」
自嘲気味な笑みを浮かべ、顔が歪む。
――自分の物はもっと異質なものだ。
恋なんて言うきれいなものではなく、もっと醜く、どす黒く濁っているもの。
気付いてしまったのだ。
自分は完全にあの人に、依存してしまっていた。
心。体。生きる意味。全てをあの人に委ねてしまいたい。あの人に、私がそう生きるのを許してほしい。
――あの人のために、生きたい。
「それも当たり前と言えば当たり前ですね、もう私にはあの人しかいないのですから……」
そして私は、あの人の香りがかすかに残った毛布をより強く抱きしめながら、深い深い眠りに落ちていった。
***
セルティは風の魔導士の弟子である。
一般的に見れば、こんな若い少女が?と思うことは間違いない。
基本的に、高名な魔術師へ師事する魔術師というのはある程度の経験を他の場所で得てきたか、自分なりに学んできた実力のあるようなものがほとんどなのだ。
どうみても、成人もまだしていないような少女。魔力の源である魔臓の発達もしきっていないだろう。
かといって肉体の老化を遅らせる、最高難易度の秘術を会得しているわけもない。
いくら魔力の扱いにたけるものは肉体の老化を遅らせることが出来るとは言え、それは晩年と言うのがふつうである。そのような年で老化のコントロールができるようなら、それはもはや師事の必要はないレベルであった。
つまり、セルティは実力などほとんどないような、ただの小娘であったのだ。
ちなみに、エドガーの近くにいるアリサ、そしてエリーも、一般的には間違いなく天才の枠組みに入っている。
というのも、まずアリサはその老化のコントロールを成人前に会得した、例外の一人である。この世界に生を受けて十数年のうちに魔術の深淵と言われるレベルまで辿り着いた少女。最年少の魔導士とは、そのような馬鹿げた才能があってこそ成し遂げられる偉業であった。
エリーはそこまでは至っていない。だが、その魔臓は成長過程であるにもかかわらず、平均的な魔術師を大きく上回る魔力量を誇っていた。
セルティはどうか?
――魔力量、技術共に、特別である点は見られなかった。
そんな魔術師と言う実力においては注視する点がない少女がなぜ風の魔導士の弟子であるか?最強の魔術師の一人の弟子でいられるか?
――その理由は、血縁関係にある。
セルティは風の魔導士の息子と、他の女性魔術師との間に生まれた子であった。つまり風の魔導士の孫にあたるというわけだ。
しかし。
「セルティ、こんな簡単な魔術もまだ習得できないのか?他の子たちはもうみんなできているじゃないか」
祖父の血を継いだ優秀な魔術師である、厳格で結果を求めてくる父。
――私だって、頑張ってるんだよ、おとうさん。
「セルティ、お願いだからもう少しだけ魔術の特訓、頑張ってみない?お母さん、なんでも好きな食べ物を作ってあげるから。甘い焼き菓子なんてどうかしら?」
優しくもあり、それと同時に、心のどこかで自分と言う存在に不安を抱いている母。
――これ以上どうすればいいか、わかんないよ、おかあさん。
そう、セルティは落ちこぼれだった。
一緒に風の魔導士の屋敷で特訓を受けていた魔術師の卵である少年少女たちは、どんどん先のステップへと進んで行く。
それについて行こうと必死に陰で特訓をしながらも、結果は全くついてこなかった。
基礎的な魔力のコントロール、それによる魔術の顕現。
どれも人の数倍の努力を必要とした。
セルティの感覚は他人とは大きくかけ離れていたのだろう。
同年代の子供たちが簡単にこなすことが出来ることが、セルティにはものすごく難しく感じられた。
そしてあの日。
決定的に親の自分を見る目が変わった日がやって来た。
「それではみんな。その水晶に手を掲げてくれ」
それぞれの魔術の属性を調べる日。
この世界では6歳の時には、ほとんど属性は定まると言われている。魔臓の発達がある一定ラインに到達するからか、それとも精神的な理由か。それはいまだに明らかにされていない。
もちろん、風の属性が使えないからと言って、風の魔導士の下にいられないわけではない。魔導士と言う者は、その属性関係なく、膨大な知識と深い考察が出来る者でもある。その元にいるだけでも、得られることは山ほどあるのだ。
だがセルティだけは違った。なんと言っても風の魔導士の孫なのだ。
当然、セルティもそうあることを求められる。風の属性を持つことを。
祖父は当然、風の属性。そして両親の属性もそろって風。
魔術師の属性は、親のものを引き継ぎやすいことは周知の事実である。
故に、セルティももちろん風であると思われていた。
だが。
「これは……水か?」
自分が手を掲げた水晶の内では、水の塊が躍り狂っていたのだ。
水……?
――おとーさんともおかーさんとも、おじーちゃんとも違う。
その言葉を聞いた瞬間。セルティの目の前は真っ暗になり、気を失った。
その日から、自分の周りから、そして自分から少しずつ笑顔が減っていった。
両親は気にするなとは言っていたが、陰では嘆いていたのを聞いてしまった。
同年代の子供たちにも大きく差をつけられ、風の魔導士の孫なのに、と陰口をたたかれる。
いつのまにかセルティに心を休められる場所など、どこにもなくなっていた。
***
それから十年。
「……ッ!“水龍咆”!」
詠唱を終えた瞬間、セルティの目の前の池の水が大きく巻き上がり、それが何度も渦を巻いて龍を形作る。
セルティの魔術で生み出された水の龍は、しばらく空を飛び回り、そして最後に池へと《《水しぶき》》を上げて飛び込んだ。
「……ふむ、この魔術の出来。合格じゃ、セルティよ」
「……!あ、ありがとうございます、先生!」
目の前の老婆が浮かべた優しい笑みに、思わず顔をほころばせるセルティ。
「それでは今夜のご飯は私の好きな物を作って下さいますよね?」
「そんなこといっとるから、ちっとも大きくならんのじゃぞ、全く……」
「……そ、それは関係ありませんから」
セルティは、風の魔導士である祖父の元から離れ、水の魔術使いであるこの老婆の元へと短期間の修行に出されていた。
祖父の知人であるらしく、その伝手だ。
この老婆の元にいるのは一年ほどの、決して長くはない時間。
しかしこの人物から学んだことはとても多く、まさに恩師と言えた。
水の魔術はもちろんのこと。
なによりこの人は、自分と真正面から向き合ってくれた。自分をほめてくれた。自分を諭してくれた。
自分の家族とでは絶対にありえない、そんな当たり前で、大切な時間。
この人と過ごす一瞬一瞬すべてが宝物だったと、セルティは胸を張って言うことが出来る。
だが、その二人の心温まる時間は、悲劇によって幕を閉じることになる。
***
セルティがこの老婆の元を離れる最後の日。
「……セルティ。いままでようがんばった。これからも周りに流されず、自分の流れに身を任せてでいい。悔いの残らないように生きなさい」
「はい……先生……!」
セルティはそれまでの感謝を込めて老婆を抱き締めた。
「では……またいずれ来ますね」
「ああ、お主の活躍を期待して待っとるわ」
かかか、と笑う先生に思わず釣れられてセルティも笑みを浮かべながら、いざ故郷へ戻ろうと足を向けた先に。
女が、いた。
腰ほどまで赤みがかった髪を伸ばした、燃えるような苛烈な個性を持った女。
悠然と女はこちらへと足を進めていく。
「あなたがセルティさん?」
「……そ、そうですけど」
その時――気付く。
彼女が、笑ったことに。
「――よかったよかったよかったよかったわ……!」
それは、狂人の笑み。
「――なら、あなたを殺せばいいのね」
「……え?」
次の瞬間。
「……セルティ!」
先生に思いっきり腕を引っ張られ、セルティは後方へと吹っ飛ばされる。
――ドュゴォオ!
「……ひッ!」
そしてセルティの目の前に、細い細い高速で流れる水の束。
それは先生と暮らしていた家を貫通し、その奥にある崖の岩壁を削るほどの威力があった。
「何て威力……ッ!あなた!いきなり何をするんです……か……」
女の方を向き、突然の攻撃を咎めようとしたセルティの目に映るのは。
「せ……先生?」
片腕を先ほどの攻撃で失くした、先生の姿。
「……心配するな、セルティよ。この程度なんともないわ」
苦しそうにしながらも、不敵に笑う先生。残った左手に意識を集中させ、魔力を練り上げていく。
だがその失った腕の傷口からは、おびただしい量の血が溢れだしていた。
「あらあら。流石のお母さまと言えど、それ程の傷を負ってしまってはもう戦うのは不可能では?」
「この馬鹿娘が。久しぶりに戻って来たと思ったら、このような挨拶を……。全くどこで躾間違えたか」
こちらを余裕に満ちた表情で見下ろす赤髪の女。それに先生は魔術で返す。
「――はぁぁぁぁ!!!」
――ドォォォオォ!!!
先生の背後の池の水から幾つもの水の螺旋が出来上がりその女に襲い掛かかった。
一つ一つの水の渦が、意思を持つようにうねり、暴れ、大地をえぐり、女を押しつぶさんとする。
「魔術のお稽古ですか、お母さま!ですが私も昔のように簡単には倒れませんよ!?」
目の前に迫りくる圧倒的な質量の水に対し、女は一つの瓶を取り出しその中身を空中にぶちまけた。
――ドシャァァアァァァァ……
重い音を立てて水流が女に直撃し、セルティが先生の勝利を確信した瞬間。
「――え?」
女は全身をずぶぬれにしながらも、その場に倒れることなく、二本の足で確かに立っていた。
――あの勢いの水流を食らったにもかかわらず!?
「――それでは今度はこちらの反撃と行きましょうか」
今度は女の周りに散乱した水が、土砂を巻き込みながら一つの大きな塊を形成していく。
「愚かな、お主如き小娘に、儂が水のコントロールで後れを取るとでも?」
「――それはやってみなければわかりませんわ」
そして今度は5本の瓶を取り出し、その真っ赤な液体を、その水球に混ぜ合わせる。
「そ、それは――!」
「それでは今までお疲れ様でした、お婆様。魔導士は私が継いでおきますので、ご安心して逝ってくださいませ」
ニコリ、と笑う余裕を見せる女と、片腕から血を噴き出し、青い顔で戦っている老婆。
女の上空には赤い水球が。
老婆の背後には先ほどとよりも大きな、天高く渦を巻いた水流が。
「せ、先生――!」
その二つがぶつかる瞬間。
先生はセルティの方を向いて、《《最後に》》ニコリと笑っていった。
「――逃げなさい」
***
――ドォォォオオオォォ!!!
背後からは大質量の水流がぶつかり合う、腹の底に響くような重い音が鳴り続いている。
セルティは先生の言った通り、ひたすら山道を逃げ続ける。
「先生ッ……せんせい……ッ!」
背後を振り返りたいという願望をねじ伏せて、無理やりにでも足を動かす。
――赤髪の女は明らかに私を殺しに来ていた。いったい誰が私を殺したいと思った?
「だれが?いたいだれ……が……」
……決まっている。私を殺したいニンゲン?
「おやおや、ここは通行止めですよ、ブロンドの美しい髪のお嬢さん」
そして自分の目の前にも一人の男性が立っていた。片眼鏡を掛けた、金髪の執事風の男。
「……あなた達は、なんなんですか?なんでここに来たんですか?」
セルティは目の前の男から慎重に距離と取りながら、魔術のイメージを固めていく。
――今は、私は少量の水しか携帯していない。一撃で決めなくては――!
「もうお判りになっていると思ったのですが――。仕方ありませんね」
目の前の男が肩をすくめる。
(――よし、いつでも打てる。打ってここから離脱を――!)
それは同時だった。
男がその言葉を発し、セルティがその男を攻撃した瞬間が。
その言葉をセルティが聞いた時、いや聞いてしまったが故に。
セルティの攻撃の狙いは外れ、その男の頬をかすめただけだった。
「――あなたの親御様か頼まれたのですよ。貴方を殺してほしい、とね」
「――!」
そのセルティの驚愕は攻撃が外れたということと、その明かされた事実に、セルティの目の前がぐるぐると回っていく。
(――え?私を、殺す?おかあさんが?おとうさんが?なんで?どうして?)
「なんでも代わりが見つかっただとか。もうあなたは用済みだそうですよ」
「……あ……え……うぇ……」
用済み。
ようずみ、か。
(――代わり?私の?そっか。私はいらないんだ)
胃の物がこみあがって来るのを感じる。
「……おえ……おえぇ……」
――だったら私は何のために生きればいいんだろう。どこに帰ればいいんだろう。誰と生きればいいんだろう。
「……うぉえ……ぇぁ……」
「……同情はしますが、これも仕事なものでして。勿体ないですが、ここで死んでいただきますね、お嬢さん」
――男が何かを言っている。死ぬ?ここで?
――それでいいじゃないか。もう死んだって。
「――それでは、よき旅を」
いつの間にか目の前に来ていた男が、その手に握りしめた剣を振り降ろす。
――あ、死んだ。
淡々と目の前の事実を受け入れようとするのと同時に、いろんな思いでごちゃごちゃになった脳が思考を強制的に止める。
ただただ、セルティは目の前に振り降ろされるキラリと光を反射する剣を見ていることしかできなかった。
だがそれが自分の頭部を切り裂く瞬間。
――ジュバァァァァ!!!
何度も聞いてきた、水流が重苦しく空気に逆らって進んで行く音。
真っ赤に染まった水流が男の剣を弾いたのだ。
「――セルティ!何をしておるのじゃ、走れ!」
先生が全身から血を噴き出しながらも自分を助けようとしてくれている。
――さっき自分を助けた赤い水流は血だ。命を削ってでも、先生は私を助けようとしている。
「でも、私は!……どう生きたらいいんですか!」
「そんなもの、生きていたら後から勝手についてくる!いつかおまえにも生きる理由が、共に生きてくれる人が絶対できる!だから生きるんじゃセルティ!生きろ!」
先生は叫びながらもその腕から、全身の傷から血を鋭い糸のように飛ばしながら、その男を狙っていく。
「――ッ!厄介な!」
その血で編まれた糸はそれに当たった物をナイフでバターを裂くように簡単に両断していく。
男がそれへの対処に追われている間。
「生きる、生きる。生きなきゃ――!」
うわ言のようにつぶやきながら立ち上がり、生きるため、生きる希望を見つけるため、セルティはひたすらに走った。
***
人里を離れ、それでもなおセルティは足を止めることはない。もうすでに戦闘音は聞こえてこなかった。自分は逃げられたのだろうか。先生は無事だろうか。わからない。でも進むしかない。
そして夜になり、野宿をするため、マジックバックに何か残っていないかを漁る。すると、先生から別れ際に渡されていた一冊の手帳に気が付いた。
「これって……」
先生が、今後のために、と渡してくれたものだ。中にはきっとためになることが書いてあるだろうと思い、後で読もうと思っていた。
「何か、何かあるかもしれない……!」
魔術や生活についてのアドバイス、そして注意が沢山書き留められたその手帳。先生の自分への思いが痛いほど伝わって来た。
「あれ、これは――!」
最後のページに、こう書いてあった。
『“もしあなたがどうしようもなく理不尽で、辛い状況に陥って誰かの助けが必要になった時は、私と、その次にこの人達の元を訪ねなさい”
“紫の魔導士”――“魔神獣の森”の“ジーコ・フェオ・アステリア”
そしてその“弟子”――“アリサ・フェオ・アステリア”』




