第31話「見えない波を聴く」
「アルト。昨日のあれ、もう一度説明して」
研究所に入るなり、リナが言った。
「昨日のあれ?」
「時計塔よ。街全体を揺らしていた装置。あなた、最後に振動の伝わる関係を切ったでしょう?」
「ああ」
「どうやったの?」
アルトは机の上に置かれた金属球を手に取った。
「例えば、これを振動させる」
指先で金属球を軽く弾く。
チン。
小さな音が鳴った。
「この振動は空気に伝わる。だから音として聞こえる」
「うん」
「でも、金属球を机に押し当てると?」
アルトは金属球を机に触れさせた。
机がわずかに震える。
「机にも振動が伝わる」
「つまり、空気を通る波と、机を通る波があるのね」
「そう。波が伝わるには、何かを通っていく必要がある」
リナは頷いた。
「じゃあ、昨日は塔と街の間にある、その伝わる経路を切った?」
「そういうこと」
「波そのものを消したわけじゃない?」
「うん。塔は今も振動している。だけど、その振動が街へ伝わらないようにした」
リナは机に身を乗り出した。
「それって、すごくない?」
「便利ではあるね」
「便利どころじゃないわよ。波を消すんじゃなくて、波の通り道を変えるなんて!」
「ただ、何でもできるわけじゃないよ。どこを通っているのか分からなければ、変えられない」
アルトは金属球を机の上に置いた。
「だから、まず観測が必要なんだ」
そのとき、研究所の扉が叩かれた。
コン、コン。
リナが扉を開ける。
そこに立っていたのは、ゲンダだった。
「おう。アルトはいるか?」
「いるよ。どうしたの?」
「工場で妙なことが起きてな。機械が壊れてないのに、変な音がするんだ」
「変な音?」
「そうだ。回転機械を動かすと、工場の床まで震える。機械を止めると収まるんだが、原因が分からん」
リナが目を輝かせた。
「それ、アルトに調べてもらいましょう!」
ゲンダは苦笑した。
「いや、俺もそう思って来たんだがな」
アルトは立ち上がった。
「行こう」
工場は街の北側にあった。
大きな建物の中では、金属加工機械が並んでいる。
ゲンダが問題の機械を指差した。
「これだ。古い送風機だよ。最近、動かすと床が震える」
機械は巨大な羽根を回転させ、工場内へ空気を送る装置だった。
「いつから?」
「三日前からだ。最初は小さな音だったんだが、昨日からひどくなった」
「機械を動かしてみて」
ゲンダがスイッチを入れた。
ウィィィィン。
モーターが回り始める。
アルトは床に手を当てた。
「……」
足元から細かな振動が伝わってくる。
一定の周期。
だが、単純ではない。
「機械そのものが震えているね」
ゲンダが頷いた。
「そうだろうな。軸受けが悪いのかと思ったんだが、交換しても変わらなかった」
アルトは機械に近づいた。
「少し止めて」
ゲンダがスイッチを切る。
アルトはモーターの外装に手を触れた。
「ここから波を送る」
「また中を見るのか?」
「うん。内部の部品がどう振動しているか調べる」
アルトは短い波を送った。
波が金属の内部を伝わり、境界で反射して戻ってくる。
「……軸は問題なさそうだ」
「じゃあ何だ?」
「回転軸の周囲にある部品が、少しずつ違う振動をしている」
リナが尋ねた。
「部品ごとに振動が違うってこと?」
「そう。例えば、同じ場所を二つの波が通っていたら、重なり方によって振動は変わる」
アルトは床に落ちていた小さな金属片を拾った。
「この金属片を机に落とすと、音が鳴るよね」
「うん」
「同じ金属片をもう一つ用意して、同時に鳴らす。音の高さが同じなら、二つの音が重なって大きく聞こえる場所と、小さく聞こえる場所ができる」
アルトは金属片を二つ並べた。
「これが干渉だよ」
リナは二つの金属片を見た。
「二つの波が重なって、強め合ったり弱め合ったりするのね」
「そう。今、この機械の中でも似たことが起きている」
アルトは機械の内部を観測した。
「回転する羽根が空気を押している。その振動が機械の外装や床に伝わる。さらに、床から壁へも伝わっている」
ゲンダが腕を組んだ。
「それで、何が悪いんだ?」
「この機械の振動と、工場の床が揺れやすい周期が近いんだ」
「床が揺れやすい?」
「建物にも、揺れやすい周期がある。小さく押しただけでも、特定の周期で繰り返し揺らすと、大きな揺れになることがある」
リナが言った。
「共鳴ね!」
「そう。昨日の時計塔と同じようなことが起きている」
ゲンダは顔をしかめた。
「つまり、機械が悪いんじゃなくて、工場との相性が悪いってことか?」
「近いね」
アルトは床に手をついた。
「この工場の床が、送風機の振動を増幅している」
ゲンダは機械を見た。
「そんなことがあるのか……」
「あるよ。機械が正常でも、設置場所や周囲の構造によって問題が起きることはある」
リナが尋ねた。
「じゃあ、どうすればいい?」
「まずは、どの周期で一番大きく揺れるか調べる」
アルトは送風機に手をかざした。
機械を起動させる。
そして、波を送った。
最初は低い周波数。
次に少し高く。
さらに高く。
床の振動を観測する。
「ここだ」
アルトが指を止めた。
「この周波数で、床の振動が急に大きくなる」
ゲンダは驚いた。
「機械の回転数を変えたのか?」
「違う。僕が送った波の周波数を変えただけだよ」
「それで床が揺れるのか?」
「床が揺れやすい周期を探したんだ」
リナは興奮していた。
「つまり、建物の弱点を見つけたってこと?」
「弱点というより、揺れやすい性質だね」
アルトは手を離した。
「原因は分かった。対策はいくつかある」
「どんな方法だ?」
「機械の回転数を変える。設置部分に振動を伝えにくい材料を挟む。あるいは、機械と床の間に伝わる振動を抑える」
ゲンダは考え込んだ。
「回転数を変えると送風量が変わる。材料を挟むのは、機械の重さに耐えられるものを選ばないとな」
「そうだね。そこはゲンダさんの仕事だ」
「お前が全部やってくれるわけじゃないのか?」
「僕は波を観測できる。でも、どの部品を交換するか、どう固定するかは、機械を知っている人が決めるべきだよ」
ゲンダは笑った。
「なるほどな。俺の仕事は残してくれるわけだ」
「もちろん」
ゲンダが機械の設置状態を確認している間、リナはアルトに尋ねた。
「ねえ。さっきの話だけど」
「何?」
「波の周波数を変えれば、どんなものでも揺らせるの?」
「何でもではないよ。波が届かなければ揺らせないし、必要なエネルギーもある」
「じゃあ、遠くにある建物を揺らすことは?」
「できる場合もある。でも、距離が遠くなるほど波は広がって弱くなる。途中で反射したり、吸収されたりもする」
「じゃあ、街全体を揺らした昨日の装置は?」
アルトは少し考えた。
「あれは普通じゃない。街の地下に振動を伝える仕組みを作っていたから、遠くまで効率よく伝えられたんだと思う」
リナは頷いた。
「波って、ただ強くすればいいわけじゃないのね」
「うん。どんな波を、どこに、どう伝えるか。それが大事なんだ」
そのときだった。
工場の奥で、金属がぶつかる音がした。
ガンッ!
続けて、床が揺れる。
アルトは振り返った。
「今のは?」
ゲンダが叫ぶ。
「奥の加工機だ!」
工場の奥にある大型プレス機が、勝手に動き始めていた。
「電源を切れ!」
ゲンダが走る。
しかし、プレス機は止まらない。
金属の巨大なラムが、ゆっくり下降している。
その下には、作業員が一人いた。
「危ない!」
リナが叫ぶ。
作業員は異常に気づき、逃げようとする。
しかし、足元の床が揺れ、転倒した。
プレス機のラムが迫る。
アルトは走った。
「キュイイイイイッ!」
床に波を送る。
作業員の身体が横へ滑る。
同時に、プレス機のラムの動きが止まった。
いや、止めたのではない。
ラムと駆動機構の間にある振動の伝達を、一瞬だけ切り離したのだ。
駆動機構は動いている。
しかし、その動きがラムへ伝わらない。
巨大な金属の塊が、作業員の頭上で静止した。
「今だ! 逃げろ!」
作業員が這うようにして離れる。
ゲンダが非常停止装置を押した。
プレス機が完全に停止した。
工場に静寂が戻る。
「助かった……」
ゲンダが息を吐いた。
アルトはプレス機を見上げていた。
「これは、送風機の共鳴とは別の問題だ」
「勝手に動いたんだぞ。何が起きた?」
アルトは機械の内部を観測した。
「駆動系に異常がある。外からの振動じゃない。機械の内部で、動力が伝わり続けている」
ゲンダが顔をしかめた。
「電源は切ったはずだ」
「それでも動いていた。何かが、動力を伝える関係を維持していたんだ」
アルトは機械に手をかざした。
その内部に、微かな波が残っている。
それは機械の振動ではなかった。
もっと細かく、規則的な波。
「……誰かが、ここにも装置を仕掛けている」
リナが息を呑んだ。
「また境界の装置?」
「分からない。でも、これは自然な振動じゃない」
ゲンダは工場の入口を見た。
「誰かが工場に入ったのか?」
アルトは床に手をついた。
波を広げる。
工場の壁。
天井。
配管。
床下。
そして、外の道路。
そこに、かすかな足音があった。
遠ざかっていく。
アルトは顔を上げた。
「逃げた」
「追うのか?」
「うん」
アルトは走り出した。
工場の裏手。
一人の男が路地を走っていた。
黒い帽子を深くかぶり、右手に小さな金属製の箱を持っている。
アルトは足を止めた。
「待って」
男は振り返らない。
アルトは地面に波を送った。
しかし、男の足元に届く直前、波が消えた。
「……?」
アルトはもう一度波を送る。
やはり消える。
男は走りながら振り返った。
その顔には、笑みが浮かんでいた。
「お前の波は、よく響くな」
男が箱を開いた。
中には、小さな金属片がいくつも並んでいた。
「なら、これを聞いてみろ」
金属片が一斉に震えた。
キィィィィィン。
高い音。
アルトは耳を塞がなかった。
音波を観測する。
しかし、音が聞こえているのに、波の位置が分からない。
空気の振動が、まるで別の場所から発生しているように感じられる。
「これは……」
男は笑った。
「音は聞こえる。だが、どこから来ているか分からないだろう?」
アルトは目を細めた。
男の姿が、路地の奥へ遠ざかっていく。
「また会おう、波使い」
男が消えた後も、金属片の音だけが残っていた。
アルトはその音を聞きながら、ゆっくりと手を上げた。
「……音の発生源を偽装しているのか」
リナが追いついた。
「逃げられたの?」
「うん。でも、今の能力は少し面白い」
「面白い?」
アルトは金属片を拾い上げた。
「音が聞こえることと、音の発生場所が分かることは別なんだ」
リナは金属片を見つめた。
「じゃあ、次はそれを見破る方法を考えないとね」
アルトは頷いた。
「そうだね」
彼は金属片を握りしめた。
波は、そこにある。
ただし、いつも見えているとは限らない。
そして、見えないからといって、存在しないわけでもない。
アルトは路地の奥を見つめた。
「次は、音だけに頼らずに探してみるよ」
その足元で、地面がかすかに震えた。




