プロローグ
目覚まし時計が鳴り、私は起き上がる。カーテンを開き、寝台を整えて、壁に掛けられた制服を見た。
────今日は入学式。
高校生になった私は、元々地元の学校に入るつもりだったのだが。家族の都合から、この久瀬剛市の学校に入学する事になった。
引っ越しは然程苦では無かった。
階段を下り、リビングの戸を開けて入る。
「おはよう、お母さん」
「あらおはよう。ご飯は出来てるわ、お食べ」
この街は桜並木が綺麗だ。通学路に桜が並んで立っていて、綺麗に舗装された煉瓦の道が続いている。
私の母もその道を気に入っていて、だから文句は一つも無かった。
椅子に座り、机に並べられた可愛らしい皿、そしてそれに盛り付けられたサラダとパンを見る。パンはいつも中をくり抜いて卵を代わりに入れて焼いたもので、これがまた美味しい。
香ばしいパンを楽しみながら、横に置かれたテレビを眺める。丁度ニュースが切り替わった所で、天気予報の時間だったらしい────私の地域に、午後から雨雲が通過するのが見えた。傘を持っていこう、と思いながらパンをまた一口かじる。
「結蘭、新しい友達できると良いわね」
「そうだね。……少し楽しみかも」
高校生、青春という言葉を掛けて回りだす、三年間の時間。
母も父も、私が初めての高校で、環境も変化したからと、心配そうにしているのは伝わってきていたが、そこまで不安になる必要は無いと思う。心配してくれるのは愛されている証拠で、とても幸せな事だとわかっているし、本心から大丈夫だと思っているので、よく「平気だ」と軽く答えていた。
都会に住んでいた私は、案外、比較的田舎なこの自然に囲まれた地域を好いている。それも良い事だろう。
私はパンを食べ切ると、手早く皿を洗って歯磨きをする。それから制服に袖を通すついでにきちんと荷物を確認して、自室とリビングを往来し、手渡された水筒を鞄へ入れた。
「まだ三十分あるわ、緊張と期待ではやまっちゃうのは分かるけれど。温かい紅茶でも淹れる? 結蘭が好きなティーパックの」
「……あはは、それじゃ飲もうかな」
それほど早起きでも無いのだが、入学式ともなるとどうも気が競ってしまう。友人と遊ぶときに集合時間よりも前に来てしまう時と同じ感覚だ。落ち着かせるために、紅茶を待つ間久瀬剛ヰ谷津之高等学校のパンフレットを開く。
引っ越し前の準備段階でこの高校を受ける事になり、その際貰った書類だ。
「…………」
友人が一人二人でも作れて、仲良く暮らせて。一緒に勉強したり、遊んだり……。何より、あの子との心の距離が離れないでいてくれたら、それで良い。
「そうだ、メールは……」
スマホを取り出し、メールアプリを開いた。
『今日は入学式でしょ? クラスの様子、後で教えてね!』
小さい頃からの友人である彼女は、公立の進学校に入学している。私よりも少し早く入学式があったようで、目まぐるしく奔走しては死んだように寝ているのだと少し前に話していた。
小さな頃からの幼馴染で、長い付き合いだからか、悩みを話すのに一番気楽な相手になっている。気が置けない、優しくひょうきんな人柄は私にとって眩しい。しかしその裏に色々な葛藤と暗い感情を抱いていることも知っている。
笑みが自然にこぼれ、指でメッセージを打ち送った。
「よしっ、紅茶淹れたよ。火傷しないようによくふーふーしてね」
「ありがとう、お母さん」
「どういたしまして」
息を吹きかけ、熱のある甘い紅茶を啜る。鼻腔に広がっていくほのかな風味にくすぐられて、私はほぅ、と息を吐いた。
久瀬剛ヰ谷津之高等学校────通称『クツヤ高校』と訳されるらしいそこに、一体どんな人達が入学してくるのだろう。気の合う友達が一人でもできれば、あとは私の頑張り次第だ。
中学校・小学校時代の事を思うと、少し不安もある。しかし年齢とともに成長していくのは身体だけでは無く、精神も変化する。
自分なりに出来ることをしよう。
✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽
「いってきます」
玄関から外へ、道路に出る。街道を通って木々の下で歩いていく人達を見つめる。同じ制服を着ていることから、クツヤ高校へ向かっている学生達だと分かった。
角を曲がり、ようやく高校が見えてくる頃だと思ったその矢先────。
「──あだっ」
「わっ」
尻餅を着く。立ち上がってスカートをはたくと、目の前に少年が同じように倒れていた。
「ごめんなさい! ちゃんと確認してなくて……怪我してませんか?」
慌てて手を差し伸べたが、少年は胸元をぎゅっと握りしめて、首を振る。彼も立ち上がり、制服の襟を正す。彼も同じ高校の人のようだ。始業式とは日程がずれているから、今日は新一年生しか来ていないはず。
墨のような綺麗な髪をウルフカットにしていて、瞳は太陽のような明るい黄色だ。日光が当たると髪は仄かに青っぽく見えて、不思議だ。
身の回りの校則はそこまで厳しくないので、こういう髪型の男子を見れるのも面白いかもしれない。
「あの、僕の方こそ……角で立ったままでいるの、よく考えたら…………危ないですよね。すいません」
染み付いた敬語、小さな声。視線は手のひらに向いたまま。
人とのコミュニケーションが苦手、なのだろうか。私もつい彼の視線の先にある手を凝視してしまう。ちらりと彼の顔を見ると、目にうっすらと水の膜がはってあるのに気付いて──私は反射的に彼の手首を握った。
「あっ、え、あ」
「手、見せて」
「…………」
「やっぱり。ちょっと待ってて……持ってる絆創膏じゃ小さい。保健室に行こう」
痛々しい、血の滲んでいる掌を見て言う私を、彼は口を開けたまま焦った様子で見下している。それから手に付いた小石や砂を払い落とし、垂れていく血を吸わせるためにティッシュを厚くして手に当てた。
何か言うべきだろうか、少し迷う。彼は俯いたまま、何か言おうと口をパクパクとさせる。
そして、ゆっくりと言葉を吐いた。
「……分かりました。ありがとうございます」
眼鏡の向こうにある瞳が揺らいだ。
私は踵を返して進行方向を向き、彼と一緒に歩き始める。
✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽
少年を保健室に送って手当して貰った後、真っ直ぐに教室へ急いだのだけど…………。
(まさか、同じクラスだとは思わなかったよ……)
私とはあまり距離は離れていないけれど、位置からして名前はあ行から始まっていそうだ。準備が終わってからずっと手のひらを見つめているけれど、痛みがひどかったりしたら大変だ、と心配になる。
黒板の前に視線を移すと、教卓の横にある椅子に座って私達を眺める男性教師が目に止まった。
整えられた短髪、ツリ目。スタイルは良さげで、少し痩せ気味にも見える。暖色のスーツ、白シャツを着こなしているが、あまり教師というイメージには思えない。外見から優しげな人なのだろうと思った。机の上にファイルをおいていて、紙束が少し乗っかっているのを指先でつついている。
チャイムが鳴って、先生が立ち上がった。
「全員居るね。入学式は体育館で行われるから、番号順に並んで貰って良いかな」
────数十分後
「それじゃあ、これから自己紹介をしあいましょうかぁ」
穏やかな表情と口調、声音。先生は教卓の後ろに立ち、手を合わせてゆったりと言う。
「最初に先生から自己紹介させてもらうねぇ。僕は名執 柊です、質問あるかな?」
顔すら良く見れていない人達の中で挙手するのは少しはばかられた。私は椅子に背を預け、緊張しつつ様子を見る。すると、何人かおもむろに手を上げた。
先生は嬉しそうに、筋肉を緩め笑顔になる。手を上げた順にどうぞ、と生徒達を立たせ、ぴんと姿勢を正す。
一人はオレンジがかった髪を後ろで結んでいる少年。くすんだ赤色の瞳が髪と瞼で見え隠れする。
クツヤ高校の制服はブレザーとシャツは共通、スカート・ズボン、ネクタイ・リボンはそれぞれ選択して着るものだ。冬服もそうだが、ネクタイやリボンは自分の好きな色で身に着けて良い、という決まりらしく、私は紫がかった赤色のリボンを着けている。彼は目と同じ色のようだ。
「柊先生は趣味とかありますか?」
「温泉に入ることですかねぇ。最近日帰りで寄ることがありますよ」
「もしかして、マスコットが梟の所ですか?」
「そうですそうです。久瀬口温泉のつくちー君は可愛いですよぉ。入湯料金も安いですし、温かみのある内装は風情があって……」
長く語りそうになった口を手で抑え、柊先生は袖を引っ張る。
「この質問はこれくらいかな。あまり長くなると、質問タイムで皆さんの自己紹介時間が無くなってしまいますからねぇ」
次は、と周りを見渡す。今度は、前に座っている小麦色の髪をした少年が手を上げて自分の番だと主張した。透き通る青色の瞳が見え、その視線が一瞬赤目の少年の方へと向く。
「好きな動物は?」
「犬ですねぇ。飼ってますよ、犬種はサモエドです。可愛いんですよぉ」
真っ白な毛並みと笑顔に見える口元が特徴的な犬。ペットを飼ったことが無いから想像しにくいが、人懐こいペットが近くにいてくれれば、日々が楽しくなりそうだ。勿論その分大変なこともあるだろうが、柊先生は笑顔でスマホの写真を見せた。
サモエドが下を出してこちらに駆け寄ってくる映像が流れ、周囲の空気が和む。
映像が終わると、次々に質問を終え────今度は私達が自己紹介をしていく番になった。
「それでは、名前と好きな動物、趣味を言っていって貰いましょうかぁ」
番号順に立ち上がり、一人ずつ自分なりの答え方をしていく。途中で、青目の少年が立ち上がった。
「伊夫気泪と言います。好きな動物は犬で、趣味は料理をすることです。よろしくお願いします」
次へ次へと、今度は朝のあの子だ。
黄色の目を瞬かせ、不安そうに立ってひと呼吸おいた。手のガーゼを擦りながら、彼は少し縮こまりながら口を開く。
「僕は……僕は凰花光輝といいます。好きな動物は鳥です。趣味は……読書です」
「よろしくお願いします」とかぼそくこぼし、すっと椅子に座った。
ぼんやりと自分の言う事を考えていると、あっという間に自分の番が来る。立ち上がって周りを見渡し、呼吸を整える。少し煩い心音に気を取られながらも、自分を律して声を発した。
「薬根結蘭です。好きな動物は猫で、趣味は音楽を聞くことです。よろしくお願いします」
お辞儀をすると、拍手が鳴り響く。ゆっくりと腰掛け、椅子を音を立てないように引っ張って他の人の自己紹介を聞き続けた。
✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽
自己紹介も終わり、来週からの準備も終わった。後は帰るだけだけど……光輝くんに話しかけてみようかな。
鞄を背負い、まだ準備をしている途中の光輝くんの近くへ寄る。名前を呼んでみると、鞄に入れようとしていたファイルをぎゅっと胸元に寄せて、振り返った。不安げなかおをしているが、私だと気付くと小さく「あ」とこぼして私を見る。
「……あの、朝はありがとうございました」
「ううん、怪我させちゃったのは私だから、気にしないで。でも、どういたしまして。怪我は酷くなかった?」
「いえ、大丈夫です」
教室内では何人かの生徒が残り、机を囲んで会話している。入学式特有の空気というものは、まだ肌寒い時期の冷たさが生むもので、私は少し身震いする。手に息を吐き、擦っては周りの人達を見回してみた。
泪くんは秋くんにスマホを見せながら話しかけているようだ。目を合わせていたことからも伝わってきたが、友人らしい。幼馴染、なんだろうか。
「……あの」
「えぇと、どうしたの?」
「…………」
口をつぐみ、二の句を告げられずにいる彼の顔が、前髪で隠される。俯き、ファイルの端を更に力を込めて握る。
「いえ、なんでもありません」
とうとうそれは彼の口から発せられず、そのまま準備の方へと踵を返してしまった。
私は根気強く聞こうとする勇気が出ず、ただ一言「そっか」とだけ応えて教室を後にする。そのまま下駄箱へと向かい、靴を脱いで自分の場所へ入れ、外靴を取り出して履く。後ろから泪くんと秋くんの二人もやって来る。
「……あ、やほ」
秋くんが私へ軽く手を振った。
「えぇと、結蘭ちゃんだよね? あってる?」
「うん、合ってるよ」
「俺、秋。こっちは泪」
「泪だよ、よろしく。……そうそう、結蘭ちゃんって多分、ここらへんの人じゃないよね?」
その問いに頷くと、秋くんは「やっぱり」と言って靴を履き替える。それから鞄を背負い直して、優しく微笑みかけてきた。
「何か分からないことあったら、遠慮なく聞いてよ。幼い頃から住んでるから、色々知ってるし」
「ありがとう。そうさせて貰うね」
笑顔で返し、玄関から外にでる。
優しい人が多いクラスのようでほっとした。私はゆったりと校門を出て、少しの間後者を眺めてみる。
外装・内装ともにピカピカとは言えないものの、清潔さがあって掃除が行き届いているのだと感じた。生徒達が私の横を通って行き、楽しそうな話し声が聞こえては掠れていく。
ほぅ、と息を吐いた。
空を見上げる。薄空色の大きな天球が私を見返している。
「……帰ろう」
✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽
「ただいまー」
「おかえり」
今日の宿題は自己紹介カードと一学期の目標、学級目標の意見シートの三つだ。
自分の部屋へ荷物を置き、鞄から宿題と筆記用具を取り出してから制服をかけ、部屋着に着替える。そして勢いよく寝台へ寝転がり、柔らかい感触に疲労感をずっしりと重力とともに感じた。
「ふぅー…………疲れたぁ」
髪留めを外し、毛布に埋もれていく。
十分程穏やかな休息を取り、立ち上がって勉強机に向かう。椅子に腰掛けてシャーペンを持ち、宿題を黙々とこなしていく。
照明に当てられながら、左手を忙しなく動かす。その途中で、机の端に置いていたスマホが通知音を鳴らした。
手を伸ばし、内容を確認する。
『結蘭ちゃん、入学式はどうだったかなー?』
おおまかな時定を伝えていたからか、ドンピシャのタイミングで友人からメールが来ていた。
『優しそうな人ばっかりのクラスだよ!』
『そっか、良かった〜』
可愛らしいスタンプとともに返信が帰ってきた。微笑みながらスタンプを送り返して、電源を切った。机に向き直り、続きを書く。
* * *
12/12 22:31
プレイヤー様。
本ゲームのシステムが正常に起動しましたことを報告いたします。
本日よりゲームを開始してくださったこと、感謝いたします。
注意点がいくつかございますので、今より説明いたします。
本作品はフィクションであり、実際の団体・人物・事件・他、すべてにおいて関係はございません。安心してプレイなさってください。
また、本作品はマルチエンディングの形を取っています。しかし、エンディングの順番は選ぶことができませんのでご注意ください。
登場人物の中には前作のキャラクターが含まれています。
その全てを受け止められるプレイヤーのみ、この作品をプレイしてください。
それでは、いってらっしゃい。




