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生霊 (12)

 ――重苦しい室内で過ごす三日間が経過した。


 その間、国司の肩に再び美子の顔が浮かぶことがなかったところを見ると、華の期待通り、美子を慰めるのに葉太が奔走してくれたに違いない。


「約束の期間がたったわね、どう?」


 ようやく開放されるという安堵を胸に華は、軟禁状態の小部屋から、再び国司の前に呼び出された。肉体的な疲労はないものの、隣の部屋からずっしりとのしかかってくる無言の重みは、精神的に大きな負担となっていた。

 華を呼びよせるときに、国司は魔方陣の跡が欠片もない部屋の中を一瞥したが、気にも留めなかったようだ。


「もう、すっかり元気になったみたいね。あたしのお祈りの効果はどう? 効いたでしょ?」


 国司は華を見た。

 鋭い光を放つ両の目に、反射的に華の体がちぢこまる。


 男の印象がすっかり変わっていた。

 蛇――狡猾な毒蛇のようである。

 その前にいる華は、さながら、蛇の前に放り出された蛙だ。


「ねえ、聞いているの? あたし、もう帰ってもいいでしょ? 早くお金をちょうだい」

「何のことだ?」


 国司は両の肩をすくめた。

 口の端をつりあげて、華に笑いかける。


「何って……え? あたしが女の人を追い払ったら、お礼に――」

「華さま!」


 手首で鈴がせわしなく鳴った。

 顔を上げて、国司の背後に視線をやった華の表情が凍りついた。唯一の出入り口がなくなっているのに気がついたのである。ふさいでいるのは、神社で見た粗暴な男たちだ。


「お礼? 何だそれは」


 表情を失った華を楽しそうに見やって、国司は言った。

 乾いた口中を絞り出した唾で湿して、華は問う。


「だましたの……?」

「はて、そんな約束をしたかな」


 くくっと国司が笑う。こうしている間にも、男たちは華と国司の向き合う部屋に踏みこんでくる。華を取り囲みつつある。


 華は一歩下がるが、背後は三日間閉じ込められた小部屋だ。

 二振りの刀がある以外何も――出入り口、窓すらもないことは、華が誰よりも知っている。


 だが、じりじりと近づいてくる男たちを前に、ただ座って蛇に食われるのを待つわけにもいかない。逃げられる場所、男たちから少しでも離れられる場所を求めて、華は小部屋に入っていった。

 鈴が鳴ったのは、慌ただしい華の動きによるものか、それとも鈴の叫び声か。


「自分からかごに入るとはね」


 ねちっこい口調で国司は言う。

 男たちの動きが目に見えて緩慢になる。華をじっくりと追い詰めるほうが楽しめると考えただろうことは、一様に下卑た笑みを浮かべる男たちの顔を見れば、華にも容易に想像がついた。


「お嬢ちゃんは流れものなんだってな」

 国司はさらに続ける。

「ずいぶんと別嬪さんだからなあ。このまま帰すのはもったいないとずっと考えていたのさ。家族もいないんじゃ、寂しいだろうしな」


 鈴の音が、声にならない悲鳴を上げる。

 華もできることなら悲鳴を上げたかった。

 震える膝を、華は必死に抑えつける。


 どうすれば? 何ができる? 誰か、誰か――

 頭をまとまることのない考えが、ぐるぐると浮かんでは消えていく。


「よう」

 頭上から声がした。


「絶対絶命ってとこだな」


 余鬼の声だ。

 安堵で腰が砕けそうになるのをこらえて、華は余鬼の姿を探した。


「何だよ、まじでおれがいねえとダメなのか」


 余鬼は梁の上に腰掛け、両足をぶらぶらと揺らして華を見下ろしていた。さてどうしよう、と言わんばかりの余裕の表情である。

 強ばっていた華の表情が緩む間もなく、国司はあごをしゃくった。懐かしい余鬼の顔が見えなくなる。慌てて後ずさりをした勢いで、足を滑らせ仰向けに倒れた華に、折り重なるような形で男たちが殺到した。


「てめっ」


 余鬼の声に合わせて風が吹き始める。


「――葉太!」


 抑えきれない恐怖にかられて、華は叫んだ。とっさの叫びだったが、応える声があった。

 自分の名前を呼んでいる。

 遠くに聞こえたその声はすぐに近く、大きくなっていく。


「葉太、葉太、葉――」


 身もだえしながら叫ぶ華の口が、大きな手でふさがれた。乱暴な男の所作は、小さな華にとって痛みを伴うものだ。

 恐怖で華の視界がにじむ。


「華に何をするんだ!」


 鋭い葉太の声がして、男たちは動きを止めた。輪の外側からおこったざわめきは、華のすぐ近くの男にまで、またたくまに広がっていく。


 狐、化け物――そんな言葉が男たちのあいだで飛び交う。小さな悲鳴を漏らしているものさえいる。男たちの動揺の間を見て、華はごつい手の群れから這いだした。

 そのまま壁際にたどり着くと、尻をついて座りこむ。

 腰が抜けるほどではないが、今は足に力が入らない。


 かちゃ、と華の背後で触れてもいないのに、二振りの刀が音を立てた。


 華の目の前の人垣が割れ、金色の子狐が姿を現した。光輝く美しい毛並みの狐――葉太は、まっすぐ華に向かって駆け寄り、飛びついた。


「華のばか、ばかっ! 一人で何をしているんだよう」


 鼻先を華にこすりつけながら言う葉太の声は震えている。

 だが、涙は出ていない。耐えているのかもしれなかった。


「感動の再会は後回しにしておけよ」


 出番を横取りされたからか、どこかふてくされた余鬼の言葉に、双子は男たちに向き合った。震えの残る足に力を込めて、華はどうにか立ち上がる。


「華にひどいことをして、許さないぞ!」


 葉太が吼えると、男たちの間に緊張が走った。国司に至っては、色良くなった顔を真っ青にして、棒立ちになっている。


 ――怖がっているんだ。


 湧き上がる怒りをこらえて、華は薄く笑って見せた。葉太は怒りでぐるぐるとうなり声を上げている。

 体は小さいが金色の毛並みは、そこにあるだけで圧迫感がある。


「ねえ余鬼くん」


 華は天井を見上げた。


「風を起こしてよ。葉太のまわりで」


 思いっきり怖がらせて、と華は小さく付け加えた。

 返事もないまま、風の音が強くなった。


「狐、お前を最強の化け狐にしてやるよ。演技力を見せろよ」

 渦巻く風の中、余鬼の声が響く。

「ちょうど暴れたいところだったぜ」


 強風につむじ風、竜巻、鎌いたち――

 ありとあらゆる風が、華の逃げ込んだ小部屋と、それに続く広い座敷中に吹き荒れる。

 中心にいるのは、葉太である。


 葉太と、そして華のいる場所をのぞき、無事なところなどない。

 部屋にある物は軽い物も重たい物も、例外なく宙に浮き、縦横に飛び交っている。


「小鬼だけじゃないわよ。私たちだって怒っているわ!」

 鈴の音がした。驚いて、双子が二人の定位置を見るが、その姿はない。

「華さま、葉太さま、お助けします」


 声がしたのは、立てかけてあった刀からだった。

 鞘から刀身がするりと抜けた。

 華の目の前に浮かぶ二振りの刀の切っ先は、対峙する男たちに向けられている。


「おいおい、冗談じゃねえぞ」


 余鬼がわめいた。あまりの出来事に度肝を抜かれ、わき上がっていた怒りの感情も、一気に削がれてしまったようである。


「お前ら、主人ならあの危ねえ式神を制御しろよ」


 余鬼に言われるまでもない。風の音と男たちの悲鳴に負けないように、華は声を張り上げた。


「あたしたちがいいというまで、人を斬っちゃだめだよ!」

「早くいいと言って下さいね」


 主人の台詞の意味を全く理解していない鈴たちの返答。それでも、とりあえず暴走はしないという確約を取れただけでも良しとしよう。


「しょうがねえ、行くぞ、狐! 鈴!」

「うん!」

「小鬼に指示されたくないわ」


 余鬼の号令に、葉太とややかぶりがちに鈴たちの声が応える。

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