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賢者は死ぬと決めている  作者: 明日


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迷惑




 向かい合う両雄の圧力は、道場の壁を軋ませるかのように膨らんでいく。

 見守る辰美流高弟たちはそれに気圧されぬよう腹に力を込めたが、しかし眩むような眩しさに目を細めた。



(予行練習は無駄だったかな)


 総一は理織を前にして内心呟く。

 やはり丑光ではなく、もっと実力者に試合を申し込めばよかった。

 しかしそれ以上を望むともなれば、総一の頼める中では海馬源道、もしくは辰美糸子程度だ。

 そのどちらも総一よりも格上で、まず糸子に申し込むわけにはいかない。女性を殴れない、という話ではなく。

 それに海馬学園長ともなれば真面目な『戦い』になるとは思えない。単にあしらわれてしまうだけだろう。


 今まさに肌に感じるざらざらとした『殺気』というもの。

 自身との試合でそれに一番近いものを放つだろう丑光雷太が、圧倒的な格下だったというのは少しだけの不運だ。




 理織が辰美流の構えを取る。

 先ほどの赤俣と同様。右手を腰だめに、左掌を前に。

 辰美流で最も基本的なその姿は、最も強いからこそ基本的なものとなるのだ。


(……わっかりやすい)

 総一は爪先の力で僅かに上下しつつ、その様を見る。

 自身もいつもの構え。半身になり、だらりと下げた両の腕は、構えというよりも待機状態、というのが相応しいが。

 

 理織の狙いは明らかだ。

 辰美流の必勝形。左手を盾にした踏み込みのままに、全力での右手での正拳突き。反撃を恐れぬ重戦車のような迫り来る姿に、大抵の者は圧倒されることだろう。

 それこそ二年前の試合の時と同様。

 あの時もそうだったな、と総一としても感動する思いだった。


 そして次の瞬間には。


 だん、と理織の足下が弾けるような音がする。裏が鉄板で補強された木の板に罅が入ったのは、踏み込みの力に負けた証。

 その力は爆発するように理織を運び、吊されたコンクリートブロックすら砕ける拳に乗る。


 だが、その理織の拳が空を切る。

 目の前の総一の姿がかき消えた。理織はそう思い、無意識に視界の中に総一の姿を探り、そして首の後ろに走った衝撃に『探すまでもなかったな』と思い直した。


 理織の首の後ろに落とされたのは、右に回った総一の踵。

 ミシリと音を立てつつ受け止めた理織は、笑った。あの時もこうだったな、と懐かしく。


 総一もなんとなく理織の反応はわかっていた。蹴り応えは充分。けれどもその衝撃が内部に伝わっていないようで、ただ総一が足先に感じたのはゴムを被せた岩の感触。

 ……効いていないのだ。延髄や小脳、また頸椎に重大な損傷を与えて行動不能に出来るはずの『殺し技』が。


 足を引き、理織が振り返るまでにその右半身の急所を叩く。

 だが理織も無防備ではない。こめかみや顎は頭を振って逸らし、鼓膜狙いの掌打は右手で弾き、また肋骨を折るような貫手は振り払うように腕で叩き落とす。

 鉄壁。まるで何かの鎧を着ているかのように。


 内心舌打ちをしつつ総一が一歩跳んで下がる。

 一瞬の交錯。しかしお互いに何のダメージもなかった事実に溜息をついた。



(まったく……迷惑な話じゃん)


 お互いに目を合わせ、また距離を測る。

 お互いにまだダメージはない。総一はその事実に、泣き出したいほどに悔しく思った。


 迷惑な話だ。

 総一が使った技術は、武術の素養もない一般人相手ならば死んでしまうような種類のものだ。当然だろう、修めている古武術とは、本来は戦国時代に相手を殺すために研鑽され続けてきた技術の塊なのだから。

 それを使い、そして手加減せずに叩きつけて、なお無傷のままの辰美理織。ノックダウンも出来ず、また拳道の試合であっても有効打ですらない。

 同じ世代にいていい相手ではない。


 どれほどの人間の夢を絶ってきたのだろう、と思う。

 辰美理織が現れてから、拳道の全国大会の顔ぶれは大きく変わった。入れ替わった、というのが正しい。

 主に辰美理織に負けた者たちが。強豪とされていた選手たちのうち少なくない数が、拳道の大会に出なくなった。地方や別団体の大会などであれば出るのだろうが、しかし辰美理織と当たるであろう高校生の全国大会では。


 皆、諦めたのだ。辰美理織に勝つことを。

 目の前の壁を知ってしまった。その壁が遙か高く、そして越えられないだろうことを知ってしまった。


 総一は、自分以下の才能を知らない。

 無敗を誇った中学時代ですら、自分に負けた者たちは皆羨ましいほどの才能に溢れていた。

 その才能ある者たちすらも諦める壁、辰美理織。

 迷惑な話だ。何故同じ世代に生まれてしまったのか。




(……やっぱりそこそこ効くなぁ)


 痛みがないわけではない。主に体幹で、また全身の筋肉を動員して散らしたにも関わらず打ち込まれた衝撃に、理織も首の後ろをさすりたい気分だった。

 だがさすらず、そしてその一撃に、今現在行われていることを実感した。


(拳道とはやっぱり違う)


 今までは、そしてあの時は総一も自主規制をしていたのだろう。自分と同じく。

 使えなかった、急所を狙った『殺せる』技。鼓膜などへの攻撃は拳道で禁じられているからなかったとしても、他の攻撃は。


 辰美流も咋神流も、そしてほぼ全ての古流武術は、相手を殺害するための技術の結晶だ。

 遺憾なく発揮すれば容易く相手は死ぬ。

 だから、『倒す』ことを目的とする拳道の試合では、やはり真価は発揮されない。どうしても手加減した状態になってしまう。

 そして手加減した状態では、やはり試合に際してどちらが適しているかというと、現代の競技格闘技に軍配は上がるだろう。現在の格闘技はどうしても速く、そして正確だ。


 だから自分たちが思いきり戦うためには、こういう場が必要なのだ。

 死んでもいい。殺してもいい。全てを使えるこんな場が。


 そして全てを使えるこの場だから。


「ようやく」


 理織が前足を僅かに上げてまた下ろす。ズシンと音が響く。

「ようやく、全力でやれますね」

「……おうよ」


 高揚感に理織が快活に笑う。

 全力を出していいのだ。辰美流の技術全てを。奥義までも使って。


 ミシリと理織の足の下、床が鳴る。

「いきます」

 それからまた微動だにしていないはずの理織の足下から、凄まじい轟音が響いた。




(さて、弟君がどうするか、なんだけど)


 理織の構えは変わらず、だがその雰囲気は一変した。

 総一は、理織にむかってまるで吸い込まれるような感覚を覚えた。実際には何もなくとも、しかしそれを感じた四肢が勝手に重心を後ろに傾ける。

 理織の足の指には力が入っているらしい。


 辰美流の奥義を使うのだろう、と総一は推測する。

 少し前の対戦では使えなかったもの。使おうとしたばかりに武道場の畳が大破した技とも言えない技術の極地。

 その正体については、総一は普段の糸子の仕草から察していた。

 『武道においては基本中の基本』とも。




 ぶん、という不自然に重い風切り音が響く。理織が踏み出して移動する音。遅れて生じた鋭い音は、衣服の裾が引きずられて張り詰めた音。

 動きは変わらずに、また正拳突き。だが先ほどよりも格段に速く、格段に短い時間で総一との間を詰めた。


 総一の四肢が反応する。

 前に詰めて、打撃点をずらし、またその拳を掌で受け止めつつ肘に下から加撃する。力の方向を制御し、弱い肘ならば折れるだろう技。

 

 総一の身体は完璧にそれをやり遂げた。

 だが、『まずい』とも総一は思った。その理織の突きは想定される衝撃を大きく超えており、また肘への攻撃は間に合おうとも……。


 ぺきん、と軽い音がした、と総一は感じた。

 それと同時に、みち、と何かが引きちぎれるような音。そしてそれとまたほぼ同時に、自分が背後に飛ばされる感覚。


 一瞬遅れて、背中に強い衝撃を覚えた。

「……ぅっ……!」

 吐き出される息が声になる。片手での受け身が間に合ったが、しかしその受け身をした場所は床ではなく壁。


 本当ならば、総一の身体は木の壁を突き破って外へと飛び出しただろう。

 だがそうならなかった事実と、背後の感覚に、『壁の中まで鉄板入りかよ』と呆れるように内心笑った。


 だが、笑えない事実。

 

 床へと落ちた総一は、自身の被害を把握する。

 急所へと当てられるのは防いだ。理織の突きは前胸部に当たったが、しかし直撃することなく左手が挟まっていた。

 だが壁に打ち付けられたことも合わせて、その衝撃は全て流すことなど出来ない。まるで内臓全てが潰されたような圧迫感に、そして肋骨がいくつか、また左手の骨が恐らく折れている。


 まるで昨日の丑光のようだ、と総一は笑える思いだった。

 這いつくばるようになった身体を起こそうとするが、しかし立ち上がれずにふらつく足。

 右手で床を押すように、どうにかして立ち膝の状態から身体を立たせるが、息も満足に出来ない現状だった。


 喘鳴音が自分から聞こえる。

 それが新鮮で、総一はその事実にようやく唇をつり上げた。


「……さっすが」


 流石あの糸子の弟だ、と思う。

 彼女ならば片手での手打ちで、軽々人を飛ばすのだろうが。



 僅かに走る肘の痛みを無視しつつ、理織は構えたまま残心を解かない。

 さすがとはこちらの台詞だ、と思いつつ。


 そしてすぐさま追撃のために足を踏み出した。

 狙うは下段突き。

 ふらつく総一相手ならば。今がチャンス。逃さずに。


 

 またきた。

 総一は考えつつ、避けろ、と身体に命ずる。

 鍛え上げた身体各部、またその神経節は総一の感じている痛みを無視して急制動をする。

 僅かに大ぶりになった理織の打撃を、懸命に躱す。

 まだ足は満足に動かない。それを誤魔化すように、転がるように。


 理織の伸びた腕に、転がる足を引っかけて巻き取るように絡みつく。

 倒せれば、寝技に持ち込めれば、と思ったのだが。


 理織はその片腕で、総一の身体を持ち上げた。片腕で70kg近い総一を持ち上げるその膂力は、筋力だけでは説明も付かない。

「っぁ!!」

 それからぶん投げられた、と総一は感じた。それを知ったのは避けた高弟たちの膝に腹が当たったからだったが、謝ることもなくまた出来ずに総一は両手を地面につけた。


(……痛え!! 本当むちゃくちゃだな!!)


 内心抗議をしつつ床に唾を吐きそうになる。既に全身が重たい。

 息が上がる。ヒュウヒュウと掠れたような音が喉の奥から響いてくる。



 高揚するままに笑みを浮かべた理織が、少しだけ離れた総一を見下ろしている。

 その視線が、『まだ出来るだろう』と信頼を帯びているのがよくわかる。最近よく、白鳥からも感じていた視線。

 

(本当に、……迷惑な話だな)


 総一は苦笑して手に力を込める。

 まだこの身体は立ち上がれるらしい。この二度も交通事故に遭ったような悲惨な目に遭ってもまだ、その衝撃は躱し、逸らし、どうにかして身体の芯には入らないように反応してしまっているらしい。


 だが肩に乗る信頼が重い。彼や白鳥、また糸子たちから感じるものが。

 出来るわけがないのだ。この天才たちと戦い続けることなど。

 所詮自分は凡人だ。それが単にたまたま動機があって、幼い日から鍛錬を積めただけに過ぎない。

 十で神童、十五で秀才、二十過ぎればただの人。

 きっとおそらく丑光や羊谷も、それこそ辰美理織も、自分と同じだけのことをしてくれば、今頃もっと凄い何者かになれていただろうに。


 迷惑な話だ。

 みんな、もっと勉強してくれないだろうか。もっと練習してくれないだろうか。

 それだけしてくれていれば、自分は誰にとってもただの凡人でいられた。誰にとっても顧みられず、期待もされない路傍の石として、気楽に生きられただろうに。


 みんながやらなかったせいで、やった自分だけが天才扱いされてしまう。

 本当はただの凡人で、本当はただの意気地無しなのに。



 迷惑な話だ、と総一は思う。


 自分に期待するな、と思う。

 目の前の辰美理織はまだ、自分に期待をしているらしい。きっとまだ何か出来ることがあるのだと思っている。まだ目を爛々と輝かせ、こちらをじっと見つめている。

 だが、もう出来ることなどそうはない。

 総一に出来ることは、単に咋神流の動きに身を任せることだけ。辰美理織の一挙手一投足を見つめ、その動きに合わせたカウンターを四肢が取るのを黙って見ているだけ。


 けれども当然、天才辰美理織の動きは想定を超えてくる。

 想定よりも速く、想定よりも複雑で、想定よりも強く。

 故にもはや総一の動きは通用しない。


 わかっていた。

 咋神流の必殺の打撃は全て凌がれ、そして辰美流の必殺の打撃は既に総一を瀕死に追い込んでいる。

 もはや言い訳は出来ない。理織が見下ろし総一が這いつくばる。お互いに万全の体調で、拳道のルールという枷から二人共が解き放たれている今、この現状は単なる実力差だ。


 ほうらみろ、と総一は羊谷に言いたくなった。

 どうせ無理だ、と言ったのに。無理だとわかっていたのに。



「……っとに!! 迷惑だなあ!!」


 総一が叫んで懸命に立ち上がる。

 まだ戦えるこの身体。それは、今までの人生で鍛錬してきた証。


 期待されている。それも今までの人生で鍛錬して、そして結果を残してきた証。

 理織に、糸子に、白鳥に、羊谷に、期待されてしまっているこの現状。もう嫌だ。全部投げ出したい。この意気地無しの凡人に期待するのはやめてほしい。放っておいてほしい。どうせあと十年と少しすれば死ぬのだ。それまでは安穏と、ぼんやりと過ごさせてほしい。


 

 迷惑な話だ、と総一は内心繰り返す。

 辰美理織は幾多の強豪の夢を絶ってきた。試合で蹂躙し、またその試合を見せて、『勝てないのだ』と諦めさせてきた。

 ならば何故、()()してくれないのだろう。


 あの試合で完膚なきまでに自分を叩きのめして、こんな中途半端な状況にさせないでほしかった。

 

 腕が万全なら。拳道の試合でなければ。

 言い訳を全部排除して、作り上げた今この場。

 ここで負ければきっと、自分も諦めが付く。もう期待しなくて済む。だから、もっと強くあってほしい。彼を見れば、もう戦う理由も見つからなくなるほどに。


 なのに、迷惑だ。


 腕が万全だから。拳道の試合ではないから。

 そして今目の前の辰美理織相手だから。


 まだ期待出来てしまう。

 期待してしまう。

 俺が、俺自身に。




 離れた高弟たちに目もくれず、トントン、とまた上下するように総一が構え直す。だらりと下げた腕、その脱力と反するような、総一の目に宿る闘志。

 叫んだ言葉の意味はわからなかった。しかし総一の目を見て、反応をする必要がない、と理織は思い直して拳を握り直した。




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