強いものいじめ
試合の合意が済んだ、となるや総一は更衣室へと消えてゆく。
使い方は以前の通りで、総一にとって迷いはない。
総一を見送った学園長と丑光は、その不可思議さに顔を見合わせた。
「……何のつもりだと思います?」
「何かのう」
わからない。あの少年の気まぐれさはいつもの通りで、そして予測などほとんど出来ない。出来るとするならば怠惰さから『やらない』という方向だけで、そして今回こそそれとは違うだろう。
学園長は口髭を捻る。
もちろん、丑光に告げたとおり、自身の監督下ならば総一との手合わせは学園長は反対しない。
今のところ丑光は総一には勝てないだろうが、けれども彼にとって何かしらのいい影響が出るならばそれこそ望むところだ。
そして総一が望んだ。ならばそれで総一にとってもよい影響が出るのならばそれもよい。
だがそれで、今回この決断がどうなるかわからない。
良いことなのだろうか、悪いことなのだろうか。
少なくとも今は神経を尖らせなければいけないだろう。
学園長の教育者としての直感が、そう告げていた。
そして、空気が変わった。
その瞬間を学園長はつぶさに感じた。
準備を終えた総一が武道場に現れる。
道着を纏い、静かに現れた総一に、何故だか武道場が静まりかえる。サンドバッグは静かに揺れ、皆の身体が彫像のように硬直する。
総一自身は入り口から中をぐるりと見回し、にへりと笑った。
「なーん?」
視線が集まる。皆が息を飲んだ。
何故だか誰もわからず、しかしただ一人だけ、学園長はその空気を知っていた。
「……総一」
「なんすか?」
「加減しろ」
目の前の男子。道着の帯はきつく結ばれ、グローブの準備もぬかりない。背筋は伸びて、しゃんとして、およそ不真面目な要素もない姿。
その姿に、身に纏う空気に、学園長も思い出す。
二年前の全国大会決勝戦の総一の姿。あの、過去最強だったその時のままの。
冗談ではない。ならば丑光にとって勝ち目など一切ない。
手加減させて、油断させて、それこそまた片腕もしくは今度は両腕を封じるくらいせねば勝負にすらならない。
凍り付いた学園長に向けてひらひらと手を振り、総一はおどけるように笑う。
「当たり前じゃないっすか」
その言葉と態度に一瞬だけ空気が緩んだが、しかし安堵は出来なかった。
畳へと上り、待っていた丑光に向けて総一はぺこりと頭を下げる。
「よろしくお願いしまっす」
「……よろしくお願いします」
審判役は、学園長その人。丑光に依頼されて、そして『やり過ぎた』場合に最も近くで総一を止めるために。
もしかして、今、止めるべきなのではないかと学園長は頭にふと浮かべた。
少しばかりの稽古で乱れた髪を乱暴に直し、息を整えていた丑光。
その前に立つ、『真面目』な総一。
何があったのだろうか。学園長は知らない。
何か彼に心変わりを促すことがあったのだろうか。学園長は思い至らない。
けれども、やはり止めるべきなのではないだろうか。
(何だこの空気……雰囲気……?)
総一を見て無意識に唾を飲んだ丑光の様子に、そう思う。
「アップとかいらねえの?」
丑光の戸惑いつつも投げかける質問に。
「あ、うん。武道だしね」
スポーツじゃないし、と総一は含ませて答える。もっともそれは、『自分が使うのは』スポーツではない、という意味でしかない。
そして学園長もよく言っていた。武道家ならばいつでも準備は出来ているはずだ、と。
それでも、と軽く伸びをして、それから総一が腕を垂らしたまま右足を引く。いつもの構え、半身。
「丑光の準備が出来次第でいいよ」
「余裕だな」
へっ、と笑いつつ、その笑顔が強がりでしかないと自分でも気付きつつ、こめかみに垂れた汗が暑さのせいではないと知った。
先ほど自分が口にした言葉は嘘ではない。
打倒辰美理織を目指すならば彼は越えなければならない壁だ。正確には、越えることができなければいけない壁だ。
だが、どこか甘く見ていた気がする。
まだ戦いは始まっていない。なのに。
(動けねえんだけど。んだよ、これ)
ようやく、これに近い空気を丑光は思い出した。
少し前に見た辰美理織との試合の姿。あの重々しい空気。これは。
「聞いてなかったんだけど、何で試合してくれる気になったんだ?」
「さっき言ったっしょ。仮想辰美理織だって」
「だから、何で」
「勝ってほしくなったんだよね、あいつに」
構えろよ、と視線で催促する総一に対し、応えるように腕を上げて、丑光は構える。
だが、いつもと違う感覚。
空気に粘りけすら感じる。重力が強い。腕はこんなに重かっただろうか。息をするのはこんなにも億劫だっただろうか。
地面が揺れている気がする。視界が傾いている気がする。『真っ直ぐに立つ』ということはこんなにも難しかっただろうか。
そして目の前の総一は、以前から、こんなに大きく見えただろうか。
軽く跳んで、総一は畳の感触を確かめる。これまでのように、いつものように。
だが、まだ始まらないのだろうか。丑光から目を背けずに、総一は学園長へと注意を向けた。
そしてそれを催促と見て取り、学園長は溜息をつく。
「総一」
「はいな」
「加減しろ」
「なんすか何回も」
丑光を見たまま唇を尖らせる総一だったが、その一種冗談じみたコミカルな仕草にも学園長は笑えない。
先ほどは、その真面目な姿に過去の総一を思い浮かべたから出した言葉だった。
そして今の言葉は、その身に纏う雰囲気に、過去の自分が体験した空気をどこか感じたから。
この張り詰めた空気はまるで、武道家の立ち合いではないか。まるで命のやりとりすら行われるような。
丑光を見れば、彼もその空気は感じているらしい。
いつもと違う目の前の男子の姿を見て取ったからだろう、構えが荒い。いつものようにきちんと訓練されたオーソドックスな構えというよりも、思わず腕を上げた動物的な反射のような構え。
組み手は何度も何度も散々繰り返した。
もはや慣れていると言ってもいいはずだ。丑光の対総一戦は。
なのに、いつものようには出来ない。その現状に、結果は察するにあまりある。
「……。……いいか?」
総一は涼しい顔、そして丑光は滝のように汗を流している。
まだ向かい合っただけ。だが、既に決着は付いているのではないだろうかと学園長は思う。
だが、止められない。双方が勝負を望んでいるのだから。
二人の意気が相手に向かっている。発気よい。それを確認した学園長は腕を振り上げる。
吉と出るか凶と出るか。その賽子は既に振られ、そして結果は今から出るのだろう。
「始め!」
学園長のかけ声。
しかし二人は動かなかった。
総一はただ丑光の様子を窺い、そして丑光もまた。
(カウンター、が主なのは知ってる)
丑光は総一の一挙手一投足から目を離さず、今までの事実と対策を内心繰り替えす。
数日前に学園長から聞いたこと。総一の咋神流はカウンターに特化した流派だ。そして組み手での様子も思い返すとそれはそうで、多くはこちらの動きに反応した神速の打撃や投げだった。
カウンターが来る。それがわかっているのならば、いくつかの対策は立てられる。
一つはこちらも『待ち』の作業。総一のカウンターが強いのであれば、総一の攻撃を待っての打ち合いをすればいい。
もしくはカウンターが来ることを前提の動きをすること。以前総一に一本取ったときの動きがこれだ。総一のカウンターにまた合わせたカウンター。
そして、『待ち』はない。
時間制限があるのもそうだが、結局『待ち』というのは消極的な姿勢だ。格闘技の試合でもそうだが、それはつまり相手にペースを握られるということであり、それに特化した総一と異なり自身のやり方ではない。
学園長によれば、総一の、咋神流の動きは半ば自動的なのだという。
ならば初撃への対策は以前と一緒。だから、きっと。
(まずは! おんなじ手っ!!)
総一の呼吸を読み、丑光が間合いに飛び込む。
一番の得意、また必殺技。ステッピングジャブ、『雷光』。
無論、当てるつもりの打撃。外れることも考えない、のだが。
当然のようにその拳は空を切る。丑光はその左手が掴まれたことを感じた。
以前一本取れたときとは違う。
(なら!)
だがこの動きは知っている。
ならば総一は丑光の視界の中で右にずれて、またその左手での裏拳がくるはず。
だから、その前にダッキングしながらの右手でのスウィングを……。
丑光は、自分の脚が切り落とされたのかと思った。
脛から下の感覚が消えた。
次の瞬間、引かれた左手と、蹴られて後方へ払われた足のせいで、視界が急激に畳を向く。
そこには、スライディングするように畳に滑り込む総一の身体があった。
(下っ……!?)
まずい、と思ったのとほぼ同時に、丑光の腹部に衝撃が走る。
突き刺さるのは、地面を背にした総一の足刀蹴り。引かれた左手首が支点となり、丑光の世界が急激に反転して背中から落ちた。
「がっ……!!」
残った右手で受け身も取れず、背中からの衝撃に丑光の息が全て抜ける。
息が吸えない。短く何度も吐こうとするが、しかし肺の空気は残っていないようでそれだけで視界の端が白く染まり始めた。
「一本!」
学園長が高らかに宣言する。
既に立ち上がって、悶える丑光に構えていた総一は、それを聞いて間合いから遠ざかるよう一歩下がった。
(……これまた容赦ない……)
学園長は内心呟く。
巴投げに似た形の、腹部に当てる蹴りを支点ではなく力点として使う乱暴な投げ技。
咋神流の技の一つで、そして丑光に見せていない攻撃だった。
滑り込みながら身体ごと叩きつけるような脛への下段蹴りも、腹部に当てる蹴りも、それだけでも一本を取れるほどの強さのものだ。
総一が本気で蹴り込めば、どちらも大怪我では済まないほどの。
のたうち回る丑光が、どうにか俯せになり、また四つん這いになりつつ畳に手をつく。
腹に穴が開いたのかと思った。膝から下が切り落とされたのかと思った。まだ息が満足に出来ず、そのまま突っ伏して寝てしまいたいとも思った。
(くそ、が、本気じゃなかったのは当然だろうが、が……!)
白くなっていた視界の端が黒くなり始める。酸素が回っていない、という焦り。それに、わかっていたことの再確認。
(だから同じ手が通用しない……ってのは、そうだよ、当然だろうが……!)
これでもまだ甘く見ていた自分への怒り。
強引に息を吸うが、しかし立ち上がれず、丑光は震える手で畳を押した。
まだ一本取られただけだ。まだ一度投げられただけだ。
なのに、既に負けたかと思えるほどに身体が動かない。
(化けもんがよ……!!)
顔だけで見返した総一は、困ったように微笑んで見下ろしていた。
拳道では、どちらかが一本を取ったときに、双方の最大三十秒の休息が認められている。それは息を整えるためであって、体勢を整えるためであって、そしてテンカウントの役割も果たしている。
『有効打で一本』という競技の特性上あまりないことではあるが、しかし三十秒の間にまた臨戦態勢を取れない場合、それで勝敗が決するということだ。
学園長は時計をちらりと見る。
残りはあと十秒ほど。
「だっ……あああああああっ!」
時間いっぱいを使おうと思っていたわけではない。けれども丑光が、雄叫びを上げて立ち上がる。まだ震える足に一度拳を入れて叱咤し、振り回すように拳を掲げてから乱暴に構えた。
その拳の奥、眼光はまだ死んでいない。
総一はその眼光に、また苦笑するように少しだけ首を横に振った。
(諦めないか)
羨ましい、と思う。
まだたしかに勝敗は決していない。けれどももう趨勢は決まっているだろう。
今目の前にしても、手を抜かなければ丑光に負ける気はしない。総一の修めた咋神流、まだ丑光に見せていないものは大量にあり、そしてそのほとんど全ては丑光には防げまい。
きっと丑光もそれは今わかったことだろう。
なのに、諦めない、ということ。
(本当、羨ましいよ)
そういう人間が上に行く。先に行く。
辰美理織に比べれば、今の自分と丑光は何も変わりがない。同じように足下の泥の中でのたうち回っている鯉のようだ。
だがきっと、丑光はいつか泥の中から抜け出して、辰美理織のような龍となる。
自分と違って。
丑光も、羊谷も、きっと里来やその辺も。
自分と違って。
「一本! 勝者、鳳総一!!」
考え事をしている内に勝っていたらしい。
総一としてはそのような心持ちだった。身体が勝手に動いて迎撃した。勝因は頭部への二連撃。膝をついた丑光が立ち上がれないのを、自分が見下ろしているのに気がついて、構えを解いて頭を下げた。
「ありがとうございましたー!」
元気よく総一が頭を上げたところで、学園長が安堵の息を吐く。
事故がなくてよかった、というところだろうと総一は推測し、そしてそれは正しかった。
丑光に目を戻し、総一は口を開く。
「で、どうよ。仮想辰美理織。勝てそ?」
「…………んなわけ、ねえだろうがよ」
「これ見てそう思うか」と俯いて悪態をつきつつ、丑光は深呼吸して強引に息を整える。 まあやはりそうだろう、と総一も思う。自分に勝てないのであれば、きっと辰美理織も無理だ。
未来で勝てないとは言わない。だが、現在において勝てない相手。
それに俯く丑光。
やっぱりね、という安堵のような気持ちと、やっぱりな、という落胆のような気持ちを同時に浮かべて、総一も溜息をついた。
今の自分は仮想辰美理織。ならば、そこに向かい合う丑光にもまた、仮想の人物がいるはずだ。
だろう? という予測を元にした脈絡のなく伝わらない言葉を浮かべつつ学園長を見れば、学園長も唇を噛むようにして腕を組んでいた。
「ま、ここでの俺の用も済んだみたいだし? じゃ、俺これで帰るねー」
「自由か」
「しっつれいしまーす」
呆れるように口にした学園長に笑みを見せて応えて、総一は畳から降りる。
だがその片足が出たところで、背後から声が聞こえた。
「…………逃げるんじゃねえよ」
おや? と片眉を上げて総一は振り返る。
それからその視線の先で、ぐらぐらと揺れながら立ち上がった丑光を見て笑みを消した。
「逃げるって?」
「一試合だけなんて言ってねえだろうが。まだ俺は戦える」
総一は長い息を吐く。
「何回もやるんならそれもう組み手稽古じゃん。つーか膝笑ってんじゃん。無理するなじゃん」
「じゃあ組み手でもいいから戻れって」
「勝敗は決まってる。無駄だよ」
「…………っ!!」
侮蔑、慢心、そのような感情が入っていそうな言葉。けれども総一はそこにそれらを込めずに、また丑光はそれらを感じることが出来なかった。
事実だ、と思った。双方ともに、もしくは見ている学園長も。
「やる意味ないだろ。これ以上やってもただ痛いだけだって」
しかもほとんど丑光側だけが。
哀れみではない。総一にとっては、それも気遣いの言葉ではなく。
「……勝てねえんだから、やるっきゃねえだろ」
縋るような言葉に返された、非論理的な丑光の言葉。
それに総一は笑い、本格的に踵を返して丑光の前に立つ。
「そっか。じゃ、やろ」
多分自分と彼らの差はここだったのだろうな、と思いつつ。
丑光が土下座をするように倒れ伏す。
十四戦。丑光が立っていられたのはそこまでだった。
僅かにクッションが入っているとはいえ、グローブのみの拳も痛い。
幾度となく受けたのは総一の骨まで軋む打撃。そして総一の技の特性上、関節技や投げ技と打撃の複合が身体に響く。
十戦目を越えたところからは目の焦点が合わず、そして拳にも力はなかった。
そのような状態でも、立ち上がるからと試合に立たせた学園長は、しかし最後にも後悔はしていなかった。
「こんなにまで試合することもないのに」
見下ろした総一はぽつりと呟く。
今日行ったのは試合。積極的に打ち倒し、積極的に勝ちに行く類いの。故に以前の組み手のような、ある意味『横綱相撲』とも呼ぶべき手加減もなく、総一には傷一つない完勝だった。
それが更に満身創痍の丑光との対比をさせて、二人の明暗をより濃くしていた。
「誰ぞ、丑光をそこの椅子まで運んでやってくれ。それと、氷を」
落ち着いて周囲を見渡し、学園長は言う。
途中から全ての班員が見ていた二人の試合。手伝いは多い。
「……ぁ……ぇ……!!」
布担架で運ばれてゆく丑光は、その揺れで気がついた。自分が運ばれていることを。そして試合が終わってしまったことも。
「いいから静かに休め」
担架を持つ三年生の一人が、それを黙らせようとする。しかし、丑光自身黙れずに、頬が腫れて呂律が回らない舌で叫ぶように言う。
「まだ……俺、は、出来る、って!!」
「はいはい、休んだらな!」
それを遠目に見送った総一は、溜息をついた。
「止めてくれれば良かったのに」
「止める理由がないのう」
即答した学園長の声には微塵も後ろめたさはない。
今回総一の攻撃には致死的なものはなかった。そして、双方ともにルール違反もしていない。
更に二人がやると合意している。ならば、止める理由などどこにもない。
怪我は大変だ。擦り傷切り傷程度ならばまだしも、腱の断裂や骨折など後々まで残るものは好ましくない。
けれども格闘技や武道をやる上で、怪我などはして当たり前だ。痛い思いをするのも当たり前だ。丑光もそれを承知で畳の上に上がっているはずだ。
怪我をしそうだからやらせない。失敗をしそうだからやらせない。負けそうだからやらせない。そんな風に大事に大事に守ってやることこそ、人間を腐らせるのだ。学園長はそう信じている。
「儂からも聞いておこうかのう」
「何です?」
「何故試合を受けたんじゃ?」
じ、と学園長は総一を見る。総一の値踏みをするように。
その視線に『怖い』と思いつつも、総一はええと、と耳を掻いた。
「さっきも言ったとおり、俺は丑光に勝ってほしいんですよ。だから、仮想辰美理織をするためですね」
「わけわからんな」
「それと、仮想辰美理織になってほしいと思って」
「あいつはそんな強くはないぞ」
「でしょう。仮想ですし」
本物の辰美理織がこの程度だったらどれほど楽だっただろうか。
総一程度でも丑光程度でも。
そして本物の鳳総一がこの程度ほどだったらどれほど楽だっただろうか。
辰美理織程でも、丑光雷太程でも。
やはりわけはわからない。しかし、悪いものではないようだ、と学園長は感じ、ゴホンと咳を一つする。
「丑光もあの様子じゃ、明日の練習も気合い入るじゃろ。お主も明日またきてくれんか」
「また叩きのめせって?」
「まあそうなってしまうじゃろうが」
からかうような総一の軽口に、学園長は半ば同意する。
もうすぐ予選が始まるこの時期。今は怪我をするのを避ける時期だ。総一との試合を繰り返させて、取り返しの付かない怪我をさせるのは避けたい。
また、明日やれば勝てる、というのも言えない。敗北による急激なレベルアップというものは誰しもにあれど、けれど明日すぐに総一に勝てるわけがない。
しかし、鉄は熱いうちに打て、ともいう。
やる気になった丑光が、今この試合から更なる熱意を得られるのであれば。
少々過激でも、今やるのが最も良いならば、躊躇する理由はない。
どうだろう、と学園長は総一を見る。
断られるだろうな、と期待をしないようにしつつ。
そして。
「ま、明日はすみません、無理っす」
口にされた言葉に、だろう、と内心納得しつつ学園長は頷いた。
「明日の放課後は用事があるんですよ」
その総一の言葉に納得はしつつも、しかし食い下がる。
「白鳥か羊谷か? 儂から断りを入れてもいいんじゃぞ」
「いやあいつらじゃないんですけど」
「ほう?」
「俺、明日の放課後は用事があるので。忘れ物を取りにいかないといけないんですよ」
繰り返された総一のその言葉の響きがいつもと違い、学園長も内心でまた「ほう」と繰り返す。
用事。それも、総一に。
教育者としての勘が働く。
今はきっと、背中を押すべきだ。ようやく学園長はそう確信出来て。
「……忙しいか。なら仕方ないのう」
そして自分の発した言葉に、その理由が納得出来た。
次の日の放課後。少しだけ遅くなった時間。
登竜学園近くにある街の中。
そこには『辰美流柔術』というごつごつとした看板が飾られた屋敷のような道場がある。
その入り口で、「たのもー!」と大きな声を張り上げる一人の少年がいた。




