アシッド砦防衛戦(上)
ユーゴが粛清隊到着の報を聞き、クラウドがティート飾りの存在を知ってから三日後。
アシッド砦の正門前に、百名のプリーストが四列縦隊を作り武器を構えていた。
その先頭に立つ白髪の男を、ユーゴ・サラ・エクセレンの三人は指揮官室の窓からこっそりと覗いていた。
「ありゃあ、やばいな……」
「だから言ったじゃん!やっぱ今からでも門を閉めた方が良いって!」
エクセレンがユーゴの服の裾を引っ張りながら足元を指さす。
アシッド砦の正門はユーゴの指示で、全開放されていた。
もちろん理由は聞いていたが、自分の懐をガラ空きにする作戦は危険が大きすぎるようにエクセレンは感じていた。
ユーゴは窓の外に視線を向けたまま、彼女の頭を何度か撫でる。
子供をあやすような扱いに口を尖らせかけたが、自分が何を言っても聞き入れられることはないだろう。
諦めたエクセレンは、もう一人の参謀の様子を窺った。
だが、呼びかけようとした声は気遣うような疑問の声に変わった。
「サラ……大丈夫?」
サラの表情は冷たく固まり、口元はぎゅっと引き締められている。
彼女は普段から感情表情が乏しい。正確に言えば、人間とまともにコミュニケーションが取れなかった数十年で、それらの機能は凍りついてしまっていたのだ。
最近は解凍も進んでいたが、緊張した表情というのは見たことがなかった。
熟練の兵士であるサラが、戦闘を控えているという理由だけで過度の緊張状態になるなど、考えられない事態だ。
軽い話題でももちかけて緊張をほぐしてあげないと、と考え始めたエクセレンだったが、それを実行に移す前に白髪の指揮官の声が砦を打った。
「ゾンビ共、これは降伏勧告ではない。宣誓だ。我々は今から、貴様らを皆殺しにする。一匹残らず神の御力を以って消滅させる。貴様らがもし私の言葉を理解しているのなら、覚悟を決めておくことだ」
その内容に、ユーゴは軽く舌打ちした。
以前やってきた粛清隊は、レブナントの存在を知らなかった。
だが、今回やってきた部隊は自分たちの存在を知っている。
「こんだけの軍団を連れてきたんだ、知ってるだろうとは思ったけどな。エクセレン。リィンは情報を漏らしてたりは?」
「しないよ。命令で喋らせたけど、彼女はあいつらに連絡をとってない」
だとすれば、この男との対決は純粋な知力と武力のぶつけあいになる。
ユーゴが覚悟を決めて外を見ると、クラウドは右手を空に掲げていた。
指で小さく十字を切ると、その指を正門へと振り下ろす。
百名の僧侶がゆっくりと砦に近づいていく。
周囲を警戒し、いつゾンビに襲われてもいいように武器を構える彼らを、ユーゴは黙って観察していた。
統制はとれているが、それでも極度に緊張している者や、落ち着いている者の差は十分に出ていた。
ユーゴは作戦のタイミングを測りながら、念話で味方を制止し続けている。
『いいか、あと少し。あと十歩進むまで待て』
念話を飛ばす先は、正門の巻き上げ機がある部屋に待機するレブナント。
ユーゴの作戦の第一手は、この正門で敵を分断することだった。
目標は、落ち着いているクラウド周囲の兵士と、過度に緊張している中盤の兵士の境界。
彼らはユーゴとは違い、この砦を手に入れることが目的ではないだろう。
必要とあれば鉄柵を火炎魔法で焼き切るだけのことはするだろうが、付近に味方がいればその手も使えない。
『あと五歩』
出来るだけ大将と最低限の取り巻きだけを孤立させ、一気に勝負を決める。
巻き上げ機がある部屋も、実際に正門の下を見ることは出来ない。指揮官室も同様だ。
ユーゴは粛清隊の歩幅と速度から、門を下ろすタイミングを測る。
勝負が動いたのは、ユーゴが秒読みを始めた瞬間だった。
「走れっ!!」
クラウドの短い命令が走り、部隊の前半分がダッシュを開始する。
瞬時に意味を理解したユーゴも指示を飛ばす。
『門を降ろせ!!』
巻き上げ機の鎖がジャラジャラと音を立て、急速に門が落ちていく。
落下する鉄門の下を、半数ほどの僧侶が既に走り抜けていた。
「くそっ、やるじゃないか」
クラウドは敵が知性を持っていて、砦に誘い込まれることも承知していた。
それだけではなく、門によって分断されることも読んでいた。
(後ろの方の兵士は明らかに命令への反応が遅れていた。部隊を熟練度で振り分けていたのか。どこまで読まれている……?)
敵が対策を取ってくることは承知の上だったが、今までの敵はレブナントの存在を知らないものがほとんどだった。
相手も知略を巡らせている前提の読み合い。
初めて訪れる緊張に、ユーゴの思考は焦り停滞しかけた。
そんな彼を目覚めさせたのは、肩におかれた手だった。
ハッとするほど冷えた白い手に驚いて振り返ると、サラが優しく微笑んでいた。
「大丈夫。分断は成功しているわ」
サラの顔は血の気が失せたように白く、蘇ったはずの肉体が驚くほど冷えていた。
それでもなおユーゴのために優しく微笑むその意味を理解したユーゴは、サラの手を両手で包み込んで温めると同時に、味方へ指示を出した。
『ゾンビ共を地下から出して正門内側に集中させろ!やつらの魔法力を底まで使い切らせるんだ!』
待ってましたといわんばかりに、獰猛なゾンビが砦の至る所から現れ、砦の内側に集まっている粛清隊へと雪崩のように襲いかかっていく。
彼らの元に辿り着く前に浄化の光を浴びてゾンビ達が蒸発し、きらきらと光る粒が幕のように広がる。レブナント達はうまくゾンビに指示を出せているようで、突撃は散発的に、しかし途切れずに続けられていた。
『魔法使いと弓兵は、神聖魔法を担当しているプリーストを集中的に狙え!エクセレンも、砦の反対側に回って正門内側を狙撃してくれ』
粛清隊は全てのメンバーが戦列に参加しているわけではなかった。
最前列の戦士が壁を作り、その一列内側が神聖魔法を使う。
戦力を常に入れ替えて、継戦能力を高めているつもりなのだろう。
実際、場所を入れ替えながら戦うという戦術はユーゴの前世にも存在したので分からないではない。
だが、その陣形は上から見れば一目瞭然だ。
『奇襲部隊、行動を開始しろ。サラと近接部隊は俺と一緒に奴の頭上に移動するぞ』
砦の内側に誘い込んだ優秀な手駒は立派にゾンビを退治しているが、飛んでくる弓矢や魔法に対しては無防備だった。
外に残った半数のプリーストの方にもどうやら指揮官がいるようだが、外に兵力を配置しているのはユーゴ達も同じだ。
『ゾンビの損耗は予定より増えるだろうが、気にせずにどんどん突っ込め。奴らを進ませないどころか、門に押し付けて圧殺するくらいの勢いでぶっ殺せよ』
◆◆◆◆
「敵が知性を持っている」という判断を最後まで信じぬけたことに、クラウドは胸をなでおろしていた。
門を開放してこちらを誘っている理由は皆目分からなかったが、あえて内側に誘い込もうとしているのであればそれに乗った上で粉砕する。それがクラウドの考えていた作戦だった。正門を使った部隊の分断はクラウドの予想以上で、突撃する部隊前方に優秀な隊員を配置していたのは運が良かった。
正門をくぐる直前。頭上がピリピリと引きつったような感覚を信じた結果、数名が門に押しつぶされて即死していたが、大将である自分は無事だ。
で、あれば。
たとえ目の前に無数のゾンビが沸き上がってきても、なんら恐れることはなかった。
「いいか、敵はここから正面衝突が作戦らしい。なら後は暴れるだけだ!!」
よほど腹をすかせているのだろう。強烈なうめき声をあげるゾンビを前にして、クラウドの周囲のプリーストは浄化の真言を唱え始める。
が、当の黒い霧はそのいずれよりも早かった。
背中から黒鉄色をした両手持ちの大剣を頭上に掲げた次の瞬間、彼の武器は地上と頭上の間を往復していた。
叩きつけと振り上げの動作が、ゾンビを斬りつけたにも関わらず一切の淀みなく実行された。
肉も、骨も、残さずに、血で出来た赤黒い霧へと変えたからこそ出来る荒業だ。
彼が本気になった姿を、直接見たことがある者は少なかったのだろう。
その姿に一瞬だけ真言を途切れさせながらも、後を追うように浄化の魔法が宙を舞い、正面に居た二十体のゾンビを浄化させた。
「洗い流せ!」
視界を確保するために魔法使いに水流を発生させる。
またも幸運が味方した、とくらんどは次の瞬間に実感する。開けた視界の中を、矢が飛来してきたのである。ギリギリのところで回避したクラウドは叫んだ。
「狙撃手がいるぞ、盾を構えよ!」
砦の外郭上からこちらに狙いをつけている何者かを探して、クラウドは視線を上げる。
足元から次々とゾンビが湧いてくる中で視線を上げ続けるというのは、百戦錬磨の彼にして肝が冷えるおぞましさがあった。
しかし、この仕事は彼以外には出来ない。
詠唱を始めた魔法使いに向かって、次なる矢が飛来した。
射手の姿は無い。しかし弓で撃つよりはるかに強力な矢は、敵意も数倍強い。
またしても直感で危険を察知したクラウドは、掲げたままの大剣の腹で飛来してくる矢を防ぎきった。
「うっそぉ……」
対面の通路上でエクセレンがげんなりとした声をあげつつも、次の矢を片手に乗せてソニック・バレットを詠唱する。
「私があの矢を防ぐ。お前らはゾンビを殺し続けろ。ゾンビを殺し尽くせばこちらの勝ち、さもなくば神の威光を穢して犬死にだ。根性を見せろ!!」