雪月風花
Ⅰ
「ハァ……ハァ……」
勝った。そう思った。
体力の消耗が著しくて、身体の総てが痛みを帯び、服が血で染まり。今にも力尽きて倒れてしまいそうだが、それでも俺は天狗に紙一重で勝利した。そう思ったし、事実として天狗は地に伏し俺は立っている。
確かに勝負には勝った。だが、六花家を救うという一点においては、俺は負けたのかも知れなかった。
「こりゃあ……今度ばかりは死ぬかもな」
俺の拳をその身に受け、地べたに這い蹲った天狗。
勇ましくも勇敢に戦った彼を囲うように、そして壁となるかのように、奴等は幾人も立って居た。赤い顔に長い鼻、背中には一対の翼を有し、服装として山伏装束を身に纏う。今、新たに空から舞い降りたのは、数えるのも億劫になるほど数を揃えた天狗たちだった。
「一応、聞いておくけれど。交渉してくれる気ってある?」
返事は返って来なかった。
「だよな」
天狗が大勢でやって来ること自体は、俺も予想がついていた。敵の本拠地での交渉、戦闘に発展することも視野に入れている。当然ながら敵のど真ん中で暴れたりすれば、援軍がやって来るのは必定だ。
当初の考えでは、もし戦闘になり援軍が現れた場合は速やかに逃げる気でいた。天狗たちが大勢行動を開始すれば、傍観に徹していた陰陽師も動かざるを得ないからだ。後のことは陰陽師に丸投げしようと思っていた。自業自得だ、お前等でなんとかしろと無責任に押し付けるつもりだった。
だが、予想以上に消耗して身体にガタが来ている今の状況で、天狗たちから逃げ切ることはほぼ不可能に近い。たぶん、俺は死ぬ。でも、こうなったら陰陽師が動くことは確実で、六花家が助かるのも決定事項だろう。
心の残りが無いと言えば嘘になるが。六花家を、風花ちゃんを救えただけでも良しとしよう。店は……おっさんにでも任せよう。
「最後に、言い残すことはあるか? 人間に伝えることはせぬが、せめて頭の片隅に留めて置こう。貴殿のような人間がいたことを、忘れぬために」
天狗たちのうち、一人が言う。
同胞を倒した人間だから、か。強敵とでも認めてくれたのかな。
「そうだな。じゃあ、最後に唯名と浮世、あと風花ちゃんの眼鏡姿を拝みたかった、とでも言っておこうか」
息をするたび口のなかに鉄の味が広がり、動くたび何処かしらから血が流れる満身創痍。
数多の天狗を目の前にして、赤く混ざった唾を地面に吐き捨てて刀を構える。決して逃れることは出来ないであろう死を、俺は覚悟した。
「ぃでッ!?」
けれど、前を見据えていた筈の視線は、後頭部に強烈な衝撃を受け、強制的に下へと向けさせられる。なにが起こったのか本当に分からなかったが、次に飛んで来た声音が耳に届いた途端に俺は総てを理解する。俺は頭を叩かれたんだ。
「なーに死にそうになってんだ、おめぇ。俺はそんな風に育てた覚えはねーぞ」
おっさんに。
Ⅱ
「ぐぉぉぉぉお!」
あっ、頭が勝ち割れる、脳が揺れて、視界が揺れる。ただでさえ満身創痍で死に掛けなのに、おっさんに頭を叩かれたら洒落にならない。この痛みは、あれだ。アイスクリームを喰った時になるキーンとした頭痛を何倍にもした痛さだ。
気持ちが悪くなってきた。
「おめぇ、俺のところを離れたときよりも、弱くなってんじゃあねーのか? 長らくぬるま湯に浸かってたんだろ」
「ふっ、ふざけんな! お前をぬるま湯に突っ込んでやろうかァ!」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。今、敵さんの目の前だよ?」
唐突に頭を叩かれたために、おっさんにばかり気を取られて気付くのが遅れたが。おっさんの隣には可笑しなことに二日前に会ったばかりの旦那が立っていた。いや、そもそもおっさんが此処にいる時点で可笑しな話なんだが。
「おっさん、どういうことだ!? 旦那まで此処に連れ出しやがって」
「どうもこうもねーよ。俺は雨音に呼ばれて来たんだからな」
「旦那が?」
「いやー。二日前に会ったとき、一チャンなんだか様子が可笑しかったからさ。ちょいと調べさせてもらったんだ。ごめんね? 一チャン」
ごめんね? って、両手を合わせられてもだな。というかこの人、本当になんの仕事をしているんだ? どんな仕事をすればそんなスキルが身に付くんだ? 素性が知れない謎多き人物だけれど、仮にも一般人だろ? 旦那は。
「駆け付けてみりゃあ、おめぇは満身創痍の死に掛け。ったく、天狗相手に喧嘩吹っ掛けてこの様じゃあ笑い話にもなりゃあしねー」
「でも、一チャンも頑張ったと思いますよ? あんなにボロボロになるまで身体張るなんて、格好いいじゃあありませんか。おやっさん」
「けっ」
眼前に数多いる敵などお構いなしに、まるで見えていないかのように会話を交わしながら、二人は、二人の大人は俺の前に歩み出る。まるで、護ってくれているように、天狗たちに立ちはだかる。
「一、おめぇはそこで見てろ。代わりに俺たちが直ぐに片付けてやる」
「ちょっと待っててね」
もうどうやら安心して膝を付いてもいいらしい。
こんなにも頼もしい味方が来てくれた。愛美さんには申し訳ないけれど、ここはおっさんと旦那に頼らせてもらうとしよう。大丈夫だ、あの二人は負ける姿なんて想像も出来ないくらい強いんだから。
「さて、おやっさん。おやっさんは強いの相手にしてくださいよ? 俺、弱いの相手しますから。飽くまでも一般人なんで」
「おめぇみたいな一般人がいるかよ。まぁ、安心しろ。もとからそのつもりだ」
軽くジャンプしたり、指の骨を鳴らしたりして、準備運動を重ねる旦那と、何をするでもなく、ただ立っているだけの不動のおっさん。
二人の到着によって、今この場における勢力図は書き換わった。いや、崩壊したと言ったほうが良いかも知れない。俺はこれまで色々な妖怪や人間を見てきたけれど、あの二人以上に力のある存在を未だかつて見たことが無いのだから。
「我らを相手にたった二人で抗うつもりか?」
「なんか勘違いしているようだな、天狗ども。おめぇらこそ、たったそれだけで俺達に抗うつもりか?」
さぞかし大胆不敵に見えただろう。身の程知らずとも、愚かしい人間だとも写っただろう。
天狗であるが故の矜持と、普通なら人間が妖怪より優れている筈がないという経験則に、絶対的な数的有利。それらが天狗たちの余裕に繋がり、油断を誘う。だが、それは同時に命取りでもあるのだということを彼らはまだ知らない。
自分の目の前に立ちはだかる二人の人間が普通ではないということを、彼らはまだ知らないんだ。
「行きますよ、おやっさん」
その言葉と共に会戦する二対多数の戦い。その戦局は常に一方的なものだった。
旦那の脚から鎌のように振るわれた蹴撃が、天狗たちの首を的確に捉え一撃で確実に意識を刈り取っていく。
四方を敵に囲まれた四面楚歌のなか多勢に無勢だと言うのに、一度も反撃を喰らうこともなく。寧ろ、敵の攻撃を逆に利用して他の相手を倒したり、自分で意識を奪ったりと。一般人という言葉の立つ瀬がなくなるくらい、肉体的に無類の強さを見せ付ける旦那。
一方で、旦那が敵陣に突っ込んで行くのを横から見ていたおっさんは、その場から一歩も動かず固定砲台のように遠距離攻撃を仕掛けていた。
言霊師の御業を用いた寸分違わぬ精密射撃により、妖力の高い天狗を中心に殲滅していく様は悪夢のようで。俺があれだけ苦労して倒した天狗よりも、更に強い天狗たちを意図も容易く、蚊でも打ち落としているかのように撃ち抜いていく。
言霊師の御業は、自分から距離が離れれば離れるほど威力が落ちる筈なんだが。どうやらおっさんは例外らしい。
結局、天狗たちが戦いを続けられていたのは、最初の幾分だけだった。それを越えてからは、ただの一方的な鎮圧でしかなく。本当に本当になんて圧倒的な人たちなんだろうと、俺は出鱈目な強さに呆れにもにた感情を抱きながら――安心でもしたんだろう。急に痛みや疲労がどっと押し寄せて意識を失った。
Ⅲ
翌日の話。
俺が目を覚ましたと同時に、耐え難い痛みが身体中を襲った。
どうやら俺は、めでたくも死ななかったらしいが、こんな痛みを全身で味わうくらいなら、いっそ死んでしまったほうがマシかも知れないと本気で思った。それくらい身体中が痛かった。
痛みにかなり慣れて来た頃、ふと、此処は何処だという疑問に行き当たり。顔や首を動かしただけで鋭い痛みが走るなか、俺は周りをぐるり見渡した。
「俺の家じゃあないか」
見覚えのある間取りに、見覚えのある天井、見覚えのある布団。俺は家に、一書店に帰って来ていた。
更に注意深く周りを見渡すと、一枚の置手紙が置いてあるのを見つけた。内容は、天狗たちのことや陰陽師のこと、それから六花家のこと。それらが総て書き記されていて、俺は痛みも忘れて読みふけった。
話を纏めるとこう言うことらしい。
この地域を担当する陰陽師は最近になって任を任されたもので、その代表格なのが火男の件や今回の件で関わっていたあの陰陽師だ。陰陽師の中でも特に妖怪を嫌っていた奴は、だから妖怪へのサポートをせず、助けを求める妖怪たちを秘密裏に殺し続けていた。
天狗にしたってそうだ。陰陽師は天狗たちが陥った劣悪な環境を放置し、天狗たちが弱体化するのを待ったのち、一斉に攻め込んで滅ぼすつもりだったらしい。その結果、天狗たちが独自に動きを見せ、六花家が危機に陥ったという訳だ。
だが昨日、俺達が暴れ周り天狗たちが大騒ぎしたことで、そのことが陰陽師の本家に知れたとのこと。
この置手紙に書かれていることが本当なら、あと数日もせずに陰陽師の偉い人が話を聞きにくるだろう。今までの悪事が総て白日の下へ晒され、あの陰陽師は破滅するはずだ。天狗たちが陥った食料不足や山の再起もなんとかなるだろう。
なんとか六花家は助かったんだ。
「はじめさーん。起きてますかー?」
置手紙にはあまり詳しいことは掛かれていなかったが、それはまだ一晩しか経っていないからだろうと、自己完結をして。俺は痛む身体に鞭を打って立ち上がり、硝子障子の向こう側にいる従業員のため鍵を外しに行く。
「あっ、おはよう御座いますって、どうしたんですか!? ぼろぼろじゃないですか!」
そう言えば、昨日から着替えはおろか風呂にも入ってないんだよな。
不味いな。唯名に要らない心配をかけそうだ。
「ちょっと色々あってな。大仕事をして来たんだよ」
「大仕事って、どんなことをすれば、そんなに血塗れになるんですか!」
心配してくれているのか。とっ、とにかく手当てしないと! と言って、唯名は駆け足で店内に足を踏み入れる。
救急箱やら、新しい着替えやら、風呂やらの準備をてきぱきとこなし、俺は言われるがまま成されるがまま、唯名の言う通りに行動した。というか、あまりの剣幕に逆らおうとも思わなかった。
「もうもうもう! 本当にもう!」
「そんなに怒っても、どうにもならないでしょう?」
「怒るよ! 身体中、傷だらけなんだもん!」
風呂を済ませて新しい服に着替えたのち、今は唯名に包帯を巻かれているところだった。俺が風呂に入っている間に遅れて来た浮夜もやって来ていたようで、ぷんすか怒る唯名を宥めてくれている。
しかし、これでも傷はかなり癒えているほうなんだけれどな。昨日のうちにおっさんが治癒を施してくれていたらしく、大きな傷は残らず綺麗に塞がっていた。小さい傷は自力でなんとかしろってことなんだろう、おっさんが考えそうなことだ。
「ありがとうな」
「どういたしまして!」
怒ってても返事はするんだな。素直というか根が優しいというかだな。
そうして大人しく包帯を巻かれ、ミイラのようになりかけたところで、締め切っていた硝子障子が独りでに動き出す。けたたましい音を鳴らして引かれた硝子障子の向こう側にいたのは、漆のような髪を靡かせた大和撫子。
「一殿」
六花風花だった。
「よう、風花ちゃん。悪いけれど、まだ店は開いてないんだ」
おどけたようにそう言ってやると、風花ちゃんはその場で深々と頭を下げた。
「話は……聞かせて頂きました。此度は、私達一族を……お救い頂き、真に……ありがとう御座いました」
沸き上がる勘定を押さえ込み、言葉につまりながらも言い切ったその感謝は涙で濡れていた。
助かったことが余程うれしかったんだろう。唯名の時みたいに大声を上げて泣いたりはしていないが、それでも隠せ通せはしない。命の危険がなくなれば、家族が救われたとなれば、嬉しくなるのが当たり前なんだから。
「顔を上げてくれよ、風花ちゃん。俺はそれより風花ちゃんの眼鏡姿が見たいな」
「はじめさん。状況が掴めませんけど、その言葉はないと思います。はじめさんらしいですけどね」
「私も唯名に同意です」
「やっぱり?」
俺なりに場を和ませようとしたんだけれどな。
「ふふ……ふふふっ」
でも、意外と効果はあったみたいだ。実はかなり笑いの壺に入りやすい性質なのかも知れないな。
さっきの涙は何処へやら、満面の笑顔で花のように笑う風花ちゃんの笑顔は、まるで雪月風花のように美しいのだった。




