希望の朝
再び読んでくれてサンガツ!
王都に朝日が昇ってから数時間後。
王城前に広がる大広場には、多くの人々が集まっていた。
兵士。
職人。
商人。
老人。
母親に手を引かれた子供たち。
昨日まで避難所へ身を寄せていた人々が、復興の手を止め、この場へ足を運んでいる。
誰もが疲弊していた。
包帯を巻いた腕。
松葉杖をつく兵士。
煤で汚れた衣服。
それでも、その表情に絶望はない。
広場へ設けられた演台へ、国王グレイワースがゆっくりと姿を現した。
その姿を見た国民たちは自然と静まり返る。
国王は人々を見渡し、大きく息を吸った。
「皆の者」
低く、よく通る声が広場へ響く。
「昨日、この国は滅びる運命にあった」
その言葉に、人々は静かに俯く。
昨日の恐怖が脳裏を過る。
崩れる城壁。迫り来る敵兵。家族との別れ。死を覚悟した瞬間。
「だが、我々は生きている」
国王は拳を握る。
「諦めず戦った兵士たちのおかげだ」
兵士たちから歓声が上がる。
「民を守るため命を懸けた騎士たちのおかげだ」
再び歓声。
「そして──」
国王はゆっくりと後ろを振り返る。
「この国を救ってくださった恩人がおられる」
その言葉に広場がざわめいた。
「あの黒い方だ……」
「昨日の……」
まだ恐怖は完全には消えていない。それも当然だった。
昨日現れた存在は、人間とは到底思えなかったのだから。
その時、メアリーが一歩前へ歩く。
「ご主人様、お呼びです」
『う、うん……』
少しだけ困ったような声。
そして、黒い霧が静かに揺らぎながら、ネームレスが演台へ姿を現した。
一瞬。
広場から音が消えた。その姿は昨日と変わらない、深淵のような黒い身体。
ゆらめく霧。深紅の瞳。まるで世界の闇が人の形を取ったような異形。
その姿を見て、小さな子供が母親の後ろへ隠れる。
兵士の中にも思わず身構える者がいた。
ネームレスはそんな視線を受け、小さく肩を落とす。
『……まぁ、こうなるよね』
誰にも聞こえないほど小さな呟き。
その横でメアリーが静かに言う。
「ご主人様」
『なに?』
「皆様は、ご主人様を恐れているのではありません」
「昨日見た奇跡が、まだ信じられないだけです」
ネームレスは少しだけ考える。
『そう……かな』
「はい」
「もう少しだけ、お待ちください」
その時だった。演台の横から、小さな足音が響く。
「ネームレス!」
王女ジュリだった。
昨日とは違い、綺麗な白いワンピースへ着替えている。
彼女は何の迷いもなくネームレスの隣へ立つ。
そして大きく振り返った。
「皆!」
「この人が……この人が私たちを助けてくれたの!」
その声は広場中へ響き渡る。
しかし、まだ誰も動かなかった。
静寂が流れる。
その静寂を破ったのは、一人の老人だった。
足を引きずりながら前へ出る。
昨日、瓦礫の下敷きになっていた男だ。
ネームレスを見るなり、その場へ膝をついた。
「……助けていただき」
声が震える。
「ありがとうございました」
深々と頭を下げる。
その姿を見た兵士が続く。
「私は昨日、死ぬはずでした」
「妻のところへ帰れたのは、あなたのおかげです」
さらに一人。
「息子を守れました」
「本当にありがとうございます」
また一人。
「店は壊れました」
「ですが家族は生きています」
「それだけで十分です」
ありがとう。
ありがとうございます。
助かりました。
感謝しています。
次々と広場に響く感謝の言葉。
一人。また一人。
気付けば広場中の人々が自然と頭を下げていた。
その光景にネームレスは目を丸くする。
『久々にこんなに感謝されて、照れちゃうな』
黒い霧がわずかに揺らぐ。
まるで本当に照れているかのようだった。
その様子を見て、広場のあちこちから笑い声が漏れる。
「はははっ!」
「なんだ!」
「意外と可愛い方じゃないか!」
「もっと怖い方かと思ってた!」
ネームレスは戸惑ったようにメアリーを見る。
『笑われてる?』
「いいえ」
メアリーは優しく微笑む。
「皆様、ご主人様を好きになり始めているのです」
『好き……?』
「はい」
「ご主人様は、人を救うことは得意でも、人に慕われることには慣れておられませんから」
『そう……なのかな』
その時、小さな女の子が母親の手を離し、ゆっくりとネームレスの前まで歩いてきた。
周囲が息を呑む。
少女は恐る恐るネームレスを見上げると、小さな花を一輪差し出した。
「お兄ちゃん」
「ありがとう」
ネームレスは少し驚いたように目を瞬かせる。
黒い霧でできた手をゆっくりと伸ばし、壊れ物を扱うように花を受け取った。
『……僕に?』
「うん!」
「お母さんがね」
「ありがとうって言ったら、お花をあげるんだよって!」
ネームレスはその花をしばらく見つめ、やがて心から嬉しそうに笑った。
『ありがとう』
その笑顔を見た瞬間、広場にいた人々の胸から、最後の恐れは静かに消えていった。
異形ではある。
けれど、その心は誰よりも優しい。
そのことを、人々はようやく理解し始めたのだった。
ネームレスは、手の中にある小さな花を大切そうに見つめている。
黒い霧でできた指先は、花びらを傷付けないよう慎重に添えられていた。
『綺麗なお花だね』
少女は満面の笑みで頷く。
「うん!」
その笑顔につられるように、ネームレスも穏やかに微笑んだ。
その光景を見ていた子供たちは顔を見合わせる。
「あれ?」
「怖くない……?」
「優しい?」
その一言をきっかけに、一人の男の子が駆け出した。
「お兄ちゃーん!」
「わっ」
ネームレスが驚く間もなく、小さな身体がその足へ抱きつく。
『えっ……』
男の子は恐る恐る黒い霧へ触れる。
「ふわふわ!」
「雲みたい!」
「ほんとだ!」
次の瞬間だった。
「ぼくも!」
「わたしも!」
「待ってー!」
十人近い子供たちが一斉に駆け寄ってくる。
ネームレスは完全に囲まれてしまった。
『あっ……』
『あの……』
「お兄ちゃん!」
「目が赤い!」
「髪ないの?」
「それ体なの?」
「何食べるの?」
「何歳?」
「飛べる?」
「昨日の黒いの凄かった!」
質問が次々と飛んでくる。
ネームレスは目をぱちぱちと瞬かせた。
『えっと……』
『順番にお願い……』
子供たちは一瞬静かになる。
「じゃあ最初!」
「お兄ちゃん怖いものあるの?」
ネームレスは少し考える。
『怖いものは……あるよ』
「えっ!」
『みんなが泣いてるのを見るのは怖い』
その答えに子供たちはきょとんとした。
「変なのー!」
『そうかな』
「うん!」
ネームレスは困ったように笑う。
『僕は、みんなが笑ってくれる方が嬉しいから』
その言葉に、子供たちは顔を見合わせる。
そして。
「じゃあ!」
一人の少女がにこりと笑う。
「笑ってあげる!」
満面の笑顔。
それを見た他の子供たちも負けじと笑い出す。
「えへへ!」
「あはは!」
「見て!」
「笑ってるよ!」
広場には子供たちの笑い声が響き渡る。
ネームレスは思わず吹き出した。
『あはは』
『ありがとう』
その笑顔は、先ほどまでの照れ笑いとは違う。
心の底から溢れた笑顔だった。
その様子を少し離れた場所から見ていた国王は、腕を組みながら静かに呟く。
「不思議なお方だ」
シュバルツも頷く。
「昨日まであれほど恐れていた民が、今日は笑っております」
「子供たちなど、まるで昔から知っていた友のようです」
国王は小さく笑った。
「子供というものは、見た目ではなく心を見る」
「だからこそ、あのお方の優しさが分かるのであろう」
その隣でジュリは誇らしげに胸を張る。
「だから言ったでしょう!」
「ネームレスは優しいの!」
一方。
ネームレスは子供たちに囲まれ、すっかり質問攻めになっていた。
「お兄ちゃん!」
「昨日の黒いのもう一回!」
『あれは戦う時だからなぁ』
「ちょっとだけ!」
「お願い!」
『うーん……』
困ったようにメアリーを見る。
「ご主人様」
「皆様が期待されています」
『そう言われると断れないよ』
メアリーは小さく微笑む。
「それがご主人様ですから」
ネームレスは照れくさそうに頭を掻く。
『少しだけね』
そう言うと、黒い霧がふわりと身体から溢れ出す。
子供たちは目を輝かせた。
「わぁぁ!」
「すごーい!」
霧はゆっくりと空へ昇る。
やがて一羽の小鳥の形を作った。
「鳥さん!」
「飛んだ!」
小鳥は子供たちの頭上をゆっくり旋回する。
続いて兎。
犬。
猫。
蝶。
霧は次々と愛らしい動物たちへ姿を変えていく。
子供たちは歓声を上げながら追いかけ回した。
「待ってー!」
「こっち来た!」
「可愛い!」
ネームレスはその様子を見ながら穏やかに微笑む。
『楽しそう』
「はい」
メアリーもまた、その光景を優しく見守っていた。
「ご主人様」
『なに?』
「戦う時のお姿もお美しいですが……」
「私は今のお姿の方が、ずっと好きです」
ネームレスは少し照れたように笑う。
『ありがとう』
その時、一人の小さな男の子がネームレスの服をちょんちょんと引っ張った。
「ねぇ、お兄ちゃん」
『うん?』
「これからも、この国にいてくれる?」
その無邪気な問いに、広場は静まり返る。
大人たちも、兵士たちも、国王も、ジュリも。
誰もがネームレスの返事を待っていた。
ネームレスは少しだけ空を見上げる。
旅を続けてきた日々。
救えなかった世界。
そして、今目の前で笑う人々。
ゆっくりと子供の目線にしゃがみ込み、その頭を優しく撫でる。
『少しの間だけ』
『君たちが安心して笑えるようになるまで、ここにいるよ』
その言葉を聞いた子供たちは歓声を上げ、一斉にネームレスへ抱きついた。
「やったー!」
「約束だよ!」
「絶対だからね!」
ネームレスは苦笑しながらも、その小さな身体を優しく受け止める。
少し離れた場所で見守るメアリーは、誰にも気付かれないほど小さく微笑んだ。
──ご主人様。
──また一つ、「帰る理由」が増えましたね。
王都の空には、戦火の黒煙ではなく、子供たちの笑い声がどこまでも高く響いていた。
────
王都中では復興の準備が始まっていた。
瓦礫を運ぶ者。
怪我人を支える者。
炊き出しを始める者。
誰もが未来へ向かって歩き始めている。
その光景を眺めながら、ネームレスは少し困ったように頭を掻いた。
『人手が足りないなぁ』
メアリーが静かに頷く。
「はい」
「ご主人様のお力で街を救うことは出来ました」
「ですが、街を元に戻すには人の手が必要です」
ネームレスは少しだけ考えた後、小さく笑った。
『みんなにも手伝ってもらおうか』
その言葉に、メアリーも柔らかく微笑む。
「承知しました」
次の瞬間。
ネームレスの身体を構成する黒い霧が静かに揺らぎ始めた。
まるで深淵そのものが呼吸をするかのように。
ジュリは目を丸くする。
「また……霧が……」
国王もシュバルツも息を呑む。
昨日、王都そのものを飲み込んだ深淵。
その中心から、新たな気配が現れ始める。
『みんな』
『起きて』
優しいその一言と共に、黒い霧の中へ七つの光が灯った。
最初に姿を現したのは、巨大な黒い鎧だった。
「なんだ、同盟者よ。仕事か」
『うん』
『怪我人と街をお願い。ディアン』
ディアンは静かに頷く。
「分かった」
「怪我人は何処か」
続いて、小さな足音が響く。
白いワンピースを揺らしながら、一人の少女が飛び出してきた。
「お父さ──ん!」
勢いよくネームレスへ飛び付く。
ネームレスは笑いながら受け止めた。
『おはよう、リリィ』
「えへへ!」
「今日は何して遊ぶの?」
メアリーが少し困ったように微笑む。
「リリィ」
「遊ぶ前にお仕事です」
「えっ!?」
「……そうなのね!」
リリィは照れ笑いを浮かべる。
「頑張る!」
その姿に、子供たちは一瞬で笑顔になる。
「女の子だ!」
「可愛い!」
「遊ぼう!」
リリィも嬉しそうに笑う。
「あとでね!」
「今は街を元気にするの!」
その言葉だけで、大人たちの頬も緩んだ。
次の瞬間。
ゴンッ!
地面が揺れるほどの足音。
現れたのは褐色の肌を持つ長身の女性。
赤い髪を揺らしながら大きく背伸びをする。
「ん〜!」
「よく寝た!」
その金色の瞳がネームレスを見る。
「旦那!」
「今日は何をぶっ壊せばいい?」
ネームレスは苦笑した。
『ドーラ』
『今日は壊さない日だよ』
「あ?」
『直す日』
ドーラは数秒考える。
そして豪快に笑った。
「ガハハハ!」
「そうかそういう日か! なら瓦礫全部どけりゃいいんだな!」
そう言うや否や、城壁ほどある瓦礫を軽々と持ち上げる。
兵士たちが思わず叫ぶ。
「持ったぁぁぁ!?」
「嘘ぉぉぉ!」
ドーラは首を傾げる。
「ん?どうした?」
ネームレスは苦笑するしかない。
続いて現れたのは、一人の老人。
白髪に眼帯。
和服姿。
腰には一本の刀。
「ふむ」
『やぁ龍魔』
「殿、平和とは良いものでござるな」
『そうだね』
龍魔は静かに周囲を眺める。
そしてシュバルツを見る。
「ほう」
「貴殿、中々の武人と見た」
シュバルツは冷や汗を流す。
「……今は勘弁願いたい」
「無論」
「仕事が終わってからでござる」
嬉しそうだった。
最後に現れた男は軍服へローブを羽織っていた。
表情は穏やか。
しかし歴戦の兵士だけが持つ雰囲気を纏っている。
「隊長」
「本管へご命令を」
『黄泉、街のみんなをお願い』
「了解」
それだけ言うと男は街へ向かって歩き出した。
「まずは資材の管理」
「兵站の確保」
「食料の配給」
「避難区域の再編」
淡々と指示を出していく。
その手際はまるで何十年も軍を率いてきた名将だった。
王国軍の兵士たちは目を見張る。
「凄い……」
「一瞬で復興計画が出来上がっていく……」
国王は思わず呟く。
「これほどの者たちが……」
「全員、ネームレス殿の仲間なのか」
ネームレスは少し照れくさそうに笑う。
『うん』
『僕の大切な家族だよ』
その一言に、従者たちは一斉にネームレスを見る。
リリィは嬉しそうに笑い、ドーラは豪快に笑い飛ばし、ディアンは静かに頷き、龍魔は目を細め、黄泉は胸に手を当てて敬礼した。
メアリーだけは何も言わない。
ただ、誰にも気付かれないほど小さく微笑み、その言葉を胸に刻んでいた。
そして七人は、それぞれが得意とする方法で王都の復興へ歩み出す。
この日から王都の人々は知ることになる。
深淵のような異形の少年は、一人で奇跡を起こしたのではない。
彼の周りには、七人の従者がいたことを。
そして、その七人が集まった時、絶望に沈んだ王都は本当の意味で復興への第一歩を踏み出したのだった。
コメント気軽によろしくね。ホントに気軽で良いから




