Ⅰ章
1章
ある、綺麗な金髪を伸ばした少女が居た。
ピンクの可愛らしいドレスを着て、花園を歩いている。
まだ、十二才ほどの少女だ。
その少女は、近くを歩く一人の執事に声をかけた。
「ローレ」
ゆっくりと余裕を持って、ローレと呼ばれた男が振り向く。
「何でしょう、ミリアお嬢様」
オールバックにされた黒い髪。
右目は眼帯に隠している。
綺麗なタキシードを着ていて、まるで執事の様だ。
まだ暑い季節なのに、白い手袋をしっかりと着けていた。
近くでキィと金属が軋む音が聞こえた。
ローレからだろうか?
まあいい。
「今は何をしてるの?」
正午、この時間の花園では、他に人を見かけない。
ここでは二人きりだった。
「今は、散歩を。
仕事を手伝おうとするも、邪魔と言われてしまいまして」
いつもそうだ。
このローレという執事は、仕事をあまりしてない。
庭の水やりと、庭木の手入れ以外の仕事はできず、読書と散歩をしている姿を良く見られてる。
「ど、どうやって、この屋敷の執事になったの?」
この屋敷のベルクト家は、それなりに大きな家だ。
そう簡単に執事として入れないだろう。
「元々の地位はあったものの、貸しを作ってしまい。
執事になるしか無くてですね」
「地位が、あった?」
元は貴族かなんかだったのだろうか?
「それより、どうやって入ったか、ですね。
まあ、貴方のお父さんに救われたという説明で大丈夫ですか?」
「ま、まあ」
救われた? 貸し?
まあ、これから知れば良い話だろう。
「お嬢様は逆に何をなさられてましたか?
邪魔なら、席を外しますよ」
「いえ、その。
お茶……でもしませんか?」
何をしてたと聞かれたら、ただローレに話しかけたかっただけだ。
それ以前も、ただの暇を持て余していた。
「分かりました。荷物を取りに行くので、近くのガゼボに入っていてください」
そう言って、ローレは屋敷へ、ゆっくりと歩いて行った。
「な、何で、カリナが居るんですか?」
茶髪で、清潔なメイド服を着た女性が、ローレの後ろに居た。
メイドの計画などを統治する、ハウスキーパーのカリナだ。
カリナの腰から、ジャラジャラと鍵同士がぶつかる音が聞こえる。
苦手な音だ。
何故か、焦らされてる気分になる。
「お茶をするために長房にセットを取りに行った所。
丁度居たカリナに『お前の茶は不味いから淹れるな』と。
『お前が淹れるくらいなら、私が淹れる』と言われて」
ローレが言い訳みたいに言う。
それで、メイド長が?
「それに、これはローレの仕事ではありません」
カリナがキッパリ言った。
「その……ローレの仕事って?」
最初から、これを聞こうか迷ってた。
仕事をしてな──違う、できる仕事が少ないローレが、何の仕事を?
「用心棒、が近いですか?」
「まあ、まだ誰も守って無いですけど」
カリナがすぐに訂正する。
用心棒?
「こう。聞く話では無いかもしれませんが、強いのですか?」
ローレと会った回数は少ない。
普段の姿も知らないから未知数だが。、ローレは見た感じ細いし、強そうには見えない。
「ローレが強いかどうか、ですか?
私も戦いぶりを知らないので」
カリナが言う。
戦いを見た事ない?
用心棒なのに?
「ま、平和な事は良い事でしょう。
私の様な人は、仕事は少ない程良いんです」
ローレが噛み締める様に言った。
平和、か。
後ろでカリナがお茶を淹れ始める。
「ローレっていつからここに居るのですか?」
「いつから?」
私が初めて見たのもつい最近だ。
いつからだろう。
「多分、二年前からは居ました。
執事としては一年程です」
二年。
そんな前から?
というか、一年何をしてたんだ?
「物覚えは悪いですし、いつも貧血でフラフラしてますし。
使えない執事ですけどね」
ほ、本当に強いのか?
そんな話をしていると、柑橘系の香りが漂って来る。
「ミリアお嬢様。ミルクティーです。
小さめですが、サンドイッチもどうぞ」
そうして、少し早めのアフタヌーンティーが始まったのである。
*
「ローレ!」
今日も今日とて、執事に声をかける。
とても暇そうな、眼帯付きの執事に。
「今日は外出するわ!」
「ほう……。
では、許可が必要ですね」
ローレは特に何をしたいかも聞かず、話を進めた。
「お願いできますか?」
お父さんとはあまり話をする間柄ではない。
それに許可などの面倒ごとは、ローレなどの父との関係のある執事に任せるべきだ。
「こちらの準備もありますし、ついでにやりますよ」
そう言って、ローレはゆっくりと屋敷へ歩いて行った。
少しふらついた足取りで。
「──という訳で、許可をいただきに来ました。ベルクト・ベリル様」
薄暗い部屋に、二人の人間が居た。
ドア周辺のローレと、部屋の中央の椅子に一人。
ガタイの良いおじさんだ。
装飾が豪華な服を着ている。
「許可しよう。
護衛は、いるかな?」
薄い笑みを浮かべながら、言う。
「許可……するんですね。大丈夫ですか?」
大丈夫、とはミリア一人で良いのか? の意味だろう。
「ああ、責任は、私がとる」
ベリルは強く言い切った。
「了解です。護衛は私一人で十分です。
仲間と一緒ってのは、好みじゃないので」
そう言って、ローレは部屋を出た。
軽い笑顔を浮かべながら。
「すみません。遅れてしまいました」
ローレが歩きつつ、入り口で待ってるミリアに近付く。
「いえ、それほど待ってません」
少し地味な服を着たミリアが言った。
「ローレさん。持って来ました!」
従僕の二人が黒い、綺麗な箱を持ってくる。
まるで楽器ケースの様な、二メートル近い箱。
男二人でも、重そうに運んでいる。
「ありがとうございます」
それを左手で軽く受け取り、左肩に背負った。
高身長なローレでも、上に少し余ってしまっている。
「楽器ですか?」
これほどの大きさなら、コントラバスなどだろうか?
しかし、コントラバスと比べると、横に広さが無い。
木管楽器? いや、金管楽器の可能性もありそうだ。
「ただの手荷物です。気にせずに」
「は、はい!」
入り口へと体を向けた時に、チラッと服の下のナイフの鞘が見えた。
そうか、本当に“戦いの人”なのか。
「では、他の護衛を待ちま──」
「それは要りません」
へ?
入り口をたった二人で抜ける。
「ほ、本当に一人で良いんですね」
「こちらの方が目立ちませんしね」
目立たないのはそうだけど。
執事とたった二人というのは、人生の中でも初めての経験だ。
「家族へのプレゼントの買い物、でしたね。
アクセサリー関連の店は、カリナに聞いてます。
行きましょう」
おお、行動も早いな。
いや、話を聞かないなんて、流石にそんなヘマはしないか。
流石のローレでも。
「貴方……なんか、センスが無いですね」
二人は、まあまあ大きなアクセサリーショップに居た。
店員は奥に行っていて、客も居ないから、実質店は貸し切り状態だった。
そこで、プレゼント用の指輪を選ぶべく、ローレに試しに選ばしてみたのだ。
だが、持って来たのは変な形の指輪だった。
「いえ、これらは綺麗とは思うのですが、選べと言われても……」
ローレが言い訳がましく言う。
選ばせる時に、嫌な顔をしてたのは、そういう事か。
「これとか、ローレに似合いそうですけど」
赤い宝石を銀色で縁取った指輪を手に取る。
黒白しか色がないローレには、似合いそうだ。
それに、貧血のせいか青っぽい顔と良いコントラストになってるし。
「良いですね。
折角選んで頂いたのですし、付けさせて貰いますよ」
そう言って、会計に進んで行った。
え? 決断が早くない?
「あ、ありがとう、ございます?」
こういう人を掴み所がない、と言うのかな?
まあいいか。
さっきローレが持って来た指輪を見る。
緑と金を基調とした変な形の指輪を。
まるで悪魔でも籠ってそうだ。
ネタなのか、本気なのか。
あんま表情が無いから、どうなのか分からないが、選べないなら、少しふざけようとしたのだろう。
そうでないと、普通は持ってこない──はず。
そう考えていると、ローレが戻ってくる。
「すみません。ちょっと店員さん探すのに手間取ってました。
これ、良いですね」
手袋を外した右手を見せて来た。
それの肌は灰色で、機械じみていた。
「義手……ですか?」
「あ、そうでした。
つい無意識に。左手に付け替えますね」
無意識というのは、まだ義手に慣れていないのだろう。
いつから着けているのだろうか。
「あ! い、いや大丈夫です。
自分が見やすい方で良いんです!」
「でしたらまあ、そのままで」
右手の指輪を外そうとした左手を戻す。
「義肢があって、不自由しないのですか?」
正直、義肢は不自由なイメージしかない。
あまり見ない物だから、悪いイメージでしか語れないが。
「まあ、動かないよりはマシ……と言うしか無いですね。
これ以上は望めませんからね」
望めない。
お金か、技術か。どちらの問題だろうか?
「そう、ですか」
まだ、何も分からないな。
ローレの事は。
コツコツと、路地に足音が響く。
ローレはまだ大きな荷物を肩に背負い、指には指輪をはめていた。
まだ手袋は外したままだ。
左手で小さい袋を大切そうに抱えている。
さっきのアクセサリーショップのロゴが入っていた。
「裏路地を通るんですね」
いつも通りに表通りを歩かず、今は酒場などが並ぶ裏通りを歩いていく。
「なんか、嫌な雰囲気を感じたので」
雰囲気。
勘の様な物だろうか。
考えていると、体が一気に後ろから押される。
なん──。
「来ました」
拍手の様な破裂音が、後ろから連続で聞こえた。
怖くて目を閉じる。
まだ破裂音は続いている。
ゆっくりと目を開けると、ローレのタキシードが視線を遮っていた。
「お嬢様、怪我はありませんか?」
優しい声が間近で聞こえた。
「は、はい」
返事をしつつ視線を上げると、黒いタキシードに暗い赤が広がっていく。
血……?
「この程度問題ありません」
視線に気付いたのか、答えがすぐに返って来る。
「お嬢様。この剣の後ろに隠れて。
できるだけ顔を出さないで下さいね」
ローレが手で背中側へと押してくれた。
そうすると、目の前に幅広な鉄の塊が見える。
これが、剣?
二メートル近くの鉄の塊。
楽器ケースに入れていた物だろうか。
「分かりました」
その返事に、ローレは笑顔を返してくれた。
「行ってきます」
ローレが剣の影から左へと財布を投げた。
そこへと弾幕が殺到する。
その隙に右に飛び出した。
反応した敵が弾を撃つも、速度が追いつかない。
敵の数は三。
ローレは右手を振ると、一人の手元へと“何か”が迫る。
その“何か”の先端が、腹の防弾服へと根を張る様にホールドし、引っ張る。
「ワイヤ──」
空中で声を張るも、間に合わなかった。
グサッと軽い音を立てて、紫のナイフが防弾服に深く刺さる。
そして、ナイフに光が灯った。
「さあ、行こうか!」
その死体を盾に、ローレは間合いを詰める。
その影から右手が振られ、ワイヤーが地を這う様に進む。
「このやろ!」
そう言っている彼の手元の銃に、ワイヤーが刺ってしまう。
一気に引き寄せられた。
体勢を崩さないために手を離す。
その銃を、ローレが左手で掴んだ。
銃口側を。
「ひっ!」
銃を持ってるもう一人に狙いをつけて、銃で殴りかかる。
素早く身を引くも、銃だけを上から叩かれ、手元から銃が落とされた。
これで残り二人の飛び道具はゼロ。
そして銃を叩かれた彼は、身を引く時に体勢を崩してしまった。
そこに容赦無く、ローレの右手に持ったナイフが伸びる。
心臓を外し、骨へと刺さってしまうが、内臓を貫いた事で即死だった。
「ぬ、けない!?」
ローレの表情が見開かれる。
右手で抜こうとするも、抜けないのだ。
その隙を狙って、最後の一人が右手を向ける。
「雷槍術式! モールニア!」
ただ、ローレはそれに驚きはしなかった。
左手を素早く向け、魔法を使用する。
「パミェハノイズ」
空中で光っていた魔法陣が離散した。
「魔法使いかよ!?」
その動揺した隙に、ローレは左手でナイフを抜いた。
軽い力で抜かれたナイフが、最後の一人へと投げられる。
「ザシチ──」
防御魔法を展開するも、ガラスかの様に割れた。
そのままの勢いで進み、頭を貫く。
頭を貫かれた死体は、ゆっくりと後ろに倒れて行った。
「お嬢様」
静かになった路地に、ローレの声が響く。
その落ち着いた声は、大剣の裏に居る少女まで届いた。
「さっさと逃げましょう」
「な!? 戦闘したんですか!」
「まあ」
入り口に迎えに来たメイドから屋敷全体に話が広がり、カリナまで玄関に出て来た。
「武器もこんな傷だらけに!
逃げれば良いのに、何で戦ったんですか?」
何故か顔が元気になってるローレが、めんどくさそうに言う。
「攻撃をして来たのに、無傷で巣に帰すのは嫌いなんですよ。
それに、ナイ──体が、鈍るのも嫌なので」
近くの従僕に武器を渡していき、傷付いた右手も、肩から先を外して渡した。
しかし、腰のナイフだけは手放さない。
まるで体の一部かの様に、付けたままだった。
「両足も外してください。
あ! 車椅子を持って来てください!」
「両足を、外す!?」
聞いた事のない単語の羅列に、ミリアは驚く。
近くの椅子に座り、靴を脱ぐかの様な仕草で、膝から先が外れたのだ。
それを両足とも行う。
義足、なのだろう。
両足義足で、あれ程に動き回れるものなのか?
もしかして、ローレって。
化け物……か?
「傷の処置もします。
ほら、見せてください」
上着を脱ぎ、シャツのボタンを外して、傷口を見せた。
「もう閉じてるだろ、傷」
服の血が滲んでいた部分の傷口が、まるで何日か前の傷の様に塞がれていたのだ。
「はあ? 回復魔法、ではこんな傷口にはなりませんし。
というか、縫われてる?」
傷口をよく見ると、確かに細く透明な糸で縫われていた。
「傷は良い。それより、義肢を早く直してくれ。
代替え品でも構わない。
何故か、嫌な予感がする」
右手と両足が取れた、まるで人形の様なローレが言う。
なんか分からないけど、間抜けに見えた。
戦闘の怖さは、まるで遠い昔の様に感じた。
「二人とも無事なのだな」
カリナと、大きな椅子に座ったベルクト・ベリルが話していた。
「無事です。
お嬢様に怪我もありませんが……」
カリナは露骨に嫌そうな顔をしている。
「ローレは優秀な兵だ。
これからも単独で行動させる」
しかし、ベリルの発言はブレない。
「わ、かりました」
カリナはそれに反抗しても無意味なので、認める事にした。
「失礼しました」
カリナが部屋を出て行く。
一人、大きな部屋に取り残された。
大きなため息を吐きつつ、背もたれに寄りかかる。
「これが、吉と出るか、凶と出るか」
何もない空間へ語りかける。
まるで、過去を思い出してる様に。
「これから分かる事か……」
ベリルは、ゆっくりと目を閉じた。
窓から部屋に差した光が弱まって行く。
部屋中を闇が包む。
夜は、すぐ側にある様だ。
「ミリアお嬢様。おやすみなさい」
お嬢様の部屋から出て行く。
一人の侍女が、暗い廊下を歩いていた。
そうすると、突き当たりに一人の影が見える。
長身で、髪が長い影だった。
「カリナさん……ですか?
こちら業務は終わりました」
この時間に見回りしてる人は、メイド長のカリナさんのみ。
それに、高身長な女性も、カリナさんしか居ない。
その影に近付く。
「明日は奥様とミリアお嬢様が鉢合わせない様に──」
ポスッと乾いた音が間近で聞こえる。
その音がした物を見ると、丸い円筒の付いた銃だった。
「カフッ!」
口を撃たれた!?
叫んで誰かを呼ぼうとするも、声が出ない。
口から涎かの様に血が地面に溢れた。
柔らかいカーペットに染み込んで行く。
「すまんな」
小さな男の声が聞こえると同時に、意識が途絶えた。
「どうかしましたか?」
ローレが寝室で歩いていた。
後ろにダンベルが置いてあるのを見るに、今まで筋トレをしてたのだろう。
今は、壊れた義肢の代わりに、フレームがモロ出しの機械味の強い義肢を着けている。
ローレの向かう先には、ナイフが光っていた。
それを手に取る。
「血?」
ローレの鼻がヒクヒクと動く。
それの直後、目が見開かれ、左手にナイフを持ったまま、部屋を飛び出した。
迷いなく屋敷の中を走り、ミリアの部屋へと向かって行く。
この角を曲がれば──。
「な!?」
敵の驚いた声が聞こえた。
きっと、足音でバレたのだろう。
長髪の長身。
黒い服に、黒い髪。
手にハンドガンと、腰にナイフ。
暗殺者か。
足元には、侍女が一人倒れていた。
頭から血が漏れてるのを見るに、もう死んでいるんだろう。
無言で、左手をナイフごと突き出す。
「クソ! が!」
敵は、銃を突き出すも、その銃口にナイフが刺さる。
「こんにちは。目標はミリアお嬢様、ですか?」
「さあな! でも、今はお前だ!」
敵は、銃を押し出す様にローレへと投げる。
それにより空いた右手が腰の後ろに回った。
「早く終わらせたいのでな」
順手で抜かれた武器は、異形のナイフだった。
剣の真ん中の部分が折れ曲がり、半円状の刃が目立つ武器、ショテルだ。
刃全体を黒く塗り、反射光を防いでいる。
「貴方、センスが無いですね」
相手の美的センスをローレが馬鹿にする。
「どうだか」
紫のナイフを持って、眼帯を着けてるローレとは、どんぐりの背比べだった。
その後互いに視線を交え、静寂が流れる。
そこに、近くの大きな窓から月明かりが差し込んだ。
ローレの足元には光る物が一つ、ハンドガンだ。拾う気が無い様だった。
余裕を見せつける様に胸を逸らしている敵とは対照に、ローレは背中を丸め、ナイフと左手を顎の前に持ってきていた。
先に地を蹴ったのはローレ。
ショテルは曲がってるとはいえ、それでも全長一メートルもある。
リーチ差は、近付くしか対処法は無い。
しかし、敵もそれを理解して、半歩引いてショテルを右から左へと薙ぐ。
ショテルはその形状上、先端を防ぐのは至難の技。
だから、防がなかった。
ローレは、左手で地面を押して、空を舞った。
「ずりぃな!」
それに反応し、空中のローレへと刃を振るうも、今度は防がれる。
彼我の距離は、五十センチ程。
ショテルの間合いは、とうに過ぎていた。
軽々しく弾かれる。
そして、敵は体勢を崩す。
そこに獣の様な勢いでローレが迫る。
敵は、左手で防ぐ事しかできなかった。
普通の腕なら、このまま軽く切られてしまう。
普通の腕なら。
ガキィンと耳障りな音が聞こえた。
「危ねぇ、な!」
ナイフが弾かれる。
その時に、敵が一瞬左手を見た。
そこには表面が溶けて変形した、真っ黒な籠手が見えた。
「魔鉱石を溶かし込んでんのに、溶けるとは。
魔剣か何かの類いだな」
戦闘を楽しんでるかの様な笑顔で言う。
ゆっくりとショテルを構えて、足を広げる。
「来いよ!」
挑発する様に、左手でジェスチャーをしていた。
ローレがさっきと同じく接近する。
地面を這う様に。
丁度、彼我の距離が一メートルになった時に、ローレはナイフを持ってない右手を顔の前に持ってきた。
ガシャァンと音を奏でて、義手にショテルがぶつかる。
そして、ショテルの刃を食い込んだ鉄の塊は、それを離そうとしない。
ローレは、右手の刺さった部分を軸に体を回して、左手のナイフで刺しにかかった。
左手に守られた顔では無く、腹を。
敵の顔が近付く。
怖がってすらいない顔が。
「ミラージュ」
ナイフが突いた先に、影が舞った。
幻影回避魔法!?
バキィンと鉄が折れる音が聞こえた。
ローレの右手の部品が空中に舞う。
敵の踵落としが、ローレの右肩を襲ったのだ。
直後に、腹部に衝撃が走る。
「カフッ!」
ローレは壁に叩きつけられた。
「義手か。
びっくりしたよ。
これで、二回も死にかけた」
敵が義手の破片が広がる地面から、ショテルを拾い上げる。
ローレは手元を見ると、紫のナイフが無くなっていた。
周りを探すと、見つかった。
ショテル使いの足元に。
敵がゆっくりとした動作で拾う。
「これは、知らないな。
誰が作ったんだ?」
それを遠くに投げる。
そこに落ちてたハンドガンとぶつかり、カチンと渇いた音がした。
そのタイミングで、月光が陰る。
その廊下への光が途絶えた。
「リュミエールとやらが、作ったそうですよ」
ローレが、左手で体を支えつつ立ち上がる。
「そうかい。
さて、と。これから止めを刺すんだが、念仏でも唱えるかい?」
ショテルの影が揺らめく。
光のない廊下では、新月かの様に、影しか見えない。
「あいにく、信仰する神が居ないのでね!」
ローレが地を蹴り、高速で近付く。
「血迷ったか!」
それをショテルの先端で捉えにかかる。
ローレは、それを“弾いた”。
「な!?」
再び、月光がローレを照らした。
薄く光る白い鱗が、ローレの左手と顔の左半分を包んでいる。
左手の指先には、金色の爪が並んでいた。
鱗に包まれた顔の左半分は、三つの青い目が縦に並ぶ。
それが、月光の中で怪しく光った。
「化け物かよ!」
敵の表情が恐怖に染まる。
化け物、という表現がピッタリだった。
竜の様な化け物が、ショテル使いを襲う。
「ミラージュ!」
幻影を作り出し、ローレの爪での刺突を避ける。
その横っ腹を狙い、ローレの左側からショテルが振るわれた。
ザシュと肉を断つ。
驚いた顔をした敵から離れる様に、ローレが地を跳ねる。
「なんだよ。見かけ倒しか?
そこには装甲があると思ってたぜ!」
敵は、荒く呼吸をしていた。
ミラージュという魔法は回避性能が高いものの、燃費が最悪な魔法だ。
あと一回が限度だろう。
地面を蹴る小さい音が聞こえた。
敵が顔を上げると、ローレがすぐそばに見えた。
距離は五十センチほど。
出し惜しみは無しだ!
「ミ──」
「チシナー」
ローレが小さい声で魔法を唱える。
ラージュ。
え?
声が、出ない?
その男が最後に見た光景は、月光を反射し光り輝く、金色を纏いし爪だった。
ポタポタと音を出して、地面の赤いシミが広がって行く。
自己修復機能が働かず、腹の傷から血がどんどんとこぼれ落ちているせいだ。
目の前の死体から離れ、地面から紫のナイフを拾い上げる。
「早く、回復してくれ、よ」
再び、ショテルの側の死体へと向かって行く。
そして、その死体にナイフを突き立てた。
刺さった地点から、ゆっくりと光が広がっていき、ナイフの刃全体を包んだ。
そこからローレの体へと光が移り始める。
腹部の傷が閉じて、透明な糸がそれを何回も往復して行った。
出ていく血が止まる。
その後、体から抜けた血が、魔力により作り直された。
痛みはまだ引いて無いが、時期に治るだろう。
ローレの体の光が消え、ナイフの光が更に強くなる。
ナイフの刃こぼれが消え、細くなってたナイフが少し太くなった。
ナイフ自体が修復されていったのだ。
そうしてたら、急に光が弱くなる。
ローレが視線を死体へと向けると、ミイラの様に、萎れていた。
「助かった。オレ──」
「何してるんですか? ローレ」
ミリアが部屋から顔を出した様だった。
「そこから動かないでください!」
今のローレとミリアは角を挟んでいる。
ミリアには、ローレの声しか聞こえていない。
「作業中ですか? 今、灯りを──」
「部屋に居てください。
見せられない物が多すぎるので」
「見せられない物?」
ミリアはドアの前から動かなかったが、視線は角の先に送られて続けている。
「死人が出てます。見ないでください。そして、部屋に入っててください」
「死人!? わ、分かりました」
今度こそ、ドアがパタンと閉じる。
「ローレさん? 何かありましたか?」
一人の従僕が廊下を走ってきて、声をかけてきた。
「カリナを呼んでください。
それと、死体の処理ができる人を」
「は、はい! 行ってきます!」
すぐに声が遠ざかる。
月が陰り、廊下全体が再び闇に包まれた。
暗い闇の中で、薄く光るナイフと白い怪物が座っていた。
「やっと、一人。守れたか」
小さく、噛み締める様に言う。
ローレは、左手にナイフを握り、顔の前に持ってきた。
月光を隠す様に、掲げる。
「なあ。オレイ」
ナイフが、一瞬光る。
まるで、返事をするかの様に。




