第25話 マルコとポーロと向日葵
「向陽が心配だったの……だから、ここに来たのよ!」
高橋は二人を見つめた。声こそ冷たかったが、その言葉には抑えきれない心配が滲んでいた。
ポーロは不思議そうに首をかしげた。「お前、この世界の向陽を心配してんのか?」
高橋は呆れたように溜め息をついた。「違うわよ!」彼女はくるりと振り返ると、マルコをまっすぐに指さした。「私が心配なのは、あなたよ!」
「僕を……?」マルコは複雑な表情で彼女を見つめた。
高橋が再び口を開こうとした瞬間、ポーロが慌てて手を振って割り込んだ。
「待った! 今は絶対ニックネームで呼び合おうぜ、じゃないと頭が混乱する! 俺はポーロ、こいつはマルコ……で、高橋、お前は……そうだな、何て名前にするか。お前、花が好きだろ? じゃあ『向日葵』で決定な!」
高橋は不満そうに眉をひそめた。「なんでわざわざあだ名なんてつけなきゃいけないのよ?」
ポーロはさも当然と言わんばかりに反論した。「そうしないと誰が誰だか分かんなくなるだろ! 俺も向陽だし、こいつも向陽だし、この世界にも向陽がいるんだぞ? こんな状況で『向陽、向陽』って連呼してたら、お前だって混乱するだろ!?」
マルコは呆れたように息をつき、二人の言い合いを遮った。「あだ名の話は後だ……それより君は、どうしてここへ来たんだ?」
向日葵と呼ばれた高橋は小さく溜め息をつくと、懐から時空監測報告書を取り出し、ポーロへと視線を向けた。
「あなたが今いるのは、154番の時間軸よ。あなたの元の時間軸では、親友の優依が特殊な走り方をしたせいで怪我をして、二度と走れなくなった……だからあなたは勝手に時空を超えて、この時間軸を変えれば自分の時間軸も修復できるかもしれないと考えたのよね?」
ポーロは驚いて目を丸くした。「お……全部お見通しかよ」
「でもね、この時間軸の優依は、この世界の向陽に教わるまでもなく自力でその走り方をマスターしたわ。しかも、あなたの時間軸よりも早いペースでね」向日葵は報告書のデータに目を通すと、パチンと音を立ててファイルを閉じ、冷たく告げた。
「だから……諦めて、とっとと自分の時間軸へ帰りなさい」
ポーロはガックリと首を垂れ、返す言葉もなかった。
「だが、どうしてこの世界の高橋さんを追跡していたんだ?」マルコが問い詰めた。
向日葵は少し気まずそうに目を逸らした。「見知らぬ時間軸に来たら、まずは『この世界の自分』の様子を確認するのが普通でしょ? ……とにかく!」
向日葵は急に声を張り上げ、二人を強い眼差しで見つめた。
「私は二人に警告しに来たの! これ以上、この時間軸に干渉するのはやめなさい。あとはすべて、あとは、時間の流れに任せなさい!」
言い捨てると、向日葵はくるりと踵を返し、部屋を後にした。
マルコは黙り込むポーロを一瞥すると、意を決して後を追った。
「高橋——!」マルコは角まで追いかけ、叫ぶように呼び止めた。
向日葵は足を止め、ゆっくりと振り返った。その目には、失望と悲しみが浮かんでいた
「あなたらしくないわね……こんな真似を許すなんて。しかも、こんなに不安定な『未確定の世界』で。別の世界の人間にまで手を貸させるなんて……一体何を考えているの?」
マルコは慌てて弁明した。「心配しなくていい。数日前に上層部への申請も済ませてある。すべて想定の範囲内だから、問題ないよ」
向日葵は唇を噛み締め、瞳に悔しさと悲しみの色を浮かべた。
「そんな大切なこと……どうして私に隠していたの? 私たち、今まで何でも話し合って、支え合ってきたじゃない……!?」
向日葵は顔を背け、声の端を震わせた。
「今のマルコなんて……大嫌い!」
吐き捨てるように言うと、向日葵は振り返りもせず走り去ってしまった。
「おい! 待ってくれ——!」マルコが追おうとしたその時、路地の角から見覚えのある人物が姿を現した。
優依……!?
マルコは息を呑み、慌てて足を止めた。咄嗟に近くの暗がりへと身を隠した。
優依は首をかしげながら、走り去る少女の背中を見送った。「高橋さん……? 何かあったのかな?」
気になった優依は、そのまま向陽の家の前へと向かい、インターホンを鳴らした。
ちょうどその時、手提げ袋を抱えた向陽が、機嫌よく街角から歩いて戻ってきた。
「あれ? 優依? どうしたの、こんなところで」
優依は驚いて振り返った。「え……!? 向陽? いま高橋さんが泣きながらここから走り去っていくのが見えたから、てっきり中にいるのかと……」
向陽は不思議そうに首を振った。「僕、ずっと外の古書店にいたんだけど」
心の中で向陽は首をかしげた。高橋さん……? さっき駅の前で別れたばかりじゃないか……?
「まあいっか……それより、何買ってきたの?」優依は向陽の手元にある紙袋に目を留めた。
向陽は照れくさそうに袋を持ち上げて見せた。「あ……ちょっと勉強のために本を買ってきたんだ」
優依は眉をひそめた。「漫画?」
「違うって……ちゃんと学習に使う本だよ」向陽は苦笑いしながら答えた。
「が、学習……!?」優依は信じられないと言わんばかりに目を丸くした。
それから、優依は指先をもじもじと動かしながら、恥ずかしそうに言葉を濁した。
「じゃあ……明日、私の部活が終わったら、一緒に……なんていうか……」
向陽は一瞬きょとんとしたものの、すぐに笑顔で頷いた。「うん! 部活が終わったら教室まで迎えに行くよ」
優依はパッと表情を明るくし、嬉しそうに頷いた。「うん、じゃあ明日ね!」
優依を見送った後、向陽は弾む心でドアを開けて部屋に入った。
しかし、一歩足を踏み入れると、ベッドの端に腰掛けたマルコとポーロが、二人とも深刻な表情を浮かべ、黙り込んでいる。
部屋には、異様なほど重苦しい空気が漂っていた。
向陽は不安そうに二人を見つめた。
「ど……どうしたの二人とも? なんだかすごい顔してるけど……」




