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昨日までの悪い空気などなかったかのように進んでいく。いくつかのアクシデントはあったが、そのどれもがエルフリートたちが事前に考えていたものばかりだった。
想定内の出来事だけで済んでほっとしている時にこそ、想定外の出来事が起きるものだ。エルフリートがそんな事を考えて現実逃避したくなったのは仕方のない事だった。
「副団長は本当に引退なさるんですか?」
「ジェルサ?」
エルフリートが一人になった時、それは唐突に始まった。声をかけてきたのは今期の新人騎士の一人である。ジェルソミーナは商売が軌道に乗って男爵位を得た商家の娘だ。溌剌としていていつも元気いっぱいの少女だった。
彼女が騎士になろうとしたのには理由がある。商家の人間は商談の為に出張をする事が多い。故に、こういう商家には護衛をしてくれる馴染みの傭兵やお抱えの護衛団がいる。
ジェルソミーナの実家は護衛団を持っていた。彼女は自分の両親が彼らに守られている姿を見ていた。そして、両親についていった自分が守られる事もあった。そうしている内に、自分も守る側に回りたいと思うようになったらしい。
ジェルソミーナが騎士になろうと決めたのは、護衛に護身術やそれ以上の訓練を受けていた彼女が危機に陥った時だった。彼女は自分が人を守れるほどの能力を手にしていると勘違いしていたから起きた出来事だった。
ジェルソミーナは風体の悪い大人に絡まれている子供を助けようとしたが、返り討ちにされそうになったのだ。
彼女は護身術である程度襲われる時の対処ができるようになっていたが、戦闘するとなれば話は別だ。自分が襲い掛かる側になれば、うまくいかないのもよくある話である。
当然、彼女の渾身の一撃は簡単に防がれた。守ろうとしていた子供はその場で固まっているし、自分自身は襲いかかった相手に腕を掴まれて身動きが取れない。どうしようもない状態になっていた。
そんな時に現れたのが女性騎士――もとい、エルフリートだ。
颯爽と現れたエルフリートによって子供と一緒に助けられたジェルソミーナは、その場で騎士を目指す事に決めたのだった。
騎士を目指すと決めたジェルソミーナの行動は早かった。元々土台が整っていた事もあり、彼女は二年後には女性騎士として騎士団に入団した。
そして今、エルフリートに対して必要のない質問を投げかけている。
「今必要な質問ではないけど、今期で退団するよ」
「どうしてですか?」
「どうしてって……元々数年で退団する予定だったんだよね。ただそれだけだよ」
エルフリートはロスヴィータを補佐する為に、一年間だけ女性騎士団の人間として過ごす事になっていた。ロスヴィータの護衛が本来の仕事であって、ロスヴィータと共に女性騎士団の運営に力を注ぐ事はおまけのようなものだった。
もちろん、所属しているからにはしっかりと貢献するつもりだったし、貢献できているはずだ。
エルフリートの正体がバレるような出来事が起きなければ、今頃は故郷のカルケレニクス領で次期辺境伯としての生活をしていただろう。
色々あった結果、エルフリートは任務を継続する事になった。女性騎士団の人数が増え始めた今、エルフリートがずっとここにいる必要はないのだ。
とはいえ、エルフリートの事情を彼女たちが細かく知る必要はないのだが。
「副団長は、ずっとこの騎士団にいるべきだと思います」
「ジェルサ……?」
「あなたは、この騎士団に必要な方です」
「そう言ってもらえるのは嬉しいよ、ありがとう」
雲行きが怪しい。エルフリートは感情的になりそうな少女の顔を見てそう思う。愛らしいそばかすを散らした頬は紅潮し、勝気な眉は怒り眉になっている。
声の調子を抑えているだけ、まだ理性を保っているのだろう。そうエルフリートに思わせる。
「ボールドウィン副団長」
「はい」
エルフリートは思わずかしこまった。ジェルソミーナは唇を震わせながらエルフリートを見上げている。
「あなたは、本当に素晴らしい騎士です。あなたほどの騎士を、私は知りません」
「……」
「あなたのように、容姿だけではなく性格もよく、魔法も剣技もすばらしい人はいないんです。正直、私はあなたの事が好きです。あなたの姿がここから消えるのなら、私も消えてしまいたい」
「えっと……?」
どうしよう、本当にこれは変な展開だ。目を泳がせたくなる気持ちを抑え込み、彼女を見つめ返す。エルフリートと見つめるようになったジェルソミーナは、数秒すると恋を知った少女のように顔を背けて両手で頬を押さえた。
えっと、これは、そういう事? それとも、憧れを拗らせた私みたいな発作的なあれ?
エルフリートは混乱しつつ、ロスヴィータに魔法具で助けを求めた。
「ジェルサ」
「はい」
「気持ちは嬉しいけれど、私の任期は変わらないよ」
「そんな……!」
どうして一人の懇願で任期が変わると思っているのだろうか。エルフリートは感情に支配された思考っていつも変な展開を呼んでくるものだなと思いながらロスヴィータが助けに入るまで、ひたすら任期は伸ばせないとジェルソミーナに伝え続けるのだった。




