破られた覚悟(後編)
マサトの心は一つに定まっていた。
マルクスを倒す。そして、マリアを生き永らえさせる。そのために、この命さえ投げ打つ覚悟だった。
「空間断裂!」
リリスを無視し、マサトはマルクスへ一直線に向かう。しかし、リリスは四天王の中でも最も狡猾で、マサトの狙いを瞬時に見抜いた。
「させないわよ、勇者!」
リリスは優雅に舞い、マサトの視界に割り込むと、強力な精神魔法を放つ。
「魅了・束縛・幻想!」
強烈な快楽と、故郷の家族の幻影が、マサトの脳裏を襲う。一瞬でも気を緩めれば、その精神は破壊され、戦闘不能になる。
(甘い!こんなもの、あの時、ソフィアから教わった「精神障壁」で防ぎ切る!)
マサトは、己の精神を内側から強化し、全ての幻影を振り払う。
「ちっ…効かないのね」
リリスが舌打ちをした瞬間、マサトはマルクスとの距離を詰め、剣を一閃した。マサトの剣は、もはや鉄の塊ではない。魔素を極限まで纏わせた、空間すら断ち切る鋭利な刃だ。
キン!
しかし、マルクスは玉座から動くことなく、左手を軽く上げただけで、マサトの渾身の一撃を受け止めた。彼の掌には、漆黒の魔力が渦巻く防御魔法が展開されていた。
「無駄だ、勇者よ。その程度では、我に傷一つ付けることはできぬ」
マルクスの魔力は、圧倒的だった。マサトの魔力は、歴代の迷人の中でも最強レベル。しかし、マルクスは「魔王へと進化した」魔族の頂点。その総量、質、そして運用技術。全てにおいてマサトを凌駕していた。
「ならば、これでどうだ!連続空間断裂!」
マサトは、その場に留まり、剣から魔力を波状に放出し始める。玉座の間を満たす魔王の魔力に、マサトの魔力が割り込み、空間を崩壊させる。
ゴオオオオオ!
部屋全体が、軋み始める。その圧力に、リリスさえも後退せざるを得ない。
「勇者!お前は正気か!この部屋を崩壊させる気か!」マルクスが初めて声を荒げた。
「構うものか!お前さえ倒せれば、世界はどうなってもいい!」
それは、マサトの本心ではない。しかし、こうでもしなければ、マルクスは本気を出さない。そして、本気を出さなければ、「滅魔」の準備が整ったと判断し、マリアが動いてしまう。
マサトの狙いは、時間を稼ぐことではない。今、この場で、マルクスを討つ。マリアの命が懸かっている今、彼に迷いは許されない。
その頃、城壁の陰に潜んでいたマリアは、ソフィアから送られた合図を受け取っていた。
ソフィアは、補助魔法の光の中に、一瞬だけ特定の波長を混ぜ、マリアにメッセージを送ったのだ。それは、二人が非常時にだけ使う約束をしていた暗号だった。
「イグノア(無視)。ノット・エンゲージ(関わるな)。ラン(逃げろ)」
(『滅魔』を使うな、という意味…?)
マリアは困惑した。作戦は、マサトが時間を稼いでいる間に『滅魔』を発動すること。彼らはこの瞬間のために、すべてを賭けて旅をしてきたのだ。
「ソフィア…どういうこと?」マリアは、無線のように離れた相手と通話できる王家の魔道具で、ソフィアに問いかける。
「…マリア様。マサト様の魔力の放出が、私たちの予想を超えています。まるで…自分の命を燃やしているような。彼は、あなたが『滅魔』を使う前に、自分一人でマルクスを倒すつもりです」ソフィアの声は震えていた。
「そんな…!それはあまりにも無謀です!たとえマサト様でも、今のマルクス様には勝てません!」
マサトの魔力は最強だが、マルクスの『魔王』の力は、次元が違う。魔素を完全に滅ぼさなければ、勝ち目はない。それは、マリアが誰よりも理解していた事実だ。
「ラッセル先生!」
マリアが城壁の上のラッセルに視線を向けると、ラッセルはマリアに向かって静かに首を横に振った。
「マリア。マサトの覚悟は決まったようだ。彼は、お前を…王女ではなく、一人の女として愛している。だからこそ、自分の命と引き換えに、お前を守ろうとしている」
「そんな…!私は、それを望んでいません!私は、世界のために…マサト様のためにも、滅魔を…!」
「駄目だ。マサトの意図を汲むんだ。ここで『滅魔』を使えば、彼の努力は全て水泡に帰す。彼は永遠に後悔を抱えて生きることになる。それが、お前が愛した男の望むことか?」
ラッセルの言葉は、マリアの胸を抉った。
「私は勇者失格です。私は後悔していません。あなたに会えたから」
昨夜、マサトが言った言葉が、脳裏に響く。彼が命を賭して守りたいと願ったのは、世界の平和ではなく、マリア自身だった。
(私は…王女としてではなく、一人の女として、彼の覚悟を尊重しなければ…)
マリアは、血統魔法「滅魔」の術式を収めた巻物を、強く握りしめた。巻物は、術者の強い魔力に応えて淡い光を放っている。
「…ソフィア。ラッセル先生。作戦を変更します」
マリアは、決意を込めた眼差しで言った。
「『滅魔』は使わない。マサト様を、絶対に死なせてはなりません。そして、私たちは、マサト様と共に生きて帰ります」
「ですが、魔王をどうするのですか!?」ソフィアが声を上げる。
「マサト様が、一人でマルクス様と戦う時間を作ってくださっている。私たちは、その間に…」
マリアは、王家に伝わる召喚術の奥義を思い出した。それは、「滅魔」とは別の、王族にしか使えない禁忌の術。
「…『神域召喚』を使う。成功すれば、マルクス様を弱体化させることが出来る。ただし…術者に掛かる負荷は、『滅魔』に匹敵します」
マサトが命を懸けて自分を守ろうとしている。ならば、マリアも、命を懸けて彼と共に生きる道を選ぶ。
「ラッセル先生、ソフィア、援護を。この世界を変えるのは、『自己犠牲』ではなく、『共存』であることを証明します!」
玉座の間。
マサトは、すでに限界を超えていた。連続で放たれる「空間断裂」は、彼の魔力を根こそぎ吸い上げていく。マルクスは、その攻撃を余裕をもって受け止めている。
「愚かな。お前の力は認めよう。だが、お前では我は倒せぬ。そして、お前の愛した王女が、今、自己犠牲の魔法を使おうとしていることもな」マルクスは嘲笑した。
その時、マルクスの背後の窓が、音を立てて砕け散った。
ゴオオオオオオオオオオオオ!
巨大なグリフォン「ゼノス」が、城の壁を蹴り、玉座の間に突入してきた。その背には、マリア、ラッセル、ソフィアの三人が乗っている。
「マサト様!滅魔は使いません!」
マリアの叫びが、部屋に響き渡った。
「マリア…!何故だ!逃げろ!」
「あなたと共に生きます!そして、あなたと共に、マルクス様を討ちます!」
マリアは、巻物を開き、全力で詠唱を開始する。それは、これまで聞いたこともない、長く、重々しい魔術の言葉だった。
「我が血統に眠る、太古の叡智よ!魔王を繋ぎし鎖を断ち切れ!神域召喚!」
その瞬間、マリアの体から、凄まじい光が放たれた。それは、全身の血液が沸騰し、命が燃え尽きるかのような、極限の負荷だった。
「ぬ…この魔力は…!バカな!『滅魔』ではない!別の禁忌の術か!」
マルクスの顔から、初めて余裕が消えた。彼の上空に、巨大な魔法陣が展開される。
「マサト様!今です!彼の魔力が…一瞬だけ、不安定になります!」
マリアの声は、すでに擦れていた。
マサトは、マリアの覚悟を理解した。彼女は死を選ばなかった。自分が生きて帰る道を選んだ。ならば、その想いに応えなければならない。
「…ありがとう、マリア」
マサトは、残された最後の魔力を、全て剣に集中させた。
「奥義…次元斬」
マルクスの魔力障壁がわずかに揺らいだ、その一瞬の隙を突いて、マサトはマルクスの防御を、次元ごと断ち切る、最強の一撃を放った。




