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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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未確認生物を見たのは⑥

 それから僅かに三十分後のことである。

 泣きじゃくる二人の同心が白鳥と河津の元にやってきた。何があったと聞いてみたら、物言わず後ろを指差すのである。

 それで二人も視線を向け、そこに勇ましい上司の姿を見止めて急いで駆け寄った。

 捕縛用の縄でぐるぐる巻きにされた小僧の顔を見て、河津が素っ頓狂な声を上げ、白鳥は柔和な笑みを浮かべたまま、泣きわめく二人の同心に命じて画廊の戸を叩かせた。

「あの連中、使い物にならん」

 眉間にしわを寄せた平野の声が鞭のようにしなって辺りを打った。

 それで、しんとした静寂がやってくる。良く見れば、小僧までもが股を濡らしている。彼は殺気立つ平野を見上げて、今にも気を失いそうになっていた。

 ややもあって戸口の向こうから行楽斎が出てきた。室内の明かりを背景にしていて、その顔には濃い影がかかっている。

「夜分遅くに何の用だ?」

 彼が憮然とした表情で言うと、先ほどまで泣いていた同心達が、しゃくりあげながら事実を告げた。お宅の小僧が人を殺した、と。

 小僧は女性を襲い、生き血を抜き取ったのだという。毒を塗った小刀で刺し、動きを止めて、生きているうちに血を抜いてしまう。平野に取り押さえるまでの僅かな間に、小僧は組み敷いた女の首に筒状の刃物を刺し込んだ。

 二人の同心が、まだ温かいガラス製の瓶を見せ、恐怖と悲観にくれた顔で行楽斎にさらに言葉を続けた。

「そ、それで、あ、あの――」

 よほど混乱しているのだろう。訳の分からない言葉を繰り返している。平野の峻厳さがさらに強くなったところで、今度は河津が笑みを浮かべたまま行楽斎に近づいた。白鳥が行こうとしたのを止めたというわけだ。

「よお」

 こちらも険しい顔をしながら相対す。若き画家は、芸術性のなんたるかも知らない髭面の中年同心を睨んで深々と溜息をついた。

「まさか、保護責任なんて言わないでしょうね? その殺人鬼と私は何の関わり合いもないんですから」

 と吐き捨てた行楽斎に、小僧が愕然とした面持ちで叫んだ。

「い、色の配合を、教えてくれるって……」

「……それは画家の命だ。お前みたいな才能の欠片もない奴に、おいそれと教えられることじゃない」

「そんな! あなたが取って来いって」

「言った覚えはないな。そんなおぞましい考えは芸術とは言わんよ」

 行楽斎はくつくつと笑い、それから挑戦的に河津を睨みつけた。

「悪いがね、今日はもう遅いんだ」

 行楽斎は嘆かわしげに、お前は破門だ、と呟いて画廊に戻った。小僧は悄然としたまま、怖々と平野を見上げている。顔は真っ青で、額には脂汗が光っていた。

「ぼ、僕は――」

 と恐ろしさに負けて呟いたところで白鳥が口をつぐませた。もはや如何ともしがたいわけである。この小僧が人を殺したのは事実だし、画家が違うと言っているのだから赤の原料はまた別にあるのだろう。

 泣きくれる小僧を、同じく泣きじゃくる二人の同心が引きずっていく。その光景をぼんやりと見つめて、河津もまた、まなじりに涙を浮かべていた。

「どうにかならないもんかな……」

「どうにもならんな」

 お嬢――平野が首を振り、そうして辺りには静寂が満ちた。三人も、それぞれ番所へと戻っていく。その道中で白鳥が、勝算が無いわけじゃない、と呟いた。それに縋ったのが河津で、眉をひそめたのが平野であった。

「どんな方法だ?」

 希望を持って河津が問うと、新米同心は引き気味に、平野の体を盾にした。それでは河津も迫るわけにいかず、ただじっと言葉を待つのみである。

「……あの赤に人の血が使われているというのなら、彼は必ず自分でもやりますよ」

 怖々と、それだけを言う。河津は血走った目を画廊に向け、それから深々と溜息をついた。

「もっと性急に出来ねえのかよ」

「しかし、確実だな」

 平野がふっと表情を崩す。やはりこの二人といた方が気も引き締まるし、やりやすい、と彼女は内心で安堵するのであった。

 結局、行楽斎は七日後に逮捕された。

 小僧の供述と、そして彼自身の行動とによって現行犯で捕まったのである。

 この七日、彼の描いた絵は不評の嵐だった。色がくすんだ赤を用いて、美人画にも肉感が無いと責め立てられたのだ。

 当然のこと、その批判の裏側には、同心達と、何より白鳥屋の主の糸が絡みついているのであるが、それは現実の闇に紛れたのである。

 名の失墜を恐れた行楽斎は、そうして再び犯罪に手を染めた。彼自らが武器を取り、めぼしい女の生き血を取ろうと襲いかかったところで、同心達の反撃を浴びたというわけである。

「画家ってのは難儀だねえ」

 豆河通りでは、ちょうど文人画の特売が行なわれていた。有名無名問わず絵師や画家が筵を敷いて自らの絵を売っている。

 そのどれも行楽斎が描いたあの美人画のような、目にも眩しい赤は使われていなかった。

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