一攫千金①
「ねえ、聞きました? 白鳥さん」
とある日の警邏の途中、茶飲み休憩で立ち寄った馴染みの魚問屋の店主が、つつっと白鳥に近づいてきた。
辺りは白光に包まれていて、今日も今日とて豆河通りは盛況である。彼と河津はこの店先で、冷たい玄米茶などを嗜んでいるところだった。
「いえ、何かあったんですか?」
「ああ、もう。白鳥さんは……。今、金座で富くじを売っているんですよ」
「へえ」
とは言うものの白鳥にはあまり縁がない。富くじなんてのは夢見がちな奴だけが買うものだ。どうせ元すら取れないのだから。
嘆かわしげに彼が溜息をつくと、店主はますます身をにじり寄らせた。
「何と、今年は千両だそうですよ」
「千両!」
「あっ! 声が大きいですよ。でも、一等は千両、二等は五百両だそうです」
店主がふふん、と鼻を鳴らす。その自慢げな顔を見ているうちに、白鳥の脳みそは金勘定でいっぱいになった。
商人が金に溺れてはならない、というのは父の教えだが、同心が溺れるのは大丈夫だろう。なんたって商人ではないから。
「そりゃ、いい話ですねえ」
白鳥は柄にもなくにんまりと笑った。
人生で金に困ったことなどない、根っからの武士である河津は怪訝な顔をしていたが、何とかだまくらかして富くじを買いに行くことにした。
「どうも騒ぎが起こっているらしいですよ」
なんてことを囁けば、この心優しい中年同心はホイホイついてくるわけである。
そんなこんなで二人は金座の界隈までやってくる。
そこは七傑だのなんだのというお偉方の仕事場のど真ん中にあり、警備上、何ら問題ない所である。
何が言いたいのかといえば、通りの至る所に武器を持った兵士がいて、必要以上に騒ぎ立てる者があれば、七傑に仕える同心――こちらは町奉行所よりもずっと出世頭だ――がすっ飛んできて逮捕してしまう。
だから金座の周りには沢山の人がいたものの、取り立てて喚く輩はない。まるで通夜みたいに笑いを堪えて、粛々とその時を待つわけである。
「最後尾はこちらです」
という若い男に誘われ、白鳥は列の後ろに着いた。
途端に河津が文句を言ったが、富くじの賞金額を言えば黙りこくって腕組みをする。
なんたって千両もあれば一生遊んで暮らせるだろう。白鳥の給料は年に十両程度だ。人生なんて五十年かそこらだから、質素な生活をすれば棺桶の代金を払ったってお釣りが来るって寸法である。
とまあ、そんな事情を話すと、河津は眉をひそめた。
彼の場合は屋敷もあるし、何より部下も何人かいるから、千両では一生涯分にもならないかもしれないというのである。
「それによお、富くじってのは、要するに受動的な博打だろ? 性に合わねえなあ」
河津はあくまで乗り気でない。
だが、じゃあ買わなくとも良いですよ、と言うと、苦々しげな顔をして買うだけは買うというのだから滑稽だ。
この富くじの列は民度の高い集まりであった。
喋らないし無駄な行動を取らないし、割り込みや喧嘩もしない。くじの代金を握りしめ、金座の若い衆が手渡す、数字と絵柄付きの木札を買い求めに来ただけだからだ。この富くじ、干支六十種類に、千までの数字を当て嵌めて札が作られている。
いよいよ順番がやってきて、その木札を拝んだ白鳥達も金を渡す。
買えるのは一枚だけだ。一回一両。随分と高いが跳ねっ返りが千両だと考えれば、それもまたやむなし、である。人生には必要経費という物があり、それがこの一両なのだというわけだ。
「あいよ、どれに致しますか?」
若い衆が言った。どうやら好きに選ばせてくれるらしい。ちょうどいいので自らの干支を述べ、誕生日の数字を貰った。河津は若い衆に任せて、一番売れていない物を選んでもらっていた。
買い終わればすぐさまその場を離れねばならない。後生大事に木札を抱え、二人は再び警邏への道に戻ろうとした。
繰り返すが金座の周辺には兵士達がいて、下手に集まっていると逮捕されてしまう。しかし、その範疇を一歩でも越えれば、往来は自由である。
この二人と同じように、木札を買い求めた連中が、ぎゃあぎゃあと喚きながら互いの物を見合っていた。
どれが当たりかなんて発表の時まで分からないにもかかわらず、俺が当たりだ、いや私の方だ、と数百人と集まって、お祭り騒ぎになっていた。
豆河通りの雑踏の方が、よほど洗練されていると言えるだろう。雑然と人が集り、通りを埋め尽くしてしまっている。
その男達の熱狂ぶりを目の当たりにして、白鳥と河津は、さてどうしようかと思案を巡らせた。
この男達を散らせるのが先決だろうが、どうやって解散させようか。下手なことをすると暴動になって、余計騒ぎが大きくなってしまう。
この不良同心二人が顔を見合わせたちょうどその時、眼前の騒ぎがひときわ大きくなり、どよめきに変わり、しんと静まり返った。
人々がある一地点から急に離れていき、ぽっかりとした空間が、その人いきれの中に出来あがった。
次いで何やら混乱が起こって、そこにいた男達が右往左往し始めた。
最悪の事態だ、と白鳥が舌打ちをすると、河津が印籠を掲げて大声を張り上げた。
「町奉行所だ。どうした、騒ぐのをやめんか!」
その声はどんな雑踏の中でも良く響く。男達は縋るようにして河津を見やり、そのぽっかりと空いた地点までの道のりを彼の為に空けてやった。
それで二人の同心は、力なく倒れ伏した男がいることを初めて知ったのである。
白鳥は慌てて豆河通りに飛び出して、運良く警邏中の同僚を捕まえて、人が死んでいることを告げた。
その迅速な行動のおかげか、事態が露見してからわずか十分後には、二十人ばかりの同心が集まることになった。
もちろんその中に平野もいて、順路通りに警邏をしていない、不出来な二人の部下を睨みつけた。




