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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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雨降りの日③

 夜も更けてきた。

 そろそろ日付も変わろうかという頃である。雨の勢いは緩んでいたが、まだしつこく空から滴が落ちてきていた。先ほどよりも弱い雨音を聞きながら、二人は肩を並べて歩いた。言うほどロマンティックでないのは、平野がずっと考え事をしているからだろう。

「あの、平野さん?」

 この二人の間に広がる沈黙に、白鳥は耐えきれなかった。恐る恐る隣を歩く上司に目を向けると、彼女は考えごとから一つも気を離さないままに応じた。

「何だ?」

「なんで来てくれたんです?」

 この問いに、平野は即答しなかった。

 ざあざあと降る雨の音が二人の耳道を揺さぶった。軒先から落ちた水が鳴る、耳心地の良い音が響き、しばらく二人は無言で歩いた。

 この長屋地帯を南に行くと豆河通りに連結し、それをさらに南に一里ばかり行ったところに港はある。

 そこが市中の海運を束ねる要衝である。東西南北、果ては海の向こうの国々まで、この大きな港を経なければ市中に物を運べない。常に万を超す数の商船が係留されている。

 その船が運ぶ商品は、それこそ無数で、米などの雑穀を始めとして、各地域の工芸品に至るまで運ばれてくる。ともかく雑多な印象のある場所で、それは昼夜問わずに働く人々によっても印象付けられるのだろう。

 その日も雨だというのに、ガラス製の提灯を片手に男達が働いていた。ぬれ鼠の労働者達が、商品の入った木箱や樽を、なるべく雨に濡らさないよう迅速に運んでいる。

 二人はその慌ただしい様子の桟橋に足を踏み入れた。白鳥が声を掛けたのは、ちょうど荷物を運び終えた壮年の労働者だった。

「ああ? 北島?」

「ええ、豆河の北に住んでいる人で、この辺りに良く日雇いに来ていたそうなんです」

「北島、ねえ」

 その労働者が頭を掻いた。彼はちらちらと遠くを窺っている。どうやら時間厳守を雇い主に言いつけられているらしい。

 嗜虐的な表情を浮かべる平野を抑え、白鳥はすぐさま頭を下げた。この労働者は雨に濡れた桟橋を急いで駆け、目当ての船から商品を積みだしていた。

 その姿を横目に平野が眉間にしわを寄せた。

「もっと聞くべきではないか?」

「彼らは日雇いです。仕事が遅れて、怒られるのは彼らですよ」

 平野は全く納得がいっていない様子だ。彼女は武家の生まれで、しかもそのまま同心になったものだから、自分達の仕事に全ての人間は協力すべき、という驕りとも取れる感覚を抱いている。

「それよりも雇い主の方に行きましょう」

 というわけで、白鳥は、その立場を最大限に利用して、白鳥屋が普段利用する船屋へと向かった。その軒下で傘をたたみ、入り口脇に立てかける。

 と、そこで白鳥は手を止めた。そういえばあの男、傘を持っていなかったな、と。忘れていったならばともかく、そういう物は何一つとしてなかった。

「おい、さっさとしろ」

 と厳しい平野の声が飛んだから、白鳥は慌てて思考を切り替えて、建物の中に入った。

「――で、北島という男を探しているのです。歳はこう、四十くらいで、中肉中背。何でも北の訛りがあったとか」

 こういう漠然とした物言いで、物事は解決しない。この船屋の番頭――不幸にも夜番だったらしい――は、人足帳などを開きながら、髷を神経質にいじくっていた。

「北島、ねえ……」

 しかし結局心当たりがないのか、手元から視線を戻し、白鳥を見る。そこで彼らの後ろ――つまりは船屋の入口――に人影があることに気が付いて、気安く声を掛けた。

「御苦労さん、もう終わりか?」

「……ああ」

 先ほどの壮年の労働者だった。火のあるところで見ると、その鍛え上げられた肉体が伊達や酔狂でないことは分かる。彼は二人を一瞥すると、力なく溜息をついた。

「あんたが思っている人間かは知らんがね――」

 この労働者は短く刈り込んだ頭を掻いて、それから首を振った。

「何日か前に同じことを聞かれたのを思い出したよ」

「え?」

 白鳥は素っ頓狂な声を上げた。その傍らでは平野が、より一層険しい顔をしている。この労働者は、彼女の冷たい表情に恐れを抱いて、大きな体をすくませた。

「どこの誰かは分からないけどさ、北の訛りが強い女だった。北島を探しているといっていた。今はその名前で生活していると」

 もしも彼の話が本当ならば、北島の生い立ちと実によく合致する。まあ、必ずしも彼だとは限らないが、しかしその女の探している北島が目当ての人物である可能性は高い。

 北の訛りが強い女……。そう言われて思い浮かぶのは、あの能天気な通報者だ。彼女には感謝しているが、いま思い返しても腹がむかむかする。本当に死んでいるんですか、なんて馬鹿げたことを聞くくらいだ。触れて分かるほど体が冷たく、そして腹に包丁が一本刺さっているような男に対して、掛けるような言葉じゃない。

 あの雨の中で飛び出してきた男といい、どんな陰謀が働いているというのだ。白鳥がむっつりと黙っていると、四人の間を雨音が抜けた。

 彼が口を閉ざせば、必然的に働くのは平野ということになる。

「それで、何と答えた?」

 この場で一人冷静な彼女が問うと、労働者は自らの手を握り締めた。

「ちょうどその北島が通りかかったもんだから、家の場所を教えた」

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