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第二八番隊  作者: 鱗田陽
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踊る死体②

「ったく、お嬢に言いつけるぞ」

 プンスカと怒りながら、河津が先を行く。すでに豆河通りの喧騒からは離れている。西に傾いた日差しを浴びながら、二人はさながら怒れる親とうな垂れる馬鹿息子という風情で番所へと帰ってきた。

「でも、河津さんが先に行っちゃうのも悪いじゃないですか」

「言い訳するんじゃねえ。全く、俺が若い頃はよお――」

「良いですよ。じゃあ、平野さんに言ってお裁きを受けようじゃありませんか」

 さすがに気分を害した白鳥が反論すると、河津は途端に態度を軟化させた。いかに古い付き合いだからとて、平野が情状酌量を認めるはずがない。告げ口をされたら両成敗になる、というのが共通の認識であった。

 ならば、お互い黙っているのが一番だ。河津は首を振り、番所の引き戸に手をかけた。

「ただいま帰りました」

 番所の奥にいるであろう平野に、河津が声をかける。

 いつもならばあの冷厳な女上司が控室から顔を覗かせるのだが、その日は誰からのいらえもない。土間に腰かけた河津は不審に思ったのか、下駄を脱いだ足で控室の前に膝をついた。声を掛けてから襖を開け、それから白鳥に怪訝な顔を向けた。

「お嬢が居ねえんだが」

「便所じゃないですか?」

 河津はそのままさらに奥へと行き、便所と台所と、それ以外の部屋も見て回る。しかしどこにも平野はいないようだった。首をかしげた河津が戻ってくると、白鳥はその足元に口を尖らせた。

「ちゃんと足を拭いてくださいよ」

「ああ? ……ああ、すまねえ」

 そんなことを言いながら河津も再び土間に腰かけ、髭が生い茂る顎に手を当てている。

 この河津、どうやらよほど過保護であるようで、平野が決まった場所にいないと、どうにも落ち着きがなくなるのだ。

 最初は想っているからかと白鳥は勘ぐったのだが、どうにも事情が違う。相手に恋慕を抱いているというよりは、父親のような愛情を持っているという方が近いのだろう。

 ともかく落ち着かない河津をよそに、白鳥は書類作業に移った。町奉行所の同心という奴は、どうやら恐ろしいほど怠惰であるらしく、誰かが仕事をしていると分かると、途端にさぼりたくなるらしいのだ。

 平野もそういう風に吹かれたのだろう、と白鳥は決めつけ、勢いよく筆を走らせた。

 しばらく番所では二人きりだった。

 河津は相変わらず黙りこくったままで、白鳥も口をつぐんだまま書類作業に手を忙しくする。他の同心達も、番所の世話をする下男も出払っているようで、表の喧騒ばかりが際立っていた。

 日もとっぷりと暮れて、そろそろ勤務時間も終わろうかという頃、この番所の雑務をこなす下男が戻ってきた。

 買い物から帰ってきた彼は、殺気だった様子の河津に睨まれて身を強張らせた。

 小さく息を飲む音が聞こえたから、白鳥も顔を上げ、立ち上がった河津の殺気に満ちた横顔に肌を粟立たせた。

 達人が殺し合う時と同じくらい、険呑な顔をしていた。彼は長らく仕事場を離れていた下男を無言でなじっているようだった。

 それで下男の方もピンと来たらしく、おずおずと腰を折った。

「あの……平野様はご実家に呼び出されまして」

「いつだ?」

「はあ、昼間です。昼食を召し上がっている最中にお侍様が来られました」

「用件は何だと言っていた?」

「それは、あっしには良く分からんことです」

 下男が恐縮するに至り、河津の方も持ち前の陽気さを思い出したらしい。渋面のまま再び土間に腰を下ろし、裏へ回っていく下男に鷹揚に手を上げた。

 再び沈黙が垂れこめる。

 平野のことを聞いてみようか、と白鳥が決意を固めたちょうどその直後に、息をせき切らした同心が駆けこんできた。遅れて目明しも飛び込んできて、ああこのパターンか、と白鳥は肩をすくめた。

「殺しが起きました」

「場所は?」

 疲れた様子の河津が問うと、その殺気に当てられて目明しが気を失った。代わりに同心が深々と頭を下げ――どうやら平野と同様に河津も尊敬されているらしい――河津の下駄を整えた。

「豆河通り、皮革問屋の三つ又屋です」

 その名を聞いて、白鳥が勢い込んで立ち上がった。この新米同心の、突然のやる気に河津達が呆気に取られている。

 そんなことはお構いなしに、白鳥は番所に備えつけられている草鞋を履き、奥にいるであろう下男に声を掛けた。彼がひょっこりと顔を覗かせると、白鳥は置きっぱなしにした書類を指差した。

「あれ、動かさないでください」

「へい。他にはありますか?」

「平野さんが帰ってきたら三つ又屋へ」

 下男が恭しく頭を下げたのを見計らって、白鳥は財布の中から鉄貨を何枚か取り出した。これは商人としての癖なのか、立場の低い者に小遣いを上げたくなってしまうのだ。今晩の酒代にもならないだろうが、土間に置いてさっさと番所を出る。その後ろから、河津達が追いかけてきた。

「お前、嫌に張り切っているじゃねえか」

「知り合いなんですよ」

「……地元出身ってのも考えもんだな」

 ともかく二人は現場に急行した。

そこにはすでに各種様々な同心が集まっている。強盗の疑いもあったから、火盗の同心達もいたが、しかし中心は町奉行所だ。

 まだ現場は片付けられておらず、店先の土間に無残な死体が転がっていた。何度も殴打されたのか、後頭部を覆っていた髪の毛が血に塗れて地肌がむき出しになっている。

 力なく横たわった死体に、白鳥は愕然とした。

それまでの張り切りようをどこかに置き去りにして、目から零れる涙をぬぐおうともしなかった。

 彼の目は、何度も殴られた痕のある友人の顔を捉えていた。

 一見しただけではそれが誰であるのか不明なほど殴られているが、白鳥には誰であるのか、良く分かっていた。

 この死体の腰に、見覚えのある手拭いがぶら下げられていたのだから。

「第一発見者は手代の茂吉という男です。その後、この三つ又屋の女将が通報しました」

「その女将はどうした?」

「息子の死体を見て、そのまま倒れてしまいました」

 そこで同心は咳払いをした。

「家族や手代の話によると、被害者はこの店の長男、善一郎とのことです」

 町奉行所の同心が、河津に気付いて近づいてきた。

 動揺しきりの白鳥をよそに、この信頼ある髭面の先輩は怪訝な顔をした。

「他にも兄弟はいるのか?」

「いえ、次男の惣二郎というのが生まれてすぐに亡くなったそうです」

 河津は、ふん、と鼻を鳴らし、はらはらと涙をこぼしている白鳥の肩を叩いた。

「お前も、泣いているんじゃねえよ。そんなことをしている暇があったら、同心として働いたらどうだ?」

 その冷たい言葉に、しゃくりあげた白鳥は、傲然と声を荒げた。

「あ、あ、あんたには、心がないのか?」

「あるよ。さっさと死体も片付けてやりてえし、犯人も捕まえてやりてえ。そうして悲観するのは誰にでも出来るが、捜査は俺達にしか出来ないんだぞ?」

 河津は、髭まみれで強面な外見とは裏腹に、実に心根の優しい男だ。嗚咽を漏らす白鳥の肩を、何度も何度も叩いて元気づけようとする。子供のように泣き叫ぶ白鳥を、優しげに見やった。

 他の同心達は一瞥をくれるだけで、新人なら誰もが通る道だ、と傲慢な顔をしていたというのに。

 頭を抱えているうちに時間が過ぎた。月が夜空を駆け上がり、静まり返った市中を淡く照らす。

 白鳥はまだ動けなかった。その間に死体は片付けられて、難しい顔をした同心達が辺りを行ったり来たりする。

 大分遅れてやってきた平野は、土間に突っ伏して泣く白鳥を一瞥すると、そっけない態度でその脇を抜けていった。

 仕事をしない奴に用はない、と態度で示しているのだ。

「目星は付いているのか?」

 低く唸り上がるような声で平野が問うと、この三つ又屋の中に緊張感が走った。平野はそういう女だ。彼女の冷厳な顔を見ると、誰しもが険しい顔をする。仕事をしなければ、という気にさせられるのである。

 もちろんのこと白鳥も同様で、しゃくりあげながら、のろのろと起きあがった。

「はい。手代の話では、実に用意周到だったようで、裏庭の土塀に梯子を立てていたようです」

 その言葉を聞いて、白鳥も平野のあとについていく。一行は犯人が逃げたという裏庭へと足を踏み入れた。

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