踊る死体①
「河津さんって、どんな家で生まれたんです?」
燦々たる陽光の中、今日も今日とて警邏の途中で、流れる人の波をかき分けながら白鳥が尋ねた。
先を行く河津は自慢の髭を撫でながら、ちらとこの新米同心を流し見て、雑踏にかき消されそうなほど小さな声を返した。
「普通の家だよ」
真面目に応える気は河津にはない。なにしろ都合の悪い過去だからだ。しかしまるきり無視するのも憚られたから、白鳥から充分に離れた位置で答えたというわけだ。一応の務めは果たしたと河津が溜息をつくと、真隣りから白鳥の声が聞こえた。
「なるほど」
「……お前、いつの間に隣に来たんだ?」
「いや、ちょうど人の流れが変わったんですよ。でも、まさか、河津さんが普通の家にねえ……」
ニマニマと下卑た笑いを浮かべる白鳥に、河津は顔をしかめ、それから人いきれをかき分けるようにして歩きだした。大店の密集する豆河通りでは、あまりに多くの群衆がうごめいていて、突然立ち止まった二人にぶつかる者が少なくなかった。
まあ、その日は先々代の帝の誕生日で、暦の上では祝日だったから、当然といえば当然だ。結構多くの人が休みを取っているらしく、そういう人が何をするのかと言えば、買い物に行くか風光明媚な場所を見るか、ともかく市中の娯楽は少ないのである。
そのさなかを足早に進み、河津が首を振った。
「いいだろ、放っておけよ」
「じゃあ、平野さんは?」
「ああ?」
「河津さん、あの人と古くからの知り合いでしょう?」
警邏をしている同心の身の上ではあるが、話をする余裕くらいはある。
要するに二人は暇だった。人でごった返してはいるけれども、騒ぎは起きない。せっかくの祝い日であるから、喧嘩で怪我をするのは具合が悪いのだろう。
というわけで、白鳥の暇つぶしに付き合わされている河津は、逃げようにも溢れた人に阻まれて、かといって無言を貫けるほど豪胆ではなかった。彼は溜息をついて、白鳥をしっかりと睨んだ。
「本人に聞けよ」
この当然の返答に、白鳥は肩をすくませた。
「嫌ですよ。山奥で狼に育てられたとか、天狗に剣の稽古をしてもらったとか、地獄で鬼に育てられたとか、そういう感じだったらどうするんですか」
「どうするもこうするもねえよ。あの人も一応人の子だ」
「まさか! 人の子はあんなに無感情になれませんよ」
「…………」
「平野さんには言わないでくださいよ」
けれども、河津は呆れた様子で首を振り、さっさと行ってしまう。
平野の叱責を想起して、白鳥は思わず身を震わせた。あれを受けるくらいなら、河津に土下座をした方がましだ。いや、同じ天秤で比べるまでもない。
だから白鳥は人々を押しのけるようにして河津を追いかけ、そこで見知った人物に声を掛けられた。
「徳次郎さん?」
走りかけた白鳥が足を止めると、視界の端で手を振っている人がいた。
もちろん、豆河通りは人いきれが酷いが、どこもかしこも動いているわけではない。店の軒下なんかには人が溜まって、並べられた商品を品定めしている。
というわけで、白鳥の視界に飛び込んできたのは皮革問屋の三つ又屋であった。白鳥屋とはあまり接点がないけれども、子供同士としては交流がないわけではない。鼻水を垂らすような年齢の頃には、この三つ又屋の子供とも良く遊んだものである。
そして、その人物がまさしく店先で手を上げているのであった。
白鳥は流れる人の波をかき分けて、三つ又屋の軒先までやってくる。
びっしょりと掻いた汗を拭っていると、間髪いれずに、この気の良い友人が手拭いを渡してくれたものだから、白鳥は愛想よく受け取った。
「やあ、善一郎さん。今日は繁盛していますね」
「まあね。徳次郎さんは……」
と言って善一郎と呼ばれた三つ又屋の息子が、白鳥の姿を上から下まで観察する。もちろんのこと、もう鼻水を垂らす坊主ではなく同心なのだから、町奉行所の羽織を着て大小を腰に差している。
どこからどう見ても――中身はともあれ――立派な同心のようにしか見えない。だからと言って威張り腐るような白鳥ではないが、善一郎は媚びへつらうように腰を曲げた。
「ちょっと、止めてくださいよ。賄賂は御法度なんですからね」
「ふふ、でも、あの徳次郎さんがねえ」
と柔和に笑う善一郎に、白鳥はほっと胸をなでおろした。
この善一郎、時折恐ろしいほど無口になることがあって、普段の温和さからは想像も出来ないようなことを口走ったりするのだ。どうやら大層な気分屋は生来のことのようで、店先に立つようになった今でもあまり変わらないらしい。
そして白鳥は、そういう無口な時の善一郎が苦手だった。瞳の奥に憎悪の炎を燃やしていて、それが普段の温和さの代償なのか、と愕然とさせられるからである。
しばらく二人は談笑していたが、大人となった今では、日暮れまで遊んでいられるほど暇ではない。
白鳥がいないことに気付いた河津が、肩を怒らせて近づいてくるのが見えたし、善一郎の方も三つ又屋の手代、茂吉に声をかけられていた。善一郎は長らく務めるこの手代に微妙な顔をして、白鳥に視線を転じた。
「茂吉さん、まだ働いていたんですね」
「……まあ、忠誠心はある方だよ。それがちょっとばかし、不味い方向に動くことがあるだけで」
「何かあるんですか?」
と尋ねはしたが、河津が間近に迫っていた。それを見て、善一郎が軒の下から空を見上げ、眩しげに顎をしゃくった。
「行きなよ、仕事中だろ?」
「友達の話を聞けるくらいには暇ですよ?」
「いいって。こっちの問題さ」
「……お互い大人になったってことですかね。まあ、また今度話しましょう。僕はこの辺りをいつも警邏していますから」
白鳥が笑みを浮かべると、善一郎の方も持ち前の慈愛を前面に押し出して、白鳥の手を握った。
「もちろん。今度は酒を用意しておくよ」
「だから賄賂は厳禁だってば……」
そうして二人は別れた。




