今でも、一緒
眠れないまま、ぼーっとしていたらチャイムが鳴る。
もうそんなに時間が経ったのか、と起き上がって、立ってみる。
さっきよりは安定していて、自力で歩いて、カーテンを開けて。
先生と目が合って、頭を下げる。
「顔色良くなったね、自力で帰る?」
「はい」
「彼、待つ?」
「…………」
「はは、おいで」
悩んでいたら、先生が自分の前にある椅子を指差すから、近寄って、座る。
仄かにコーヒーの香りがして、何だか、自由な人だなと思った。
「君、ファンクラブある子?」
「っえ、あ、はあ」
「だよね、のぞむって呼ばれてたもんね」
「……」
「大丈夫咎めたりしないよ。たまに生徒が教えてくれるから、存在を知ってるだけ」
「はぁ」
独特な空気感だな、と思う。
先生、ではあるけれど、他の先生、とは違う。
もちろん生徒でもないけれど、どこか、親戚、のような。
家族と他人の間、先生と生徒の間、そんな、雰囲気。
「痴話喧嘩でもした?」
「……いや」
「でも泣いてたでしょ」
「……」
ズバズバ聞いてくるなぁ、と、少し引く。
容赦の無さが痛くて、でも、不快な感じはしない。
多分、悪意は、感じないからだと思う。
「好きならね、離さない方が良いよ」
「……」
「じゃないと、奪われちゃうからね」
先生も、そういう過去があったのだろうか。
その時だけは静かな、穏やかな声で。
奪われちゃう、が、やけに脳に響いた。
「……俺。アイツ以外、何も要らないんです」
「うん」
「……でも、アイツが居なくなったら。俺、何も無くなるんです」
「なるほどねぇ」
頷きながらコーヒーを飲んだ先生は、少し黙って、頬杖を突く。
伝わったのだろうか、と思っていると、先生は笑う。
「恋してるねぇ」
「……はぁ」
「それだけ夢中ってことでしょ、彼に。良いと思うけどなぁ、それで」
「……でも」
「居なくなった時のことは、居なくなった時に考えるんだよ」
「……え」
「だって、今は居るでしょ」
「……」
まあ、そう、だけれど。
そんな単純な考え方で良いのだろうか。
そんな簡単な、考え方で良いのだろうか。
だって、春海は俺の全てで。
その全てが無くなったら、呼吸すらままならない程、苦しいと思う。
だから、もし、を考えて、備えておきたいし、そんなもしもは絶対に回避したかった。
回避する為にはどうすればいいのか考えておきたいし、それなのに、考えることすら辛くて怖かった。
春海の傍なら俺で居られて、そんな春海がもし、居なくなったら。
俺は、何になるんだろう。
俺は。
「私の恋人はさ、出会った時から、余命が決まってたんだよね」
「……え」
「だから、失うことが確定している恋だった」
「……それは」
辛いな、と思う。
終わりが、分かっている恋。
さよならが、確定している恋。
「でも一緒になる以外、あり得なかった。本当に、本気で愛してた。だからさ、話し合ったんだ。どうやったら最後まで、二人の時間を謳歌できるかって。その答えが、さっき言ったこと」
「……居なくなってから、考える」
「そ!私も辛くて仕方なかった。一生一緒に居たいのに、絶対無理って決まってたから。でもね、恋人が言ったの。自分が居なくなった時のことは、居なくなってから思う存分考えてって」
「……」
「酷いでしょ。全部私に丸投げか、って大暴れしたよ。でも、自分は天国で、同じだけ苦しむからって。それって、一生、傍に居るってことじゃないかなって」
先生は、こめかみを押さえて、明るく話しながら、静かに泣いていた。
今でもずっと、その人のことを想っているのだと、痛いほどよく、伝わってくる。
「今でも苦しい。もっと一緒に居たかった。でも、でもね。一緒にいる時は、居なくなった時のことなんて考えないようにして、ずっと、これからも一緒だって疑わずに、ずっと、楽しい気持ちだけを集めていたからさ。その記憶が、私の支えなんだ」
「……」
なんて、言えば良いのか。
たった一瞬で、人生を聴いた。
二人分の人生を、愛を、生き様を。
なんて言っても言葉が足りないと思った。
だから真っ直ぐ、先生を見る。
春海を思い出しながら、真っ直ぐ。
「だからさ、今は、居なくなるかもしれない不安より、居てくれる幸せを存分に噛み締めたら良いよ。それが、居なくなった時の支えになるし、今をもっと、大切にできるんじゃないかな。まあ、持論だけどね」
ふっ、と息を吐いて、先生は笑う。
心に深い傷がありながらも、笑う先生。
さっと払われた涙はきっと、もう何度も、何度も流してきた涙なのだと思う。
先生が恋人を想って流す涙は、もう、きっと、数えられないほど、何度も。
「失うのが怖い、って、怯えるんじゃなくて、失った時の痛みを支えられる程に、幸せを貯めていく……」
俺なりにまとめてみると、先生はゆっくり頷く。
「うん。そうやって、ずっと一緒に居る。私の恋人は、自分を忘れて次の恋へ、なんて言わなかった。一生そうやって、傍に居続けてやるって、笑ってた」
ばかだよね、って、笑う姿が、幸せそうだと思った。
囚われていて辛そう、なんて感想は微塵も湧かない。
先生は、先生の恋人と、二人の約束を、二人で愛している。
俺は、今は、傍に居る喜びを。
もし、居なくなっても、その時を耐えられる程の、幸せを。
幸せが大きければ大きい程、失った時の辛さも大きいのではないかと思ったけれど、先生は、悲しみ続けても、良いのだと。
そういう形の愛も、あるのだと。
春海が居なくなったら、俺は俺で居られなくなると思った。
でも、その時の俺も、俺なのだ、と。
「聞かせてくれて、ありがとうございます」
「こちらこそ。初めて人に話したよ」
「っえ」
「それだけ君が、あの時の私と似てたのかもね。傍に居るのに、もう居ない、みたいな顔してた」
「……」
そんな顔を、と、少し恥ずかしくなる。
けれど、そんな顔を見たからって、先生の大切な人との記憶は、秘めておくこともできた訳で。
だから、もう一度頭を下げる。
聞かせてくれてありがとうございます。
先生達の覚悟には、遠く及ばないかもしれないけれど。先生達の考えに倣って、俺も少し覚悟を決める。
「……何か少しでも、救いになったのなら、あの時の私も、報われるよ」
そう言う先生は、もう泣いてはいなくて。
強い人だなと思った。
自由な人、ズバズバ聞いて来る人、そんな最初のイメージとは全く異なっていて、俺はまた、その人を知ることで印象が変わることを体感した。
このお話ですら、先生の一部だろうから、全てを理解したことにはならないけれど、でも。
先生が見せてくれた、見せようとしてくれた一部のお陰で、俺は今確かに救われている。
春海に会いたい、と思った。
会いたくないとか、思って、ごめん。
他の人に告白されて、他の人から注目を浴びて、俺だけの春海が、俺だけの春海じゃなくなることが怖かった。
でも、今付き合っているのは俺で、春海だって、今ちゃんと、傍に居てくれている。
だから、信じる。
居なくなるかもなんて考えず、居なくなるかもしれない時なんて考えず。
今春海と一緒に居られることに感謝して、いつか別れが来たとしても、耐えられるくらい、幸せを貯めていく。
耐えられるかどうかは、その時に考える。
耐えられなくても、それも俺。
視線を上げると、真っ直ぐに俺を見ている先生と目が合う。
先生の恋人は、どんな人だったんだろう。
居なくなっても尚、まだこんなにも人に愛されているその人に、会ってみたいと思った。
けれど、もう会えないという事実に、知り合ってもいない俺すら、悲しいと思った。
「今でも、一緒なんですね」
会ったことの無い俺が、会いたいとすら、思う程に。
「君……泣かせるねぇ」
眉を下げた先生は、泣きながら、笑っていた。
本ページあとがき
書きながら泣く、という体験を初めてしました。
何かを抱えながらも前を向く人は、何処か滲み出ている魅力があるなと思います。
いつか先生のお話も書けたら良いなと思いつつ。
いつか!




