戦争症候群4
「私が馬鹿過ぎた。罠があるかも知れないと分かってたのに、思いっきり罠に嵌ってさ……」
「自分を責めるな。俺なんて罠があるかも知れないとすら分かってなかったぞ」
「おい、軽く言ってるけど普通に窮地なの分かってるか?」
サララとジャレッドは魔力を抜かれ、同じ部屋に押し込められていた。姫君の寝室としては狭く、客室としては広い中部屋である。簡素なベッドが二つ、テーブルにはパンと水。椅子もあり、壁にかけられた美麗な絵画と窓に嵌められたお洒落な太い鉄格子が目を引く。
縛めを解き、室内に見張りを置かないのはやや不用心と言えるが、そうは言っても死神のお気に入りである。度胸のあるマリーナはとにかく、兵士達は怯えて近くに居たがらない。出入口を塞ぎ、そして……ジャレッドの両手足の腱を切れば十分であるとも考えられる。魔力が無く手足が動かなければ物理的にも魔法的にも逃げられはしない。
「腱を切られたのは二重の意味で痛かったが、王を治せば俺は用済みになる。殺されてもおかしくない。だから、これで正解だ」
「それは……そうかも。だから治さないと殺すって脅されても治さなかったのか。珍しいと思った」
脅しは脅しでしかない。ジャレッドが死ねば、王の病は治らない。だから殺せない。しかしマリーナという狂信者がいる以上、そのまともな理屈もいつまで通用するか。ジャレッドの命の危機と無事を同時保証していた死神は封じられた。いつマリーナの気が変わって墓石で無造作に撲殺されてもおかしくない。早急に脱出する必要がある。
そしてそのためには、ジャレッドの手足の腱が切られているのが問題だ。何をするにしても手足が動かなければどうしようもない。控え目に言って重症である。
が。その重症を治してみせるのが、医者だ。
「魔力は全て奪われてる訳ではない。ほんの少しだけ残ってる。小炎息にも足りないカスみたいな量だが、効率よく運用して二人分合わせれば両手足の神経を繋ぐだけならなんとかなる」
ジャレッドが雰囲気を切り替える。ここからは医者の時間だ。サララもそれに合わせて考えながら所見を述べた。
「神経繋いでも肉が繋がってないと歩けない。そこはどうする? 添え木で固定?」
「それも悪くないが不安定だ。術後を考えればやはり完治させたい。で、考えたんだが。手術道具は取り上げられたが薬草と糸は取り上げられなかった。医術に使うものだとは思わなかったのだろう。兵士が医術に疎くて良かったな?」
「まさか縫合する気か? でもジャレッドは手が動かな……」
そこでサララは言葉を切り、目を瞬かせた。
「わ、私? でも手術なんてやった事ないぞ。いつも見てるだけで」
「サララはもう一人前だ。知識はある。あとは経験だ」
「その経験がないんだって! 怖い怖い怖い! 失敗したらどうする? ジャレッドの両手両足が動かなくなるかも! そんなの駄目だ!」
「誰でも最初は経験が無い。いいからやってみろ、練習だと思って」
「くそっ、簡単に言ってくれる……!」
どう考えても練習じゃなくて本番だろ、とか、道具も魔力も足りない、とか、言いたい事は多かったが、同時にジャレッドの信頼が嬉しかった。
サララは山ほど失敗してきた。ジャレッドが自分の手術を任せてくれたのは、失敗から学び積み重ねてきたものがあるからだ。挑戦せず失敗せず、努力もしなかったなら、ここで任される事は決して無かっただろう。
「やっ、やってやる。やってやるよ。私だって医者なんだ!」
サララは緊張に震える声で宣言した。
「頼んだぞ」
ジャレッドはそう言ってベッドに横たわったまま目を閉じた。
前準備として、まずサララはテーブルに使える道具を並べた。小袋を開けて薬草を並べ、糸を置く。使う薬草は針草、蜂の実、聖木の根の三種類。それぞれ針、麻酔、消毒に使う。
ぐにゃぐにゃの針草を水で湿らせると、たちまちその名の通り針のように硬く鋭く尖った。雨上がりに針草を踏んで怪我をする事故は昔から多く、人里付近では根絶されている。今では山奥まで行かなければ手に入らない貴重な草だ。
六角形をした茶色い蜂の実はすり潰して粉にした後、水に溶かして麻酔に使う。粉:水=一:九の割合だ。経口摂取が一番体への負担が少ないが、今回は量が足りないため患部に直接垂らして使う。本来蜂の実は麻痺毒で、丁度良い処方量を見つけるまで十数匹の鼠が心臓や肺を麻痺させて死んでいった。その死がジャレッドを生かすだろう。
消毒に欠かせないのは聖木の根だ。伐採や枝払いなどが厳しく禁じられた聖木の根を夜な夜な掘り起こしに行く時の緊張感は今この手術の時に勝るとも劣らなかった。そうして採取した貴重な純白の根を絞り、汁を取る。原液が一番効果が高いがやはり量が足りないため水で薄めて使う。希釈した聖木の汁で患部と糸、針を清めれば準備完了となる。
万全を期すならば、解熱、強心、血管収縮拡張、消炎、増血など、もっと多くの薬草を使いたい。が、無いものは無い。最低限必要な薬草があっただけ運が良かったと言うべきだろう。魔力さえあれば魔力集中による回復で全てまとめて一発なのに、魔力を使わない薬草治療は細かな用途に合わせ薬効を使い分ける必要があり煩雑に過ぎる。
麻酔をかけ、緊張と興奮で震える手と荒い息を抑えながら深呼吸する事数度。意を決し、サララは針を手に取った。
求められる事は至極単純。魔力で神経を繋ぎ、針と糸で肉と皮膚を繋ぐ。
だがそれが難しい。神経を間違えて繋いだらどうする? 針が中折れして血管に入ってしまったら。麻酔が強すぎたり途中で切れたりしてショック症状を起こすかも……
サララは何度も手の震えと硬直に襲われ、縫合の中断を余儀なくされた。ほんの十数分も経つと、丸一日走り回ったような疲労が体を蝕む。しかしミスだけはしなかった。目を見開き、よく見て、思い出し、自分の知識と経験を信じた。
当然だが止血を長時間続ければ血流が止まり壊死が始まる。丁寧であっても時間をかけ過ぎれば手遅れになる。かと言って急いだ結果失敗すれば元も子もない。丁寧に、急がなければならない。
心底助手が欲しいと思った。患部を押さえていてくれるだけで、汗を拭いてくれるだけで、新しい針草を取ってくれるだけで、どれだけ楽になるだろう。ジャレッドが助手を求めた理由が痛いほど理解できた。
反面、こうも思った。ジャレッドは長い間一人で手術をしてきたのだ。ならばその一番弟子たる自分にできないはずがない――――
やがて、信じられないほど長く短い施術は終わった。
局部麻酔だったためそれほど間もなくジャレッドは動けるようになり。
手をついて、ベッドから身を起こした。
ベッドから降り、立ち上がる。
「ありがとう、サララ。助かった」
「どういたしまして!」
疲れ切ったサララは輝く笑顔で感謝に答えた。ジャレッドは一歩踏み出すたびに顔を歪めたが、耐えられない痛みでは無い。
「よーし、じゃあ脱出するか」
「ああ。でもどうやって? 見張りはいるし、窓は塞がってるし、魔力も無いし」
サララの疑問に答えるように廊下が騒がしくなった。悲鳴と怒号、剣戟の音が響き、それが近づいてくる。間もなく部屋の扉が勢い良く空き、白い毛並みの四足獣が飛び込んできた。
「おお、バクルク!」
咥えていた誰かの足を吐き出し尻尾を振りながら飛びついてきたバクルクを、ジャレッドは驚いて受け止める。自力で脱出してきたようだった。戦闘要員と合流できたのは大きい。
ジャレッドは死神を助けて逃げようと言ったが、サララはそれを否定した。逃げる前にまだやるべき事がある。
「だから先に逃げといてくれ」
「馬鹿、ここまで来たんだ。最後まで付き合う」
「……ありがとう」
バクルクがなぎ倒した兵士が持っていた奇石を齧って魔力を補給しながら、一行は王座の間を目指して駆けた。バクルクは鼻をひくつかせ途中で別れ、死神が封じられている地下礼拝堂へ向かう。玉座の間の荘厳な扉を蹴破ると、青い顔の王と、何事か話していたマリーナが振り返った。シララもいる。マリーナの反応は素早く、ジャレッドを見ると同時に墓石を盾のように構え襲い掛かってきたが、ジャレッドが殴り倒される前にサララは大声で叫んだ。
「どーも医者です! 患者の治療に来ました!」
「はあ……?」
マリーナは墓石を振り上げたまま停止した。完全に困惑していた。
「ジャレッドは診るのも嫌だっていうから私が治す。父様、どこが悪い? いや頭が悪いのは知ってるからそれ以外で」
マリーナは飄々と言うサララを狂人でも見るように見た。
「王を殺しに来たのではないのか? 逃げを選ばなかったのならそれしか無いだろう」
「ほらー! 死神とか滅神の神官はすぐそういう事言う。父様は私が死にそうになっても助けてくれなかったから、私は父様を助けてあげるんだよ。親子だし、医者だから」
「……筋が通っていないように聞こえるが?」
「や、これで合ってる。だって私、父様と同じクズになりたくないからさ」
サララはかつて自分を見捨てた父を治す。かつてジャレッドが自分を見捨てた死神を治したように。自分を苦しめた者に親切にしてやる必要など無いが、それが必要な時もあるのだ。
父に復讐する自分より、父を見返す自分の方がサララは好きになれる。
マリーナはサララの言葉に本気を読み取り、賢明に引き下がった。
近くで見る王は記憶よりやつれていた。サララを前に何か言おうとしたので、魔法を使い問答無用で眠らせる。父を治す決意はしたが、耳障りな言葉を聞くつもりはない。謝罪も今更だ。
「サララ、元気そうで良かった」
「姉様も。私がいない間父様に虐められて……るよなあ。手術終わったら私と一緒に来る?」
「……誘ってくれて本当に嬉しいけど、それはできないわ。私はこの国の第一王女。王位継承者だもの。王族として民を導く責任がある。城は離れられない。病の父様に酷い事もできないわ」
「そっか」
シララと話しながら月瞳を見開いて診察していたサララは、患部を見つけ、呆然とし、笑いだした。過呼吸を起こすほど腹を抱えて爆笑するサララにシララは少し引いた。
「ど、どうしたの?」
「これ、晶腫だ! こんな事ってある? 私と姉様と同じ場所に発症してる!」
奇妙な因果応報もあったものである。サララはひとしきり笑った後、没収されていた手術道具一式を返して貰い、晶腫の切除を行った。難しい位置にできている晶腫だったが、発症から一年も経っておらずまだ小さかったため、サララでもなんとか切り離す事ができた。緊張も何もない手術だった。二度目の手術で肩の力が抜けていたのもある。
「父様はもう大丈夫なの?」
とれたての晶腫を王の口に突っ込んでいるサララに、シララは心配そうに聞いた。
「大丈夫、大丈夫。晶腫は完全に切除した。健康元気一杯だ」
「そう、良かった」
シララはほっと息を吐き、
眠りこけている王の顔面に拳を叩き込んだ。
「病人でないなら、安心して殴れるわ」
鼻血を噴き出して倒れていく王を、その場の全員が呆気に取られてただ見ていた。シララはそのまま王を床に殴り倒し、魔神の形相で馬乗りになってしこたま顔面を殴打する。
「私の! 可愛い妹に! よくもやってくれたなぁ糞親父! サララの優しさに付け込んで騙しやがって騙しやがって騙しやがって! カスでも国王と思い敬意を払ってきたがもう我慢の限界だ! 貴様に王たる資格はない! 聞いているのか!? 聞け!」
王は最初の一発で眠りから覚めたが、五、六発目でまた眠るハメになった。みるみる顔の形が変わっていく。意識を失ってもシララの容赦無い整形手術は途切れない。
「ちょちょちょちょっと待って姉様! それ以上は死んじゃう!」
「あら、ごめんなさいね。少し興奮してしまったわ。私ったらはしたない」
サララに羽交い絞めにされてようやく止まったシララは血に染まった手を頬に当ててたおやかに微笑んだが、もう誰も騙されなかった。百年の恋も一瞬で醒める豹変ぶりである。絶句していたジャレッドはシララがハンカチで上品に血まみれの手を拭っているのを見てようやく呟いた。
「確かにサララと似てるな。全然深窓の姫じゃなかった」
「いやごめん訂正させてくれ。似てない。姉様の方が私より過激だった」
完全に予想外だったのだろう、場の空気に呑まれていたマリーナも復帰した。
「あー、シララ姫? 私は王と」
「近衛兵さん、聖女マリーナを国家反逆罪で拘束します。お願いします」
シララは台詞を遮り命令を発した。丁寧な頼み方だったが、声はよく通り、近衛兵は残虐な独裁者に命じられたように緊張と恐怖を孕みつつ弾かれたように動いた。
マリーナは雪崩を打って襲ってくる近衛兵を冷静に墓石で殴り飛ばしながら己の失策を呪った。ジャレッドが両手足を治してのけたのも、バクルクの暴れぶりも予想外だったが、それだけならまだ対応できた。予想外を封殺するためにわざわざ王城に引き込んだのだから。
しかし唯々諾々と王に従っていた、全く注目していなかったシララが牙をむいた事で、計画は完全に瓦解した。王を介して味方につけたはずの近衛兵は完全にシララ姫の掌握下に入っていた。元々国民人気の高い姫である。仮にこのまま国王から王位を簒奪しても、歓呼の声で迎えられこそすれ、非難する者はいないだろう。現王に取り入っていたマリーナとしては大変よろしくない。
サララが王を治す決断をし、やってのけた事で、シララは病の王へ向けていた最後の慈悲を捨て去った。そしてサララに医療を教えたのはジャレッドで、ジャレッドを卓越した医者に育て上げたのは死神である。マリーナは、巡り巡って死神に負けたのだ。
近衛兵はいくら殴り飛ばしてもキリが無かった。一騎当千、歴戦の神官戦士にも限界がある。突発的戦闘のせいか、心臓が刺すように痛くなってきていた。痛みは一人殴り飛ばすたびにどんどん酷くなっていく。マリーナは再起を誓い、窓を突き破って逃げ出した。
「必ず生きて捕まえて下さい。彼女は死ぬ前にサララに謝らなければなりません。お願い、できますね?」
両手を組み瞳を潤ませ上目遣いに頼むシララ姫に、近衛隊長はドキッとして頷いた。美しさに魅了されたからではなく、『できなければお前をタコ殴りにする』という副音声が聞こえた気がしたからだった。
兵のほとんどが近衛隊長の指揮で慌ただしく出て行った王座の間で、シララは痙攣している王を上品に蹴り転がし、玉座に座って微笑んだ。
「さて。王は残念ながら避けられない不幸な事故により、政を行えない状態となりました。今を以て私シララ・ナルガザン・エルフィリアが王に代わり国政を掌握します。まずは早急にキオ侵攻は中止し和平の使者を立てましょう。前王は頭の病気を抱えておられるようなので、安全快適な牢の中でゆっくり静養して頂きます。サララは……今度こそ、楽しく一緒に暮らしたいのだけれど」
無意識にジャレッドの袖を掴んだサララを見て、シララは苦笑いした。
「貴女が幸せなら、私はそれで良いわ。結婚式、開きましょうか?」
「いっ、いや……」
サララは照れてもじもじして、ジャレッドは申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し出はありがたいですが、シララ姫と結婚するのはちょっと」
「……あら、ふられてしまったわ」
ジャレッドの勘違いにシララの苦笑が深くなる。サララはがっかりとため息を吐いた。
城の地下から聞こえるバクルクの喜びの咆哮を聞き、漂い始める死の気配を感じながら、ジャレッドはキッパリと言葉を続けた。
「私はサララが好きなので」
まだ神々と人が同じ言葉を話していた頃。四海で最も巨きな大陸に、二人の医者がいた。
彼らは死神と約定を交わし、その長い人生を終える最後の瞬間まで、死神に殺人を禁じた。誰よりも多くを、死神すら救った偉大な医者であった。
その逸話に因み、大陸の民は有能な医者を『死神の天敵』と呼び習わし、末永く尊び、語り継いだ。
おしまい




