戦争症候群3
「で、またこれか」
「ごめん、ごめんジャレッド。私がもっとしっかりしてれば」
後ろ手に縛られ冷たい石の床に転がされたジャレッドは落ち着き払って言った。涙目のサララは縛られていなかったが、左右を固める近衛兵が無言の圧力をかけていた。
旅程を消化し、登城して、謁見の間に入るまでは順調だった。王都に近づくと流石に指名手配中のサララとジャレッドに気付く市民も出てきたが、そこは護衛についたマリーナが墓石を免状のように掲げて話を通した。
最初はもしかしたらマリーナが自分達を嵌める気かも知れないと警戒していたサララも、旅の道中で元々よく知った仲であるマリーナに絆されていった。そして、謁見の間の扉が開いた瞬間にマリーナはジャレッドを蹴り飛ばし、待ち構えていた近衛兵がすかさず拘束。ものの見事に罠にかかってしまった。バクルクは王城の入り口で騎獣でもない獣を入れる訳にはいかないと引き離されている。
サララは歳の割に聡いが、人生の大部分を王城に軟禁されて過ごし、社会で揉まれた経験は精々一年。対してマリーナは神官勢力の代表格として長年海千山千の古狸を相手にしてきた上、サララの心理もよく知っている。相手が悪かった。子供にも騙されるジャレッドについては言うまでもない。
冷静なジャレッドを見て、玉座で頬杖を突く王は意外そうにした。
「此度は泣き喚かないのだな」
「当たり前だ。俺は、お前が嫌いだ。一年前の事を謝罪して改めて頼み事をしてくるなら聞いてやろうと思っていたが、こういう手段に訴えるようなら駄目だな。脅されようと何を言われようと一切聞いてやらん」
「ほう。そうか」
王が指を鳴らすと、ヒゲ面の近衛兵が前に出て槍の穂先でジャレッドの頬を突いた。
「うわーっ! やめろやめろやめろ! 命だけは! 命だけは助けてくれ! なんでもするからあ!」
決意に燃えた瞳は一瞬で鎮火した。が、代わりに燃え上がる者があった。死神である。
まるで最初からいたように、ジャレッドの横に死神の姿があった。全身から湧きあがる瘴気で空気を殺しながら、立っていた。
閉じられた両目に燃え盛る極寒の炎が見えるようだった。黒く長い髪が獲物を前に興奮する毒蛇の群れのようにうねり、冷たい美貌に凄絶な彩りを添える。人間の歴史より旧い漆黒のマントがむせ返る死臭にはためいた。謁見の間にこの世ならざる根源的恐怖が充満する。
「どけ、定命」
命令は端的で、圧倒的威厳に満ち溢れていた。山や海ですら身を退かすのではないかというその命令にヒゲの近衛兵は蒼褪め直ちに屈服したが、下がろうとするその背をマリーナが墓石で押し戻した。マリーナは冷や汗をかきながらも、落ち着いて、半ば自分に言い聞かせるように言った。
「御安心下さい。死神はジャレッドと不殺の取り決めを交わしています。死神は人を殺しません。私はその取り決めの場に居合わせた。間違いありません」
「おいっ!」
ジャレッドの焦りと、恐ろしい威容を曝け出しながらも動かない死神が言外にマリーナの言葉を裏付けた。サララの顔色は白を通り越し土気色になる。心のどこかで、どうしようもない窮地に陥ったら死神が皆殺し的手段で解決すると思っていた。死神とジャレッドの取り決めを、サララは知らなかった。
絶対無敵に等しい強大なデウス・エクス・マキナは、一人の人間との約束に縛られ封じられていた。
死神がその気になった瞬間、謁見の間の人間は余さず死滅する。怒り方次第では、王都、あるいは国土全域、最悪大陸全土に問答無用にして絶対の死が振りまかれる。
が、死神は動かない。動けない。それを確認し、マリーナは勝ち誇った。
「ジャレッドが生きている限り、死神は誰かを手にかける事は絶対にない。彼は死神に誰も殺させない。彼こそが死神の天敵です。そして!」
マリーナが懐から取り出し、神々しく暖かな燐光を帯びた霊薬を死神に投げつける。死神の肌に赤みが差し、血色が良くなり苦悶の声を漏らした。立ち上っていた瘴気が明らかに薄くなる。
「肉がある。血がある、体温がある。死神は今、あまりにも活力に溢れている。弱っている。滅神様による傷が癒えていない! あなたがもっと死を振りまき、それを以て骸骨の姿を取り戻していればこうはいかなかったでしょう。例え死の力を使わずとも、私如きがこんな真似はできなかった。ジャレッドとの取り決めを守ったのが敗因です」
主神を殺された恨みは深かった。悦に入って語るマリーナに、ジャレッドは弱々しく懇願する。
「あの、そういうのいいから槍を退けさせて下さいませんか? さっきから当たってるんですけ痛い痛い痛い! なんで刺した! なんで刺した! 死んじゃう!」
「やめろ! ジャレッドを虐めるな!」
「妹姫様、これは正当な復讐です。花を鼻にねじ込まれた屈辱のお返しですよ」
「は? ……あ!? お前あのヒゲの兵士か! そういう因縁は今いらないぞ!」
喚くジャレッドをマリーナは嘲笑う。そして一方的に告げた。
「残念ながら要らなくても憑いて回るのが因縁だ。さて、ジャレッドには王の病を治してもらう。王には是非生きてキオを滅ぼしていただかなければならないからな。ああ、シララ姫が病だというのは城に来させるための嘘だ。安心するといい」
「あ、シララが病なのは嘘なのか。じゃあ帰ります。用無いので」
縛り上げられたままもぞもぞ動き本当に帰ろうとする。マリーナは呆れかえり、背に墓石を重し替わりに乗せて動きを封じた。
「王を治さないのなら、殺す。おっと、死神は私に従ってもらう。愛しのジャレッドの命を握っているのだ、否は言うまいな? ……いや、言っても良いか。怒りに任せ死を振りまいてこの状況を打開するというのなら、それもまた良し」
おかしな事を言い出したマリーナに顔色を目まぐるしく変えながら話を聞くだけの置物になっていた王が口を挟んだ。
「待て、聖女マリーナ。それは話が違う。其方はサララを連れ戻し、医師ジャレッドに余を治させる。余はキオを平らげる。そのような取り決めであったであろう」
「私はどちらでも良いのです。王が生き、キオを滅ぼしても。死神が忍従を捨て、全てを滅ぼしても。どちらにせよ滅神様の御心に適う。神の御名の下に滅び在れ」
マリーナは澄み切った目で厳かに称え、祈りの仕草をした。
狂ってる、という呟きをサララは辛うじて飲み込んだ。今は亡き主神に尽くしていると言えば聞こえは良いが、俗に言えばただの破滅願望だ。サララはマリーナの狂気的側面を知らなかった。上手く隠していたのか、それともサララと別れて以後狂気が深まったのか。
サララは育ての親の狂気を目の当たりにしても、心の底では冷静な自分に気付いた。一年前ならば動揺し、何もできなかっただろう。しかしこの一年でサララは経験を重ね、幾つかの修羅場も抜けてきた。マリーナにかかれば容易く欺かれ騙される程度の経験値だったが、それは失敗からの挽回が不可能という事は意味しない。
死神は金属でも噛み砕いているのかというほどの恐ろしい歯ぎしりをして血の涙を流しているが、役立たずと化している。ジャレッドは芋虫になっている。サララがなんとかするしかない。
サララはマリーナとジャレッドならば、ジャレッドを選ぶ。マリーナは育ての親だが、真の意味でサララを救い、生き方と生かし方を教えてくれたのはジャレッドなのだ。
サララはジャレッドや死神より遥かに強かだと自負している。助かる道を探すため、懸命に頭を回す。
狂気の側面をむき出しにしたマリーナだが、かつての日々でサララに優しさを垣間見せたのも事実。卑怯な手だが、突くならここだ、と判断する。サララは姉の真似をして、庇護欲を誘う悲し気な顔を作った。
「婆や。私に優しくしてくれたのも、全部嘘だったの?」
「ん? ああ、情に訴えに来たか」
一瞬で見破られた。
「サララも成長したようで何より。王はサララを立派な守護神に育て上げれば、それを以てキオを撃滅すると仰ったのだ。それだけの話だ。簡単に言えば全部嘘、という事だな。それも今となっては大した問題ではない。近衛兵、サララの魔力を抜いて閉じ込めておけ」
哀れサララは近衛兵に連行されていった。暴れても拘束が厳しくなるだけで脱出は不可能と瞬時に打算を働かせ、しおらしくして連行する近衛兵の同情を誘うだけで精一杯だった。
それを横目で見送り、マリーナは死神に向き直り嗜虐的に舌なめずりした。
「さーて、どうしてくれよう。滅神様の仇! この時をどれほど待った事か……!」
今にも人を呪い殺しそうな、洒落にならない殺気を放っていた死神だったが、閉じられた目でマリーナを睨んでいる内に徐々に鎮まってきた。特に心臓付近に長く目を留めていた。
依然としてジャレッドは拘束され、瞬き一つの間に首を槍で貫かれて死ぬ状況にある。サララも連れて行かれた。何一つ好転していないというのに冷静さを取り戻した死神を、マリーナは訝しむ。
マリーナは自分一人では万が一があると考え、わざわざ手間と時間をかけ、騙し、安全で味方が多く慣れ親しんだ王城まで引き込んだ。そして罠にかける事に成功した。
このままジャレッドを人質にとりつつ、王城の地下礼拝堂に連れて行けば弱り切った死神を封じる事ができる。そうすれば後はジャレッドを殺そうがどうにでもできる。
死神を封印し、その苦痛の声を愉しみながら、領土的野心に憑りつかれたエルフィリア王を煽り、キオを、他の国々を滅亡させる。これが最善。
死神が怒り狂い、生きとし生けるものを滅ぼす。これが次善。
最も悪い展開でも、謁見の間にいるエルフィリアの首脳陣は鏖殺され、エルフィリアは総崩れ。キオによって滅ぼされる。多寡に差はあれ、どう転んでも滅神好みの滅びは得られる。
死神はジャレッドを見捨てられない。取り決めを破れない。故に、神たる死の力を人に振るえない。現に、そうしようと思えば謁見の間の者を皆殺しにして厄介ごとを全て葬り去る事ができるのに、そうしない。間違いなく死神はマリーナの術中に嵌っている。
だというのにこの余裕はなんなのか。死神はマリーナを観察し、冷静になっていったようだった。死神は一体何を視たのか。
「どうした、死神。諦めたか? ほら言ってみろ。殺してやる、とか。できもしない事をな」
神をも恐れぬマリーナに謁見の間の者達が慄く。
マリーナの挑発を死神は鼻で哂った。
「ジャレッドとサララは私が名で呼ぶに値する。小娘は値しない。そういう事です」
蔑みは時に罵倒よりも人を苛立たせる。死神の狼狽や怒りを期待していたマリーナの神経が逆なでされる。
「どういう意味だ……!」
「人としての格が違うって事じゃないかげぅ!」
素直に余計な事を言ったジャレッドは墓石で殴られ気絶した。
死神は神威的力を何一つ振るう事なく、警戒を続けるマリーナによってジャレッドと引き離され、王城の地下礼拝堂に墓石を起点とした大魔法でもって封印された。如何に神といえど、著しく衰弱し、滅神の封印を大儀式規模で受けてはどうしようもない。
マリーナは怒りを収め落ち着き払った死神を不気味に思い探りを入れたが、落ち着きの原因が分からず、結局ただの虚勢と取って自分を納得させた。そのマリーナの心臓を、死神は何も言わず閉じた目でじっと見つめていた。




