巨影症5
明けて、翌朝。コイッカスは美女を呼べ美食を食わせろ暑い団扇で扇げと誰彼構わず命令していたが、誰も聞かず目も向けなかった。
調理中の料理人に注文をつけ熱したフライパンで殴られそうになったコイッカスは腹いせにバクルクを蹴飛ばしていた。
再び相談に来たアキュードを、ジャレッドとサララは手術道具をテーブルに並べて磨きながら迎えた。
「医師ジャレッド。再三すまない、これが最後の相談になる」
「治る気の無い患者を治す事ほど難しい治療はない」
月瞳を見開き一本の呪楔を陽光に翳して睨んだジャレッドは、やり直し、と言ってサララに突き返した。アキュードは地図と日程表を広げて説明した。
「停戦交渉は首都で行われる。首都まであと二日、復路で九日。合わせて十一日、大使殿を守り抜かなければならない。十日で巨影症の影が島を吹き飛ばすというのなら、あと十一日間も影を撃退し続けるのはとても不可能だ。何も完治させる必要はない、あと十一日、なんとか大使殿をもたせられないだろうか」
「場当たり処置でいいなら可能だ。ただし手術が必要になる。難しい手術だ。無料ではやれない」
「もっともだ。金なら十分に用意しよう」
「いいや。報酬にはバクルクをもらいたい」
アキュードはそんな事でいいのなら、と快く頷いた。二人とも患者本人の意思は全く考慮しなかった。
「しかしバクルクは大使殿に憑いているのだろう。もらおうと思ってもらえるものなのか?」
「そこは心配いらん。コイッカスは悲惨な死が待ってるのかも知れんが、俺だって常に死にかけてる。モルスロムが直々に憑いていなければバクルクが十匹は憑いてなきゃおかしい」
軽く言うジャレッドにアキュードはなんとも言い難い複雑な表情をして、とりあえず奇石酒をすすめた。
手術前にコイッカスを眠らせ大人しくさせるためにアキュードが辞し、サララは疑問に思っていた事を聞いた。
「なあ、なんでバクルクを連れていきたいんだ? 変に詳しいし……臓物を霊薬の材料にするとか?」
「なんだそれ怖っ! そんな事はしない。俺はバクルクが好きなんだ。だからバクルクが助けたがってるコイッカスを助けてやるんだよ」
「なんでバクルクが好きなんだ?」
「おっとぉ、早いとこ手術の準備をしないといけないな。サララ、その呪楔を磨き終わったら赤い旗の天幕まで来てくれ。手術の助手を頼む。俺は先に準備をしている。あー忙しい忙しい」
ジャレッドは呆れるほどわざとらしく話を逸らし、いそいそと立ち去った。
今更ながら、サララはジャレッドの過去を知らない事を思い知った。年齢、好きな物、嫌いな物、好きな色、細かな仕草。一通り知っているが、過去はよく知らない。生き返りかけていた死神を殺して助け呪われたというが、一体どうすれば人智を越えた最高神格たる死神の窮地に居合わせ、あまつさえそれを助けてしまえるのだろうか。
ジャレッドはサララにとって恩人で、先生で、友達で、第二の父で、他にも……とにかく大切な人である。自分の事をもっと知ってもらいたいし、ジャレッドの事ももっと知りたいと思う。話したがらない事を聞き出そうとしたら嫌がるだろうか。しかし、気になる。
「ジャレッドは」
もやもやしていると、いつの間にか真横に座っていた死神が唐突に語りだした。
「愚かな定命の予言(戯言)を信じた親に捨てられた子です。誰もが我が身可愛さに死を呼び寄せるとされた幼子を突き放し遠ざけた」
心を読んだように、ジャレッドが語りたがらなかった過去を語りだす。これは本人の口以外から聞くべきではない、と咄嗟に思った。椅子を死神に投げつけて立ち去ろうと腰が浮かびかけるが、好奇心に負けた。サララは知りたがりだった。
「冷たいゴミ捨て場であの子はずっと助けを呼び続けていました。しかし誰も助けはしませんでした。私はこの子の前に立ち、その助けを求める切なる声を聞き、それが世を恨む声に変わったその時、命を刈ろうと思いました。しかし――――」
「――――思うだけで終わったわけだ」
「はい。今も、ずっと」
死神は見惚れるほど美しい笑みを見せた。ジャレッドと一緒にいる死神はいつも幸せそうに笑っている事にサララは気付いた。サララが見た事のある死神の肖像画や彫像は、どれも真冬の風すら凍死するような冷え切った目をしていた。
「結局、ジャレッドは自分で自分を助けるしかありませんでした。十にもならない幼子は、誰の助けも借りずたった独りで死の宿命を覆し生き延びた。ジャレッドは独りで生きられる強い子ですが、独りで生きなければならない辛さも良く知っています。ジャレッドは誰にも顧みられず死を待つ者に優しい。それを助ける者にも優しい。世の全てを憎んでも無理はないのに。それが私はたまらなく愛おしいのです。ジャレッドは同情で誰かを助けるのは侮辱だと思って話したがりませんが」
不覚にもサララは死神に共感を抱いた。サララもジャレッドの優しさが好きだった。それは無差別な慈愛ではない。自分が辛い思いをしたからこそ、同じ者を助ける。サララはそれに救われた。死神にもそれが響いたのだ。
「故に、サララ・ナルガザン・エルフィリア。誰かを助けるジャレッドをあなたが助けなさい」
「言われなくても。でもそう言う死神は助けないのか?」
サララが煽ると、死神は鼻で笑った。
「私の本分は死を与える事。助ける事ではありません。全てを殺し解決するのは得意ですが」
「おい馬鹿やめろそういう事は。お前は、何もするな。どっかいってろ!」
「おやおや、少しジャレッドに似てきましたね。医術の腕は天地ほども劣りますが」
煽ったつもりが煽られ、サララは憤慨しながら磨き上げた最後の呪楔を持ち赤い旗の天幕へ向かった。
天幕の中ではコイッカスがベッドの上に眠りの魔法で寝かせられ、既にジャレッドがテーブルに手術道具を並べて待っていた。
「病魔避けの結界はもう張っておいた。今回はコイッカスの月瞳に細工をする。それを手伝ってくれ」
ジャレッドはコイッカスの瞼を開け、細い楕円形の月瞳を指しながら説明する。
「巨影症の影は半分実体化しているが、元々影骨だ。月瞳を閉じれば見えなくなるし、月瞳に細工をすれば別物に見えるようになる。コイッカスは骸骨の姿をした巨影症の影を嫌っている。だから月瞳の神経を弄って、骸骨がコイッカスが好きな美女に見えるようにしてやる。そうすれば拒絶せず喜んで受け入れるだろう。普通なら夕暮れ時に美女がまっすぐ突進してきたら怪しむが、こいつは馬鹿だからな」
ジャレッドは馬鹿にしてコイッカスの頬を呪楔の先端でつついた。
「これから俺は月瞳に霊精刀と呪楔で美女の姿を彫り込む。細かい作業になるから、霊精刀と呪楔は常に細く鋭い物を使わないといけない。サララは切れ味が落ちた物を片っ端から研ぎ直していってくれ」
「あー、理屈は分かった。やる事も分かった。でも月瞳に美女の姿を彫り込むのか?」
「ん? ああ、安心しろ、サララの姿は彫らない」
「いやそういう問題じゃなくて」
サララはコイッカスの月瞳をもう一度まじまじと見た。月瞳は小さい。ジャレッドがやろうとしているのは小麦の粒に肖像画を描くようなものだ。手術というより曲芸奇芸の類である。サララも日頃の訓練の成果もあり影骨の操り方が上手くなってきているが、二、三の文字を書き込むのが限界だろう。とても人の絵など描けないし、訓練を積んでも描ける気がしない。
しかしジャレッドは描ける自信があるようだった。ならばサララはそれを信じて手伝うまでである。
手術が始まった。一見してジャレッドはコイッカスの顔に覆いかぶさり微動だにしていないが、その実繊細すぎるほど繊細に霊精刀と呪楔を動かし美しい女性の肖像を彫り込んでいる。
既に描かれた見えない線を辿るようにその手には躊躇というものがなかった。ほんの少しでも切れ味が鈍ればすぐに取り換えられる手術道具を丁寧に研ぎ直していたサララだったが、好奇心に負けて盗み見ると、それはどうやら死神の面影のある姿のようで心がざわついた。
ジャレッドはそれが美女だと思っているのだ。コイッカスの月瞳に自分の姿を彫られても気色悪いので、誰の姿に似せて彫ろうと文句は言えないのだが。
似たような繊細な施術はサララとシララの晶腫摘出で経験していたジャレッドだったが、今回は少々勝手が違い、かなりの時間を要した。両の月瞳に全く同じ肖像を彫らなければならないのがただでさえ高い難易度を更に桁違いに跳ね上げていたし、失敗したらやり直しというのが辛い。
月瞳に彫り込むという事は、傷をつけるという事である。魔力を注げば間違えて彫り込んだ傷は治せるが、そうすれば周囲まで巻き込んで治って傷が消えてしまい、大幅な巻き戻しを強いられる。
だが数度の小休憩を挟み、夕暮れ前にはなんとか終える事ができた。
最後にジャレッドは月瞳の神経を弄り、骸骨を視た時にだけ彫り込んだ美女の姿と入れ替わって視えるよう細工した。誰よりも解剖を繰り返し、月瞳の構造を熟知したジャレッドにだけできる離れ業だった。
「助かった、サララがいなければ夕方に間に合わなかっただろう。ありがとう」
「どういたしまして。私はジャレッドの助手だからな」
ジャレッドに頭を撫でられ、サララは目を細めた。恩人に報いる事ができたのが何よりもうれしく、誇りに心が弾んだ。
施術が完了したコイッカスは逃げないよう縛り上げ猿轡を噛まされて一団から少し離れた山道の真ん中に転がされた。眠りの魔法からは覚めていたが、身動きできず、恐怖で固まっている。気づかわしげにバクルクがそっと寄り添っていたが、微妙に波打つ黒い毛皮に撫でられ恐怖の余り失禁していた。
夕刻になり、木立に隠れ固唾を飲んで見守る一行の視線の先に、三度骸骨が現れた。
もう城どころの大きさではなかった。ちょっとした山ほどもある巨大骸骨が森を踏み荒らしながら向かって来る。病でありながら天変地異に等しい。直接踏まれていない木々も地震に揺さ振られ倒壊していく。鳥が一斉に飛び立ち、動物達が逃げ惑う。
自分達が標的ではないと分かっていても、ジャレッド達は万が一にでも己へ向かってきはしないかと気が気ではなかった。神話の具現のような巨大骸骨に涙を流しながら許しを乞うている者すらいる。
奇妙な事に、それまでとは逆にコイッカスは落ち着き払っていた。縛られて土に横たわったまま、恍惚として骸骨へ顔を向けている。完全にジャレッドの計略に落ちていた。なぜ山道を美女が一人自分に向かってやって来ているのか、この世の終わりのような地響きをどう説明するのか、まるで気にする様子がない。
コイッカスは愚かだった。仮にもエルフィリア王国全権大使に任じられ国家代表となりながら、品位も威厳も持たず、それを示そうとすらしなかった。
しかしその愚かしさが、最後にはコイッカスを救った。骸骨が百本の丸太を束ねたような腕骨を強風を伴いながらコイッカスに振り下ろすと、挽肉ができる代わりに幻のように消え去った。
森に静けさが戻った。巨影症は、鎮まった。
一団は爆発的な歓声を上げた。肩を叩き合い抱き合い喜び勇んで早速酒樽を開け始める。胴上げされ祝宴の中心に連れ去られたジャレッドに代わり、サララがぽつねんと置き去りにされたコイッカスの縛めを解くと、コイッカスはきょろきょろと周囲を見回した。
「あの女性は、麗しの乙女はどこへ行った? 消えてしまったぞ」
「そりゃ消えるよ、幻覚なんだから。あんたはジャレッドに治してもらったんだよ。今からでも宴会に混ざって皆に謝ってきたらどうだ? 雰囲気で許してもらえるかも知れないし」
「小娘が戯言を言うな生意気な。決めたぞ、あの乙女を我が妻とする。連れて来い! すぐにだ!」
「うーん、何も反省してねぇ! 『人の話を聞かない病』は私の手に余るな!」
サララはまた喚き始めたコイッカスの両瞼に人差し指と中指を当て魔力を流し、有無を言わせず眠りの魔法をかけて静かにさせた。
行こう、と声をかけると、バクルクは尻尾を振ってサララの後に続いた。本来ならば、コイッカスが巨影症の影によって手足を引きちぎられ肉塊に変えられるのは避けられぬ事だった。だから、バクルクが憑いた。しかし巨影症は治った。もうバクルクが憑く理由はない。
宴は夜を通して続いたが、朝になるときっちり切り替え、後片付けをしてさっさと出立した。これから使節隊は首都へ行き、ジャレッドは別れ道から最寄りの街へ向かう。
アキュードを筆頭とした使節隊の面々は別れを惜しみ引き留めてくれたが、これ以上コイッカスの顔を見たくない、と率直に言うと手のひらを返し食料を山ほど押し付け快く別れを告げた。
コイッカスは眠りの魔法をかけられ空の酒樽と一緒に荷馬車に詰め込まれていた。十分戦争の口実になる無礼な扱いだったが、もう誰も気にしなかった。
遠ざかる馬車の一団に手を振りながら、サララは不満を口にした。
「あんなのでも首都に着けば歓待されるんだよなぁ。痛い目みればいいのに」
「痛い目みるかは知らんが」
ジャレッドは死神に抱かれたバクルクの顎を撫で、ニヤッと笑った。
「巨影症は再発しやすいんだ。普通は一度目で受け入れ方を覚えるから再発してもなんて事はないんだが、今回は月瞳に細工して受け入れさせただけだ。場当たり処置って言っただろ? 再発する頃には月瞳に彫った肖像も自然治癒して消えている。さて、コイッカスは二度目の影を受け入れられるかな?」
街道を行く朝日に照らされた馬車の一団から、長く黒い影が伸びていた。




