巨影症4
コイッカスが巨影症を発症し、影に襲われるようになり七日目。六日目の時点で影は木々よりも巨大になっており、護衛騎士隊に苦戦を強いた。それから更に巨大化した骸骨と闘い、倒さず、弱らせて拘束しなければならない。
戦力を増強するため、騎士以外の随行員からも攻撃魔法を使える者が募られた。バクルクが矢面に立たされると聞き、コイッカスというよりバクルクを守るために立候補したサララだったが、断念せざるを得なかった。大炎息が使えなくなっていたのだ。影骨が凝り固まり、大炎息の発動に必要な魔力を出す事ができなかったのである。
影骨は魔力貯蓄器官であり、これを溶かし魔力に還元する事で魔法を使う事ができる。
魔法が上手い者の影骨は溶けやすく、輪郭がボヤけ靄のようになっている。
一方、医者は影骨で非実体の手術器具を掴み操る必要があるため、影骨は溶けにくく輪郭がしっかりしていた方が良い。
サララは毎日欠かさず影骨を固定化する訓練を繰り返していた。そのため医者らしい輪郭のはっきりした影骨になり、魔法が下手になり、以前は使えた大炎息が使えなくなったのだ。医者としての成長と魔法使いとしての劣化は等価交換だった。
サララのはっきりした影骨を見たジャレッドは、これなら簡単な晶腫切除手術程度なら耐えうると太鼓判を押し、大いに褒めた。失った物と、得た物。サララは偉大な先達に導かれ、医者の道を歩いている事を誇りに思った。バクルクを魔法で助けてやる事は最早できないが、怪我をしたバクルクを治してやる事はできるのだ。
瞬く間に昼が過ぎ、夕方になった。六日目までの護衛騎士達は得体の知れない怪物と戦っていたが、今や正体ははっきりしている。相手が何者であり、何を目的とし、何ができて何ができないか知っている、というのは戦闘を行う上で非常に大きい。
前日より巨大な骸骨と戦う事になるが恐れる事はない、とアキュードは騎士を鼓舞した。後方に待機する医者とその助手の存在にも勇気づけられ、護衛隊は今日で決着をつけるのだ、と決意を新たにした。
前日と同じように、巨影症の影たる巨大骸骨の出現は地響きを兆候として現れた。今回は喚き散らすコイッカスを宥めすかし丸一日の大休止に充て、休息を十分にとり、罠もしかけてある。準備万端で待ち構えていたのだが、遠く山の影から現れた骸骨を見て全員蒼褪めた。
その骸骨の大きさは動く城に等しかった。一歩歩くたびに地面どころか空気まで震え、騎士の膝まで震えさせる。
「デカ過ぎる……!」
「怯むな、罠がある! 誘導するのだ!」
逃げ腰になる騎士を叱咤し、アキュードの号令で追い込みが始まった。
作戦は単純である。落とし穴に骸骨を落とし、削り弱らせ、最終的にはコイッカスに受け入れさせる。コイッカスが嫌がる事が問題だが、一度骸骨を完全に拘束してしまえば説得の時間はいくらでもある。
しかし城ほどにまで巨大化した骸骨を拘束するのは落とし穴があっても難しい。失敗すれば翌日にはいよいよ手に負えない大きさになるだろう。なんとしてでもこの一度で成功させなければならなかった。
骸骨はあくまでも巨影症の影であり、複雑な思考回路を持つ存在ではない。巨大なだけだ。その巨大さが脅威ではあるのだが、馬鹿げた大きさの骸骨が突進してくるのを見て泡を吹いているコイッカスを担ぎ上げて餌に使い誘導する事で、最大の難関と思われた落とし穴への誘導は簡単に済んだ。むき出しで見え見えの落とし穴に、骸骨はあっさり足を取られ滑り落ちた。
「よしっ! ……いや、まだだ! 抜け出すぞ、腕だ! 腕を折れ!」
落とし穴を掘る時間が限られていた事と、想定より二回りも骸骨が巨大になっていた事が合わさり、骸骨は鎖骨までしか落ちなかった。振り回した腕骨が想定よりも長く伸び、土気色の顔で震えているコイッカスを掴み上げようとする。
そこへバクルクが渾身の体当たりを喰らわせ、コイッカスの身代わりとなって掴みあげられた。巨大な骨の手に握られ絞められたバクルクは子供が気に入らないおもちゃを捨てるように無造作に投げ捨てられる。バクルクは天高く投げ上げられ、甲高い悲鳴を上げながら避けようのない自由落下を始めた。
「バクルク!」
ジャレッドが飛び出し、落ちるバクルクを受け止めようと落下地点に滑り込む。が、距離が足りず数歩手前に落ち地面で顔面を摩り下ろした。しかし間抜けに手を伸ばし地面に倒れたジャレッドを踏み台にしてサララが跳び、無事にバクルクを抱きとめる。
「みゃげっ!?」
そして高高度から落下した重量物を受け止め、無事に両腕をへし折った。蹲って泣きながら魔力を集中させ骨折を自己治癒するサララをバクルクが舐めに舐めて涎でぐちゃぐちゃにした。
骸骨の抵抗はそこまでだった。じたばたともがき落とし穴から抜け出そうとする骸骨に、バクルクと同じ轍を踏まぬよう騎士隊は距離をしっかり取り雨あられと魔法を浴びせた。
腕に集中攻撃して壊す事で脱出をなんとか阻止したのと、狭い穴の中で暴れたせいで自壊したのが幸いし、ほどなくして骸骨は沈黙した。騎士達は魔力を使い果たし疲労困憊で、岩を転がり落としたり食用油をかけて火をつけるなどして援護していた者達も精魂尽き果てていた。
辺りは既に暗くなり、月明かりと魔法灯が捕獲作戦のために切り開かれた広場に弱い灯りを投げかけている。ジャレッドとサララは飛礫をぶつけられたり恐慌した馬に振り落とされたりした騎士などの治療に回る。
魔法使いはその性質上、魔力を集中させ自己治癒を行うのが不得手である。医者にとっては霊薬も霊精刀も使わない単純治療でも、騎士は大げさに有難がり、先生ありがとう、などとよく礼を言った。サララも敬意を払った扱いを受け照れ臭くなる。
その傍で、敬意を知らない代表格であるコイッカスがアキュードに良く言えば支えられ、悪く言えば引っ立てられて骸骨のいる大穴の淵にやってきていた。コイッカスは全壊寸前の巨大骸骨を見下ろし唾を吐いた。
「なんと醜い、これこそ死神の遣いに違いない。もうよい、目障りだ。殺してしまえ」
「ですから大使殿。これは大使殿の影骨が変じたものでして」
「無能め、その耳は飾りか? 何度言えば分かるのだ、こんな化け物が私から生まれる訳がないだろう。このようなものと私を同列に扱うとは。全権大使である私への愚弄はエルフィリア王国への愚弄であるぞ!」
「あー、それは申し訳ない。では、エルフィリア王国全権大使コイッカス殿に伏してお頼み申し上げます。この怪物から我ら護衛隊が御身をお守りするにも恥ずかしながら限度がございます。つきましては大使殿の気高き御心をもってこの怪物を調伏して頂きたく」
「ふん。全く馬鹿馬鹿しい茶番だ。では、こうしてやる」
「あ」
コイッカスは油が入っていた手近な空樽を穴の中の骸骨に向けて蹴り落とした。偶然脆くなっていた部分に当たったのだろう、樽の一撃で止めを刺され、骸骨は崩れ落ち完全に動きを止めた。
倒してしまったのだ。
「どうだ、倒してやったぞ!」
湧きあがる賛美と拍手喝采を疑わず両手を広げ嬉々として叫ぶコイッカスに、全員が怒りとやるせなさの入り混じったうめき声を漏らした。
コイッカスはまるで話を聞いていなかった。物事を自分の理解したいようにしか理解しない人種である。骸骨は倒すべき怪物であると認識しているため、骸骨を受け入れなければならない、という都合の悪い事実は耳には入っても脳には入らなかった。
アキュードは顔を真っ赤にしてぶるぶる震え、今にもコイッカスをバラバラに引き裂きそうな憤怒の形相をしていた。護衛隊長アキュードは職務に忠実にコイッカスを守ろうとしている。しかしコイッカスに守られる気が無い。それが著しく警護を困難にしていた。
死者が出てもおかしくない大捕り物を無造作に台無しにしたコイッカスに誰もが敵意を、あるいは殺意を抱いていた。
「いい加減にしろ屑野郎」
延焼で火傷を負った使用人の一人が我慢の限界に達しコイッカスに食って掛かった。疲れ切った騎士達は皆目を逸らした。コイッカスは自分が罵倒された事に気づいていなかったが、突き飛ばされて地面に転がってはじめて敵意に気付いた。
「ぶ、無礼者め! 私は全権大使コイッ」
「それはもう聞き飽きた」
使用人は腰の短刀を抜き、コイッカスに切っ先を向けた。月明かりが刀身に淡い光を照り返す。コイッカスは過呼吸を起こした山羊のようにしわがれた声を漏らし、ガタガタ震えて後ずさった。
「飯を粗末にする。感謝もしない。食べ残す不味そうにする吐き出す朝食を食べない! こんな奴に頭下げて媚びへつらって結ぶ和平に価値なんて無い。騎士様方と医者先生がここまで御膳立てして下さったのにテーブルをひっくり返したんだ、それはつまり死にたいって事だよなぁ?」
怒りと共に振り下ろされた短刀を割り込んで止めたのはまたしてもバクルクだった。脇腹の刀傷を意にも介さず、驚く使用人に牙をむき出し唸り声を上げる。ひぃ、と悲鳴を上げたコイッカスに後ろから蹴られても、牙を向ける方向を変えはしなかった。
「おい、おい。バクルク君よ。こいつは君の献身を屁とも思っていないんだぞ。なぜ庇うんだ」
バクルクは前脚に力を入れ、今にも飛び掛からんとする前傾姿勢を取る事で質問に答えた。怯んだ使用人の肩をアキュードが叩いた。
「君の気持は分かるが、下がり給え」
「しかしアキュード様、こいつは」
「ああ、君の意見は我々の総意だ。しかし獣が報われぬ献身を示しているのに人間が獣以下に落ちられようか? あと一日、明日までは大使殿をお守りしよう。我らは王より大使殿をお守りするよう命を受けているのだからな」
使用人は渋々引き下がり、場の空気が弛緩する。それから自然な流れで野営の準備が始まった。負傷者の治療を終えたジャレッドとサララもそれに加わる。コイッカスが狂乱し喚き散らしていたが、半歩下がって控える四足の忠実な護衛以外にもはや聞く者は誰もいなかった。




