8:夜空の下で語り合おう
◇
赤毛の少女は、担いでいた金髪の少女を屋根の上に下ろした。素焼きの瓦は夜風に冷やされて、立っているだけで、どこか頭が冴えていくようだった。
「あの……、ありがとうございます、怪盗ソキウスさん。本当に来てくださるなんて……」
「そうね。お礼の一つくらいあっても良いかな、とは思うけど。その、怪盗ソキウスさん、っていうの、やめてくれる? それ、あたしがつけたあだ名じゃないし」
「でも、怪盗ソキウスさん、って、良いと思いますよ」
「やだやだ。別にあたしは、あんたたちの『仲間』じゃないってーの。いうなら、私自身の味方、ってところかな」
「なら、なおのことソキウスさんで良いじゃないですか」
「だめっ」
「案外けちなんですね、怪盗ソキウスさん」
「あー、その名前で呼ばれただけで、言葉にならない寒気が襲って来る」
「大げさな」
「大げさじゃないって」
赤毛の少女は、目の前の令嬢を見た。育ちの良さが、遠くを見たり、瓦に腰を下ろしたり、服の裾を整えたり、至る所に滲んでいる。
それに、溜息がでるほど、可愛らしい。どうも、彼女を見ていると、自分の心の思ってもみないところが、こしょこしょとくすぐられるようだ。
あれだけ強く言い切ったのに、目の前の少女、ルナリアはまだもの言いたげな目をしている。この目だ。この目が、育ちの良さを後ろ側から突き破っている、冒険心の表れだ。この冒険心さえあれば、遠く東の異国の地だって、隣町みたいに暮らしやすいに決まっている。
赤毛の少女は、んんっ、と咳払いをした。
「私の名前は、ユーリ。ユーリ・ジュディティウム。呼ばれるなら、そっちの方が良い」
「あら、そう。ユーリ、私のことはルナリアって呼んで」
「…………、もっと短い方が良い」
「ルナリアで良いじゃない」
「さっきまで、私のことソキウスって呼んでたんだし、あたしにもあだ名くらい付ける権利、あるでしょ」
「何かおかしい気もするけど……。例えばどんなあだ名があるのかしら」
「そうだね…………」
ユーリはしばらく考え込んだ。雲の覆い始めた夜空を仰ぎ、ゆっくりと頷く。
「ルーとかは、どう?」
ルナリアは目を見開き、ユーリを見つめた。その瞳を真正面から受け止めるのが恥ずかしくて、ユーリは暗い空へと目を移した。
雲が出て、星と月が隠れている。さっきまでより少し強い風が、屋根の上を吹き抜けた。
ルナリアは目を瞑る。小さく頷いた。
「久しぶりだな、あだ名って」
「ご令嬢だと、あだ名で呼ばれることなんてないんでしょ?」
「うん。みんなルナリア様ルナリア様って」
そして、彼女は、雫を一滴落とすように、言った。
「飽きちゃった」
二人の間に、静けさが訪れる。いや、本当に、塵の舞う音さえ聞こえなかった訳ではない。二人の座る屋根の下が俄かに賑やかになったからこそ、屋根の上の冷たい静けさが、より研ぎ澄まされたように思えたのだ。
ルナリアは、歌うようにつぶやいた。
「でも、彼には申し訳ないことをしてしまったかもしれません」
「今更?」
ユーリは訝って聞き返した。それでも、ルナリアはまだ、夜空へ歌うように、答えた。
「私の自由と引き換えに、全く関係ない彼を苦しめる、というのは、やっぱり胸のモヤモヤが残ります」
「良いじゃない。ルーは自由になったんだ」
「いきなりそのあだ名使うんですね」
「当たり前じゃない。さ、続けて」
「えっと……、うまく言えないんですけど、彼の事を思い出すたびに、こんな気持ちになるなら、少なくとも、完全な自由とは、言えないのでは、ありませんか」
「どういうこと?」
「だって、私は、ふと彼を思い出してしまった瞬間に、こういう気持ちになることを、強いられてしまっているのです。全然、自由ではないでしょう?」
「ああ、そういうことね」
ユーリは、仕方なく、とでも言いたげに、ゆるゆると頭を振った。
「あたしなんかを呼び出したりするくせに、ルーも案外、悪者にはなれないんだね」
えへへ、そうですね、と、ルナリアは力なく笑った。