第十一話「風が生まれる前に」
林から飛び出した狼に、雷を撃った。
前脚が崩れる。その横を抜けた一頭には、隣の魔法兵が水弾を放った。横腹を打たれた身体が、畑を転がっていく。
だが、林の手前で止まった狼は、こちらへ走ってはこなかった。
喉の両側が膨らむ。
その隣も。
俺は先に膨らんだ方へ手を向けた。
なのに、もう一頭の口が開いた。
「魔力よ、盾となれ!」
イアンさんの結界が光った。
衝撃で土が跳ね、俺の雷は狼の肩をかすめた。狙い直す前に、もう一発。
土手の街道側の斜面に身を低くすると、頭の上を風撃が抜けていった。
(後から膨らんだ方が、先に――)
分かっていたはずだ。撃つまでの時間は同じではないと、イアンさんにも言われた。
それなのに、大きく膨らんだ喉へ、目が向いてしまった。
隣から氷弾が飛ぶ。
撃ち終えた狼が林へ退き、氷弾は幹に当たって砕けた。その陰から、別の狼が顔を出した。
「追うな。見えているやつだけでいい!」
イアンさんが仲間に声をかけた。
俺も手を下ろし、広く林を見直す。
膨らんだ喉が、いくつも見えた。
どれも、いつ撃ってきてもおかしくない。
正面を狙えば横から風撃が飛び、それを防ぐ間に、別の一頭が近づいてくる。
隣の兵が水弾で追い払った。その狼が身を引くと、背後でもう一頭の喉が膨らんでいた。
俺は土壁を立て、風撃を受けた。
表面が削られる。壁の横から雷を放ち、一頭を倒す。
顔を出しただけで、次の風撃が飛んできた。
(これじゃ、撃つたびに隠れないと)
魔法兵たちは二人ずつ、攻撃と結界を交代していた。
一発は通る。だが、すぐに防がなければならず、続けて狙えない。
結界を支える兵の額から、汗が流れた。
「イアン小隊長! 右の畑にも!」
「二人で右を頼む! 正面は俺たちが受け持つ!」
隣にいた兵たちが、右へ杖を向ける。
イアンさんは俺の横へ寄った。
「レイン様、林の前にいる二頭を。風撃は俺が受けます」
「はい!」
俺は二頭の口元へ目を凝らした。
左の一頭は、もう喉が膨らんでいる。右の一頭では、胸の中から色のない魔力が上がり、喉の下で左右に分かれた。
右の喉も膨らむ。
左右から口へ近づく魔力が、少しずつ白銀を帯びていく。
同じように喉を膨らませているのに、口元の色が違った。
左は、まだ薄い白銀。右では、白銀の色がみるみる濃くなっていく。
(右の方が――)
「右が来ます!」
叫んだ直後、口の奥で二本の流れが合わさった。
白銀が濃く染まりきった瞬間、右の狼が風撃を放つ。
イアンさんの結界が、その一発を受け止めた。
左の狼は、まだ撃っていない。
薄かった口元の白銀が、今になって濃くなり始めた。
「左も!」
イアンさんが杖を振る。
濃い白銀。開く口。
二発目の風撃が、結界を叩いた。
(喉の膨らみじゃない。口元の、色だ)
林から別の二頭が出てきた。
先に止まった一頭の喉が膨らむ。その後ろの一頭も止まり、喉を膨らませた。
口元を見比べる。先に膨らんだ一頭は薄く、後から膨らんだ一頭は、もう濃い白銀に近い。
雷を放った。
後ろの狼の胸を、紫の光が貫いた。
口が開きかけたまま、身体が倒れる。白銀の魔力が散り、風撃は来なかった。
残った一頭の口元が濃くなる。
その胸も、撃った。
二頭とも、風撃を放つ前に倒れた。
「イアンさん。どの狼が先に撃つか、分かります」
「分かるんですか?」
「口元の魔力が、だんだん白銀に変わるんです。濃く染まりきった瞬間に、撃ってきます。喉が先に膨らんでも、色が薄ければ、まだです」
言いながら、次の一頭を狙った。
濃くなりかけた白銀。胸へ雷を撃ち込む。
狼が倒れると、イアンさんは小隊の兵たちに声を張った。
「風撃を撃つ狼は、レイン様に任せる! 俺たちは横から来るやつと、撃ち漏らしたやつを止めるぞ!」
返事が重なった。
イアンさんが俺の隣で杖を構える。
「背中は任せてください。レイン様に見えないところは、俺たちが見ています」
「お願いします!」
視界の端で、狼が駆けた。
俺は手を向けかける。
「走ってくるやつは、俺が!」
「水よ、集いて弾となれ――《水弾》!」
水が狼の顔を叩いた。
頭を振ったところへ、別の兵の土弾が胸を打った。
俺は林の前に目を戻した。
左の一頭の口元が、先に濃くなった。
掌に白銀の魔力を集め、丸く固めて風弾を放った。
胸を打たれた狼が後ろへ跳ね、地面に崩れる。
次は、その後ろ。
倒れた身体の向こうへ掌を向け、雷を放った。
口元の白銀が濃く染まりきる前に、その胸を貫いた。
風撃を待って防ぎ、顔を出して狙い直す必要がない。次に撃ってくる相手へ、そのまま手を向けられる。
また一頭が倒れた。
「撃てるぞ!」
結界を張っていた兵の一人が、攻撃に加わった。
土手へ駆けてくる狼に、水弾が続けて当たる。
俺は林の縁で止まった一頭を撃ち、右手を向け直した。
牙が見えた。
土手の横から、狼が跳び上がっていた。
奥の光を追っていて、横へ回ったのに気づかなかった。
俺は左手に魔力を集める。
「魔力よ、盾となれ!」
鼻先で結界が光った。
狼の前脚が弾かれる。イアンさんが結界を押し出し、その身体を畑側の斜面へ落とした。
「レイン様、奥を!」
振り向く。
口元の白銀が濃くなっていた。
雷を放つ。
灰色の背が折れ、風撃は来なかった。
「ありがとうございます!」
「横は俺が見ています。前を頼みます!」
俺は頷いた。
背後で詠唱が始まる。今度は振り返らず、林の前を見た。
全部を一度には見られない。木の陰に隠れれば、光の続きも追えなくなる。
でも、今、目に入っているものなら。
口元の白銀が、濃くなる。
その胸を撃った。
右から二頭。片方に雷を放ち、もう片方には土を跳ね上げた。前脚が持ち上がって、口が空を向く。
頭上を風撃が抜けた。
「右、今なら!」
「取るぞ!」
隣の兵の水弾が飛んだ。
俺はもう、次の白銀を見ていた。
*
林の前に立つ狼が、減っていた。
肩の熱を逃がすように、一度だけ腕を下ろす。
その間に、街道から伝令が駆けてきた。
「奥の畑、避難完了! 住民は全員、領都へ向かいました!」
「よし!」
イアンさんが答えた。
俺も息を吐く。
そのとき、林のさらに奥で、枝が大きく揺れた。
「まだ来る!」
灰色の身体が飛び出した。
一頭ではない。木々の間を次々と抜け、新しい群れが畑へ広がっていく。
今まで撃ち合っていた狼よりも、ずっと後ろから来ている。
喉が膨らむ。
正面。右。さらに、土手の先。
俺は一頭を撃ち倒した。
次を狙う。走る狼の背に、光が隠れた。
別の一頭へ向け直す間に、横から風撃が来る。
「伏せて!」
イアンさんの声に、膝を曲げた。
結界が軋む。弾かれた風撃で、土壁の残りが崩れた。
飛び散った土の塊が右の兵の肩を打ち、彼は斜面に倒れた。隣の兵が襟を掴み、結界の内側へ引き戻す。
俺は土を持ち上げ、隙間を塞いだ。
その上に狼が前脚を掛ける。雷で撃ち落とした瞬間、奥の狼の口元が、濃い白銀に染まった。
「正面、来ます!」
イアンさんと二人の兵が、正面に結界を重ねた。
衝撃を受け、靴が土を削る。踏み止まった兵の横へ、もう一頭が飛び込んだ。
イアンさんの水弾が横腹を打ち、その勢いを逸らす。
「土手を下りる! 負傷者を先に、街道まで下がれ!」
イアンさんが叫んだ。
右の兵が、負傷した仲間を肩に担ぐ。結界を張った兵たちも、少しずつ後ずさる。
下がる列へ、狼が迫った。
撃つ。
倒れる。
その後ろから、また来る。
見えている。
どれが先に撃つのかは、分かる。
けれど、正面を狙っている間に、右の口元も濃い白銀に変わっていた。
(両方は――)
右へ雷を放った。
正面の風撃を、イアンさんが受け止める。
彼の足が滑った。杖を支える腕が震え、それでも結界は消えなかった。
俺はその肩を支え、二人で踏ん張った。
畑側の斜面を駆け上がり、狼の頭が土手の縁から現れた。
すぐ近くで、喉が膨らむ。
俺が掌を上げるより早く、その脇腹に水弾が突き刺さった。
狼が横へ吹き飛んだ。
続けて、何発もの水弾と氷弾が畑へ撃ち込まれる。
「第三魔導小隊、下がれ! 交代する!」
街道から、杖を構えた兵たちが駆け上がってきた。
土手の縁に結界が広がり、風撃を受け止める。その脇から別の兵が魔法を放ち、迫る狼を押し返した。
増援だ。
負傷者を担いだ兵が、新しい結界の後ろへ下がる。
駆け寄ってきた小隊長に、イアンさんが顔を上げた。
「北へ向かったはずじゃ」
「避難は済んだ。山道の群れはセレナ殿が止めている。レオン様の命で応援に来た!」
イアンさんが大きく息を吐いた。
「助かります。林の手前に、風撃を撃つやつが残っています!」
「結界は任せろ。まだ撃てる者は援護を!」
新しい結界の向こうで、白銀の光が走る。
俺は結界の端に寄り、右手を外へ差し出した。
胸を狙い、撃った。
今度は、次を狙う余裕があった。
走り寄る狼は水弾で倒れ、横へ回ったものには増援の兵が杖を向ける。
イアンさんが俺の隣で杖を構え直した。
彼と肩を並べ、残った一頭へ魔法を放った。
灰色の身体が畑に倒れる。
その先では、別の狼が林へ身を引いた。追おうとした兵に、隊長が声をかける。
「林には入るな! 街道を押さえろ!」
杖は、まだ下がらなかった。
枝葉が揺れ、やがて動かなくなる。
俺も掌を向けたまま、待った。
白銀の光は、もう見えなかった。
*
「街道の群れは退きました。北の山道も、討伐を終えたそうです」
報告が届いたとき、ようやくイアンさんが杖を下ろした。
俺も腕を下ろす。
指を開くと、掌は汗で濡れていた。
「……助かった」
誰かが言った。
負傷者の手当てをしていた兵が、座ったまま大きく頷く。
「最後の群れは、きつかったな」
「ああ。あそこで来てくれなかったら」
イアンさんも、土手に腰を下ろした。
袖も頬も土だらけだった。
「レイン様がいなかったら、危なかったです」
俺は彼の隣にしゃがんだ。
「僕も、イアンさんや皆さんがいなかったら、危なかったです。途中から、横は全部任せていました」
「ええ。ずっと前だけ見てましたね」
「見ているって、言ってくれたので」
イアンさんが頷いた。
「任せてもらえて、助かりました」
イアンさんが笑った。俺もつられて、口元を緩める。
水筒を差し出してきた兵にも、俺は礼を言った。
「ありがとうございます。右から来た狼も、止めてくれましたよね」
「ええ。あれは近かったですね」
彼が息を吐き、隣に座った。
水を飲むと、思っていたより喉が渇いていた。返した水筒を受け取り、兵も長く口をつける。
片づけが始まり、狼を荷車へ運ぶ兵に、俺は声をかけた。
「一頭、残してもらえますか。喉の中で魔力がどう動いていたのか、先生と確かめたいんです」
「では、喉の傷が少ないものを分けておきます。セレナ様にもお伝えしますよ」
「お願いします」
左右から口へ近づくにつれて、白銀に変わった魔力。色が濃く染まりきるまでの変化を、まだ覚えている。
忘れないうちに、描いておこう。
*
屋敷の玄関には、母様が待っていた。
馬を下りた俺を見ると、石段を降りてくる。
「レイン」
「ただいま、母様」
抱き寄せられた。
汚れた上着が触れると思ったが、母様の腕は離れなかった。
俺も、その背に手を回した。
「おかえりなさい」
背中を撫でる手が、何度も同じところを通った。
父様が、俺のそばで足を止めた。
「イアンから聞いた。よくやった」
「はい」
顔を上げて答えた。
父様の手が、俺の頭に置かれた。




