冷たい令嬢・王宮の廊下
王宮へ場所を移しても、「冷たい令嬢」をめぐる視線は消えなかった。王宮では、声を潜めた会話ほどよく響いた。レティシアが通ると話は止まり、去った後にだけ「婚約者」という言葉が残った。
父公爵ギヨームは家名と娘の両方を守ろうとして、結局どちらにも明瞭な言葉を与えなかった。曖昧な沈黙は宮廷にとって都合のよい余白になった。
王宮の記録は整いすぎていた。空白がなく、訂正もなく、関係者全員が同じ順序を語る。人が実際に動いた記録にはない滑らかさだった。
若い令嬢たちはレティシアを恐れながら、その衣装や言葉遣いを真似た。嫌悪と憧れが同じ口から出るため、彼女にはどちらも信用できない。
公爵邸の会計には、安価な青糸を買った記録が月に一度だけ残る。マルタは用途を知らず、レティシアも妹の刺繍だと思っていた。
記録帳の末尾に、レティシアは「不明」と記した。答えを急がないことだけが、誰かの用意した筋書きから外れる小さな抵抗だった。
オスカーは確認できた時刻を欄外へ書いた。記憶は後から整えられるが、鐘の音と受領印は別々の場所に残る。二つが重なるまで事実とは呼ばない。
姉妹のあいだには、幼いころからの合図があった。言葉にすれば他人にも奪われるため、指先やカップの向きだけで、今は話さないという意思を確かめる。
王都の新聞はまだ王家の名を出さず、「ある高位令嬢」とだけ書いた。名を伏せても誰を指すかは明らかで、曖昧さだけが責任を負わずに残った。
レティシアは人の心を断定しなかった。利害で動く者にも恐れがあり、善意を語る者にも守りたい立場がある。単純な敵を作れば、見落とすものが増えるだけだった。
(本文実測:679字)




