プロローグ
ーーやった、やった、やったーーーーー!
心の中で何度も叫びながら、七瀬ミナホは改札を出て階段を駆け上がる。
30歳を過ぎての階段一段飛ばしはなかなかきついものがあるが、そんなことを言っている場合ではない。
ついに我が子のように慈しみ手をかけて育ててきたアイドルユニット≪ロージア≫のメジャーデビューが決まったのだ。
何度もレコード会社の担当に頭を下げて、SNSを駆使して何十個もアカウントを作ってファンダムを盛り上げて、時には口臭のきついラジオの制作のジジィにおべっかを言いながら朝まで飲み明かして……。
マネージメントとプロデュースの二足のわらじで苦節5年、やっとこの日が来たのだ。
伝えたときのメンバーの顔が目に浮かぶ。ハクとコウタはきっと大声を上げて喜ぶだろう。一番年下のユウキは涙を流すかもしれない。リーダーのカイトは、目を真っ赤にしてきっとこう言う。「ミナホさんのおかげだよ」って。
事務所の入った雑居ビルのエレベーターはなかなか来ない。にやけたまま4Fへと駆け上がり、事務所の扉を開ける。
「ただいま戻りましたー! 大ニュースです!」
小さな事務所はフライヤーや販促物、売れないCDであふれていつも通り雑然とした雰囲気だ。10畳ほどの事務所にはスタジオが併設されており、そこで人物撮影ができるようになっているので、相当狭い。したがって≪ロージア≫のメンバーが事務所に一同に集まることはほとんどないのだが……。
事務所に飛び込んだミナホの目に映ったのは、よく知る5人の後ろ姿だった。
もしかして、レコード会社からすでに連絡がいったのだろうか。ミナホはウキウキ顔で5人の顔をのぞきこむ。
しかし予想に反して、5人の顔は曇っている。そして5人と向き合ってデスクに座っている社長といえば、もっとひどい。まるで苦虫を3匹ほどかみつぶしたような表情だ。
「どう……したの?」
まさか、女の子との写真を撮られた? でもまだデビューもしてない地下アイドルのゴシップなんて、週刊誌がとびつくはずもない。それじゃあ、薬物、悪い組織との付き合いとか? もしかしたら事務所の倒産なんてことも……。フルスルットルで考える。
「ミナホさん、ごめん」
沈黙を破って、リーダーのカイトが言う。こちらを真っすぐ見つめてくる。整った鼻梁に、くっきりとしているのに涼し気な二重。何度見ても見惚れてしまうほどの美しい顔は、泣いてもないし、怒ってもない。むしろ、その瞳はすがすがしいほど強く前を向いている。
ミナホが5年前、惚れ込んだのもこの美しい目だった。
「俺たち、大手の事務所に行く」
「どういう、こと?」
何を言っているかわからなかった。なんせレコード会社からOKが出たばかりだ。
A面はもちろん持ち歌「赤く染まったのはバラではなくて僕のココロ」。B面は思い切って新譜をオーダーするのもいいかもしれない。CDにはステッカーやアクリルスタンドを付けるのもいい。レコード会社の担当者とウキウキで話してきたばかりなのだ。
ミナホの言葉に答えたのはカイトではなく社長だ。
「七瀬、お前、この間のライブでハクに相当無理させたらしいな」
この間のライブーー。確か、ハクは38度の熱を出していた。ライブ会場はロージアではめったに使えない大箱で、たまたま予定していた中堅グループのライブがポシャッたため、急遽七瀬のもとに持ち掛けられたという超ラッキーな案件だった。ハク自身「せっかくたくさんのファンと会える機会だから」って無理を押して出演したんだった。
「それはっ」
「ハク、肺炎おこしかけたんだって?」
「……」
確かに、そのライブの2、3日後に「体がキツイから休ませてほしい」と電話で言われて、予定が1週間ずれこんだことがあった。そのとき、確かミナホはこう言ったのだ。「プロ意識、足りてないんじゃない?」ーー。ミナホはさっと自分の顔から血の気が引くのが分かる。
「あとな、ユウキからも相談を受けていたんだ」
そう言われて、ミナホがユウキの方を見ると、ユウキはさっと目をそらして下唇をかむ。何か言い淀んでいるときのユウキのクセだ。
「いいよ、ユウキ。言ってみて」
ミナホが促すと、ユウキがおずおずと口を開く。
「僕。握手会とかで、年上の女の人に急に抱き着かれたりするのが本当に怖くて。握手はもちろん平気だし、嬉しいし。でも最近、アイドルのハグ会も増えているから、うちもOKだと勘違いしているファンも多くて……。ミナホさんには相談したけど、しょうがないよねって笑うだけで。あれが、自分をないがしろにされているみたいで、本当に嫌で」
ユウキの目に涙が浮かぶ。
「ごめん、ごめん。ユウキ」
こんな風に泣かせたかったわけじゃないのに。自分が情けなくて、ミナホの目にも涙が浮かぶ。
「5年間、一生懸命やってきたし、たくさんの恩もあるし、ここでデビューもしたかった。でも、ミナホさんは、僕らのことを見ていてはくれなかったよね」
カイトがきっぱりとした口調で言う。
「変えてほしいことは、たくさん言ってきたつもり。でも、もう疲れた」
カイトが最新の宣材写真と同じような表情で、クールに笑う。
「だから、最後ぐらいは僕らの願いを聞いてほしい」
言わないでほしい。
「この事務所を辞めさせてください」
「今日はもう家に帰れ」という社長の言葉を受けて、ミナホは事務所を出た。
それから、どこをどう歩いたかもわからない。まるでVRのゴーグルをつけて歩いているかのように、ふわふわと現実感がない。
思い浮かぶのは、出会った頃、そう、まだ自分に絶大な信頼を寄せていた頃の5人の顔だ。いつの日にか、あんな表情は自分に見せなくなったような気がする。
よたよたと冷たいブロック塀に寄りかかるようにしながらやっとの思いで歩を進めていたが、ブロック塀が途切れたのだろう、体を支える壁がなくなってヨロヨロと前に倒れた。
視線の先には、どっしりとした石の柱。上を見上げると鳥居がそびえたっている。
「こんなとこに神社なんてあったっけ……」
神社の鳥居には石板があり、うっすら「天宇受売命」と彫られている。鳥居の横には祭祀由来の看板があり、天宇受売命が芸能の神様・アメノウズメのことだと記されていた。
なんて皮肉なことだろう、ここでは芸能の神様が祭られているのだ。
「フフフ、芸能の神様だって……」
薄く笑顔を張り付けたまま、立ち上がろうとするが、ひざに力が入らず、大きくよろけてしまう。
キキキーーーーーーーーッ! ドンッ!!
大きなブレーキ音。そして鈍い衝撃音。
ーーあ、私、車道に出ちゃったのか。
ミナホは自分のバカさ加減に再び笑おうとするが、うまく唇の端に笑みを乗せることができない。
体に痛みもあるが、それ以上に眠りにつく前のような心地良さがある。
『可哀そうに』
意識が遠のく中で、女性の優しい声が頭に響いた気がした。




