2-3 貴族と竜
「そ、それじゃ私は移動するね。先生達も、色々接待させられて大変なんだ! そ、それじゃ」
「ありがとうございました」
別の学年担当の女教師が慌てた様子で去っていった。どうも竜である歩とアーサーの扱いに困っていたらしく、何度もどもっていた。歩はそうした対応は慣れたものだから、得にどう思うこともないが。
歩は、一息ついた。
場所は控室。大きな円形の建物の中の一室で、教室程度の広さがある。無造作にベンチが置かれ、数人が思い思いに過ごしていた。
共通していることはその服装と武器を持っていること、そして緊張で顔を強張らせていることだ。向かって反対側右端の漆黒の戦闘服の具合を確かめようと、生地を伸び縮みさせている。その脇には、緊張を紛らわせようとなにやらパートナーに話しかけている女生徒がいたのだが、そのパートナーたる一角獣も緊張しているのか、神経質そうに鼻をぶるぶる言わせていた。今にも後ろ足を蹴りあげそうで、近寄りたくない。
歩はというと、身体にぴったりと張り付いた真新しい戦闘服になじめず、居心地の悪さを感じていた。というのも、歩の戦闘服は少し系統が違うのだ。竜使い専用の礼服も兼ねているものであり、妙に仰々しい。金糸がところどころにあしらわれ、肩にはそんなに必要ないだろうというほど、突き出た肩パットが入っている。触った感じはなめらかで、ものすごく上質なのはわかるのだが、どうも馴染めない。
これは模擬戦のトリを務めるため、強引に藤花に渡されたものだ。『お偉いさんが来るから着てください』と言われ渋々袖を通したのだが、竜使いであるが故の特別扱いは、どうしても気恥ずかしさを感じてしまう。
「アーサー、これどう?」
「ふむ、馬子にも衣装と豚に真珠の中間だな」
「つまり似合ってないと」
「そもそも服が悪趣味だ。素材としてはいいものだろうがな」
相変わらず容赦がない。周りの目も心なしか冷たく移り、居心地の悪さは増す一方だ。槍が使いなれたものが許可されただけ、まだマシなのかもしれない。身長よりも長い代物だが、手足のように扱うためにはやはり手に馴染むものがいい。やはり穂先は外され、棍棒と化してはいたが、それでも頼りがいのあるもう一つの相棒だ。
近くにあったベンチに腰を下ろした。隣には目を閉じ身体をゆったりと伏せているアーサーがいる。
「落ち着いてるな」
「お前こそ。相手は図体ばかりでかい若い竜であるぞ? 気になっていたのではないか?」
そう言われてみると、確かにそうだ。いざ当日の朝を迎えた時、妙に胃のふちが納まった感触があった。腹をくくるとはこういうことだろうか。
「なんか諦めがついたのかな」
「ふん、なんにしろ下手な緊張が抜けたのであれば、それに越したことはない。戦に臨む者をして、気楽すぎるのも下策だが、身体をしゃちほこばらせるのはそれ以上に下策」
「お前戦の経験あったか?」
「我の想像力はお前には理解できん」
軽口を叩いていると、妙に意識がはっきりしてくる。手元の棍棒をころころころがすと、それがいつもよりスローモーションに感じられた。
軽く振るおうかと立ち上がった時、声をかけられた。
「あら案外落ち着いてるのね」
唯だった。後ろにはキヨモリの姿もあり、周りにいた同級生の顔に動揺が走っていた。キヨモリには専用の部屋が与えられており、模擬戦でも出てくることはないので、こうして近くでお目にかかる機会は少ない。初めて見た目の前の巨大な竜に圧倒されているのだろう。
当のキヨモリはというと、大人しく唯の後に従っていた。大きな身体を器用にあやつり、物をひっかけないように丁寧に振る舞っているのも、以前見た姿と同じだ。竜ということを抜きにしたら、意外と穏やかな性格をしていそうだ。
キヨモリから視線を外し唯の方を見ると、丁度唯も歩に視線を向けているところだった。しげしげと観察するように眺めてきており、きまりが悪い。
「キヨモリを目の前にしているのに、随分な余裕ね」
「ふん、我を見慣れておるこやつがそんな殊勝なタマか」
「ちびっことはいえ、曲がりなりにも竜ってことかな? なるほど。そのチビ竜自体は苦手みたいだけど」
「これは武者震いというやつだ」
唯もまた歩と似た衣装だ。違うのはスリットの入った短めのズボンに、長めのハイソックスをはいているところ位だろう。脇には、模擬戦でみゆきが使っていたものと似た常寸の剣が差さっている。それにも様々な意匠がこしらえられており、唯はどうやら武器に関しても改まったものを使うようだ。
視線が自分の腰辺りに向かっていることを察したのか、唯は口を開いた。
「ああ、どうせ私がメインで戦うことはないだろうしね。別にいっかなーと」
「自分は戦力外であることには自覚があったのか」
「キヨモリの前に、あなた達二人がどうこうできるとは思ってないだけ」
唯はキヨモリの首に手を伸ばし、誇らしそうに撫で始める。アーサーの挑発にも乗ってこない辺り、強い自信が覗われた
そのまま唯がパートナーを撫でる姿をぼうっと眺めていると、部屋の中にどよめきが走ったのに気付いた。
「ふむ、なかなか立派な竜であるな」
声はキヨモリの後ろの方から聞こえてきた。唯に促され、キヨモリがすっと身体を動かすと、姿も見えてくる。
声の堅苦しさとは対照的に、意外と若い男の姿だった。歩達とそう変わらないのではと思うが、歩には見覚えがない。身につけているのは、フォーマルなスーツであり、磨き上げられた皮靴が眩しい。このままパーティーにも出られそうな服装だ。
男はキヨモリに視線を合わせたまま言った。
「なかなかに素晴らしい。主にも忠実。翼も大きい。『竜は飛んでこそ竜』というが、十分にその役目を果たしそうだ。市井にありしとは思えぬ格式高さだ」
「あの、どなたです?」
唯がきょとんとして尋ねた。唯の知り合い、というわけでもないらしい。
そこで男の視線が唯に移った。驚きに目を見開いている。
「私を知らぬというか?」
「ごめんなさい、知りません」
男が顔をしかめながら、隣に控えていたものに向かって唇を尖らせた。よく見ると、それは歩達の副担任である雨竜だった。隣の男のものとは比べるまでもなかろうが、なかなか綺麗なスーツを身に纏っている。
「おい」
「すみません、説明しておりませんでした」
雨竜はしれっと答えた。慇懃ながら、それ以上しゃべる気がないようだ。
男は不満そうにしながらも、自ら自己紹介を始めた。
「我は中央第二竜学校に籍を置く、ハンス=バーレである。先の高校生全国大会にて飛翔部門第七位になりしパートナーを所有するのだが、知らぬのか?」
「ごめんなさい、知りません」
そんな細かいこと知らなくて当然だと思ったが、『竜』という単語は気になった。
つまりこいつも竜使いで、おそらく貴族と呼ばれる連中なのだろう。
唐突にばさばさという音が耳に入ってきた。ハンスの後方から聞こえてきたそれは、すぐに近付いてきたかと思うと、強烈な風をもたらしながら地面に着地した。
翼が大きく、キヨモリと比べれば幾分貧相な身体をしており、前足がなく、後ろ足はそれなりに発達したものがある。いわゆる翼竜に分類される竜だ。
アーサーをちらりと見る。やはり辛そうだ。早く御退去願いたいものだが、それはできそうにない。
「これが我のパートナーである。名はミッヒ。全国七位の竜であるので、相応の礼を持って見るように」
はあ、としか言いようがなかった。
「それで、何故ここにいらしたのですか?」
唯の声にいくらか苛立たしさが混じっていたが、ハンスはおお、と思い出したように言った。
「我もそなたらの戦を見るに、予め知らせておった方がいいのではと思ってな。そう思うだろう? 感謝したまえ」
意味がわからない。割と本気で。
戸惑っていると、雨竜が補足した。
「この方は、来年から中央第一大学に行くことが決まっています」
中央第一大学とは、世界で最も優れた人材の集まる最高の大学と言われている。いわば、エリート中のエリートである。入学方法は、倍率百倍を超える試験を受けることだ。
ただ、別の方法もある。在籍者の推薦を受け、なおかつ竜使いであれば、面接試験だけで入学できるのだ。その倍率は一、一倍でほとんど通ると言われている。
つまり、彼は推薦してやってもいい、と言っているのだろう。
「貴公ら二人は竜使いであると聞く。故に我の目に止まることが重要なのではと思ってこうして足を運んでやったというわけだ。貴公らのような一般人であろうと、我は優秀な人材は相応の評価と栄華をもらう権利があると思っているのでな。無論、引き換えとして我への感謝と敬意は誓ってもらうのだが。当然であろう?」
先程から、はあ、としか返答のしようがない。なんというか、全く別の生き物を見ている気がした。
と、脇にいたアーサーが飛び上がった。ぱたぱたと翼を振り、ハンスの正面の辺りまで飛んでいき、言った。辛そうではあったが、それでも威厳を含んだ面持ちだ。
「ハンスとやら、随分偉そうだが、貴様は何を成したのだ? 何を持って自分を貴き者としているのだ?」
ハンスは目をこれ以上ないほど見開くと、アーサーの問いに答えず雨竜の方を見た。
「おい、これがもう一匹の竜か?」
「はい」
ハンスは眉根を寄せた。両手で頭をつかみ、世界の嘆き全てを背負ったかのように大袈裟に嘆いて見せる。演劇でも見せられているかのような感覚だ。
「貴様は無知か? このようなものを竜とは呼ばぬ。区分もE級であろう?」
「しかし、これから成長する可能性もありますので」
「はっ。初めから血は出るものだ。我ら貴族と一般人に差があるように、竜とそれ以外には比べるまでもないものがある。そんなことも知らぬのか? こやつはもはや竜などではない。ただのまがいもののカスだ。E級などという、この世でも最も低俗な存在の一つだ」
歩はぎゅっと強く拳を握った。いますぐ殴りつけたい衝動にかられるが、そんなことをしても意味がないし、誰も望まない。
ハンスはため息をついた後、唯に言った。
「このようなもの相手に何が見せられるか、かすかに期待させてもらおう。まあ、何も見せずとも、竜であることが確認できればそれでよい。では雨竜いくぞ。このようなまがいものは見ているだけで穢れる」
ハンスは出ていった。ミッヒという名の翼竜も足を交互に出しながら後に続いた。
残されたのは、重苦しい雰囲気。二日前の駄菓子屋と、夜に母親から聞いたアーサーの内面を思い出す。
何をいっていいかわからず、とりあえずアーサーをちらりと見た。
「ふん、つまらんやつめ」
アーサーは、意外と大丈夫そうだった。引き続きどこか辛そうにしているのだが、ハンスに手荒な扱いを受けたこと自体にはまるで堪えてないように見えた。口を開く余裕も残っている。駄菓子屋の時のように、無理をしているのかと様子を覗ってみたが、歩の眼にはわからない。
探りを入れてみる。
「アーサー? 大丈夫か?」
アーサーはこちらを振り返り見た。不思議そうな表情を浮かべている。
「何が大丈夫か? まさかあの馬鹿の言葉を真に受けたとでも思うのか?」
「いや、前の駄菓子屋のときはショック受けてたんじゃないか、と思って」
ふん、と鼻を鳴らした。
「純真な子どもらの言葉は多少重かったが、あのような馬鹿の戯言、初めから聞くに値しない。我の言もまるで耳に入っておらぬようであったからな。取り入れるべきものを選別できてこその竜である」
「そうか」
正直なところ、歩には駄菓子屋の時と今のアーサーの差が分からなかったのだが、それでもなんとなく大丈夫そうだ、とは思えた。
唯が少し躊躇しながら、言った。
「そ、それなら、いいわ! では、いい戦をしましょう」
「小娘には負けてやらんからな? 負けた時の言い訳を考えておけ」
唯は鼻で笑いながら出ていった。キヨモリは唯が出口に近付いたあたりで気付き、慌てて出ていった。途中、尾でベンチをひっかけてしまい、盛大な音をたてたが、そのまま出ていった。
そそっかしく可愛らしい一面ではあったが、少しひっかけた程度でベンチを転がせてしまうその膂力は、脅威だ。
これから、その竜と戦う――
一段と気を引き締めた。




