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雪女さんこんにちは  作者: suzumi
時は過ぎていく
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最終話

 翌日は雪月さんが部屋から出てこなかったので、私はぶらぶらと屋敷周辺を散歩していた。朝食時、から傘から「雪月さんを泣かしましたね」と死ぬほど詰められたが、私には謝るより他に選択肢はなかった。一つ目は「馬鹿だねぇ」と私の愚行を余裕そうに笑っていたが、雪月さんのことは非常に心配しているみたいであった。


 屋敷周辺を歩いていると、太陽の光をたっぷり浴びた榎の近くに、くすんだ材木で形作られた古い小屋があったので、私は興味本位で足を踏み入れた。小屋の中はがらんどうで薄暗かったが、朽ちた木のあちこちから日差しが入り込んでいた。小屋の中には平鍬や三日月鎌などの様々な古い農具があった。昔は敷地内で畑でも耕していたのであろうか、とそんなとりとめもないことを考えながら私は小屋の奥へと足を踏み入れた。すると、足元である。天井窓から差し込んできた淡い色の日差しが、焦げ茶色の木板に真ん丸な陽だまりを作り、それが水面に映る月のように揺れていた。


「美はどこにでもあるんだな」


 そう独り言を呟いた私は、けんけんぱをする子供のように、片足を陽だまりの中に着地させた。すると、あら不思議。私の身体はそのまま陽だまりの中に飲み込まれていった。それは底なし沼に嵌ったみたいに抗いようがない事象であった。



 目を覚ますと、月と星のない夜空のような世界に私はいた。辺りが真っ暗なのに、視界は明瞭なのがおかしかった。私は目をぱちぱちとさせると、目の前に佇んでいた馴染みある人物に尋ねた。


「ここはどこなんでしょう」

「私の世界?」


 そう答えた雪月さんにはいつものような快活さは無く、彼女は多少怯えた様子さえ覗かせていた。


「だったら、こんな風に僕も入れるものなんでしょうか」

「さぁ、私は長生きだから」

「それなら、そんなこともあるのかもしれない」


 私は納得すると、上下左右のない世界をぐんぐんと進んだ。足は動いているが、距離を移動している感覚はなく、意識だけが歩いている感覚である。雪月さんは私の後ろを泳ぐような足取りでついてきていた。


 やがて私達の目の前に淡い光が降り注ぎ、その中から後光が差した原口部長が現れた。いや、違う。原口部長だと思ったその人物は刻一刻と別の人物へと姿形を変えていた。神崎先輩になったり、矢田になったり、私の知らない人物にも姿を変えた。


「おい」


 再び原口部長に姿を変えた人影が私に声をかけてきた。


「この人は一体何だろう?」


 そう言って彼が指で指し示したのは、雪月さんである。


「雪月さんですよ、貴方こそ本当は誰なんですか」


 私は言ったが、謎の人影は姿を神崎先輩に変えただけで、私の質問には答えなかった。隣にいる雪月さんはガタガタと震えている。


「大丈夫ですか」


 私が駆け寄ると、神崎先輩の姿の人影が口を挟んできて私を邪魔した。


「この人は一体何だろう?」

「だから雪月さんですよ!」


 再び私は言ったが、今度は矢田の姿になって、人影は繰り返し同じことを言う。


「この人は一体何だろう?」


 このままでは埒が明かないので、私は雪月さんの肩を抱き寄せて、矢田の姿をした人影に近寄って行った。雪月さんは拒んだが、私は無理やり連れて行った。すると矢田の姿は一つ目に変わり、から傘に変わり、最後には私の姿となった。


「この人は一体何だろう?」


 私の人影が、私の声で言った。雪月さんは口を引き結んで涙を堪えていた。相変わらず世界は暗く明瞭だった。


「この人は雪月さんです」


 言い切った私は、雪月さんと謎の人影の手を掴み、彼らを無理やり握手させてやった。


「僕も皆もきっとロマンスが好きな筈です」

「……この人は一体何だろう?」

「雪女の雪月さんです。僕らの愛すべき、ロマンスの女性ですよ」


 すると、突如として夜空は天井が崩れたみたいにパラパラと割れ始め、私達の頭上には美しい流れ星のような光が降り注いだ。真っ暗な鏡が音を立てて割れ、視界はどんどんと真っ白になっていく。崩壊していく世界の中で、人影はただの人影として私達の間を縫って消えていった。


 それを見届けた私は、雪月さんに目配せをすると、力強く頷いた。瞳の輝きを取り戻した雪月さんも小さく頷いてくれた。私達は目を瞑り、手を重ね合わせると、そのまま世界の崩壊に身を任せた。薄れゆく意識の中で私は思った。


 八重の潮路を進む雪月さんにとっては、私の存在など、せいぜい小魚の群れの一匹でしかないのかもしれない。それでも私は雪月さんの手を取り、路を共に歩きたいです。


 雪月さん、私の告白は伝わっていますか?



 八月三十一日、晴れ。いよいよ屋敷から離れて下宿へと戻ることになった。雪月さんは夏休みが明けても大学には戻らず、このまま除籍処分に甘んじるのだそうだ。


「その方がミステリアスを残せるでしょう」と笑っていた。


 屋敷を出る前、私は一つ目にドライアイ用の目薬をプレゼントし、から傘には破れた生地を補修するための生地をプレゼントした。二人共、余計なお世話だと騒いでいたが、いざ別れの時が来ると「ありがとう」と素直な感謝で見送ってくれた。


 雪月さんは門の前まで来て見送ってくれた。


「君と会えて本当によかった」と何の虚飾も無い有難い言葉を投げかけてくれる。


 私は最後に何か言いたかったのだが、やはり意志薄弱である。日常に戻るとなると、途端にこの情けなさである。私たちは無言で固い握手を交わし、かなりの時間見つめあった。が、やがて私は後ろを振り返り、山道を麓に向かって歩き出した。すると、後ろから声がした。


「次会ったら、雪女のキスをあげる。多分、きっと冷たいよ!」


 彼女は楽しそうに笑いながらそう言うと、私に向かっていつまでも手を振っていた。ゆらゆら、ひらひら、どう形容すれば良いか分からないが、私は彼女が観測できるギリギリの位置までゆっくりと後ろ歩きを続けた。雪月さんの姿が逆光の中で見えなくなると、ようやく私は駅に向かって駆けだした。



 以上が私の繰り出す話の全てである。この先はご想像にお任せする。ただ一つだけ断っておくと、今現在、私のこなすアルバイトの実入りはすこぶる良い。


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