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猫を前にしたら普段の威厳は何処へやら。威厳も何もない可愛がり方をしてしまい、到底その姿は他者に見られるわけにはいかないのであるが、この人間の通念、どうやら妖怪にも共通のものらしい。
屋敷の庭に白黒のハチワレ猫が来訪するようになったのは、もう五日も前のことである。昼時、庭先で私たちが流しそうめんをやっていたら、トッピングに用意していた鯖の水煮を何処からか来たハチワレ猫が盗みにやって来た。やけに毛並みが綺麗だから野良猫なのかどうか分からなかったが、非常に可愛らしい顔をしていた。その可愛さに免じて、私たちは鯖の水煮の一缶くらいは黙認してやろうと寛大な態度を取っていたのだが、それでつけあがったのだろう。いよいよ我々の本丸であるそうめんにまで手を伸ばそうと、猫は腰を上げて、再びテーブルの上に狙いを定め始めた。
これはいかん。このままではそうめんを食うどころか、妖怪共に返り討ちに遭ってハチワレの方が喰われてしまうぞ。ここは当代きっての愛猫家たる私が優しく保護してやらねば。
義侠心に駆られた私は猫の方にゆっくりと近寄って行った。しかし猫は私の気配を察知すると、差し出された私の腕の間をするすると掻い潜る。負けじと追ったが、逃げ足が速くて中々捕まらなかった。
「俺に任せな」
やれやれと出てきたのは一つ目である。彼は意気込んで猫に向かったが、ちょっと近づいて威嚇を貰うと呆気なく縁側に退散した。軟弱な奴である。
「僕は絶対に行きませんよ」
から傘は勝てない戦には挑みたくないと、はなから拒否の姿勢である。
「しょうがないなぁ、任せなさい」
満を持して登場した雪月さんは、舌を鳴らしながらゆっくりと猫との距離を詰めていき、最後にはハチワレ猫に向かってそっと両手を差し伸ばした。すると猫は少しの抵抗もせずにむしろ自ら捕まると、万歳姿勢のまま雪月さんを見上げながら、大口を開けてニャンと鳴いた。
「ほらね、愛情が大事なんだよ」
雪月さんは口の端を少し上げながら、満足ゆくまで猫を撫で続けた。猫の方もゴロゴロとエンジン全開であった。
それ以来、ハチワレ猫は庭先に現れるようになった。餌をせがみ、雪女に撫でられ、クーラーの涼しさを甘受しては茂みの奥へと帰っていく。いったい寝床はどこにあるのだろう。
*
その日も青天白日の下、私には指一本だって触れさせてくれないのに、雪月さんの膝の上ではごろにゃんとお腹を見せているハチワレがいた。ハチワレは雪女の冷たい手に頭を擦り付けている。
こういった場合、猫は人間に懐いて、悪霊や妖怪には警戒心を見せるのが相場と決まっているのだが、雪女に懐いて私を忌避するとは一体どういう了見だ。可愛らしいが、忌々しい猫である。
「猫ちゃん、可愛いねぇ」
縁側に座り込み、ふにゃふにゃとした声でハチワレを可愛がっていた雪月さんであるが、
「そうですねぇ、可愛いですねぇ」と後ろから私が同調すると、途端に声音を厳かにした。
「哺乳類でも猫の可愛さは一番だね」
「雪女もその辺は人間と同じ感覚なんですね」
「なにおう! どの辺が人間と違うのさ」
「そりゃもう色々と違う気がしますが」
半ば言い合いになりかけた猫を挟んだ対話の最中である。から傘が大慌てで我々の元に転がり込んできた。
「雪月さん、大変です! 真実の鏡が盗まれました」
「本当? それは大変だね、一体誰がやったんだろう。一つ目ちゃんは?」
「既に結界を張っています。彼の心眼が確かなら、犯人はまだ敷地内にいるとのことです」
「じゃあ私は屋敷内を探そうかな。から傘ちゃんは空からお願い」
「御意しました」
二人ともテキパキと大わらわになり、私は一人、置いてけぼりを食らった。
まず真実の鏡とは何であるか。
それは、とある骨董市で雪月さんが手に入れたという不思議な鏡である。これに映った人は他人にはとても言えないような真実の姿を晒され、たちまち酷い辱めを受けるのであるが、妖怪や化け物の類いにこの鏡を使うと、その対象を鏡の世界に閉じ込めてしまうという恐ろしい聖具である。一目見てこの鏡の恐ろしさを知った雪月さんは鏡を骨董屋の主人から六千円で買い上げ、屋敷の地下倉庫に封印していたのであるが、どうやらそれが何者かによって盗まれてしまったらしいのである。
「ところで、鏡はいつから無くなっていたの?」
表玄関の方に向かって歩きながら、雪月さんは頭上を飛ぶから傘に尋ねた。
「分かりません。とにかく先程確認したらありませんでした。前回見たのは一週間前ですから、多分その間に盗まれたのかと」
から傘は自らの不甲斐なさを恥じ入るように言った。
「どれくらいやばいのですか?」
事態の重大さを知らない私が口を挟んだ。
「そりゃもうムチャクチャ」
冷静な口調で雪月さんは言った。
「水口くんも手伝って。見つかったらバイト代を上乗せするから」
「わかりましたよ」
かくして真実の鏡の一斉捜査が始まった。




